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サヨナラ、テイトク  作者: 遠坂遥
デルタ帝星上空(Side-Aika)
7/11

戻らない日々、侵食される想い

デルタ帝星上空にて

 今から7年前のことだ。


 気がつくと私は見知らぬ場所に佇んでいた。


 周りには沢山の人々。でも、その中の誰一人として私の知る者はいなかった。


 いや、そもそも、私は自分が誰なのかをわかっていなかった。


 凍えるような冷たい雨。人ごみの中にいるのに、私は独り。寒くて怖くて、今すぐにでも泣き出してしまいそうだった。


『大丈夫?』


 懐かしい声が蘇る。彼女はずぶ濡れの私に水玉模様の可愛らしい傘を差し出していた。まだ10歳にも満たない少女だった彼女。私を孤独から救い出したのは、そんな幼くて純粋な優しさを持つ女の子だった。それが、私がこの世界で触れた初めての温かさだった。


 私は何一つ覚えていなかった。でも、そんな私にも、1つだけわかっていたことがあった。

 それは、


――この世界を救うために私がここにいる


 ということだった。


 私の信ずる道は、沢山の人と関わり、また多くの人との別れを経験しても、少しもブレることはなかった。

 私はただ、世界の救世主となる道を選び続けた。私はそれを何ら疑うことはなかった。


 そして、それは今も変わらない。

 知りたくもなかった事実を知り、「彼ら」への疑念は拭いきれない。それでも、共に戦った彼女らにその責があるわけではない。私が彼女らを好きなことに変わりはないのだ。

 そして、共に日々を過ごしたあの子のことも、私は大好きなままなのだから。


「何を考えてるの? 哀華」


 不意の彼女の声が思考を中断させる。目の前にいるのは、白髪ツインテールの女の子。小柄な身体に、可愛らしいかんばせと声。何も知らない人が見れば、彼女はただの少女にしか見えないだろう。

 でも、私は知っている。彼女はただの少女ではないということを。


「別に、何も……」

「嘘だね」

「どうしてそう思うの?」

「顔に全部出てるから」


 私は驚き、自身に顔に手を触れてみる。


「ほら、やっぱり嘘だ」


 そんな私を嘲笑うように彼女は言った。


「からかったのね……?」

「違うよ。お姉ちゃんが寂しそうだったから、楽しくしてあげようと思って」


 寂しい? もしかして私は寂しかったの? 世間では5年の月日が経っていたらしいけど、私にはその実感がない。そして私自身も、どう見ても5年前と全く変化がない。

 それでも、たったの1人でデルタ帝星に残り、今もこうして友人や妹たちに会えるような状況ではないことを考えると、やはり私は寂しいのかもしれない。


「あなたは、寂しくないの?」


 愚問だったかもしれない。それでも私は、彼女に聞いてみたかった。


「そんなの忘れちゃった」


 彼女がニコリと笑う。でも、次の瞬間には、


「今はただ、殺したいほど、憎いだけ」


 と、氷の様に凍てついた声で、そう言った。

 私はそんな彼女からただ目が離せなかった。

 気付くと、不気味な触手のようなものが私の方まで伸びていた。そしてそれは、にょろにょろと私の首に巻きついていく。


 それは、多分生命の息の根を止める凶器だ。にも関わらず、私はそれを黙って見ていることしかできない。


 巻きついた触手が私の首を締め上げていく。息が出来ない。思わずそれに手をかける。でも、それは決して外れない。


「あ、あ……」


 苦しくて声にならない声が漏れる。まるで鳥の鳴き声のように、無様な声だ。

 しかし、どんなに苦しくても、私は彼女を恨む気持ちは少しも湧かなかった。

 なぜなら、私には彼女の気持ちがわかるから。彼女が、ぶつけようもない激情を持て余しているだけのことを私は知っているから。

 私には、傘を差し出してくれる人がいた。でも、彼女にはいなかった。それがどれほど辛いことか、悲しいことか私はわかるから、だから……。


「…………」


 次の瞬間、彼女の触手はフッと緩まり、私はガックリと膝から崩れ落ちた。


「どうして、哀華が泣いてるの?」


 珍しく、彼女が動揺したような声を発した。

 私は頬に手を触れてみる。私の頬はすっかり涙でぐしゃぐしゃだった。


「あなたが、泣かないからよ」


 私は震える声で言った。


「泣いたら何か変わるの?」


 そう言う彼女の目は、ここではないどこか遠くを見ているようだった。


「変わらないけど、変わらないけどさ……」


 私はどうしても込み上げてくる涙を堪えることができない。泣いても変わらないのは分かってる。それでも、彼女の受けた身を切るような痛みを考えると、涙は絶え間なく溢れるのだった。


「ほら、また泣く」

「あなたが泣くまで泣くの」

「何それ? 変なの」


 呆れたのか、彼女は私から視線を逸らす。それでも私が泣き止まないからか、彼女は諦めたかのように私の元に戻ってきた。


「ホントに哀華って変わってる。あの人はわたしの話を聞いたらとにかく怒ってた。すぐにでも殺してやるって、怒ってた。なのに、哀華はわんわん泣いてる。そんな反応初めてだから、正直驚いた」


 そう言うと、彼女はその小さな腕で私を抱き締めた。


「あの人が怒ってくれたのは嬉しかった。でも、わたしは哀華の方が好き。すっごく変だけど、わたしは哀華が好き。だから……」

「だから?」


 一瞬の間の後、


「あなたをわたしと同類にしておいて良かった」


 とだけ、彼女は言った。


「どういうこと?」


 私が尋ねても、


「お姉ちゃんには教えてあげない」


 彼女はそうしてはぐらかすだけだった。

 その時だった。


「あ、頭が……」


 不意に、私は感じたこともないほどの頭痛を覚えた。

 視界が歪む。あまりの痛みに私は立っていることすらできず、思わず膝をついた。


「助けて……」


 求めても、彼女は答えない。

 その代わりに、彼女は私に人差し指を突き出した。


「舐めて」

「…………え?」

「いいから。じゃないとお姉ちゃん、死んじゃうよ?」


 私は彼女の言動の意味が理解出来なかった。それでも、この痛みは耐え難いものがあって、私はもう彼女の言葉に縋るよりなかった。

 私は霞む意識の中、彼女の指を咥えた。


 途端、私の身体に不思議な感覚が広がった。

 まるで空を飛んでいるような、そんな奇妙な浮遊感。でもそれは間違いなく中毒になりそうな、危険な香りが漂うものだった。


 しかし危険と察知しながらもこの痛みに代えることはやはりできず、私はぺちゃぺちゃと粘着性の音を立てながら、夢中で彼女の指をしゃぶった。

 私の口元からだらしなく唾液が滴り落ちる。彼女の指もすっかり私の体液に塗れていた。


「いい子ね、哀華」


 彼女は左手で私の頭を撫でる。私はブルっと一度身震いし、その直後、全身に心地良い感覚が染み渡っていくのがわかった。

 やはり何をされているのかはわからなかった。でも、そんなことは既にどうでも良かった。

 正常な思考は、次第に薄れていった。


 にゅるっと、彼女が指を私の口から引き抜く。糸のように唾液が垂れ下がる。

 その瞬間、私の身体に電撃に似た何かが走った。


「気持ち良さそうな顔」


 彼女が邪悪な笑みを浮かべる。私はもう、何も考えることができなかった。


「私、一体、どうしちゃったの……?」

「身体の構造が変わったの。わたしの体液は、今のあなたにはピッタリなの」


 彼女の言葉が頭に止まることなく霧散していく。

 私はただ身体が痙攣し、幸福な脱力感だけが身体を覆っていた。

 そんな私に、彼女は口を耳元に近付かせ囁く。


「これからもっと、もーっと気持ち良くしてあげる。だから哀華はぁ、わたしのお願いを聞いてね」

「お、お願い?」

「うん。さっきからあっちを飛んでる宇宙船から通信が入ってるの。返事を寄越さないと撃ち落とすなんて物騒なことも言ってるのよ。だからね哀華、あなたは今からあの宇宙船に挨拶に行ってきてほしいの。そしてぇ、平和的に話し合ってきてほしいのよ」


 彼女の白い髪が悪戯っぽく揺れる。私は自分のことが精一杯で、今まさにあの男から奪った宇宙船に乗って地球を目指していることさえ忘れていたのだ。


「……話し合えば、いいの?」

「そ。平和的にね」


 くくくと、彼女が笑った。

 まだ若干痺れの残る身体に鞭打ち立ち上がる。そして私は、彼女の言うことを実行するために、通信機に手を掛けた。


 それからのことを、私はあまりよく覚えていない。

 気付いた時には、私の両手は血の臭いで溢れていた。

 それが一体誰のものだったのか、そもそも私は今何をやっていたのか、どうしても、思い出すことができなかった。


「お疲れ様、お姉ちゃん」


 彼女は子どもをあやすように、私の頭を撫でた。

 頭を撫でられるたびに、私の脳から何かが零れ落ちていくような、そんな感覚に襲われる。


『哀華お姉ちゃーん!』


 ショートポニーの髪を揺らした可愛らしい女の子が、無邪気に私の元に駆けてくる。

 いつか私の中のそのような美しい記憶までも、なくなってしまう。そんな予感を抱きながらも、私はただ、なされるまま、流されていくしかできないのだった。

哀華はどうなるのか?

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