二つの長者大戦 25
翌朝、一組の男女がわらしべ商会を訪れた。
「これは珍しい、二人揃ってどうしたね?」
大旦那はキセルをポンと火鉢に打ち付けてから、遠方に住んでいる娘夫婦でも出迎えたみたいな顔で聞いてくる。しかしすぐに、二人の恰好が普段の装いでないことに気付いた。
「旅支度とは……どこか旅行へでも行きなさるのかね?」
「はい、しばらく街を離れて山の方でのんびりしてくるつもりです」
炭焼き組の奥様が綺麗で品のある正座をしながら、にこやかに告げる。一方の隣に胡坐をかいた旦那は、金持ち特有の壺やら掛け軸が珍しいのか、キョロキョロとして落ち着きがない。
「こらアンタ、みっともないよっ」
「あ、いやすんません。こういうのにやっぱ慣れねぇもんで」
「別に構わんよ。見たいなら見ればいい。壺に興味があるのかね?」
「いやぁ、焼き物は一回くらいやってみてぇなぁと思ってますけんど、土を固めて放り込んだだけじゃあ、やっぱこんな風には焼けねぇんですよねぇ?」
大旦那は、さもおかしそうに声を上げて笑う。
「確かにそうだが、試してみればいいさ。ひょっとしたらお前さんなら、奇妙な器を作っちまうかもしれないしな」
「ははぁ、確かにやってみねぇとわからんもんですわなぁ。今度炭焼く時に一緒に放り込んでみるべか」
「……全く、そんなこと話しにきたんじゃないってのに、この人は」
ブツブツと文句を垂れてはいるが、夫の楽しげな素振りに奥様も嬉しそうではある。
「ところで、しばらくってのはどのくらいの話なんだい? まさか炭焼き組を畳むってワケでもないんだろ?」
「もちろんです。でもいつまでになるかは、今のところわかりません。ある意味、この人次第かもしれませんし」
「まぁ見事に橋が落ちたし、例の役場も半壊だ。溜めといた金が底をついたかい?」
「そうですね。えらい出費でした」
細く長い溜め息を吐いてから、奥様は姿勢を正した。そして床の間に近づいて大きな壺をマジマジと眺めている旦那の背中を見つめながら、改めて口を開く。
「でも正直、良い機会だったのかもしれません」
「というと?」
「この人、街の暮らしに疲れていたみたいでしたし」
そんな言葉に旦那が慌てて振り返る。
「そんなことねぇべさ。美味しいものもたくさんあったし、街暮らしも悪くねぇ。ただ何つーか……ちょっと忙しなくて息苦しいっつーか、のんびりできる時間が欲しかったなぁとは思うけんど」
「まぁとにかく、少し山に籠って炭焼きに専念しようかと、そういうことです」
「なるほどな。まぁ炭焼き組も大きくなって安定しとるし、今まで支部だった山林の連中が本部になる程度のことだろうから、さほど変わらんだろう。で、挨拶に来たと」
「はい、しばらくは留守にしますので」
「そうか。それはわざわざご苦労さんだったの」
「そういや大旦那様、来る途中に船に乗っただ。オラ、船に乗るのは初めてだったから、楽しかったべ」
「危うく落ちるところでした」
能天気な旦那に機嫌を損ねる奥方を見て、大旦那は快活な笑い声を上げる。まだまだ元気だと思わせるのに十分な張りと勢いだ。
「あの船、ひょっとしてわらしべさんで用意したものですか?」
「あぁそうだ。幸いと言うべきかわからんが、船を失った船乗りたちがいたんでな。落ちた橋の代わりをやってもらうことにした」
「すみません。本来は私たちがしなければならないことなのに。正直言ってそこまで気が回りませんでした」
「気にせんでいいさ。彼らの生活の支えにもなるしな。必要なものを必要な人に、わらしべのいつもの仕事さね」
「大旦那様はさすがですね」
あのボンクラ息子と違ってと言いかけて、慌てて呑み込む。
「そんなことより、橋と役場はどうするんだね? 諦めて他に任せるという話ではないのだろう?」
「それはもちろんです」
「大まかな指示は向こうから出せるだろうが、現場の統制はどうする? ひょっとしてあの天邪鬼のお嬢さんに任せるつもりかな?」
「いえ、棟梁たちに担当を割り振っています。工期は延長して、少しのんびりと仕事をこなしていただくことになると思います。そのための資金繰りもあって山へ籠るつもりなのです」
「つまり、金の調達か」
炭を焼くと金が採れる。炭焼きの旦那は錬金術師でした。
「それにあの子、凶華は今朝早くに炭焼き組を出ました」
「出たというと、辞めたということかね?」
「はい、あの二人……いえ、一人と一匹と共に」
「そうか。それは残念な話だな」
「元々人間の社会を学ぶための修行だと言ってましたから、いずれは離れると思ってはいましたが、随分慌てていたように見えたので、ひょっとしたら何か事情があったのかもしれません」
「あの二人……もとい一人と一匹のことをかなり気に入ってはいたようだからな。放っておけなかったということもあるのかもしれん」
「放っておけなかったというよりも、無理矢理抱えて一緒に出て行ったみたいな感じでしたけど」
旅は道連れ。
「まぁ春ではあるしな。若者が旅立つ季節なのかもしれん。ウチのバカ息子も今朝荷物を抱えて出て行ったよ。キミらもまだまだ若かろう。いい機会だ。のんびり過ごして跡取りでもこしらえてきたらどうかね?」
「あらやだ」
「実際のところ、そろそろ考えた方がいいだろう。こっちのことは心配いらん。何でもとはいかんが、しばらく街を回す程度ならワシ一人でも十分だ」
「大旦那様……」
「しばらく静かになるのは少々淋しいがな。キミとバカ息子の罵り合いは、アレはアレで活気があって良かったものだ」
「いえ、さすがにそれはちょっと」
「ただ一つだけ、こっちの願いを聞いてくれんかね?」
「いいですけど、何ですか?」
「旦那の焼いた炭を、月に一度で構わないからウチに送ってくれんかね」
「いいべ」
奥方が答えるより早く旦那が壺を見ながら答える。
「それはありがたい。あの炭で焼いた干物が、ワシの楽しみなんでな」
「わかりました。お約束します。さぁアンタ、そろそろ出発するよ。それでは大旦那様、申し訳ありませんがしばらくお願いしますね」
「あぁ、任せておきなさい」
丁寧にお辞儀をして、二人はわらしべ商会の奥座敷を後にする。残された大旦那は縁側の向こうに見える桜の木を眺めながら、キセルに火を入れた。
プカプカと浮かぶ煙の向こうに、もう花はない。
その代わりに伸び始めた新緑が、空へ向かって手を伸ばすように広がり始めていた。
「年寄りだけを残して若者が去っていくのも、あるいは『あの子』の仕業なのかもなぁ」
呟きはそっと、涼やかな風に溶けた。
どっとはらい。




