タニシはおうちにかえれない(ですよねー) 03
都の東、小さな山を一つ越えた先に広大な穀倉地帯が広がっている。
その中心に位置しているのが、タニシの実家でもあるタニシ長者だ。もっとも、タニシ長者なんて呼ばれるようになったのは最近の話で、タニシが婿入りする前から大地主の長者として栄えており、実質的にタニシ長者でなくなった現在も、特に衰退することなく長者をしている。
というか、むしろ好調だ。
ここの作物は米はもちろんそのほとんどが都へ出荷されている。つまり売るアテに困ることはなく、極めて安定供給される資金源があって潤わないハズもない。しかも現当主、つまりタニシの義父は経営に関して堅実かつ実直な人物であり、無茶な税を取り立てて小作人を虐げるようなこともない。安定収入があったればこそという話ではあるものの、この村の生活は豊かに回っていた。
「つまり、僕の家はお金持ちなのだ」
「うん、どうしたの、突然?」
「それが何を意味するのかくらい、やっちゃんにもわかるだろ」
「うん?」
「そうでなければ、あの懐かしき玄関を前にして生垣に潜む必要などないじゃないか」
「あぁ、だからこんなチクチクしたところに入ったんだね。変なところに入口があるんだなって思ったよ」
「忍者屋敷よりヒデェ!」
一人と一匹が潜んでいる生垣からは、大きな長者というにはいささか質素な茅葺屋根の平屋建てが見える。普通のお宅に比べれば大きいが、使っていない部屋があるというだけで、その造りに大差はない。店舗と一体化したわらしべ商会や多数の従業員や奉公人を抱えていた炭焼き組などと比べると、長者感は薄い。
強いてそれらしい要素を探すとするなら、裏手に見える大きな蔵だけだろう。そこに集めた米俵を都へ出荷する様は、なかなかに壮観である。
「それで、早く入らないの?」
「やっちゃんはここに来るまで何を聞いていたんだ?」
「タニシが無事に帰れたらおまんじゅうをくれるって言った」
「そう言わないとお前、あのボロ宿の前から動かなかったからな」
「さぁ、おまんじゅう!」
「まだ帰れてないだろ!」
「もう目の前だよっ。もう帰ったも同然だよっ。そしてお腹空いた!」
腹が減りすぎて、健乃は少しおかしくなっている。
「まぁ待て、やっちゃん」
「やだっ」
「子供かっ。いや、子供だけど。とにかく少し待て。むしろ問題なのはここからなんだ」
「……おまんじゅう」
「よしわかった。ちゃんと無事に帰れたら好きなだけ食わせてやるから」
「好きな……だけっ?」
「そう、好きなだけだ」
「そ、それって二つどころか、三つ食べてもいいってこと?」
「四つでも五つでもいいぞ」
「凄いっ。タニシ金持ち!」
「うん、まぁいいから落ち着け」
頭の上でタニシは少々困惑顔だ。というか、初めてまともに褒められたような気がした。
「それで、だ」
咳払いを一つしてから、タニシは続ける。
「確かに僕の家は目の前だ。しかしこのまま、僕を乗せたやっちゃんが玄関をガラガラ~と開いて『ただいまー』と帰ったら、どうなる?」
「おまんじゅうを食べる」
「いや待て」
「玄関に山盛りになって積んであるおまんじゅうを食べる」
「うん、おかしいからな?」
「薄皮を剥いてちまちま食べるのが好き」
「聞いてないよっ!」
というか、そんな話ではない。
「やっちゃんが地主である長者の家の敷居を跨ぐんだぞ。そこから何が起きるのかって話だ」
「まさかっ」
「そう、そのまさかだ」
「こしあんなのっ?」
「違うよ!」
「それはダメだよっ。小豆に自信があるならつぶあんじゃないと」
「何の話だよっ。そういう話じゃなくて、お前が巻き起こす不幸が大惨事で、帰った瞬間に帰る家を失うかもしれないって話をしてんだよ!」
「……そうなったら、おまんじゅうは?」
「あるワケないだろ」
「何とかしないとダメじゃない!」
「だからそう言ってるんだけど……やっちゃん的にはどうだ? ウチくらいの家に上がったら何が起こるかとか、見当つかないか?」
「そんなの入ってみないとわかんない」
「だよなぁ」
それがわかっていたら今までの惨事はない。
「僕的にはスズメとかカラスとかイナゴとかが突然大量発生して田畑を食い散らかしたりするんじゃないか、なんて思っているワケだが」
「どれも焼いたら食べられそうだね」
「斬新な感想だな」
「でも雹とか降るのはイヤだなぁ。食べられないし」
「食べられるかどうかを基準にするな」
「タニシのことは結構好きだよ」
「今この流れで言われると不安なんだが」
とにかく、迂闊に健乃が屋敷に入ってしまったら、何が起こるかわからない。ただ一つわかっているのは、それが明確な不幸であるということだけだ。
「まぁ、何とかなるんじゃない?」
「気楽に言ってくれるな、オイ」
「実際、わらしべも炭焼きも潰れてないよ?」
「お前の実家は燃えたし、船は沈んだだろ」
「悪い方にばかり考えない。きっと大丈夫だよ。何も起こらないよ」
「やっちゃん……」
いつもの健乃らしくもなく、張りのある前向きな言葉にタニシの言葉が詰まる。
「そんなにおまんじゅう食べたいのか」
「うん」
素直でよろしい。
「そもそもだよ」
健乃はここぞとばかりに畳みかける。
「私の家に転がり込んできてから、何のためにここまでやって来たの? 玄関の前でウジウジするために戻ってきたの?」
「違う。確かに違うな」
「この旅を無駄にしないで!」
「あぁ、そうだな」
彼は三文で買われたのだった。
家が燃えて村を出たのだった。
奉公先でタダ働きさせられた挙句追い出されたのだった。
建築現場の事故に巻き込まれたのだった。
苦労してようやく乗った船が沈んだのだった。
素晴らしい旅だった。
「ロクなことがねぇ!」
さっさと終わりにするのが吉である。
「それで、ここに隠れて、これからどうするの?」
「それを今から熟考してだな――」
「つまりだよ。タニシだけ家に入っておまんじゅうを持ってきてくれればいいんだよ。うん、それがいい」
「え、いや、ちょっと、心の準備というものが」
「というワケで」
健乃は頭の上に手を伸ばすと、タニシをむんずと掴む。
「行ってらっしゃーい!」
玄関に向けて投げた。
その拍子に、丁度良く玄関の引き戸が開く。コロコロと地面を転がったタニシが顔を覗かせると、目の前に女性が立っていた。
「あ、これはお義母様、お久しぶりです」
「た、たたたたた」
「た?」
「タニシィィィイイィィイィィィッ!」
泡を吹いて母親が腰を抜かす。
「え、あの、ちょっと」
「お母さんっ、どうかしたっ?」
「おぉっ、これは懐かしの我が――」
風のように走り寄ってきた若い女性が、まるで大人げなく缶蹴りをするかのような無慈悲な蹴りを決める。
「よおぉぉぉぉぉぉおおおぉぉめええぇぇぇぇぇぇええぇぇぇっ!」
こうしてタニシは、絶叫と共に星になったのでした。




