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後編


長剣を携えた青年が、木々をすり抜け疾走する。鬱蒼うっそうと生い茂る森の中で、野生を思わせる身のこなしは常人を遥かに超えている。


突如行く手に獣の群れが現れると、その風の如き走りのまま群れに飛び込む。魔法に当てられ変異した狼の魔獣。その数五匹。


剣を抜き、ふぅ と息を吐き出すと、次に息を吸うまでに三匹の魔獣を切り捨てる。気づけば青年の姿は宙にあり、華麗に空を流れると魔獣の背後に着地する。


獲物を見失った魔獣は身構えたまま低い咆哮をあげ、青年の姿を探しているようだ。


「こっちだよ」


死角から矢のように飛び込んだ青年が、神速ともいえる剣を一薙(ひとな)ぎ入れると、残った二匹は何も出来ぬまま、四つの肉塊に成り果てた。


なおも疾走を続ける先にはローブ姿の男が立っていた。ローブの男は青年に手の平をかざすとエネルギー弾を射出する。


青年は真っ直ぐ男に突進しながら構えを変える。


「バリアッ!」


薄い光の膜が青年の身体を覆いエネルギー弾と衝突する。光の膜は弾け散り、反動で身体ごと後方へ飛ばされた青年は、尻もちをついたまま唸りをあげる。


ローブの男は青年にゆっくり近づくと、目の前に立ち大きな溜め息を一つ吐く。


「追試だ、カイル。話しにならん」


「そんなあ、先生もう一回」


「馬鹿者。今のお前では何度やっても同じだ。

無類の剣技は認めるが、守りの魔法がなっとらん」


「代々筋肉一家なんだから仕方ないでしょ」  


「たわけた事を。偉大な聖騎士ドレファス様の血筋とは思えんな」


「ひいじいちゃんだって俺の家系ですよ。バリアなんか巧く使えるわけ無いでしょ。絶対筋肉バカ」


「伝説の聖騎士様を貴様は…… その子孫が入学してくると聴いて、どれだけ期待した事か。私の胸の高鳴りを返せ」


「おっさんの高鳴りは気持ち悪いっす」


「爆弾発言だな…… 留年濃厚」




 王国騎士団養成学校、ドレファスアカデミー。 八十年前、慈愛の女王ソフィアによって創設された王国正規兵育成機関である。


市民から王族まで身分差なく学べる全寮制の学校は二つのクラスから成り立ち、騎士クラスは剣技を、メイジクラスは魔法を中心にすえながらバランス良く学んでいく。


ドレファスを曾祖父に持つ青年カイルは騎士クラスの生徒であり、類い稀なる剣のセンスを持ちながら守備の魔法はからっきしという、超特化型生徒であった。


そんなカイルには大きな夢がある。


「姫を守る騎士になるんだ!」


憧れはやはり、学園にその名が付くほどの曾祖父ドレファスであり、当時王女であったソフィアを命を捨てて守った逸話は現在では伝説となっている。


加えて、現第一王女のリリーナ。メイジクラスに所属する美しく可憐な才女であり、どんな公務も懸命にこなすその姿は国民からも絶大な人気を博している。


カイルにとって曾祖父と王女は子供の頃からの憧れであり、姫を守る騎士になるという夢は、ある意味必然といってもいいだろう。



「カイル、試験どうだった」


「綺麗に落ちた」


「お前剣だけは凄いんだけどな…… 剣だけは」


「へん、いいんだよ。俺は世界と姫を救う事になるんだからな」


「何それ」


「はぁ、知らないのかよ。言い伝えだよ、言い伝え」


「もしかして、八十年前に疫病から国を救った、旅人だか占い師の予言の事か」


「おうよ! 大いなる災い降りかかる時、聖石を持つ聖女が導き、強靭きょうじんな肉体がいささかの助けになるだろう。って聖女が姫なら、強靭な肉体って俺じゃね、身体能力ナンバーワン」


「かぁ、そんなの信じてんのかよ。(いささ)かって何だよ、ちょっとって事か。ちょっとだけ役立つってか。インチキくせ~」


「どこがだよ! 奥ゆかしいじゃないか」


伝承されちゃったアイリスの予言。

ちょっとだけ美化されて。



ソフィアは女性の地位向上も含め、皆が平等にという理念からアカデミーを創設した。

それにより市民から王族まで同じ場所で、同じ教育、同じ扱いを受ける学舎まなびやになるのだが、それが思わぬ弊害を生む。


特に女性の多いメイジクラスでは魔術師を目指すというよりも、貴族との出会いや、アカデミーを卒業すれば見合いに有利などの、婚活目的の者が目立つ様になってしまった。将来の魔術師不足が深刻な問題にまで発展しようとはソフィアも考えていなかったであろう。


そんな中、純粋に魔術師を目指すけなげな少女の姿があった。王国第一王女リリーナである。


リリーナは国民や国益の為、学業と公務を懸命にこなす毎日を送っていた。十七歳の少女には重く辛い、立場と責任。自由な時間も語らう友人も出来ず、ひたすら公僕としてその身を捧げている。


そんなリリーナの所属する、メイジクラスの校舎には大きな一枚の絵画が入り口に飾られている。立派なヒゲを蓄え、恰幅かっぷくがよく全身黒ずくめの服装で、いかつい杖を天にかがげたおじさん。


額縁の下にタイトルが書かれている。

「魔法王 ミカエル」


正しい歴史は伝わったが、姿形までは伝わらなかった。


今日もメイジクラスの教室では、ひたむきに頑張るリリーナの姿があった。多感な女生徒が多い為、授業中は騒がしく流行りのファッションや貴族の話でもちきりだ。


教師も慣れたもので私語が乱れ飛ぶ中、何事も無いかの様に授業を進める。半壊したクラスで一人真剣に授業を受けるリリーナは心無しか浮き気味だ。



「魔力にもそれぞれに個人差があります。それを魔響紋ナンバーと言いますが、主に個人識別による犯罪捜査やチャムフォン使用時の、チャムフォンナンバーに使われる事が多いですね」


教師の話を熱心に聴いていたリリーナが手をあげる。


「先生、私達人間が作った魔法はどれくらいあるんですか」


「そうねぇ、生活に関わる魔法はほとんど人類が開発したんじゃないかしら。その辺りは結構あやふやね」


「エズミの大虐殺以降、ミカエル様は居なくなってしまうんですよね」


「そう伝わっているわね。確かにエズミ以降の魔法は全て人類が作った物かも知れないですね。ああ、そういえば戦闘用でも人類が作り出した魔法があったわね」


「聖魔法ですか…… 誰も見たことが無いんですよね」


「そう。隣国の侵略を受けた時に、ソフィア女王が一度だけ使ったと言われる大魔法。まあ、おとぎ話ね」



終業のベルが鳴ると、より喧騒が増し生徒達は一斉に鞄を抱え教室をあとにする。


「後でチャムフォンしてね」


「クレープ食べていこ」


ぞろぞろと皆が帰って行くとリリーナは一人屋上へ向かう。分刻みのスケジュールをこなす日々の中で、ほんの少しだけ楽しめる時間を唯一の趣味に使っていた。その趣味とは





……のぞき。


屋上から一望できる人工森。実地訓練用に造られた修行場では騎士クラスの授業も垣間見える。リリーナは望遠鏡を使い、いつも眺めていた。


カイルだけを。


端正な顔立ちに加え筋肉質だが決していかつく無いスマートな体系。常に明るくエネルギッシュで気持ちの良いさっぱりとした性格。


好青年を絵に描いた様なカイルだが、リリーナはミーハー気分では無く運命の人だと感じているようだ。


その理由は今から七年前、リリーナ十歳の時……


当時はまだ公務も無く、比較的自由な時間を与えられていたリリーナは侍女に頼み込み城下の街へ散策に来ていた。


当然身分を隠し完璧な変装を施した上での、お忍び散歩。十歳の少女にとって街で見るものは全て新鮮で跳ね回りながら、ぶらり旅を満喫していた。


その内に、はしゃぐ子供の決まり事なのか、侍女とはぐれて迷子になってしまう。不安なまま歩き続けると、人通りの少ない路地裏に迷い込む。



「ちっなんだガキかよ、フードなんざ深く被りやがって」


三人組の無頼漢ぶらいかんに囲まれると、じろじろと物色される様に身体を見られる。


「その胸のペンダントをよこしな」


肌身離さず着けている王家の証。リリーナは恐怖で声も体も動かせずにいたが、震える手でしっかりとペンダントを握り、渡さぬ意思表示を示していた。



「その子を離せ!」


リリーナ絶体絶命の窮地に棒切れを持った少年が現れる。


「ああ、何だこのガキ…… うおっ!」


無鉄砲な性格は生来のものか、特徴的な金髪をなびかせて有無を言わさず突進すると、一瞬ひるんだ男達に棒打を的確に打ち込んでいく。


美しく流れる様な剣筋は舞を思わせる程であったが、そこは多勢に無勢。体格差も倍はあろうかという男達に徐々に押し返されると逆に殴り倒されてしまう。


「キャー! 誰かー!」


いよいよという時、はぐれた侍女が現れ大声をあげたため男達は慌てて立ち去り難を逃れた。


「イテテテ、ちくしょう」


「あっ、あの大丈夫? ありがとう」


「礼なんかいらないよ、俺負けちまったし」


傷だらけの少年は、地に腰を預けたまま悔し涙を浮かべている。


「ううん、でも大事なペンダントを守ってくれたから」


「こんなんじゃダメだ! 俺は姫を守る騎士になるのに」


「えっ!?」


リリーナは目の前の少年に突然自分を守ると宣言された事に驚いた様子を見せる。少年のストレートな発言は少女の頬を染めさせるには充分であった。


「あっ、あの、その……」


少年は目の前の少女が王女だとは気付いていない。だがリリーナの思考は完全に飛んでいる様で、変装している事も忘れ告白された少女そのままをさらけ出している。


惚けるリリーナをよそに少年は立ち上がると、悔し涙を一拭ひとぬぐいしてから何も言わずに走り去った。


「あっ、待っ……」


リリーナは走り去る少年の後ろ姿を、ペンダントを握りしめながら、ただ黙って見つめていた。



この淡い思い出から六年後、リリーナはアカデミーに入学すると、その入学式で少年を見つける。たくましく成長はしていたが一目であの時の少年だと確信する。


リリーナはこの六年間、ずっと少年を想っていたのだから……


第一王女という立場は慕われもすれば、近寄りがたい地位でもある。それに加え公務も忙しくなり始めると、城からも出られず来るものといえば貴族からの見合い話のみ。


そんな生活の中で少年との思い出は、リリーナにとっての全てであり活力の源であった。

ほんの数分間の出来事がリリーナを支えていたと言っても過言ではない。


「カイル・アシュリー・クーリック」


少年の名を知ったリリーナは、その歴史的事実に痺れまくる。クーリックの一族であるドレファスは自らの曾祖母であるソフィアを命をかけて守った英雄。その子孫であるカイルとの衝撃の出会い。


運命的なものを感じずにはいられなかった。


「大いなる災い降りかかる時、聖石を持つ聖女が導き、強靭な肉体が些かの助けになるだろう…… これは絶対、私とカイルの事だわ。間違いない。運命ね」


罪深きアイリス……


それからというもの、授業が終わると屋上へ来てはカイルを眺めていた。立場的にも性格的にもカイル本人とは会えず、あれから話した事も無かったが、カイルの事ならなんでも知っていた。軽いストーカーである。




そんな二人がとうとう接近する時がやって来る。王国兵は騎士とメイジのペアで行動するのが基本であり、どんな作戦でも必ず混合チームで遂行する。


その為チームワークが重要となり、当然アカデミーでもこの協調性を訓練するプログラムは合同演習という形で組み込まれている。


騎士クラスとメイジクラスの生徒が二人一組になり、協力して課題をクリアしていくというものであるが、そのペア発表の際カイルとリリーナがペアとして参加する事になっていた。


これは運命的なものではなく、アカデミー側が第一王女とペアにされた生徒は、確実に萎縮してしまう事を配慮しての決定だった。


英雄の血縁であるカイルならば、釣り合いも取れようとアカデミー側の意向が働いている。


そんな意向も露知らず

リリーナはその夜、自室でバタバタさせていた。


枕に顔を埋めると足をバタバタ……


「キャー! 運命ね。やっぱり」




そして合同演習当日。リリーナはカイルとの念願の対面を果たす。


「よ、よろすく、おぉお願いいたしますわ」


「こちらこそよろしくお願いします。姫様」


ガチガチに緊張していたリリーナであったが、カイルの持つ人懐っこい雰囲気に和ませられたのか、いくつかの課題をクリアする頃には、すっかり打ち解けていた。



「カイル、私と前に会ったこと覚えてますか」


「姫様と…… 会ったかなぁ? 会ってたら覚えてるはずなんだけどなあ」


リリーナは寂しそうな顔で笑う。


「やっぱり…… そうですよね」



超人的な身体能力と多彩かつ多才なコンビは最速で最終課題までたどり着く。最後の課題は教官に「参った」を言わせる事。


一週間の期限内に三度の挑戦が認められ、三回目の降参を認めた時点で生徒側の敗北となる。


本格的な戦闘訓練に二人は気合いが入る。


剣と魔法をバランスよく扱うことが合格の条件であり、一回目の挑戦では教官の魔法攻撃であえなく撃沈する。


「イテテ、あのおっさん本気でエネルギー弾撃ってくるし」


「爆弾発言が聴こえるな…… 留年確定か」


やはり弱点はカイルの守備魔法であった。相手の攻撃魔法をバリアでまるで防げていない。



「姫様すみません。次は本気の剣技で魔法事、粉砕します。筋肉一族の意地をお見せしましょう」


「いけません。あくまでもチームワークとバランスを鍛える訓練なのですから、その様な力業で勝っても意味がありません」


「さすが、まじめですね姫様…… でも俺、バリアをどうしても巧く扱えなくて」


「仕方ありません。まだ一週間あるのですから私が教えましょう」


「えっ、姫様が」


「とりあえず、解らない事があったら、いつでも私に聞いて下さい…… はい……」


リリーナは顔をそむけると恥ずかしそうに手の平をカイルにかざす。


「どうしたんですか、姫様?」


「チャムフォンナンバーを教えなさい。チャムフォンならいつでも聞けるじゃないですか。早く手を重ねて」


「自分みたいな者が姫様と魔響紋ナンバーを交換するなんてありえないです」


「そんな事を言っている場合ではありません。このままでは不合格ですよ。第一王女としての命令です。早く手を重ねなさい」


「は、はい」


カイルはリリーナと手の平を合わせ、お互いのナンバーを交換すると、再挑戦を三日後に決め

次回の戦闘に備える事となった。






 その夜、リリーナは自室でバタバタさせていた。


「キャー! やってしまった。やってしまいましたわ私。職権を乱用し魔響紋(ナンバー)を聞き出してしまいました。殿方の魔響紋(ナンバーをこんな事をしてまで聞き出すなんて、はしたない、はしたないわ。爺に知られたら何を言われるか、キャー」


リリーナは待った。ベッドの上で正座をすると身を正して集中し、カイルからのチャムフォンをただひたすらに待つ。


二時間同じ姿勢で待機していると、リリーナの内耳に魔力の波が流れて来る。


「きっ、来た! 間違いない、カイルの

魔響紋(ナンバー)からだわ。つ、繋げなきゃ!」


心を決めたリリーナは自身の魔響紋ナンバーを繋げると、音波に変えた魔力を使い、緊張の会話が始まる。


「姫様…… 突然すみません」


「かぁ構いませんわ。い、いつでもかけてきて下さい。それでバリアの事でしょうか」


「あっ、それもあるんですが気になる事があったので、どうしても聞きたくて……」


「えっ、なんでしょうか」


「俺は以前、どこかで姫様に会っているのかな。と……」


「ああ、その事ですか。フフ、気になりますか」


「はい。その、何て言うか、姫様、とても寂しそうだったので」


「当たり前です。大切な思い出なのに」


「姫様?」


「私の持つペンダントに見覚えはありませんか」


「ペンダント」


「ヒントです。よく考えて思い出して下さい」


結局思い出せないカイルであったが、楽しく弾む会話をリリーナは夜更けまで堪能していた。




 そして二回目の挑戦の日、カイルとリリーナは決戦の地へおもむこうと校庭に出るが、何か様子がおかしい。


校庭に居る者が皆、森の方角を見つめ立ち止まっている。


「なんだ、みんな何してんだ」


「カイル、森から凄い魔力を感じるの…… とても人のものとは思えない」


リリーナがカイルの腕を両手で掴み、不安そうに震えていると森の中から突然悲鳴があがり、校庭にいる者達の間に動揺が走る。


「なにか飛んで来るぞ!!」


森の中から煙の尾を引いた黒い物体が飛来すると校庭の隅に投げ出された。


「うっ嘘だろ! まさか!?」


カイル達が戦う教官だった。身体中が焼けただれ瀕死の状態であり、リリーナはすぐさま駆け寄ると、教官に回復魔法をかけ続ける。


「ば、化け物…… 早く…… 逃げ…… ろ」


教官は必死に言葉を繋げ逃走を促すが、リリーナはそれを無視するように魔法を浴びせ続けた。




「一体、何が起こってるんだ!」


魔力を感知出来ないカイルは、一人混乱した様

子でキョロキョロと辺りを見渡している。


そんな中リリーナの魔法によって多少の回復を見せた教官が、現状出せるであろう最大の声をふりしぼり叫んだ。


「くっ、来るぞっ!!」






森の奥からゆっくりと影が近づき、影は形となってその姿を現す……


黒装で身をかため、冷徹なその表情に色は無い。闇の威厳が恐怖を誘い、漆黒に満ちた強大な魔力が人々を震え上がらせる……



魔王降臨



魔王はゆっくりと校庭に歩み寄ると、その中央で立ち止まり莫大な魔力を全身で練り始める。圧倒的な魔力を前に、周りに居る全ての人間が怯え、立ちすくんでいた。


溢れる程の魔力を身体に充満させた魔王は、おもむろに右手をあげると手の甲を虚空にかざし

親指と中指を合わせ 弾く!


パチンと同時に渦巻く魔力が魔王の身体から放たれ、凄まじい勢いで地面に形を成していく。


それはほんの数秒の出来事であり奇跡の様な光景であった。校庭の真ん中に城よりも高い塔が作り出され、全てを見下ろす様にそびえ立っていた。


王国の一流メイジでも、これだけの建築魔法を使える者はおらず、何十人集まろうともこの規模の建造物は建てられないであろう。


まさに、力の差を見せつけるかの如く塔はその存在感を示していた。強者の揃ったアカデミー側でも戦意喪失は明らかで、この状況においても行動を起こす者は誰も居なかった。



ただ一人をのぞいて。



「あんた、一体何者なんだ?」


カイルは皆が恐れおののく中、ただ一人動じず魔王の前に立っていた。いかに鈍いカイルであろうとも、その膨大な魔力は確実に感じとっているはずである。


それでもカイルは警戒する事もなく、あまり気にもしていない様子で魔王の前に立っていた。


「何でこんな事してんすか? あんたどうみても……」



魔王の二度目の指パッチンはカイルを校舎の壁まで吹き飛ばし、亀裂が入るまでの衝撃を与えた。


「カイル!」


リリーナの叫びが響き渡る中、カイルは身体を起こす事もままならず、完全に行動不能に追い込まれているようだ。


「グゥッ! なんで…… こんにゃろう」


そんなカイルを無視したまま、魔王はリリーナを確認する様に見つめると初めてその口を開いた。


「女、こちらへ来い」


「えっ…… 私」


「早くしろ、周りの人間共が死んでいくぞ」


カイルは這いつくばりながらリリーナを目指して進んで行く。


「だっ、ダメだ姫様…… 行っちゃ」


そんな状況の中でも、カイル以外の人間は何も出来ず、ただ黙って静観していた。魔王が腕を上げるのを見たリリーナは周りの危険を察知してか、ゆっくりと歩き始める。


「や、やめろー! 行くな姫様!」


必死に叫ぶカイルをよそに魔王はリリーナの腕を掴む。


「弱き者を力で従わせるのが貴様等の流儀であろう。ならばそれに(のっと)ってやるまでだ。気に入らなければ貴様等の流儀通り、力で奪いに来ればよい。歓迎しよう」


そう言い残すと魔王とリリーナは塔の中へと消えて行った。


「ひ、姫様……」


必死に立ち上がろうとするカイルであったが、悔しさをにじませながら力尽き、そのまま意識を失った……





 アカデミーでは教師も含めた全校生徒に避難指示が出されていた。校内の人間は警備隊の誘導のもと続々と学園から離れて行く。


それと同時にリリーナ誘拐の報はすぐに王城にも届けられ数時間後にはリリーナの父である国王を始め、各大臣および王国軍幹部が城の大広間に集まり緊急対策会議を開いていた。


大国のプライドか、たった一人に蹂躙じゅうりんされた事実を良しとせず、抗戦派が圧倒的な支持を集めると、リリーナ救出はもとより賊の撃滅を最優先事項とする流れが出来上がっていた。


「テロリストとの交渉などありえん!」


「どんな化け物だろうと、たった一人に好き勝手させてたまるか!」


娘の身を案じる国王は、家臣達の意見を黙って聞いていた。王として私情を挟むことは許されず意見を出すこともはばかられる中、その顔には苦悶の色が広がっている。


「では、この作戦でよろしいな」


王の憂いも虚しく抗戦派が主流のまま突入作戦が遂行される事となる。



塔内部での戦闘は、行動に制限がかかる大部隊よりも少数精鋭での奇襲が良策と見なされ、精鋭部隊で塔に乗り込み、賊を外に誘い出した後、大部隊で一気に殲滅するという陽動作戦がとられる事になった。



「準備にかかる時間は」


「はっ、出発が明後日、全部隊到着は二日後となります」


「遅い、到着は明日の朝だ。急がせろ」


「はっ、はぁ。了解しました……」


塔の建設、手練れであった教官の負傷は王国軍にかなりの衝撃を与えており、現場の兵士達の士気は思うようには上がらなかった。





その頃、塔の最上部ではリリーナが椅子に腰掛け、目前に立つ魔王を意志の強い目でしっかりと見つめていた。


窓もない殺風景な広間に魔力で作った腰掛けが一つ。光源も魔力で補っているのかランプの類いは見当たらないが室内はかなり明るく、端の壁まで見渡せる。



「あなたは一体誰なんですか。何が目的でこんな事を」


「私は魔王。お前には生け贄として、その身を捧げてもらう」


「生け贄…… 魔王とはミカエル様の真似事のおつもりですか」


「汚らわしい口で私の名を気安く呼ぶな、虫酸が走る」


「えっ、まさか」


腰掛けに小さく座りながら驚きの表情を見せるリリーナに魔王は立ったまま腕を組み冷たい視線を向けている。


「お前には目的の場所で、蘇生魔法を使ってもらう。命と引き換えにな」


「そんな魔法は使えません。それにあなたの言いなりに、なるつもりもありません」


「そうか、ならばこの国の人間も含め、世界中の人間が死ぬ事になる。貴様が了承するまでな」


「脅迫には屈しません」


「脅迫ではない、取り引きだ。貴様が了承するならば、一切の武力を放棄して人間に構うのも止めてやろう」


「誰がそんな話を信じますか」


「命が惜しいか。他の人間を自分の命をかけてまで守る気にはならんのだな」


リリーナは座ったまま身を正すと魔王を鋭い目で見据えた。


「王家に生まれた以上、命など惜しくはありません。あなたの言うことが本当なら私の命を捧げます」


「ならば、捧げてもらおう。元々私には人間など、どうでもいいのだ。王女さえ、アイリスさえ居てくれれば……」


「王女? まさかエズミの…… あなたは本当にミカエル様なのですか」


魔王は返答をせず、表情も変えぬまま黙って立っている。


「何故です? 何故最初から王女の居る場所へ連れて行かないのですか」


「正気か? そんな事をすればお前のファン共がぞろぞろ着いてくるだろう。荒らされたくは無い場所なのでな。ここで貴様等の戦意を奪ってからだ」


「それでこんな塔を……」


「狭い塔ならば少数精鋭で攻めて来よう。精鋭共を皆殺しにしてくれれば、貴様等も諦める事だろう」


リリーナは勢いよく立ち上がると両の拳を握り締める。


「そ、そんな! いけませんミカエル様! あなたはそんな方では無いはずです。エズミ以前のミカエル様は心の優しいお方であったはず」


「その優しさとやらを失わせる事をしたのは誰なんだ」


魔王の言葉に苦悶の表情を浮かべるリリーナは力無く腰をおろした。


「……その通りです。私達愚かな人間が、あなたを魔王に覚醒させてしまった。エズミがあなたを変えてしまった。返す言葉もございません」


落胆するリリーナ。その姿を魔王は冷徹な表情のまま見つめている。


「ならば罪を償え、人間を代表してな」


「……わかりました。それであなたの気が済むのならば…… ただ、これ以上の無益な殺生はお止めください」


「いいだろう」


リリーナは座ったまま魔王を見上げる。


「あともう一つだけ。出来れば王女のお話しをお聞かせ下さいませんか」



少しの沈黙が続いた後、魔王は懐からアイリスの手記を取り出した。それをリリーナに手渡すと自分は壁際まで下がる。


「これは……」


座り直したリリーナは渡されたノートをまじまじと見つめると、ゆっくりとページをめくり手記を読み始めた。



 

 手記には、アイリスの歩んだ生き様の全てが事細かく書かれている。その道のりは辛く、重く、険しい。一人の女性が歩むには、あまりにも苛酷な獣道。その道程での自身の成長や、人と魔王への想いが赤裸々につづられている。


「王女様……」


リリーナの手記を持つ手は震えていた。溢れ出す涙はアイリスの想いを誰よりも理解出来る証であろう。


同じ人間として女として王女として孤独に生き自由の無い生活の中で、やっと掴んだものさえも奪われる。


それを取り戻す旅を、ただ真っ直ぐ己の全てをかけ歩み続ける。


何よりリリーナを揺さぶったものは、その内容全てが誰かに、愛おしい者に伝える様につづられている事だろう。





リリーナは手記を閉じると涙を指ですくい、立ち上がる。先ほどまでの雰囲気とはどこか違う様子で魔王に歩み寄った。


「ミカエル様、私はあなたとの取り引きに応じる訳にはいきません」


「何っ」


壁に寄りかかっていた魔王の表情が変わる。


「あなたとの取り引きは王女の魂を冒涜する行為だからです」


「何を言っている」


「私を殺しなさい。そして、気の済むまで人間と争いなさい」


意思の強さが込められた、りんとした表情で自分の思いを魔王に伝える。


「本気なのか。お前にアイリスの意志が理解出来たと言うのか」


「当然です。いえ、あなたにも解っているはずです」


魔王は押し黙ったまま、視線を外した。



「王女は人の心の成長を願っています。あなたの血を使ってまで人類を救ったのは、人の成長を信じているからです」


「……」


「王女自身、最初は人を憎んでいたでしょう。

でもソフィア様やドレファス様のおかげで信じられる様になった……」


魔王はいらだちの様子を見せる。


「だから何だと言うのだ。貴様等は成長などせん。同じ愚行を何度も何度も繰り返す」


「その通りです。それでも少しずつ成長しているんです。王女は王女自身で証明したのではないのですか、人の成長を。弱い心から強い心へと王女自身があなたに見せたのではないですか」


「ぬっ」


「この手記を読んで、あなたに知って欲しかったのではないのですか。人間は弱き者から強き者へと成長出来るんだと」


リリーナは手記を大事そうに胸に抱えながら、魔王を見据えている。


「王女はあなたの食べられる物まで作って、人間との共存を願っています。何故でしょうか。

それは人間以上にあなたを愛しているから…… 心に闇を持ったまま、傷ついていくあなたを見るのが何よりも辛いから」


「貴様に何がわかる」


「わかります。同じ人間であり女だから。

王女は人の命で蘇った事を知れば、自ら命を絶つでしょう。そんな事になるのなら私はあなたに殺された方がましです」


リリーナは胸のペンダントをアイリスの手記と重ね両腕で抱え込むと、その場で膝まづきゆっくりと目を閉じた。


「さあ、殺しなさい」


目の前で膝まづくリリーナを険しい表情で見下ろす魔王。


「貴様」


魔王はリリーナの頭上で大きく片手を振り上げるが、ためらった様子を垣間見せ、拳を強く握りしめるとその腕をゆっくりと下ろす。




「そこで助けを待つがいい……」


そう言い残すと、魔王は階下へと消えて行った。






 夜も更けた頃カイルの姿が校舎にあった。

避難活動の中、医務室で眠っていたカイルは

目覚めた後も一人学園に残り、リリーナの身をひたすら案じていた。


「早く来てくれ……」


軍隊の到着をただ待つばかりの現状にカイルはいらだちを隠せない。昼間の一撃による負傷は回復魔法と当人の気合いにより問題は無さそうだ。


数名の学園警備隊を残し、誰も居なくなった校舎をウロウロと歩き回るカイルは、ふと廊下で足を止めると窓から見える巨大な塔をにらむ様に眺めていた。



そんな時、カイルはチャムコールを感知する。


「姫様の魔響紋ナンバー!」


カイルは自身の魔響紋(ナンバー)をすぐさま繋げると、窓から身を乗り出し、塔を見据えながら通信を開始する。


「姫様! 無事なんですね」


「はい、私は平気です」


「もうすぐ王国から軍隊がやって来ます。それまで頑張れますか」


「軍隊! それはいけません」


「姫様?」


「あの方は戦うべき人ではありません。悪いのは私達なのですから……」


「どういう事ですか」


リリーナは塔での出来事をカイルに語ると、全てを聞き終えたカイルは、しばらく黙り込んでしまいリリーナを逆に戸惑わせる。


「どうしたのですか? カイル、カイル!」


「……あっ、すみません姫様」


「大丈夫ですか、とにかく今は戦いを回避するためにもエズミ以前のミカエル様に戻ってもらわなければなりません。魔王覚醒前のミカエル様に……」


「……」


「私達が覚醒させてしまったのに…… 都合の良い話なのですが」


「姫様、待ってて下さい。今そっち行きますから」


「……えっ? カイル? 何を言っ……」



カイルは通信を切ると剣道場へ足を運び、二本の剣を背中に担ぐ。そのまま急ぎ校庭に出ると、その足で塔に踏み込んだ。


「待っていて下さい。姫様」


無鉄砲ここに極まれり。さすがに表情は固いものの、身は柔らかく足取りも軽い。そこそこ広いワンルームに直階段が続く内部を軽快にかけ上がって行く。


上った先に何も無ければまた上り、何も無ければまた上る。どこまでも続く反復作業に幾分疲れを見せ始めた頃、階段にたたずむ黒い影。


カイルは息を整えながら部屋の中央に立ち止まると影を見据えた。


「うちのひいじいさんやソフィア女王よりもスゲー人なんですよね。英雄中の英雄だ」



魔王はゆっくりと階段を降りカイルと対峙すると、その場で腕を組み溜め息を吐いた。


「お前は何だ? 何故ここに居る」


カイルは身を正し、直立した姿勢で魔王に

相対した。


「自分はカイル・アシュリー・クーリック。

アカデミーの学生であります。お会い出来て光栄です。ミカエル様」


「何故私を知っているのか疑問だが、まあいい…… 青年よ何をしに、ここに来たんだ」


「姫様を迎えに。それと英雄と話がしてみたくて」


「そうか、分かった。命のあるうちに帰れ」


呆れ気味な魔王をよそに、幾分か姿勢を崩したカイルは淡々とした様子で話し続ける。


「なんかみんな、あなたの魔力に勝手にびびってるんですよ。でも俺は魔力とか全然ダメで、代わりに相手の剣気とか気を見るんです」


「……」


「ミカエルさん、あなたの気はスゲーよ。今まで見てきた、どの気より綺麗というか清らかというか、とにかくスゲーあったけえの。こんなの聖人にしか出せないよ」



カイルは優しい笑顔を魔王に向ける。


「覚醒なんてしてないでしょ。本当は魔王になんかなってないでしょミカエルさん。王女の為に悪ぶってるだけだよね」


カイルは背中の剣を二本抜くと、一本をミカエルに投げ渡した。


「とりあえず、男同士ケンカしようぜ。全力で」


「……何を言っている」


「こっちは昼間一発喰らってるし借りは返さないと。そっちは色々モヤモヤしてるみたいだから、暴れてスッキリしなよ」


「死にたいのか……」


「あっ、でも魔法は無しで」


「何故だ」


「俺が苦手だからだよ!」



カイルの猛突進。一瞬の後、激しい金属音が鳴り響き、二人は剣を合わせ(つば)迫り合いを演じる。


「全力だぜ! 死んでも文句は言わねえよ」


「おかしな男だ」


剣を使っての男同士の殴り合いが始まった。

油断があるとはいえ人外の力を発揮するカイルに驚きを隠せないミカエルは、徐々にその表情を変え、冴えのある動きを見せ始める。


「貴様、本当に人間か」


「お互い様でしょ」


超人的能力を持つ両者だけに、一歩間違えば即致命傷となりうるギリギリの殴り合い。運動とは別の汗が二人の額に流れ出る。


ミカエルは一対一での戦いにおいて、ここまで苦戦する事は初めてであり、必死に応戦する自分自身に新鮮さを感じている様だ。



「こりゃたまんねーな。こんなひりつく戦闘ははじめてだぜ! ミカエルさんはどうだい?」


「黙れ! ケンカ中だぞ」


力を出し切る充足感からか、ミカエルの口元に笑みがこぼれる。考える男にとっての考えない時間は貴重であり悪夢の様な現実を忘れさせているようだ。



「へへ、考え過ぎなんだよミカエルさん。感情だって欠落なんてしてない。ちゃんとあるさ」


「フフフ、講釈を垂れる気か」


「そんなんじゃないけど、ミカエルさんの王女への想いを聞いたらさ、完全に色恋だし愛なわけよ。もうこっちが恥ずかしくなるくらい」


「そうなのか」


カイルは後方に飛びミカエルから離れると剣をおろす。


「それ! それダメ。なんで考えちゃうの。王女への想いを、これは愛なのか? ってなんで考えちゃうのよ。愛なんだなぁって受け入れれば、それで解決じゃない」


「ほう、なかなか面白い提案だな」


「だから提案とかじゃないって。[答えは考えない方にあり]これ我が筋肉一家の家訓ね」


「フフ、なかなか考える一族ではないか」


「冗談でしょ。おかず取り合うのに斬り合いする家族だよ。まあ悩んだら、頭ごちゃごちゃ使わないで単純に出した答えのが正しいみたいな意味ね」


「優秀な家系だな。真理ではないか」


「マジっすか、そんな事初めて言われた」



朝日が昇るまで斬り結んだ両者は、とうとう限界を超えたのか、その場で互いにへたり込み大の字になって息を整える。



「不思議な気分だ。悪くない」


「ああ、ケンカの後は、すがすがしいね」


「すがすがしい……」


「そこで、これはすがすがしいのか? とか考えちゃダメ。すがすがしいんだなって受け入れないと」


「フフフ、なるほどな」


カイルは上体だけを起こすと、大の字で天井を眺めるミカエルに顔を向けた。


「俺、卒業したら武者修行の旅に出ようと思ってるんですが一緒に行きませんか?」


「何? 相変わらず唐突だな青年よ」



「旅に出たら、嫌な野郎はぶっ飛ばして守るべき人達とは関わって、そうやって出来上がった場所を俺達の世界にしましょうよ。現実の人間全部を相手にしてたら、多分俺だってミカエル様と一緒に人類滅ぼしたくなっちまう」



ミカエルは表情の無い顔つきで目を細めると天井を見据えたまま、小さく呟いた。


「今のままではいい人間もわるい人間もいないのだがな……」


「えっ」



「青年よ。今すぐ旅に出よ。お前の突出した強さはもはや人のものではない。才能というものを初めて見た気がする」


「ミカエル様だって同じじゃないですか」


「私は人類には含まれていない。青年よ。その特異な才能は必ず特異な状況を生み、特異な経験をすることになるだろう。だがそれは人間には決して踏み込めない領域であり、お前だけが得られる経験だ」


「俺だけの……」


「経験の中でどんな醜い現実を知っても受け止めるのだ。お前の一族の家訓を胸に、受け止められる器量を用意しておけ。そしていつか何かを悟った時、それをぶれずに受け止められるのであれば、お前は……」 


「俺は……」



「人類にとっての希望となる」



呆け顔のカイルをよそに、ゆっくりと立ち上がったミカエルは階段に足をかける。


「私のようにはなるなよ……」


呟くように言い残すと階上へと消えて行った。



「えっ! ちょっとミカエル様」


カイルは考えるのを後回しにし自身も立ち上がると、後を追うようにして上階へ向かった。


急ぎ階段をかけ上がるカイルだったが結局ミカエルには追いつかないまま最上部に到達する。そこには椅子に座るリリーナの姿があり、その横でミカエルが静かにたたずんでいる。


「カイルあなた!」


「姫様、お迎いにあがりました」


リリーナは安堵と不安の混ざった複雑な表情でカイルを見つめていると、ミカエルの剣がリリーナの首筋に当てられた。


「えっ! 何をしているんだ、ミカエル様」


「青年よ。愛する者を奪われた経験はあるか」


カイルは困惑しながらリリーナの首筋に当てられた剣を見ている。


「なんだよ、何言ってんだよ」


「お前の言うことは、なるほど一つの理だ。

家訓も含め、とても良く出来た理だと感じる。だが」


ミカエルは剣を当てたまま、哀れみの眼差しでリリーナを見つめる。


「そんなものは、愛する者を奪われた瞬間に消えて無くなる。この世の理など関係無くなるんだ」


「……」


「理から外れた存在は、ただ己の目的の為だけに生きる。他のことなどどうでもよい。あるのは目的の遂行のみ」


リリーナは首筋に当てられた剣に動じる事も無く、身を正したまま真っ直ぐ前を向いている。


「ミカエル様は、そんな弱い心の持ち主では無いはずです。どうかエズミ以前のミカエル様にお戻り下さい」


カイルは首筋の剣からリリーナの顔に視線を移すと、左右に首を振る。


「……姫様、ミカエル様は魔王になど覚醒しておりません。そこに居るのはミカエル様本人です」


「そ、そんな……」


ミカエルはリリーナに当てた剣を一度引くと、今度はカイルに、その剣先を向けた。


「私は今すぐ旅に出ろと言ったはずだ。お前はこんな小事に関わっている場合ではない」


「何の事だかさっぱり解んねぇよ! どういう事かきっちり説明してくれ」


「私の一族の家訓だ。学ぶ者に一流はいない。

これからの経験で自分の頭を使って考えればいい。そして答えを出した時、お前が己を保っていられれば人類の希望となる」


「よくわかんねぇけど、自分を保っていられなかったら?」


「その時は、お前は第二の魔王になるだろう」



カイルの顔から血の気が引いていく。意味を理解出来なくとも英雄の放った言葉の重圧はカイルの身に重くのしかかる。


「もう一度言う。今すぐここから立ち去れ」


我にかえったカイルは動揺を滲ませながらもミカエルを険しく見つめた。 


「嫌だ! 俺は騎士! 姫様だけは何が何でも護ってみせる」


「愚かな。人の作った立場に乗ろうとは……

まあいいだろう。私には人間がどうなろうと知った事では無い。どうしても私の邪魔をするのであれば、お前を殺すまで」


顔つきを一変させたミカエル。誰にでもそれと解る殺気は、側にいたリリーナの身体を硬直させ言葉をも失わせた。


「なんで! なんでこんな戦いをしなくちゃならないんだ! あんたは魔王なんかじゃないだろう!」


目を真っ赤にして叫ぶカイルを容赦の無いミカエルの殺気が包み込む。


「青年よ判っているな。私を倒さねば姫は死ぬぞ」


「嫌だよ! あんたは英雄なんだぞ! 王女は居ないけど俺や姫様と一緒に生きていってくれよ! 人々を導けるのは俺なんかじゃない! あなただけだ!」


「……手遅れだ」


「ふざけんなよ! 俺に山ほど教えてくれよ!

あんた何でも知ってんだろ! 俺の師匠になっていっぱい教えてくれよ! あんたは、あんたは英雄中の英雄なんだぞ!」


涙を流しながら熱く訴えるカイルの姿に、リリーナは共にすすり泣く。そんな中、表情を崩さぬミカエルは闘気を纏いながら、ゆっくりとカイルに向かって歩き出した。


「話は終わりだ。私の邪魔をするならば殺すまで。私はアイリスと生きて再会する事以外に興味は無い」


「やめろーっ!!」



激しい金属音と共に再びの鍔迫り合い。先の殴り合いにより勢いは落ちるものの、両者の命をかけた二回戦が今、始まった。


「やめて! ミカエル様! こんな事をしても王女は喜ばないわ!」


リリーナの叫びも、もはやミカエルには届かない。



死力を尽くし、懸命に斬り結ぶ両者にも限界が近づいてくる。致命傷は避けているとはいえ、身体中に裂傷を作り、超人的な力を出し続けてきたツケは確実にまわっていた。


「ハァハァ。俺にはあなた程の器量なんてない。人類の希望となれるのはあなただけだ! ミカエル様」


「器量などは必要ない。誰かに何かを教える必要もない。存在するだけでいいのだ。それだけで広がって行く。私が作った魔法のように」


ガキッ! 鈍く力の無い金属音から三度目の鍔迫り合い。もはや互いに押し返す力も残っていないのか、力無く剣を合わせた両者は息を荒げたまま、ただにらみ合っている。



「ハアハア…… 残念だがこれで終わりだ青年よ」


「!?」


ミカエルは左手を剣から離すと、その手の平をカイルに向け魔法弾を放つ。


「ぐあっ!」


エネルギーの塊がカイルの身体を内壁まで跳ね飛ばすと、ミカエルもまた膝をつく。


「カイル!」


リリーナはカイルに走り寄ると、うつ伏せで倒れるその身体を抱き起こし、ミカエルから守る様に自分の身体で包み込んだ。


「ひ、姫様…… 危険です。お下がり…… 下さい」


「嫌、嫌です! 絶対に嫌」


立ち上がったミカエルは、息を切らしながらも剣を携えゆっくりとカイルに向かって行く。


「どくんだ姫よ」


「嫌です!」


ミカエルはリリーナの腕を掴み、無理矢理カイルから引き離すと自らの後方へ押し放し、倒れ込むカイルに向かって剣を構えた。


「愚かな。お前の強さと心が伝われば、幾ばくかの前進は望めたものを…… これで終わりだ。青年よ」



 


   「カイルに触らないで!!」


ミカエルの身体に一瞬の振動が走る。


リリーナの身体から溢れる魔力が、波となってミカエルに伝わり、その揺れを引き起こした。


リリーナは真っ直ぐに立ちミカエルと対峙する形になると更なる魔力を練り始める。


「カイルを、カイルを殺させはしない。絶対に」


不可思議そうにリリーナを凝視するミカエルは口元に笑みを浮かべている。


「アイリス。人は成長するんだな…… だが」


ミカエルもまた、残り火の様な魔力を練り始めるとリリーナと対峙する。


「負けてやるわけにはいかないんだ」



圧倒的な魔力の差があった。満身創痍の身でありながら、練り出す魔力はリリーナのそれを軽く超えている。


「無駄だ姫よ。そこで大人しくしていてくれ」


絶望的な魔力の差がありながらも、リリーナの表情は揺るがない。


「カイルだけじゃない、王女の為にもミカエル様を絶対に止める」


限界まで練り上げたであろうリリーナの魔力は白色光の波となり自身の姿を透明化させるまでに膨らんでいる。それでも、それでもミカエルの魔力には遠く及ばない。


「足りない! もっと、もっと強い力を!」



リリーナの切なる想いが奇跡を起こす。


キィーン……


王家のペンダントがリリーナの魔力に呼応こおうする。


ペンダントがまばゆい光と共に灰色の魔力を放ち始めると、その魔力はリリーナの白色の魔力と混ざり合っていく。



「こ、これは」


突如始まった奇跡の光景を驚きながら見つめるミカエル。倒れ込んだカイルもまた、絶句したまま見守っている。


「ミカエル様。私があなたを止めて見せます!」


混じり合った白色と灰色の魔力は圧倒的な膨らみを見せると、徐々に色を成しながらリリーナの頭上に集中していく。その全てが一つになった時、莫大な魔力は銀色に染まり、まばゆいばかりの光を放つ





ソフィアの幻影……



銀の魔力は光の槍となりミカエルを襲う!





伝説の聖魔法


回避不可、防御不可、軽減すらも出来ようのない圧倒的大魔法。人の持つ一瞬の爆発力にミカエルは感嘆ともいえる息を吐いた。


聖魔法はミカエルの胸を貫き、その身体を高く舞わせると銀色の閃光を残し刹那に消え去った。


精も根も使い果たしたであろうリリーナもまた、その場に崩れ腰をついたまま上体をだらりとさせている。


「姫様!」


「私は大丈夫です。それよりミカエル様を」


カイルは倒れるミカエルの元へヨロヨロと歩み寄ると、かたわらに膝まづき聖魔法に貫ぬかれた胸を必死に押さえた。


「ミカエル様、しっかりしろ」


「ゴフッ…… 見事だ…… お前達は魔王の野望を阻止したな」


「あんたは魔王なんかじゃない! 俺達が、俺達のせいで……」


カイルはミカエルの胸を押さえながら、悔しそうにうなだれる。


「ふふ、まさか人間に剣でも魔法でも追い抜かれるとはな…… だが、それがお前達で良かった……」


「抜いてねえよ! 全然抜いてねえ! これから抜くんだよ! あんた俺の師匠なんだからよ」


「……行け、この塔は私の魔力と連動している。私が死ねば塔も崩れる…… 早く姫を連れて……」


「なんでこんな…… ちきしょう」


「お前は勇者と呼ぶに相応しい…… 魔王である私でさえも救ってみせた」


「全然救ってねえよ! 俺は何にも出来なかった」


「救われたさ…… カイル、お前とはもう少し…… 早く会いた…… かった……」



ミカエルが意識を失うと重低音と共に塔が揺れ始め、天井から崩れ出した破片がボロボロと落ちて来る。


カイルはミカエルの両手を重ね、その胸にそっと置く。


「すまない…… ミカエル様」


その間にも、塔の揺れは勢いを増していく。



「カイル、これは一体」


「もうすぐ塔が崩壊します」


カイルとリリーナは無言のまま互いに目を合わせると、二人の顔には何かを悟ったような表情が表れる。



「姫様……」


「なりませんカイル。あなたにも私を抱えて塔を降りる力はもう無いでしょう…… お行きなさい」


「聞けません」


「私は聖魔法でもう完全に動け無いのです。せめてあなただけでも」


「聞けません」


「カイル! これは第一王女としての命令です。早くお逃げなさい!」


「聞けません!」


こらえていた涙がリリーナの頬を伝い出す。


「カイルお願い…… お願いだから逃げて。あなたには生きていて欲しいの」


カイルは表情を崩しながらリリーナの側まで行くと、向かい合う様に腰をおろした。


「また救えなかった。俺はダメな騎士だな」


「また? ペンダントのこと思い出したのですね」


「まさかあれが姫様とは…… 反則ですよ。あんなの誰だって判りません」


「ふふ、そうですね」


リリーナの顔に笑顔がこぼれる。



「もう俺も降りて行く力なんて無いかな。せめてここに居させて下さい。こう見えて俺は姫様をお守りする騎士なんです」


「カイル……」


轟音と共に塔の揺れが激しくなって来ると、降り注ぐ破片も勢いを増し、天井には朝日が差し込む程の穴が幾つも開き始めた。



「また私の窮地に駆けつけてくれましたね」


「でも俺、何の役にも立て無くて」


「いいえ。救われていましたよ、ずっと

…… ずっと救われていたんです。あなたに」


「姫様」


「私は今、とても幸せです。あなたと共に居られるのなら何も恐くはありません」


リリーナはカイルにそっと寄り添い、その胸に顔を埋めた。


「あなたを…… ずっと愛しています」



階下が崩れ始めたのか塔がななめに傾き始め、瓦礫が雨の様に降り注いで来る。


絶望が迫る時の中で、カイルの胸にもたれかかるリリーナの顔は、幸せそうな優しい笑みを浮かべている。


そんなリリーナをカイルは強く抱きしめる。


(こんな小さい身体で、自分を犠牲にしてまで国の為に尽くして来たのか。普通の女の子の当たり前の幸せも楽しみも何も知らず…… これでいいのか? このまま姫様を死なせていいのか? 本当にこのままこの女性を死なせていいのか……)




「いいわけが無い!!」


「カイル?」


カイルの身体に、微量の魔力が練られて行く。


「何をしているのカイル……」


「姫様、俺は騎士なんだ。あなたは国にとっても、ご自身の為にも、まだ死んではいけない」


「何を言っているのカイル? 嫌だよ!」



カイルは全身全霊を込め、限界まで魔力を練りあげる。


「頼む! この一度でいい、この一度だけ上手くいってくれ、頼むっ!」



愛する者を守る想いが、カイルの魔力を増大させる。



ドレファスの幻影……




「俺は騎士! 姫と力無き者を守る盾!

バリアァァァー!!」


カイルの全身から放たれた白色光の魔力がリリーナを中心に広がりを見せて行く。


「いけぇぇぇ!!」


膨らんだ魔力は大きなシャボン玉となり、リリーナを中に閉じ込めるような形になった。



「ハァハァやっ、やった……」


シャボンはリリーナを乗せ、ゆっくりと宙に浮かんで行くと、瓦礫を弾きながら天井付近でゆらゆらと漂よい始めた。


「嫌ぁぁぁ!!」


リリーナはシャボンを割ろうと内側から懸命に叩き続けるが、光の膜は衝撃を全て吸収してしまう。視界の下では、カイルが地に腰をつけたまま力無くうなだれている。




 カイルはその身の全てを出し切っていた。


己の許容を超えた魔力の精製は、カイルの身体に絶大な反動と負担を与えていた。


塔を揺らす轟音も、降り注ぐ瓦礫の音も、リリーナの叫ぶ声すらも届いてはいないようだ……



「カイル! カイル! 嫌だよ! こんなの絶対嫌だよ!」


泣き叫ぶリリーナはカイルを見下ろしながら必死に呼び続けるが、力尽きた勇者に反応はない……



塔全体が崩れ始めると、落下する瓦礫が影を作り、徐々にカイルの身体を隠していく。


「カイル! お願い! 私も一緒にいさせて!」


全てが無に帰る直前、最後に残った灯火ともしびのような力でカイルはリリーナを見上げた……




「お幸せに…… 姫様……」


「嫌ぁぁぁぁぁぁ!!」




カイルは目を閉じながら、ゆっくりうなだれると塔は全てを飲み込みながら無情にも崩れ落ちていった……





虚空に浮かぶシャボンは、塔が崩れ去ったのを見届けると、ゆっくりと降下を始め瓦礫に埋もれる校庭に悠然と降り立った。


こもった悲鳴はシャボンが霧散むさんするのと同時に外に漏れ、無人の校庭にむなしく響き渡る。


「嫌ぁカイル…… 嫌だよ」


リリーナの叫びを唯一受け取る者がいた。瓦礫に埋もれながら、その超人的な身体で、塔の崩壊にも耐えたミカエルだった。


「青年よ…… 間に合わなかったのか」


しかしミカエルの身体もまた、限界を迎えようとしていた。もはや指一本動かせぬ状態で、リリーナの泣き声をただ聴いていた。


「泣く事で少しでも気が晴れるのなら、羨ましい限りだな」


近づく死の中でアイリスを想っているのか、その表情には穏やかな安らぎが感じられる。


「わかっているよアイリス……」




朝焼けに包まれた無人の校庭で、ただ一人残されたリリーナは、自らの全てであったカイルを失い絶望の中で打ちひしがれている。


もう涙は止まらない。声も枯れ、泣き声さえまともに出ない状態で、腕と頭を地に擦り付ける様にして泣いていた。


愛する者を失った悲しみを痛々しい程に感じさせる……


「カイル…… ダメだよ、カイル……」




 

 その時だった!


激しい爆音と共に一瞬の閃光がリリーナの前方に走り、砂ぼこりを大量に巻き上げた。


「!?」


突然の衝撃にリリーナは肩を揺らして驚くと

、すぐに上体を起こし絶句したまま砂ぼこりを見つめている。


爆音のあった場所を目を細めて凝視するが、砂のカーテンが視界を(さえぎ)り、何も見る事が出来ない。


「……ザッ ……ザッ」


そんな中リリーナは音を聴く。砂ぼこりの中から何かの音が聴こえるが、粉塵ふんじん(まと)った風の音が入り混じり、なかなか識別は出来ない。


それでも集中し、耳をすましていると、ようやく音の正体を掴む。それは地を蹴る足音。


その足音がリリーナに向かい近づいて来る。


「あ……」


やがて砂ぼこりの中に、そのシルエットが映し出されると、リリーナの身体は震え、興奮した息を漏らす。


「あぁ……」


一陣の突風が砂ぼこりを華麗に拐い、重い視界が開けると、そこにはリリーナの望む最良の世界が広がっていた……








「カイル!!」


まっすぐに立ち、リリーナを笑顔で見つめるカイルの姿が、そこにはあった。


カイルは自分の身体を確認するように見回すと、不思議そうな顔をしながらリリーナに向かい歩き始めた。


そんなカイルを待ちきれないのか、なんとか立ち上がろうとするリリーナだったが聖魔法の影響か、まだ足が動かない様子でもどかしそうにもぞもぞとしている。


カイルが近づくにつれ、リリーナは少し怒った様な表情を見せるが、その瞳には喜びをいっぱいに表した歓喜のしずくが溢れ出す。




そして、いよいよカイルが射程圏に入る……


「カイルっ!」


その胸に飛び込み顔を埋め、強く抱きしめる。

更には身体が離れない様カイルの背中で腕を組んだ。


「ただいま戻りました、姫様」


「ばか、ばかカイル、許しませんよ」


「……はい」


「私を残していくなんて、とんだ不忠者です」


「返す言葉もありません……」


「でも、どうやって」


「……わかりません。ただミカエル様の声を聴いた様な気がします。もしかすると……」


抱きしめ合う二人の表情が真剣なものに変わる。


「そうですか、やはり先程の閃光は転生魔法によるものだったんですね……」


「王女の代わりに俺なんかを……」


「カイル、これはミカエル様のご遺志によるものですよ」


「……そうですね、でも……」


カイルのやるせない気持ちは震えとなり、しがみつくリリーナにも伝わった。リリーナはカイルから離れると、この校庭のどこかにあるだろうミカエルの遺体に祈りを捧げた。


カイルもまた、騎士としての黙祷もくとうを捧げミカエルの冥福を祈り続けた。


「師匠ありがとうございました……」


二人の祈りは朝のさわやかな風に乗って、どこまでも運ばれて行く。どこまでも……




「カイル」


リリーナは再びカイルに抱きつくと、またその背中で腕を組む。


「ひ、姫様! さすがに恥ずかしいっす」


「勇者様になるお人が、これ位で何を恥ずかしがっているのですか」


「俺が勇者?」


「はい。言い伝え通りじゃないですか」


「言い伝…… あっ、ホントだ。でも俺、(いささ)かの役にも立って無いんですけど」


「そんな事ありませんよ。充分活躍しました。

[大いなる人災が降りかかる時、聖石を持つ美女が導き、脳筋が美女を捨てて行くだろう]

これ、来世まで伝えましょう」


「……勘弁してください」


「許しませんよ。数々の命令違反、目に余るものがあります。厳罰が必要ですね」


「そ、そうですか」


「あなたには一生、無償で私に仕えてもらいます。いいですね」


「仰せの通りに」



涙をにじませながら満面の笑みでカイルを抱きしめるリリーナ。カイルもまた騎士として、一人の男としてリリーナを包み込む。


「大好きよ、カイル」


「ありがとう…… リリーナ」



誰も居ない校庭で、優しい陽射しを浴びながら若い二人は、いつまでも抱きしめあっていた。







「これで良いのだろう。アイリス」








……………………


………………


…………


……



七十年後



「いつまで寝ているのミカエル、早く起きなさい」


「ハッ!」


ミカエルは目を覚ました。


「夢…… いや、確かに私は死んだ。青年に転生魔法を使い、もう復活は出来ないはず」


ミカエルはゆっくりと身体を起こす。


「……ここは、アイリスの」


自城にあるアイリスの造った花畑に、一人、大の字で寝ていたミカエルは身体を起こし立ち上がると、大きく深呼吸をした。


「心地よい…… そう、これは心地よいんだな」


薄く笑みを浮かべると、花畑を見つめる。


いっぱいに広がる青空の下、花が一面を色で覆い、舞う蝶が彩りを添え、障りの良いメロディを鳥の声が演出する。



「美しい…… なんと綺麗な光景なんだ」





「それが解るのに何年かかってるの、全く」


「!!」


ミカエルは一瞬の痙攣(けいれん) の後、金縛りにあったかの様に硬直する。背後から聴こえた声は、ずっと待ち望んだ、愛する者の声。


(ばかな、そんな事ありえるはずがない。幻聴か……)



ミカエルは振り返る事が出来ないでいた。絶対にあり得ない者の声と頭で確信していても、それを認める事に恐怖を感じているのか、直立不動のまま立ちすくんでいた。




…………

……


魔法陣の部屋。アイリスが来る以前はミカエルの食糧保存庫として、アイリスが亡くなってからは、その遺体を安置していた場所に今は、二人の老人が並んで亡くなり、眠っていた。


お互いに安らかな顔で手を繋ぎ合って眠る男女。一人は勇者として名を馳せたカイル元国王。もう一人は、カイル元国王の執政として常に寄り添っていたリリーナ元王妃。


二人は国政を子供達に任せた後は、この城で余生を送っていた。全ては大恩を受けたミカエルに、その恩を返すため。


お互いが転生魔法を修得し、カイルはミカエルに命の借りを、リリーナはアイリスに信念の大切さを教えてくれた礼として使用する事を決めていた。条件を一つだけ付けて。


その条件とは、転生魔法を封印すること。やり直しの利く人生は人から向上心や探求心を奪い、ミカエルが唯一認めていた人間の価値を、失わせる事となる。


二人はそう考え、これを最後の転生魔法にする事を条件にしていた。


時間差はあったものの、今二人は永眠に着いている。幸福な人生であった事はその顔が示していた。リリーナの胸には今もペンダントが輝いている……






…………


……


ミカエルの呼吸は乱れていた。今までに経験した事の無い不安を感じているのは、その顔から(うかが)える。



「ここに二人で来るって約束してたよね」


「はっ!?」


背後からの問いかけに、息が声となって漏れ出した。


「ば、ばかな、あり得ない。あり得るはずが無いんだ……」


震える声で呟くと、ミカエルは目を閉じて呼吸を整える。すると背後からの声も同調するように震えだし、高ぶった声色に変わる。



「ずっと、ずっと、待ってたんだもんね」


ミカエルの両腕が小さく揺れ出していく。


「そ、そんなはずは…… な、無いんだ……」




「な、長かったね…… つらかった…… よね」


途切れ途切れ放たれる背後からの涙声。それは、心の底からつづられた重く険しい言葉


苦難の日々を長い年月をかけて歩んできた、二人にだけ解る、二人だけにしか解り合えない

万感ばんかんの想い。



「夢…… なのか……」


息を荒らげ、身をも震わせていたミカエルの背中に、そっと手が重なる。


「!!」


閉じていた瞳が再び見開くと、触れられた背中に想いを寄せているのか、ミカエルの表情がみるみると紅潮こうちょうしていく。


「こ、この感触…… この懐かしさは……」




ミカエルの頬に一筋の涙が流れ落ちる。


「これは……」


頬に手を当て、手の平を湿らせたものをじっと見つめる。



「これが…… 涙」





感情の象徴とも言うべき涙。高ぶりによって流された涙の意味は深い。


「こ、これが……」


失っていたものが、流れ出す涙によってミカエルのもとへと回帰する。かせを解かれたミカエルは今、感情のその全てを取り戻していた。





ミカエルは意を決する。


震える身体を心で押さえ、息を乱しながらも、ゆっくりと、ゆっくりと顔を背後に向けていく。


振り返る動作が、これ程までに重いものになる事は通常ないだろう。しかしミカエルに取ってのそれは、己の全てをかけた結晶であり、人生の生きる意味さえも、(にな)っている。


産まれ落ち、この世の頂点に成ろうとも、認められず忌み嫌われ、人との触れ合いすら許されない……


永久に続く孤独から逃れられない運命を背負い、ただ一人生き抜いてきた。


そんな地獄の様な人生から、救いの手を差し伸べる、いや差し伸べられる唯一の存在。


常に明るく、快活で、気が強く、わがままで、心優しく、涙もろい。その存在がミカエルに命を与え、ここまで引っ張っていてくれた。


ミカエルは今、振り返る。その想いと願いの全てを乗せて……


そして、その瞳に映ったものとは……


待ち望んだもの。命をかけて追い求めたもの。

人生の全てと言えるもの……
















アイリスの姿だった。




泣き崩れ、顔をくしゃくしゃにしながらも、

一杯の笑みを浮かべ、ミカエルを見つめていた。


「は…… あ……」


言葉にならない。ミカエルもアイリスも想いは同じ。ただ言葉にならない。


長い別れの末での再会。過ぎ去った年月だけ苦労があり、何度も諦めかけた邂逅かいこうへの想い。


互いを見つめ合うも、身体は揺れ、顔も揺れ、瞳も揺れ合う。嘘のような現実にミカエルもアイリスも夢の中をただよっているよう……


それでも二人の視線は離れない。過ぎ去った時間を取り戻すかのように見つめ合う。


美しく咲き乱れる花の園で、言葉を交わす事もなく、ただ見つめ合い立ち尽くす男と女。



ミカエルは震える両手で、アイリスの両手を挟み込むと、胸のところで優しく握る。アイリスは握られた両手をじっと見つめると、その感触を確かめるように声を漏らす。


「あ…… あぁ」


溢れだす涙をそのままに、ミカエルは必死に言葉をつむぐ。



「な、長い間…… 待たせたね」


「限度が…… あ、あるわよ…… バカ……」


昔と同じ立ち位置で二人の会話が始まると

、張っていた気が緩んだのか、互いに手を握り合ったまま べたりと地面に腰をつけた。


色とりどりの花に包まれながら、両手を握り合い、愛おしそうに見つめ合う二人。




「君に伝えたい事が、あったんだ……」


「なに?」


「君を、君を愛しているんだアイリス」


「うぅ…… 私も…… 私も愛してる」



溢れ出す想いと涙。アイリスはミカエルの顔をじっと見つめると、そこには今までに見ることの出来なかった表情が浮かんでいる。


感情を取り戻したミカエルが、アイリスに見せる初めての表情かお


それはアイリスにだけ許された、アイリスにだけ見ることの出来る特別なもの……



「ああ…… ミカエル」


抑え切れない高ぶりにアイリスの両手は、ミカエルの顔にそっと添えられる。


ミカエルの頬を伝わる涙は、流れる向きを変え

アイリスの両の手に移された。



「……ねえミカエル、知ってる?」


「ん?」



「自分の出した言葉に自分の感情を乗せない方が良いんだよ……」


「!」


「涙が止まらないんだから」



「フフフ、そうだね」


「ウフフ」




泣き崩した顔で二人は笑い合うと、そこから先に言葉は無かった……


互いに求めるように抱きしめ合い、互いの存在を確かめ合う。長い苦難を乗り越え再び手にした安らぎを、二度と離すことはしまいと、きつく、きつく抱きしめ合う。


二人の歩んだ辛く、厳しい旅路たびじは、今 その終着を迎えた。


ミカエルとアイリスの愛は、穏やかな安らぎと共に育まれ、末永く続いて行くだろう。



暖かい陽射しが中庭をいっぱいに照らし、優しい風に煽られながら、二人はいつまでも、いつまでも抱きしめ合っていた。



花の溢れる庭の真ん中で、言葉にならない二人の想いは、二百年の時を超えて、今ここに実を結んだ。




THE END

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