二つの長者大戦 23
時刻は少し遡る。
新築役場の大混乱もどこ吹く風とばかりに安らかな日常を謳歌していた健乃は、誰にも邪魔されることなくお昼(お茶漬け)を堪能すると、再び薄暗くジメッとした部屋の隅でキノコになろうと歩いていたところ、背後から穏やかな声に呼び止められた。
「えーと、健乃ちゃん?」
「……はい」
一瞬眠気から聞こえないフリをして歩き去ろうと思った健乃だったが、食べ物の恩があることを思い出して立ち止まり、面倒臭そうな顔で振り返る。
「あぁ良かった。名前合ってたべ」
「そういうアナタは……誰でしたっけ?」
「えーと一応、ここの主なんだけど」
影の薄い炭焼き組のご主人である。世間でも獄潰しと評判の炭焼き職人だ。
「そういえば、見たことあります」
「うん、それは良かった」
温和な人で良かった。
「それで、何ですか?」
「あぁそうそう、実は店の人たちが誰も見当たらんでな。食堂のおばちゃんに頼むワケにもいかねぇもんで、困っとったのよ」
「頼む?」
「焼きあがった炭を届けたいんだけどな。大した量じゃねぇんだけど、一人で持つにはちょっと多いもんで。悪ぃけど頼まれちゃくれねぇべか?」
「……んー」
正直言うと昼寝がしたい健乃だったが、素直にそう言ってしまうのはマズいように思った。
当然である。
「ちょっとなら」
「そうかっ。それは助かるべ」
二人は連れだって、ほぼ無人となった炭焼き組を歩き、玄関から爽やかな日差しの降り注ぐ屋外へと踏み出す。いつもならそれなりに人通りのある場所ではあるが、不思議なことに人っ子一人見当たらない。
「今日はやけに静かだけんど、何かあるんだべか?」
「さぁ」
小首を傾げる健乃。
言うまでもなく、大体彼女のせいである。
「まぁいいべ。じゃあ、そこに置いてある炭を一束持ってくんろ。あとの二つはオラが――」
ご主人の言葉を遮るように、街中とは思えない速度で足る馬の蹄の音が聞こえてくる。
「何だべ。こんな街中で」
「こっち来るよ?」
「ウチに何か用だべか?」
やたらのんびり待っている二人の前で、馬が急停止する。乗っているのは若者だった。
「あっ、旦那様。奥様はいらっしゃいますかっ?」
「いや、今は出掛けているけど……急ぎの用かい?」
「はいっ、実は伐採所の方で大雨がありまして、積んであった丸太が流されてしまったんです。で、急いで馬を走らせて対策をと思ったのですが――」
「が?」
「手遅れでした」
「はい?」
少し上流で強烈な破壊音が響き、破砕した破片が宙を舞い、橋が崩れている。
「というワケで、避難してください」
「何がというワケなのかサッパリなんだけんどっ?」
「あっ、もう一つ」
健乃が目を凝らしたその先で、二つ目の橋も見事に粉砕される。
流された丸太は群れを成し、大河に架けられた橋を支える支柱を爪楊枝のようにへし折っていく。恐らくは役場に降り注いだものと同程度の集中豪雨が降り注いだのだろう。まるで津波のような濁流は一つの化け物であるかのようで、丸太は鋭い爪のようにも見えた。
そして魔物は、橋を壊しても止まる気配を見せない。むしろ勢いを増しているかのようですらある。
「あぁ、半分キラキラ橋が!」
陽光を浴びてキラキラと輝く木片を撒き散らしながら、魔物の一撃によって最期を迎える半分キラキラ橋(健乃命名)は、死して尚その存在感を誇示しているかのようだ。
お前も強くあれ、そんな遺言が聞こえる。
としたら幻聴である。
「……どうしてこんなことになってんだべ?」
「さぁ」
主犯が小首を傾げる。
とにもかくにも、街を縦断する大河に架かる七つの橋全てを粉砕して、丸太の魔物は海へと乗り出した。その先に待つ最後のターゲットに爪を立てるために。
「ぬおおぉぉおぉぉぉぉおおぉ……」
そして時は巻き戻る。
地面に崩れ落ちた若旦那が号泣していた。
黒船には今も丸太が突き刺さっており、乗組員が急いで脱出している。幸いにも岸に近かったせいか、遭難するようなことはなさそうだ。ただし積み荷は黒船と共に沈みつつある。さすがに回収は難しいだろう。
「姫ちゃんがぁ……姫ちゃん人形がぁああぁぁっ」
「哀れですわね」
「不幸な事故だったな」
不意にガバリと立ち上がった若旦那が、血走った眼を一人と一匹へ向ける。
「ふざけるなっ。これはお前たちのせいだ!」
「何の話ですの?」
「あの丸太は炭焼き組のものだろっ。お前たちが流したんだっ。このオレの邪魔をする為に!」
「……ふむ」
凶華は少し考え込む。
「つまり、私が悪いと?」
「そ、そうだ!」
「私こそ悪だと?」
「そうだと言っている!」
凶華の表情がパァッと、早朝の朝顔のように花開く。
「よく言ってくださいましたっ。あぁ、やっと理解者が現れましたわ!」
「は?」
「うんうん、私は悪者ですわよねぇ。とんだ極悪人ですわよねぇ。あのボンクラたちは何一つわかっていませんわっ」
「えっと、あのぅ、誉めてないよね、オレ」
「もちろんですっ。貶されてますわ、私!」
「……何で嬉しそうなんだ?」
「嬉しくなんかありませんわっ。ハラワタが煮えくり返っていますわ!」
「えー……」
満面の笑顔が逆に怖い。
「うん、気にするな。この天邪鬼は何というか、病気なんだ」
タニシはもう慣れたらしい。
「とととにかく、こんなことになった責任はキッチリとってもらうからな。積み荷も船も何もかも、ウチが被った被害の全てはお前たち炭焼き組が――」
「やめんか、みっともない」
泣きながら駄々をこねる若旦那、一人浮かれて恍惚としている凶華、そして溜め息交じりに事態を見守ることしかできないタニシの眼差しが一斉に声の方へと振り返る。
「あら、貴方は――」
「親父っ、どうしてここにっ?」
「なぁに、顛末を見に来ただけさ」
そう口にする小奇麗な白髪交じりの老人――わらしべの大旦那は、目の前の惨状には似つかわしくない笑顔を浮かべていた。少なくともその表情には、驚きも落胆も見られない。
それはまるで、こうなることがわかっていたかのようだった。




