名もなき森 <生誕> 3
「ここが森狼徒の里だ」
森を抜けた山の麓に大きく開けた土地がある。山から流れる美しい川を中心に、木を組んで建てられたいくつかの小屋が所々に並んでいる。
重苦しい雰囲気の中、無言の行脚を続けて来たアリアとルシェルには、ようやくたどり着いた安息の地といえよう。
「よし、長老の家へ行くぞ」
つかの間の休息もそこそこに、アリアとルシェルは長老の下へと歩き出す。矢倉以外に目立った建物も見当たらず小振りな家とそれに見合った田畑が続く無駄のない風景は、つつましく品のある美しさを感じさせる。
里の森狼徒は皆、道行くルシェルをあまり気にはしていないようで、いつも通りの日常を淡々とこなしていた。
「……僕がただの人間だということをみんな気づいて無いのかな」
「里以外に森狼徒は存在しないんだ。気づかないはずが無いだろう」
「えっ、でも嫌われ者の人間が居るのに誰も何もしてこないし……」
「何かされると思っていたのか?」
「そりゃまあ、好奇な目で見られたり、ヒソヒソ話されたり、石を投げられたり……」
アリアは立ち止まり怪訝な表情で振り返ると、ルシェルの不安顔をじっと見つめた。
「何を言っているんだお前は。森狼徒の私と仲良く歩いているのに、一体何をされるというんだ?」
「えっ、それってまさか、アリアが人間を連れているのは何か理由があるんだろうな、みたいな感じで察してくれている? 全員が? 説明もしてないのに?」
「当たり前だろう…… おかしな奴だな」
ルシェルは驚きの表情を浮かべる。
「……どうやら君達との違いは血の反応だけじゃ無さそうだ。人間に比べ民度というか民族レベルが明らかに高い」
「また、ややこしい事を…… 気持ち悪いぞ」
「アリア達から見たら我々人間は野蛮だということさ」
「それは知っている。さんざん聞かされたからな。ただお前は……」
「ん?」
言いかけたアリアはルシェルを無視する様に向き直ると、何も言わずに再び歩き出した。
「着いたぞ、あそこだ」
アリアの指差した先は周りの家屋と変わらない質素な一軒家。
「長老と言われる割には随分と謙虚な所に住んでいるんだね」
「当たり前だろう。代表というだけで偉いわけじゃないからな」
「へぇ、じゃあ森狼徒には上下関係みたいなものは無いのかい?」
「そんなことは無い。年長組は敬われるが特別では無いというだけだ」
「なら、どうやったら特別な、偉い人になれるの? やっぱりいっぱい勉強したりとかアリアみたいに強い人とかかな?」
「努力や長生きで身に付く知識や経験は尊敬の対象にはならん。やる気さえあれば誰にでも出来る事は評価などされん」
「なかなかシビアだね……」
「何故だ? 当たり前だろう。人にとって一番やっかいな自己特別視を増長させてしまうだろ。個人を人の上に立たせるなど愚の骨頂ではないか。人の考える事などたいして変わらん。ならば皆で話し合うだけだ。歴史を参考にしてな」
「なるほど」
「努力を報いてやりたい気持ちも判るが、他人が関わるとなれば話しは別だ。誰が上に立っても学んだことからの応用程度しか出来ないのならリーダーなど必要ない。他者が迷惑するかも知れん個人の意見など一々聞いていられるか。我々は己よりも他人を重視する。何故か判るか?」
「思いやりの心とか?」
「人はそんなに綺麗には出来ていないだろう。ただ単に社会生活を円滑に進めるためだ。そこには思いやりも敬う気持ちも必要ない」
「……」
「他人が他人である以上、仕方ないだろう。お前が思うことは多分理想だ。人間はおろか我々森狼徒でさえ、到達出来ていない未来の構想とも言ってもいい」
「確かにね…… 人間社会は綺麗事ばかりを言うわりには争いで満ちてるよ。学校でも職場でも国同士でも……」
「つまりお前達人間には、集団社会生活はまだ早いということだ。それでもしなければならないのなら、争いを無くすためにも他者優先は必然だろう。自分を殺すのは思いやりでも尊敬でもない。場を円滑に進める為だ」
「でも何千年も同じ事を繰り返しているのに、そんなうまいこと変われるかな」
「学ばないからだ。教育と環境に逆らうエリートなどまず存在しない。もし居るのなら好きなだけ自分を出していい。だがそんな奴は見たことがない。逆らえぬ教育や環境ならば、それを利用したらいいんだ。子供達に現状の人間の姿を正確に伝えればいい」
「人間は欲望から平気で人を殺せるんだよ、とか教えるの? きついな……」
「そこから考えるのが大事なんだろう。現状の人間はこんなものだが、それを改善するにはどうすれば良いのか? 正しい位置からスタートさせ、考えさせる教育をすれば少しずつ変わっていくはずだ」
「森狼徒はそんな教育をしているの?」
「当然だ。真実を教え、そこから答えを導き出す。当たり前の事だろう」
ルシェルは衝撃を受けている。森狼徒と人間に大きな差異はない。違いがあるとすれば考えられた教育と環境設備。粗野が目立つアリアにさえ行き届いている事にルシェルは驚きを隠せない。
「お前の話しから察するに、人間本来の姿を子供達に教えてはいないようだな」
「そうだね。建て前や綺麗事で、偽りの人間像を植え付けてるよ。子供だけじゃなく大人にまでね……」
「何千年も同じ事を繰り返す理由だ。スタート地点が間違っているんだからな。百メートル競争のゴールを目指すのに、パン食い競争のスタートラインに立っているようなものだ。永久にゴール出来んぞ」
ルシェルは感心した様子でアリアを見つめた。
「すごいなアリア。いや、すごいのは森狼徒か。この森にこんな種族が生活していたなんて……」
沸き上がる知識欲からか、興奮した様子を見せるルシェルは、長老宅の前で足を止めると鼻息荒くアリアに食い付く。
「君達森狼徒の中で上に立てる人が居るとすれば、一体どんな人物なんだい?」
「上に立つかどうかは判らんが、英雄になれるのは、一人目だけだ」
「一人目?」
「新しい物を最初に発見、発明した者に与えられる称号みたいなものだ。一人目になれれば皆からの称賛も尊敬も得られるぞ」
「なるほど。確かに一人目が居なければ努力も応用も何もない、全てが始まらないね」
依然、興奮状態のルシェルは、顔を紅潮させ鼻息も更に荒くなっていく。
「やめろルシェル。これ以上は勘弁してくれ。もう質問は無しだ」
「えぇっ! じゃあ早く長老に会って話を聞こう」
「はぁ」
生気を取り戻したルシェルを連れ、アリアが長老宅に入ろうとすると、家の中から初老の男性が姿を見せる。
真っすぐ伸びた姿勢にガッチリとした体格。白髪を後ろで束ね、立派な口髭に鋭い眼光を放つさまは、歴戦の戦士を思わせる。
「人ん家の玄関先でギャーギャー騒ぐな!」
「ルシェル、長老だ」
アリアは怒鳴る長老と、たじろぐルシェルに構いもせず、何故か淡々と場を進行させようとするが、長老はアリアの言葉に訝しい表情を見せる。
「なんじゃ、よそよそしいの。いつもみたいにパパンと呼ばんか」
「呼んだことない…… 一度もない。父上」
「父…… 長老はアリアのお父さん」
「……まあ一応な」
残念そうなアリアをよそに長老は舐めるようにルシェルを観察する。
「む、娘がとうとう男を連れて来よった…… しかも人間だし」
「父上、陽も暮れるし詳しい事情は中で話そう」
アリアとルシェルは長老宅にてこれまでの冒険譚を事細かく語っていく。長老は全てを聞き終えるとルシェルに超法規的措置として里に住む自由を与えた。
実質的な生涯監禁であり、これによってルシェルの住民化が決定する。当のルシェルだけでなく隣に居たアリアもこの裁決に不満は無さそうで終始ニコニコしている。
「ありがとうございます。長老」
「よいよい。考えたら娘が男を連れて来るなんて二度と無さそうだしの。逃がすわけにはいかんのじゃカカカ」
「全く、くだらぬ事をベラベラと…… それより父上、魔狼の事なんだが」
「わしにも解らぬ。住処を離れてまで出現した例など聞いたこともない。余程人間を恨んでおるのか…… まあ、お主達が無事で何よりじゃ」
「あれは守り神なんかじゃない。完全に化け物だ」
「化け物などではない!」
長老の一喝はそれまでの好好爺然とした雰囲気とは一変し、激昂にも似た強い口調で放たれる。突然の物言いに側にいたアリアとルシェルは驚いた様子で長老を見つめている。
「すまぬ。じゃがアリア、魔狼は我ら森狼徒にとって崇めるべき存在じゃ。化け物などとは言ってくれるな」
「……」
夜も更けてくるとアリアは自宅に戻りルシェルはこのまま長老宅で就寝する事になった。当然ルシェルは真っ直ぐ眠りにつくはずも無く、長老との質疑応答は夜明けまで続いていた。
「勘弁してくれ」
翌朝、灰色に燃え尽きた長老が玄関先から出て来ると、爽やかな朝の日射しの中ルシェルも後を追うようにして姿を見せる。
「すっかり朝になっちゃいましたね」
「お主、ただの優男では無いな。なかなか常軌を逸しておる」
「もう少しお話しを伺ってもよろしいですか?」
「いやじゃ! もういやじゃ」
こうして里の住民になったルシェルは家と畑を与えられ自給自足の生活を送る事となる。森狼徒達のルシェルへの対応は思いの外紳士的であり、何事もなく好調な滑り出しを見せた。
人間にも良い人もいれば悪い人もいる。当たり前の理屈だが、なかなか受け入れる事は難しい。少なくとも現状の人間社会では、敵国同士の人間が互いに協力し、助け合うギルドの様な存在が異端視される。
だが、この里の住民達はその異端を意識もせずに普通に受け入れ実行している。この社会性レベルの高さは一体どこから来てどう育まれて来たのか? ルシェルの知りたがり病は更に熱を上げ里の魅力に取り憑かれていく。
そんな魅了の日々を過ごす内に少しづつ生活にも慣れ、すっかり住民らしくなったルシェルは、積極的に里を廻りながら森狼徒との交流に力を入れる。
ルシェルの持つスマートな風貌と立ち居振舞いは森狼徒にも受けが良く、その個性的なキャラクターも相まって一躍里の人気者となっていた。
充実した生活を過ごしながら二ヶ月の時が過ぎていく……
「一人目の人達はやっぱりすごいな」
ルシェルは借りてきた資料を自宅で読み漁っていた。朝の内に畑仕事を終わらせると、残りの時間を知識収集に費やす。異種族間交流が一区切りついた頃から始めたトレンドである。
「当たり前だ。森狼徒の英雄だからな」
掃除や洗濯を始め研究以外はまるでずぼらなルシェルの為に毎日通う家政婦がいる。当初は人も立ち入れないような散らかりようであった部屋が、今は常に清潔を保っていた。
文句を言いながらも、家事をする彼女は幸せそうな笑みを絶やさない。
「何度言ったら分かるんだ! 脱ぎっぱなしのまま放っておくな! 全くお前は私が居なければ何もできないじゃないか」
「あ、ああ。いつもすまないアリア。迷惑かけるね」
「別に迷惑なわけじゃない…… ついでだ」
「そうか、ありがとう本当に助かるよ」
「ふ、ふん。まぁそうだろうな」
近所では既に通い妻と認識されている事を二人はまだ知らない。特にルシェルは豪傑アリアを手なづけた者として一目置かれている事も当然知るよしもない。
「どれもこれもすごい発明ばかりだよ。一人目が英雄視されるのも頷ける」
持ち込んだ資料に目を通しながら感嘆の声をあげるルシェルを横目に、てきぱきと片付けをこなしていくアリア。
「アリアが一番尊敬する一人目って誰だい?」
手に持ったはたきを天井に掲げポーズを決めるアリア。
「大剣士マリュミカ様に決まってる」
ルシェルは資料を指でなぞり始めた。
「マリュミカ…… マリュミカ…… あった、あった。え~と今から約百年前の一人目だね。遠隔飛翔術の開発者?」
「遠くの敵を手も触れずにぶっ飛ばす術だ」
「それって結構あり得ないよね…… え~と命の力を消費する…… しか書いてないや。なんでだろう」
「マリュミカ様は術式の作成中に亡くなられてしまったそうだ。だが史実書に残されている以上、実際にあったのだろう」
「ということは今は誰も使えないんだね。命の力か…… 使うと寿命が縮むのかな」
「父上は、生命力が生み出す何かを別の力に変換するんじゃないのか、とかなんとか…… よく解らん」
「生命力…… 変換」
「生み出す力は様々な形に変えられるようで、攻撃だけでなく回復や伝言などにも使われたらしい」
「すごい! まるで奇術だね」
「ああ、まさにそれだ。過去何人もの森狼徒がその謎に挑んだが、まだ誰も解明出来ずにいる。ルシェルも挑戦してみたらどうだ」
ルシェルの体は震え出し鼻息も荒れてくる。
「しまった。やめろルシェル! 気持ち悪いぞ」
「知りたがり魂に火がついたよ! これは是非とも挑戦しないとね。燃えてきた」
拳を握り身体を震わせるルシェルを見つめながら、アリアは大きなため息を吐いた。
「その向学心には頭が下がる。ある意味お前は本当にすごい奴だな」
「すごくなんて無いよ。誰かが考えた事に乗っかっているだけさ。その誰かも誰かが考えた事に乗っかっているだけだろうし…… もし僕が本当にすごい奴なら、誰もが思いつかない新しい学問を開発してるよ」
「ふふふ。一人目を目指してみるか?」
「それは難しいかも知れないな。思いついたと思っても、多分それは知識からくる応用でしか無い気がする。一人目になるには、やはり生まれ持っての資質がいりそうだよ」
「へぇ。そんなもんか」
「ああ。それこそ教育と環境に左右されないエリート。残念ながら僕も出会ったことは無いな。マリュミカ様は一体どんな人だったんだろう……」
「どんな人でも、お前に会ったら度肝抜かれると思うぞ…… しつこくて」
「ひどいなアリア」
アリアと共に笑うルシェルは輝いていた。最高の環境の中、最高にやりたいことをやる。充実した生活を送るルシェルは、人生最良ともいえる日々を誰よりも楽しんでいた。
つづく