第7話 大事なことなので
小さな女の子が泣いている。
とても、とても悲しいことがあったのだ、それは、つらいつらい別れ。
少女にとってそれは耐え難く、受け入れたくはない現実。
しかし、それは胸の痛みと共に、重い現実と重い宿命として刻まれた。
彼女が亡くなった日。
それは神器の巫女を……
目の前はぼんやりとしてはっきりしない、なんだかとても悲しい夢を見ていたような気がする。
天井の照明がとても眩しいので少しずつ瞼を開いては閉じを繰り返し、健登はようやく目を開けた。
知らない部屋に布団が敷かれ、その上に健登は寝かされていた。
体を起こすのが億劫なので目だけを動かし部屋を見渡してみると、四畳半ほどの小さな和室らしい、特に何も置かれていない殺風景な部屋であった。
しばらくボーっとしていたが、意識がハッキリしてくると健登は先程までのことを思いだしながら体を起こそうとした。
その瞬間、全身に筋肉痛のような痛みが走り呻き声を上げた。
「あら? お目覚めになられたのですね」
若い女性の声がするとその声の主が健登の顔を覗き込む、とても綺麗なひとだ。
どこかで見たことのある人だな?記憶を辿りながら女性に話しかける。
「ここは?」
「ここは姫宮の神社ですよ、気を失っていらしたので姫様のお願いでここに運ばれたのです」
姫様? ああそうだ姫宮のこと……そういえばこの人は……
健登が痛む身体をゆっくり起き上がらせようとすると、女性は優しく背中を支えてくれる、近くに来るととてもいい匂いがしてなにやら気持ちの良い感触が腕に……これはかなり……
いかんいかん、なにを考えているんだ!! 健登は邪念を祓うかのように頭をぶるぶると振った。
女性がコップに水を注ぎ飲ませてくれようとするが、健登は気恥ずかしいので自分で飲めると、受け取り一気に飲み干した。
上体を起こしてその女性を見るとメイド服を着ているのがわかった。
この人は……確か「水谷さん」と弥命が呼んでいた人
あの仮面の男と戦って……
「そう言えば! あの仮面の男はどうなったんですかっ!?」
「仮面の男?」
「そうです仮面の、水谷さん、あなたがやっつけた……んですよね?」
あれ? そういえば、顔や声はそっくりだけど、このメイドさんはあの時のメイドさんとは髪型が違うような?
あの時、仮面の男と戦っていたメイドはロングポニーテールだったような気がする、目の前にいるメイドはボブカットである。
不思議そうにしている健登の様子に気づいたのか、メイドは胸の前で両手をポンと合わせ答えた。
「ああ、ひょっとして、あれは母です」
「ハハ? ははは……は?」
「はい、母です」
にっこりと笑顔で答えるメイドさん、待て待て待ておかしいだろう。
あの時のメイドはどう考えても二十代にしか見えなかった。
暗かったから? そんなわけあるかあああああああああ、見間違えたにしてもこんな大きな娘さんがいる年齢には見えなかった。
「あ、あの? 失礼ですけど、お姉さんは……お幾つですか?」
「まあ! 初対面の女性に年齢を尋ねるなんて、イケナイ子ですね」
そう言われ、ちょこんとオデコを突つかれた。
健登は申し訳なさそうにしながらもニヤニヤしてしまう、くそったれめ。
「私は水谷紅葉と申します。そして先刻あなたとお会いしたのは朱音、私の母です」
「ど、どうもです……守羽健登って言います」
健登は動揺しながらも、相手が名乗って来たので自分も名乗る。
こう見えて意外と礼儀はしっかりしているのだ。
それはそうとして、なにやら紅葉の様子がおかしい。
「よく間違われるんです……そう、あのひと……私が子供の頃から、ずっと……変わらないんです」
俯きながらぶつぶつと話していたかと思いきや、突然堰を切ったかのように捲し立ててくる。
「おかしいと思いませんか? 二十五になる娘と容姿がまったく変わらないなんて? 一緒に居ると、妹さんですか? ってよく聞かれるし、母がっ!! だいたい私は普通に成長しているのに、このままではいずれ、わたしの方がお母さんだと思われてしまうかもっ! ああ、なんて恐ろしい、最近ではあの人が、本当は妖怪かなにかなんじゃないかとさえ思えてきて」
詰め寄る紅葉に圧倒され声の出ない健登だが、ふと紅葉の背後に立つ人影に気が付く、その人物の姿を見て青ざめた。
「ほほぉ、実の娘にそのように思われていたとはな……」
その声にゆっくりと振り向く紅葉、笑顔が怖い。
「あら、お母さん? いつからそこに?」
「おまえが甲斐甲斐しく守羽殿の身体に、いっじょ~~~~~うに密着して抱き上げる所から見ていたぞ」
「まあまあまあ! いい歳して出歯亀ですか? はしたない」
「ふん、年端もいかない男子に色目を使う娘ほどでもないさ」
二人の間にはもの凄い勢いで火花が散っている、いやマジでバチバチ言ってるすげぇ……
唐突に始まった母娘喧嘩に、健登は止めに入ることもできずオロオロしているだけで、暫く二人が罵り合う様を黙って見ていたのだが、埒が明かないので恐る恐る声をかけてみた。
「あのー……水谷さん」
『なんですかっ!』
そういや、どっちも水谷さんだった……
一糸乱れぬ動作で健登の方へ振り向き、ユニゾンする朱音と紅葉……息ぴったりじゃん。
「あ、いやその、俺はこの後どうすれば?」
「そうでした。失礼、恥ずかしい所をお見せしてしまって」
答えたのはポニーテールの方のメイド、朱音だ。
ちなみにおっぱいは紅葉の方が大きい、ってのはどうでもいい話である。
「お疲れの所大変申し訳ないのですが、これから守羽殿にはあるお方に会って頂きます」
「あるお方?」
「はい、ある程度の事情は姫様から伺っております。しかし、成行きとは言え姫様の……姫巫女様の神器を他人が解放させてしまったことは、その……神社としましてはいささか由々しき事態でありまして……大変申し上げにくいのですが、このままお帰りいただくわけにはいかなくなりました」
手を突き頭を下げ神妙な面持ちで話す朱音の姿に、健登はとんでもないことをやらかしてしまったのだとようやく実感が湧いてくる。
丁寧な口調ではあるが要するに、うちの大事な娘に何してくれてんじゃワレェっ、てことだろう。
本当は先程までのことは全部夢で、自転車でここまで上がってきた後酸欠でぶっ倒れてしまい弥命の家で休ませて貰っていたのだと、そうでなければ説明のつかないことばかりで夢に違いないと思いたかった。
しかしそんな甘い話ではないらしい、目の前にいるメイドはこの日本国内で銃を乱射したあげく手榴弾まで持ち出したのだ。
これはもうつまり、修羅の国の住人、そういう筋の人達だろうと考えるしかなかった。
健登は血の気が引いてしまい、真っ青になり固まってしまった。
「お母さん、あるお方って、大巫女様のこと……ではないですよね」
心配そうな声で朱音に尋ねる紅葉だが、ゆっくりと首を横に振る朱音を見て黙り込んでしまった。
どうやら予想通りやばい人の所にこれから連れて行かれるらしい。
「あ、あの、俺どうなっちゃうんでしょう?」
知りたくはないが聞かずにはいられない、コンクリで固められて海に沈められるのか。
はたまたどこか外国に売り飛ばされてしまうのか、とにかく無事ではいられないだろう。
父よ母よ妹よ、不出来な息子、兄で本当にすまなかった。今までありがとう、そしてさようなら。
健登は心の中で家族に別れを告げた。
「お母さん……なんか健登さん、泣いてますよ」
「うむ……なんか妙な勘違いをしているみたいだな」
部屋を出る時に紅葉が小さく手を振っているのが見えたので、健登はニヤケながら手を振り返した。
背後からなんだかもの凄い殺気を感じる気がする。
朱音の後に続き長い廊下を歩く、いったいどこまで続いているのだろうか。
廊下は薄暗く、灯りはと言うと数メートル置きに小さな行燈があるだけ、さすが古い神社だけあるな、と思い中を覗くとLEDランプだった。
省エネですね。
とはいえ、やはり少し気味が悪かった。
幽霊や妖怪なんてものは信じていなかったが、先程の体験の後では本当に存在するのではと思えてしまい少し背筋が寒くなった。
なにか気を紛らわせやしないかと思っていると、朱音が話しかけてきた。
「ところで守羽殿」
「なんですか?」
「守羽殿と姫様は、いったいどういったご関係で?」
「は?」
関係と言われてもただのクラスメイト、しかも今日まで大して会話をしたこともなく、親しい間柄でもないので健登は返答に困ってしまった。
「姫様に親しい男性のお知り合いがいるなんて聞いたこともなかったので、紅葉はともかくとして、もし、姫様に対してなにかやましいお考えをお持ちであれば、姫巫女様のお世話役筆頭メイドとして……」
「ちょっちょちょちょ、なにを言ってるんですかっ! ただのクラスメイトですよ!!」
朱音が鋭い目つきで釘を刺して来るので、健登は必死に下心はないと否定した。
「そうですか……」
それでもまだ疑わしい視線を向けてくる朱音に、健登は目線を合わせないようにしたが、かえって怪しまれたかもしれない。
「まあ、紅葉ならわたしが付いてきますので」
「は?」
なにが言いたいのかよくわからない。
「ともかく紅葉ならっ! 漏れなくわたしが付いてくるっ!」
なんで二回言った!? しかも全員プレゼントみたいな感じで。
「大事なことなので」
この人、他人の考えていることがわかるのか? 確かそんな妖怪いたよね?
紅葉の言っていたことはあながち間違いではないのかもしれないと思いつつ、結局気を紛らわすこともできずに健登は朱音の後ろをただ黙ってついて行った。