Please call me "Delta"
今回はプロローグです。次回より本編はスタートします。
圧縮され、身体がグチャグチャになる。
私を形作っていたものが剥がれ落ちていく。
この身体を流れていた液体は悉く気体となり、消える。
私という人格を作り上げていた記憶が、バラバラと崩れていき、そして、
私のカケラは、ついに一つも残らなかった。
――はずだった。
「ここは、どこ……?」
目の前には、荒れ果てた大地が広がっている。
空は琥珀色に染まり、生物の息吹は少しも感じることができない。
まだ覚醒しきっていない頭でも、ここが地獄であることは容易に理解できた。
「……寒い」
気付くと、私は何も衣服を身につけていなかった。
ゴツゴツして冷たい岩の感触が肌に直接伝わる。
吹き付ける冷たい風は、私の身体を芯から凍りつかせようとする。
私は寒さから逃れようと、赤ん坊のように身体を丸まらせた。
私はどうして、こんなところで裸で寝ているのだろうか?
そして、そもそも、
――私は誰なのか……?
「お姉ちゃん、大丈夫?」
そんな私に、話しかけてくる人がいた。こんな生き物などすぐにでも死滅してしまいそうなこの世界で、裸で地面に横たわっている女に話しかけてくるような人は何者なのか? 私はその正体を確かめようと、重たい身体を無理やり起こした。
そこにいたのは、雪のように白い髪の毛を左右で束ね、白いワンピースを着た可愛らしい女の子だった。
私は思わず言葉を失った。
その少女の姿が、この朽ち果てた大地とあまりに不釣り合いだったからだ。
「ねえ、本当に大丈夫?」
少女はその小さな手を私に向けている。
私は我に帰り、その手を取った。
「あ……」
裸なのをすっかり忘れていた私は、上半身を起こすと少女の目から逃れるように自らの身体を抱きしめた。
「恥ずかしいから、見ないで……」
「恥ずかしがらなくてもいいよ。だって、もう散々触らせてもらったから」
「え……?」
私は思わず少女を見る。少女は、さっきの無邪気さとは全く違う、悪意のこもった笑顔をこちらに向けていた。
「触ったよ。お姉ちゃんの綺麗で長い金髪も、胸も、お尻も……骨も、内臓も、脳みそもね」
「ちょっと、何言って…………!?」
一瞬のことで、理解できなかった。気付くと私は、少女に押し倒されていた。
「ちょ、ちょっと!? ……ひゃ!?」
女の子の手が、私の胸を掴んでいた。
「い、痛い! やめ、」
「ねえ、お姉ちゃん」
「……な、なに?」
「ちゃんと感じてる?」
顔が真っ赤になる。相手は子供なのに、私はどうしようもなく恥ずかしかった。
「そんなの、分かんないよ……!」
「あれ? お姉ちゃんくらいの年齢ならそういうの分かると思ったんだけどな。もしかして、処女?」
「!? ホントにあなた、いい加減に……」
「冗談だよお姉ちゃん。ちょっと試してみただけだよ」
そう言って彼女は私から離れる。
いったいあれで何を試したというのだろうか?
「それにしても、ちゃんと身体作れてて良かった」
ふと、彼女はそんなことを言った。
「バラバラにしちゃったから組み立てるのに苦労したんだよね。あとは、ちゃんとわたしと同じになってるかだけど……」
何を言っているの? バラバラとか、そんな物騒なこと、女の子が言うものじゃないと、私が考えていると、
「あ、服渡すの忘れてた。はい、これ」
彼女がぶっきらぼうに、私に向かって見覚えのある緑色の軍服と、白色の下着を投げ渡した。
「それ着て。そろそろ来るから、裸のままだと犯されちゃうよ?」
少女は口の端を吊り上げニヤリと笑った。さっきからそうだけど、この子が浮かべる表情はどう見ても十代前半の女の子のものとは程遠い。
それにしてもこれから何が来るのだろうか?
わからないけど、裸のままこれ以上人には会いたくないので私はひとまず服を着ることにした。
「髪留めは、ないのかな?」
私の髪は背中くらいまである。できれば髪留めが欲しいのだけど、ない物ねだりをしても仕方がない。あとであの子に聞いてみることにしよう。
「あれ……? さっきの子は?」
服を着て辺りを見渡すと、あの子の姿がどこにもなかった。辺りに隠れられるようなものは存在していないのに、一体どこに隠れたというのだろうか?
途端に不安が私を襲う。自分が誰かもわからないまま、こんな荒れ野の真ん中でまた独りになってしまった。
でも孤独を感じる間もなく、それはすぐに現れた。
「……渡真利さん!?」
聞き覚えのない男性のもののような声。目を凝らすと、100メートくらい離れたところに、なにやらゴツい宇宙服みたいな防具を着た人が立っていた。
その人はゴツゴツした岩に足を取られながらも、なんとか私の元へと辿り着く。
「やっぱり渡真利さんだ! ご無事だったんですね!」
彼の右手には、拳銃の様なものが握られていた。
私は何も応えずに佇む。
彼は私の身体を一度眺めてから尋ねた。
「渡真利さん、防護服を着なくても大丈夫なんですか? まさか、魔力供給ができる魔導師がいるんですか?」
彼はキョロキョロと辺りを見渡す。
彼の言う渡真利というのが私のことなのだろうか?
「あの、大丈夫ですか……? いややはり、あれから5年も経っているし、大丈夫ということはないと思いますが……」
彼はブツブツとそう言った後、
「歩けますか? ここから2km先に宇宙船があります。少し遠いですが、行きましょう。そうすれば、あなたは地球に帰れるのです!」
「地球、に……?」
その時だった。彼が”地球”という単語を発したその瞬間、さっきまで完全に消えていた私の記憶が、私の中を雪崩のように駆け巡ったのだ。
「あた、まが……」
強烈な頭痛と共に、私は自分がこのデルタ帝星にやって来た理由と、この星の中枢で私の身に起きた悲劇、そして、知りたくもなかった忌々しい真実を思い出した。
「……どうしました渡真利さん? やはり、どこか痛むの、」
「答えてください」
「な、何をですか?」
「『デルタ』の真実をです」
その言葉を受け、彼の気配が変わったのが分かった。彼が一気に殺気立ち、そして手に持っていた銃を、ゆっくりと私に向けた。
「やっぱり、本当なのね……」
この星の中枢で、私たちの艦隊はデルタに取り囲まれた。私はなんとしてでもみんなの命だけは助けたかった。だから、私は囮となりみんなを戦闘圏から脱出させた。
そして残った私は、その代償として、デルタ中枢に飲みこまれた。
――待って! 置いていかないで! 助けてよ!
英雄を気取って1人残ったはずなのに、なんと無様な最期か。
でもいくら泣き叫ぼうと、殺戮しか求めないデルタを止めることなんてできない。
私はなす術もなく、デルタに飲みこまれ、恐ろしいほどの圧力で身体をグチャグチャに引きちぎられた。
そこで私は知ってしまった。
デルタの中枢に、私独りが残っていた宇宙船ごと潰され、そのまま身体を引き裂かれている間中、ずっと頭の中に響いていた声。
その声は、
「殺しちゃいなよ?」
あの白い髪の少女のものだった。
「なんだそいつは!? あんたの仲間か!?」
防護服の男は酷く興奮している。やはり、私の知っている真実をこの人も知っている。そして、それを知ってしまった私を亡き者にしようとしている。
「ねえ、だってそいつは哀華を殺そうとしているんだよ? だったらそいつは敵だよ。やらないと、哀華が殺されちゃうよ?」
楽しそうに、彼女はそう言った。
私が彼を知らないのは、彼が我々のような艦隊所属の魔導師とは違う、特殊部隊の所属だからだろう。
あれから既に5年経った(らしい)。その間に地球軍がデルタと交戦した形跡はない。にも関わらず彼が未だにこのデルタ帝星に来ているのは明らかに不自然だ。見たところ艦隊が居る様子もない。恐らくいるのは彼のような調査員数名だろう。
彼の目的は何か? 言うまでもない、この私を殺すことだ。
私の最期の日誌を見た者がいたんだ。
あの言葉が誰に向けられたものだったのか、やつらは気付いたのだろう。
そして、5年もの間消息不明だった私の生存を疑い続け、私を葬り去るために甲斐甲斐しく、デルタに狙われるかもしれないという危険を冒してでもこの星に通い詰めた。
微笑ましさすら感じられるそのしつこさ。そしてついに彼は任務を終えられるのだ。長かったこの不毛な任務を。
だけど、私は死んでやるつもりはない。
知ってしまった真実を確かめないままでは死ねない。
守ると決めた、大好きな故郷に帰るまでは死ねない。
そして、みんなにまた会うまでは死ねない!
私は一歩を踏み出す。動揺した彼が引き鉄を引く。だが無駄だ。魔導師相手に実弾兵器で戦うなど愚の骨頂。
ブランクがあるとは言え、私は救世主として名を馳せた渡真利哀華だ。この程度の男に殺されたりなんて……
「……え?」
何が起こったのか、わからなかった。
「やはり、既に堕ちていたか……。この、化物めが」
彼が何を言っているのか理解できない。
右手を動かす。でも動かせない。だって、私の右腕は、今の一撃でグチャグチャに弾け飛んでいたのだから!
「いやああああああああ!? なに!? どうしてぇ!?」
「これを実弾兵器と勘違いしたお前の負けだ。ここから発射されるのは凝縮された魔力弾だ。男でも使用できるよう、お前が行方不明になっている間に開発されたものだ」
いくら魔力弾とはいえ、私がこれを食らったくらいで腕が吹き飛ぶわけがない!
「馬鹿な! そんな程度の、弾丸でぇ!?」
「ふん、確かにあんたがあの時と同じ渡真利哀華なら、そこまでのダメージは受けなかっただろう。だが、今の君には効果は絶大だ」
「どういう、こどぉ!?」
「化物の問いに答える義理はない。潔くここで死ね」
混乱する思考回路。でも、死が私の両足を掴んで放さないのだけはよく分かっていた。
もはやなんの抵抗もできなかった。捥げたのは腕だけじゃない。肩周りも、肺も吹き飛んでいる。こんな状態で生きている方がおかしいんだ。
悔しかった。何一つわかっていないのに、こんな名前も知らない男に殺されなくてはならないことが悔しくてならなかった。
殺してやりたい。
私はただ、それだけを思い、目を閉じた。
「もう目を開けてもいいよ、お姉ちゃん」
「え?」
言われるがまま目を開ける。目の前に広がっていたのは、
「これ、は……?」
バラバラに引き千切られた、男の死体だった。
「誰が、これを?」
「お姉ちゃん」
「私が!?」
「うん。凄かったよ。流石は救世主」
全く覚えがない。私の本来の力なら、確かにこんなことをやるのは不可能じゃない。だけど、私は腕も肩もなかったんだ。そんな状態で勝てるはずが……
「あれ……? 腕がある!? どうして、だってさっき、確かに……」
「いいじゃん、治ったんなら。それより早く行こうよ」
「え? 行くってどこに?」
「地球に決まってるでしょ。知りたいんでしょ? この前教えてあげたこと」
ニヤリと、不吉な笑みを少女は浮かべる。そして、踵を返して歩き出す。
「待ってよ! それはつまり、あなたが"あれ"って、ことなの?」
「だとしたら?」
「だとしたら、あなたを地球に連れて行ったら大変なことに……」
「悪を粛清に行くだけだよ。それに、わたしだって故郷に帰りたい。利害の一致ってやつだよ」
彼女は再び歩き出す。私はそんな彼女の背中を追った。
「あなた、名前は?」
「教えない」
「それじゃ、あなたのこと呼べないんだけど……」
「じゃあさ……」
彼女は一度立ち止まり、白いワンピースをヒラリと翻しながらこちらに振り返り、そしてこう言った。
「『デルタ』って、呼んでよ」
少女は笑った。
そしてまた、スタスタとこの荒れ野を進んでいく。
私はただ、
「呼べるわけ、ないじゃない」
そう、呟くことしかできなかった。