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名もなき森 <生誕> 4

月の灯りが闇に染まった森の姿を薄く浮き彫りにする。湿った夜風が眠れる里を包み込み、木の葉を揺らす風のだけが途切れる事なく押し寄せる。


擦れ合う木の葉が作り出す大音量のさざ波音なみおんは里を抜けると森全体に広がって行き、寂しくもわびしくも孤高の里を演出する。




「いつ飲んでも、うまいのう」


「はい、最高ですね」


寝静まった里にかすかな灯りと話し声が漏れる。長老宅に招かれたルシェルは、ロアの湧き水にピグリリの幻妖毒素を混ぜて造った酒。

「ダイナマイツ」(長老命名)

を酌み交わしながら酒盛りに興じていた。


アリアを介し、すっかり仲の良くなったルシェルと長老は夜な夜な顔を突き合わせては二人だけの宴を楽しんでいた。


「してルシェル。娘とはどうなっておるんじゃ」


「……どうと言われましても」


「悲しい事にアリアはお主に惚れておる。お主は娘をどう思っておるんじゃ」


「……同じかも知れません」


「だったら、とっとと押し倒したらんかい! 娘だって待っておるんじゃないのか」


「そんな、僕はそういうの苦手で……」


「かぁ、情けないのう。わしの若い頃は……」


酔いがまわると必ず始まる一連の流れは、二人にとってのお約束であり、それは惹かれ合うアリアとルシェルに何の進展も無いことを示していた。


過去、森狼徒(しんろうと)と人間のロマンスなどあり得るはずもなく前代未聞の出来事であったが長老は嫌悪感を示す事もなく、むしろ推進している節までみられる。


「わしはな、いつかは人間と関わらなくてはならんと考えておる。お主らの事はその先駆けになってもらおうと思っているんじゃ」


ルシェルは長老の言葉に身を乗り出して反応すると手に持ったますを床に置き高揚した様子を見せる。


「本当ですか! 実は僕も人間はあなた達森狼徒(しんろうと)と交流し、影響を受けなければならないと考えているんです」


「ほう」


森狼徒(しんろうとはあらゆる面で人間を超越しています。特に物の考え方や精神性レベルは人間が目指す方向と一致しているんです」


「我々と関わる事で人間が変わると言いたいのか?」


「はい。突出して優れた者が現れると周りもそれに合わせて影響を受けていき、いつの間にか突出者のレベルに皆が到達するんじゃないかと」


長老は徳利とっくりから手に持った升に酒を注ぐと一気に飲み干した。


「問題は我らよりもお主ら人間じゃ。人間は我らと関わっていけるのか?」


「……」


押し黙るルシェルを長老は真剣な眼差しで見据えている。


「人間のお主にとって嫌な話があるんじゃが、聴いてみるか?」


「! 是非。どんな話でもお願いします」


ルシェルは足を畳み正座をすると長老の顔をまじまじと見つめながら耳を傾ける。


「今から百年以上前、お主と同じ様に我らの血の反応を見てしまった人間がいた。その人間はどうしたと思う?」


「……欲望からあまり良い事は考えないでしょうね」


「そうじゃ。その人間は自国に情報を洩らし、情報を得た国は兵を挙げて森狼徒(しんろうと)狩りを始めた。血の反応を利用して最強の兵士を作るなどというバカな理由でな」


長老は床にしぶきを撒きながら、乱暴に酒を注ぐ。


「捕まった森狼徒(しんろうと)は生体実験の道具とされ何人もの命が奪われていった。女子供も含めてじゃ」


「ひどい……」


「人間の血を数滴取り込むだけで爆発的な細胞促進効果を生む反応じゃ。そこに人の血を大量に与えたらどうなると思うか…… 体は過剰な反応に耐えられず張り裂けるだけじゃ」



ルシェルは絶句したまま悲痛な表情を浮かべている。


「様々な実験の道具とされた森狼徒(しんろうと)はそれでも戦う事を避け、追っ手から逃げる様に移り住んだ。だがある時、とうとうその国が本気を出してきたんじゃ」


「本気?」


森狼徒(しんろうと)の民を全員捕らえようと大軍勢で押し寄せてきた。判るか? 子供を産ませ実験の材料とする為に森狼徒(しんろうと)を里ごと管理しようとしたんじゃ。全く考えられん」


「……ひど過ぎる」



「そんな時、一人の森狼徒(しんろうと)が大軍勢の前に単身立ちふさがった。その男は里の森狼徒(しんろうと)を逃がす為にたった一人で戦ったんじゃ」


「軍隊を相手に」


「そうじゃ。男はかなりの手練れであったが、さすがに多勢に無勢。里の森狼徒(しんろうと)を見事に逃がす事は出来たが、自身は囚われの身となってしまう」


「なんて勇敢なんだ。立派な方ですね」



「男の名はマリュミカ。大剣士であり、我ら森狼徒(しんろうと)の伝説的一人目(うぶめ)マリュミカ様じゃ」


「!!」


驚きの表情を浮かべるルシェルをよそに長老は淡々と話を続ける。


「マリュミカ様はひどい拷問の上、実験の材料とされたあげく殺されてしまった」


「……」


「じゃが、マリュミカ様の強い意思は肉体を失っても残り続け、その怨念の塊は……」


長老は眼を閉じ口惜しそうに首を振ると、大きなため息と共にこうべを垂れる。




「……魔狼まろうとなった」


「そ、そんな! マリュミカ様が…… 魔狼まろう


魔狼まろうとなったマリュミカ様は、その国に生きる全ての人間を殺し滅ぼした。じゃが意識を失い怨念の塊となったマリュミカ様は成仏すること無くこの森をさまよい続け、自分達が受けた苦しみと同じ方法で人間に報復しておる。お主も魔狼まろうに殺された者を見たのであろう」


「はい。凄まじいものでした……」


「実験の材料にされた森狼徒(しんろうと)達は皆その様に殺されてきたんじゃ」


狼狽ろうばいするルシェルを前に酒を煽る長老は、赤ら顔の中にも悔しさをにじませている。


「わしはこの話を里の者には伝えずにいる。この事実を知れば人間との協力関係など誰も賛成せんじゃろうからな」


「……つらい、本当につらい立場ですね」


「ああ、わしは歴代の長老から呪い殺されても文句は言えんな」


再び酒をあおると自虐的な笑みをこぼす。



「それでも、いつまでも孤立したままではいられんのじゃ。森狼徒(しんろうと)の成長を促す意味でも世界を知らねばならん。ルシェル、人間はどうなのじゃ。現在の人間なら交流していけるのか?」


しばらく押し黙っていたルシェルは長老の問いに対し重そうな口を開く。


「……多分、百年前と何も変わってはいません。今、森狼徒(しんろうと)と血の反応を人間が知れば第二の魔狼まろうを生み出すだけだと思います」


「……そうか」


「でも、でもいつか必ず……」


「期待しておるよ」


やるせない雰囲気を払拭するように長老はルシェルに升を持たせると酒を注ぐ。


「ほれ、ぐっといけ」


ルシェルは注がれた酒を一気に飲み干すと大きな息を吐き出し、口許を手の甲で拭った。



「長老、魔狼まろうを、マリュミカ様を成仏させてあげる事は出来ないのですか」


「何故じゃ。結果的に魔狼まろうの存在は我ら森狼徒(しんろうと)を人間から守ってくれているんじゃぞ。何故成仏させる必要がある? やはりお主と同じ人間を守りたいが故か?」


「……わかりません。ただあのとき出会ったマリュミカ様はとても悲しそうな感じがしたんです」


この言葉に長老の酔った顔つきが、一瞬険しく変わる。


「解った事を言うでない。人間のお主に何が解る」



「す、すみません……」


萎縮するルシェルを前に、長老は立ち上がる。


「いや…… わしの方こそすまんかった。それより今日はすっかり遅くなってしもうた。そろそろお開きとしよう」


促される様にルシェルは立ち上がると長老に軽い会釈をする。


「貴重なお話、ありがとうございました。またよろしくお願いします」


挨拶を済ませると、残酷な話が尾を引いているのか、ルシェルはやや気落ちしたたたずまいで長老宅を後にする。


部屋で一人立ち尽くす長老はルシェルの姿が見えなくなると、小さなため息を吐きながらぼそりと呟く。


「成仏させる方法があるのなら、とっくにさせておるわ」



里の夜は深く静かに更けていった。




つづく

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