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中編

魔王はアイリスを見つめていた。


物言わぬアイリスは自城にある魔法陣の部屋でその美しい姿のまま永遠の眠りについている。

もともとは魔王の食料を保存する為の部屋であったが今はもう必要ない。


好きな時に出かけ、殺し喰らえばいい。魔王は実際それを実行し、人々から畏怖いふの対象として扱われた。


目に入るエサは問答無用で殺し喰らった。人が蚊を殺す理由と差異さいはない。喰らう以外は……



「人間の本性など解っていただろう……」


人との争いを繰り返す日々。憎しみを募らせた蛮行も魔王の心を満たすまでには至らない。復讐を込めた人間狩りも時が立つほどにその数を減らしていく。


アイリスを見つめる時間が増えていった。共に過ごしたあの日々を、穏やかで安らぎに満ちたあの気持ちを思い返しているのか魔王の表情にも徐々に柔らかさが戻っていく。



いつの頃からか城に籠るようになった。


ひっきりなしに訪れる来客のおかげで運動と栄養にも事欠かない。


「アイリス。待っていてくれ……」


気付けば蘇生に関する研究に没頭していた。

魔王自身一度は諦めた蘇生魔法。禁断ともいえる研究に手をつけていた。



「違う。これじゃない……」


幾度の失敗を繰り返そうとも、諦めず愚直ぐちょくに実験を続けていく。



「体の傷は癒せても、魂の回帰だけはうまくいかない、何故だ」



もう人間など、どうでもいいのであろう。怒りも憎しみも、あれだけ募らせた復讐心も、アイリスを取り戻す事以外は頭から無くなっているようだ。


まさにアイリスが言っていた学者肌の精神。魔王はその身の全てを研究に費やすが、どうしても成功には至らない。



研究を始めてから五十年以上が経過する。


体質以外、人と変わらぬ魔王の寿命は尽きようとしていた。結局アイリスとの再会は叶わず、研究も途中で断念せざるを得なかったが一定の成果はあった。


「命を復活させるには命が必要」



膨大な魔力を必要とするため、魔王にしか使えない生涯一度きりの極大呪文。命を失い放出された魂のエネルギーを別の体へ移すという超荒業。



「転生魔法」



自身の魂を他者に移すという前代未聞の大魔法 は、成功する見通しもなく仮にアイリスが蘇っても再会は果たせない。


それでも魔王は残された時間の全てを転生魔法習得のために費やしていく。


「もし、うまくいったのなら今度こそ幸せになってくれ。すまないアイリス」


自分と関わったが為に無惨な死に方をしてしまったアイリスへの償い……



そして万全の準備を整えると、遂にその時がやって来る。


「私の寿命も尽きるようだ。頼む、うまくいってくれ。頼む……」


魔王は寝台の下に倒れこむと、ゆっくりと瞳を閉じていく。生涯をかけた研究の成果が己の死と引き換えに今試されようとしていた。


身体の力が抜け、その動きが完全に停止すると魔王の身体が薄い光に包まれる。光は魔王の頭に集中して行き、塊となって魔王の身体から飛び出した。


上空に射出された光のエネルギーは、その向きを変えるとアイリスの身体に一瞬の閃光と共に宿る。




「転生」






魔王は死を迎え、アイリスは蘇った。






…………

……


「……ここは」


アイリスの頭に生前の記憶が戻って来たのか、身体がガタガタと震え始める。


「私、処刑されて…… えっ!」


アイリスは倒れこむ老人の姿を見つけると、寝台から降り様子を確認する。


「う、嘘! ミカエルなの」


歳を重ねていても特別な相手だからこそなのか、アイリスはミカエルと確信しているようだ。既に息をしていないミカエルを見開いた目で見つめている。


「そんな…… どうして…… うぅ」


アイリスはミカエルの身体に顔を埋めると、しばらくの間声をあげて泣いていた……




様々な疑問を抱えたままアイリスは行動を開始する。ここがミカエルの城だと認識すると、研究室に向かい資料を漁った。


相も変わらず散乱する資料の中から転生魔法に関する研究ノートを見つけると、内容を確認し事態を把握する。


「私、生き返ったのね」


複雑な状況に困惑しながらも、約六十年ぶりの城を探索するが……


「うわ~」


ボロボロだった。


アイリスが初めてこの城にやって来た時と、ほぼ同じ状態に戻っていた。城をひとまわりしたアイリスは無言のまま清掃を始める。


心を整理する時間を有効に使うアイリスらしいたくましき生活力。健在だったその力を発揮していると、城はみるみると以前の姿に戻っていった。



「……あれ?」


自身の身体をじろじろと見回すアイリスは何か違和感を覚えたのか、しきりに胸やお尻を触っている。


「う~ん」


アイリスは急ぎ自室に戻ると、姿見に自分の身体を映してみる。


「わっ! 何これっ! 若い!」


推定十六歳程度に若返っていた。


「なっなんで? 転生魔法の影響かな」


世界で初めて使われた蘇生系の魔法だけに、どんな副作用があるのか誰にもわからない。ミカエルの研究ノートにも書かれていない事だった。



アイリスは一通りの掃除を済ませると、花畑の手入れを始める。土は荒れ、一度は咲いたであろう多様な花も枯れしぼみ、干し草のようになって散乱していた。


丁寧に手入れをしている最中にアイリスの瞳から涙がこぼれ出す。拭っても拭っても流れるものは止まらず、それでも何かを忘れるように作業を続けていた。



アイリスもまたミカエルを見つめる日々が続く。


自らが寝かされていた寝台に今はミカエルが眠り、毎日そこに寄り添っては語りかけていた。


「……ミカエル」




寂しい日々を重ねていたある日、アイリスはミカエルの寝室で手記を見つける。今まであまり気にしていなかった、ベッドに付いた備え付けの本棚にそれはあった。


手記には王国での虐殺や、それからの行動、人間に対する怨みつらみ、そしてアイリスへの想いが真っ直ぐに書かれていた。


アイリスはそれら一つ一つを噛み締める様に読み進め、ミカエルの強い想いを心の底から知ることとなる。溢れかえる涙は大粒の水滴となり、手記にたくさんの染みを作った。


「私、行かなくちゃ」


若返ってはいるもののアイリスの顔つきは六十年前のそれに戻っていた。鬱屈うっくつした毎日を送る中で眠っていたアイリスの強い意思がミカエルの手記によって目を覚ます。


アイリスは早速軽い旅支度を整えると、ミカエルの眠る部屋へおもむく。いつものように寄り添い、ミカエルの頬を優しく撫でる。


「私も同じ気持ちなの。人間が許せない。あの時集まってた人間の目が頭から離れないの。

あなたが殺してくれて嬉しい…… 嬉しく感じてしまうの」


アイリスの顔がりりしく引き締まる。


「でもダメ! これじゃずっと自分が不幸のままだから。自分の幸せの為にも怨みを無くしたいの。だから見ててミカエル。人への怨みが無くせるかどうか。人を許せるかどうか」


アイリスはミカエルの額に唇を重ねると、ゆっくりと立ち上がる。


「必ず帰って来るからね」



アイリスは故郷である王国へ旅立った……






六十年ぶりの故郷を前にアイリスの顔色は優れない。もはや変装の必要も無く、誰に咎められる事もないが足取りは重い。


「人に恐怖を感じているのね」


公開処刑の体験がアイリスの心に重くのし掛かる。残酷な死に様を好奇な目で見つめ、野次を飛ばし、怒号をあげ、笑みを浮かべられる生き物。


タチが悪いのは、その生き物が善良と言われる一般市民だったということ。醜悪な人の一面をまざまざと、自らの死によって見せられたアイリスは人の本性を疑い、嫌悪する。


「獣…… いえ、人の皮をかぶった人ね」


アイリスの傷は深い根となって、奥の奥まで張っているようだ。



街へと行く途中、森の歩道で一軒の茶屋を見つけると、休憩がてら人との接触も兼ねて立ち寄ることにした。


「すみません。どなたかいらっしゃいますか」


「はい、はい、いらっしゃいませ」


腰の曲がった老婆が盆に茶を乗せて出てくると、アイリスは緊張の面持ちで老婆を凝視する。


「さぁさぁ座って下され」


茶を受け取ると長椅子に腰をおろす。想像ほどの恐怖を感じていないのか、アイリスの表情は穏やかに落ち着いている。


「以外と平気ね」


アイリスは自然と肩の力が抜け、幾分リラックス出来たのか老婆に話しかける。


「街まであと どれ位でしょうか」


「街…… いやあんた、今は行かないほうがよい」


「何かあったんですか」


老婆は盆を抱えたまま、神妙な顔でアイリスの横に立っている。


「疫病が蔓延まんえんしとる。特に今は酷い有り様じゃ」


「疫病…… いつ頃から」


「昨年あたりから街中に広まっていったかのう。じゃがあの疫病を最初に見たのは、わしが子供の頃じゃ。あの頃はたいした病気じゃなかったんじゃがの」


「お婆ちゃんの子供の頃。それじゃあ六十年位前」


「そうじゃの」



「あの時、街で聞いた新種の流行り病のことか……」


アイリスはしばらく考え事をすると、勢いよく立ち上がる。


「ありがとう、お婆ちゃん。私、もう行かなきゃ」


茶屋を出ると、アイリスは急ぎ足で街へと向かった。









「これは……」


陽も高い正午、アイリスは街に到着すると、その異様な様子に愕然がくぜんと立ちすくんだ。


建物の入り口は全て塞がれており、窓には鉄製のシャッターが降りている。人通りもほとんど見当たらず、不気味な静けさの中、痩せた野良犬がヨタヨタと徘徊している。




「……想像以上ね」


酷い状況の中、遠くの方に大量の煙がたち上がっているのを発見し、アイリスはそこに向かって歩き始めた。



「あそこだわ」


目的の場所にたどり着くと人だかりの中心で一軒の家が燃やされていた。


集まった人々の顔には覇気が無く、皆どこか

虚ろ気だ。誰ひとりとして声も漏らさず、ただ黙って焼ける家を眺めていた。


そんな時、アイリスは聴いた。確かに聴こえた。焼ける家の中から、人のうめき声……




「どうせ助からん……」


「感染を防ぐにはこれしか……」


ぽつりぽつりと周りから声が漏れだす。


アイリスは集まる人々の顔を見渡すと、一瞬で身体を硬直させる。


「あの時と…… あの時と同じ顔」


燃え盛る炎が集まる人間の顔を青白いシルエットで照らし出す。狂気……


(フラッシュバックするあの光景が、アイリスの心を押し潰していく)



気づけば全力で走り出していた。



アイリスは走った。この場にいてはいけない。本能がそう叫んでいるのか、アイリスはそれに従うかのように走った。


息も切れ切れ走っていると大きな川辺に辿り着き、その場で膝を着くと川に体内の全てを吐き出した。


「ハァハァ…… これが人なの…… 人の本性なの」


アイリスは意識を失い、その場に倒れ込んだ。







「ううん…… !」


意識が戻った時、アイリスの顔を鎧姿の男が

覗き込んでいた。


「きゃああああぁぁ」


アイリスは一瞬で覚醒すると、キョロキョロと辺りを見渡した。どこか屋内であることには間違いない。


「ここは教会だ。元だがな」


三十前後の特徴的な金髪に鎧の上からでも分かるガッシリとした体格。表情は薄く無骨感丸出しの男がアイリスの疑問に答えた。



「あれ…… 私、確か川で」


「そうだ。倒れていたところを、ここへ運んだ」


「そっか、ありがとう」


「目上の者に対して口の聞き方がなっていないようだな」


「目上って、対して変わらないじゃない」


「私はそんなに若く見えるか」


「あっ」


アイリスは転生魔法の影響か十六歳程度に若返っている。そこへ修道着を着た美しい二十代の女性が入って来る。


「気がついたようですね」


「あっはい。ありがとうございました」


「お体の方に異常はございませんか」


「はい。平気です」


「そうですか。早速で何なんですがここは危険です。どこか別の場所に避難なさって下さい」


修道女はアイリスの前に立つと、申し訳なさそうに進言した。そんな修道女にアイリスは不安そうな眼差しを向ける。



「疫病…… ですか」


「はい。奥の部屋には親のいない子供逹が居るのですが皆、感染しています。設備のある隔離施設では無いので、かなり危険なんです」




患者に触れれば確実に感染する疫病「ウラン」

潜伏期間は短く、感染すれば三時間後には発症。高熱、下痢を始め、徐々に細胞の再生能力を奪っていき、三ヶ月程で体全体が壊疽(えそ)を起こし死に至る。


「しかも、この疫病は年々進化しています。以前は接触感染のみでしたが、今では空気感染の報告もされています」


「原因は判っているんですか」


「六十年前、新魔法開発中に生まれた副産物と言われています。魔法の制御法も解らず扱っていた為とか」


アイリスはミカエルが言っていた言葉を、なぞる様に復唱ふくしょうする。


「新しいエネルギーは原理、作用、限界、制御を理解していないと、暴発した時に止められない……」


「ええ。その通りですわ。現在は魔王の書があるため全て解析されていますけど」


「魔王の書?」


「魔法指南書みたいな物です。魔法を生み出した魔王が書いた書物ですよ」


「えっ!」


伝わっていた。ミカエルの書いていたレクチャー本とアイリスの広めた噂が、正しい情報として歴史に刻まれている。


アイリスは驚き、慌てた様子で修道女に食い付いた。


「あっあの、魔王は、魔王の事はどんな風に伝わっているんですかね?」


この時代において子供でも知り得るであろう質問に、修道女は不可思議そうにしている。


「もしかしてあなたは異国の方ですか?」


「はい、そうなんです。さすらいの旅人なんでこの国の事、わからないです。えへ」


あまりの怪しさに修道女の顔もいぶかしい。


「こほん…… 魔王は謎の多い人物です。私達人類の味方かと思えば「エズミの大虐殺」なども起こし……」


エズミの大虐殺。あの街広場での大量虐殺。

こればかりは自身が死亡していたためにアイリスにも伝えようがなかった。


すると修道女は急に目を輝かせ、身を乗り出して語り始める。


「でも、わたくし思うんです。エズミの大虐殺の時、王国の王女も亡くなったと聴きますが

、お二人は愛しあっていたという話があるんです」


「えっ!」


思わず声をあげるアイリス。


「禁断の恋を、邪推じゃすいな人間逹に邪魔されて、お二人は戦った! 結果王女は亡くなってしまうが、怒りに燃えた魔王が人間共をバッサバサと……」


「修道女殿!」


鼻息荒く興奮する修道女を鎧の男がいさめる。身を縮め恥ずかしそうに舌を出す修道女をアイリスは優しい目で見つめている。


「素敵な話ですね」


「はい。妄想には自信があります」


「ふふふ。修道女様、お願いがあります。私をしばらくここに置いて下さい。子供逹の看病を手伝いたいんです 」


突然の申し出に修道女をはじめ、側にいた鎧の男も驚きの様子を見せる。


「……危険ですよ。慣れぬ身ならばなおさら」


「平気です。どうかお願いします」


アイリスの真剣な眼差しに修道女はしばらく考えた後、満面の笑みを返す。


「分かりました。それではよろしくお願いします」



こうしてアイリスは、しばらくの間お手伝いとして住み込み、子供逹の面倒をみることになった。


教会奥にある隔離部屋には四人の子供逹が生活しており、夢うつつの状態で虚空をぼんやり見つめていた。


物理治療も魔法治療もさしたる効果はなく、出来る事といえば、魔法により身体機能を低下させ、疫病の進行を遅らせる程度であった。


この魔法により脳も体もほとんど寝ている状態が続き、激痛に苦しむ事は無いが常に放心している為に意思の疎通は難しい。


アイリスは手作りと思われる粗末な防護服を身にまとい命を危険に晒しながらも、やりがいのある仕事に満足と充実を覚えた。


会話もまともに出来ない状態でも、時おり見せる子供逹の笑顔はアイリスの心を優しく癒していく。



「ドレファスだ」


「はっ?」


「私の名前だ。娘、お主の名は」


「わ、私? わたしは…… まあいいか。アイリス」


「アイリス、若年でありながら、その勇気ある行動には心から感服する。お主の行為は何よりも尊く何よりも美しい…… 礼を言う」


そう言い残すと、さっさと立ち去るドレファス


「固いよ。よくやった、ありがとうでいいのに」







この街で何よりも貴重なのが「水」である。

井戸水はおろか、国で管理された水道水でさえ汚染の可能性があり、ここから感染する例も少なくない。


よって生活用水などは基本、蒸留した水を使うわけだが、今度はそれを保管する場所がない。飲み水程度ならなんとかなるものの、生活用水全てを保管するには家庭用の保冷庫では難しい。


だがこの元教会には、うってつけの場所がある。鉄柵で囲まれた広大な敷地の中は本堂である建物以外、全てが庭になっている。


本堂から最も離れた敷地の隅に、こじんまりとした墓地があり、その一画が地下シェルターになっていた。


元々は感染患者用隔離施設として使われていたが、完全に外気を遮断し密封出来るその鋼鉄の要塞は現在水の保管場所として機能している。


重宝はするものの地面に埋め込まれた鋼鉄製の扉は教会にはそぐわない風景であり、墓地の隣にあることも相まって異様な雰囲気をかもし出している。






 死の病「ウラン」の恐怖。


疫病が街中に広まり始めた頃、ウランを発症した患者はこのシェルターに入れられ死を待つのでは無く、待たれていた。治療も受けられず食事も与えられない。


有効な治療法も無いまま、感染者は死人として受け止められていた。


感染した者は有無を言わさず次々とここへ入れられ、死体があっても放置される事が多く生者と死者が幾日も共に過ごす事もあった。


この施設は患者の為では無く、外の安全を確保する事。ただそれだけを目的とした隔離施設であった。


その後、街の自治が崩壊し国の手が加わると、この非人道的施設は破棄されるが、今なお周囲の住民にはその忌まわしき記憶と共に「生きた墓場」と呼ばれ恐れられている。





「なんで水の保管場所が墓地なのよ。こういうのドレファスに頼んだ方がよくない? 重いし」


アイリスと修道女は水を取りにシェルターにやって来た。当然アイリスは、この負の遺産の歴史は知らない。


「当番制です。ドレファスもあなたと同じ事を言っていましたが、女性だからと出来る事をやらないのは、女性に対する侮辱ですよ」


「怖いよ、暗いよ、重いよ、遠いよ~」


「二人で来れるだけマシじゃないですか。わたくしなんて、いつも一人墓っ地ぼっちでしたわよ」


「えっ……」


尼僧にそうギャグです。神も笑い転げているでしょう」


「人のこと言えないんですが…… 変な人」



暗いシェルターの中、十リットル入りの水タンクを一つずつ抱えると、階段をのぼり二人は地上に上がる。


「ふおおおおぉ」


鋼鉄で出来たふた状の扉は、なかなかの重量がありそうで、アイリスは力を入れ必死に閉める。


「手がいた~い」



「さあ、本堂に戻りますよアイリス」


シェルターは本堂から最も離れた場所にあるため、帰りの距離も長く、力仕事に慣れないアイリスは水タンクを抱え、ふぅふぅと息を荒げている。


「大丈夫ですかアイリス。少し休みますか?」


修道女の気づかいにアイリスは首を左右に振ると少し寂しそうな笑みを浮かべる。


「平気よ。私、ずっと甘やかされて来たから……」


重いタンクを運んでいると、ちょうど敷地の中頃あたりで、突然ポツポツと雨粒が落ちて来た。


「あら、大変ですわ。急ぎましょうアイリス」


「ひぇ~! 尼僧ギャグに天はお怒りですよ」




雨粒は徐々にその激しさを増していくと、瞬く間に豪雨となり空を闇色に染めていった……



「降られてしまいました」


本堂に何とかたどり着いた二人は、ドレファスに乾いたタオルを渡されると、丁寧に体を拭き始めた。


その時、修道女の胸元からチラッとのぞくペンダントにアイリスは反応する。体を拭き終えると、くすぐったそうな顔をする修道女をよそにアイリスはまじまじとペンダントを覗きこむ。


「あっ、思い出した。これ王家の……」


その瞬間、ドレファスが椅子から立ち上がり

、アイリスの前まで行くと威圧的な態度で仁王立ちをする。


「なっ、何よ」


「何故これを、王家の物だと知っている? アイリス、お主他国の間者なのか」


「あっ! いや、あれです。あれ…… 実は私、ほら、占い、占い師だから」


「なんだと」


「よ、予言みたいのしたら、そのペンダントが出てきたから、そうだろうなあって……」


「ほう、どんな予言だ」


「ぐっ…… えと…… 確か、え~、大いなる災い降りかかる時、王家の首輪をもつ聖女と筋肉ダルマがちょっとだけ役に立つだろう。みたいな」


「ふざけるな」


「しょうがないでしょ、占いでそう出ちゃったんだから」


修道女は二人の仲裁をするように割って入る。


「アイリスが誰であろうと構いません。彼女がここでしてきた事は、全て事実なのですから。

それに王家など今は機能していないのですから、そう神経質になることも無いでしょう」


「姫!」


修道女はアイリスに向き直ると優しい微笑みを浮かべる。


「わたくしは、王国第一王女のソフィア。こちらの筋肉ダルマは王国近衛兵団隊長のドレファス。今まで黙っていてごめんなさい」


大虐殺の後、王位は親戚筋に移行し、なんとか存命はしているものの疫病の蔓延により有力貴族逹が逃げ出し、いまでは国王さえ不在の状態であるという。


他国でも疫病を恐れ、統合はおろか侵略すら仕掛けてこない有り様で、内からも外からも見捨てられた本当の意味での死の国家になっていた。


「国民が一人でもいる限り、わたくしとドレファスはこの国を見捨てるわけにはいきません」


「立派だと思うけど、為政者いせいしゃがこんなとこで何してるの?」


「わたくし、箱入り娘ですよ。他に出来る事が無いから、国民のために出来る事をするまでです」


アイリスは笑いながらソフィアのペンダントを見つめている。何か想いを馳せるようにソフィアに呟いた。


「そのペンダントはあなたが一番よく似合います。私の知ってる人は全然似合ってなかったな……」


目を丸くするソフィア。


「アイリス…… あなたは一体」


「ふふん。さすらいの旅人! 兼占い師!」


暗雲をまとった豪雨は止む気配もなく、より激しさを増していった。







三日間降り続く雨は未だ止まず、湿ったままの空気はよどみ切り、人々の不快を顕著けんちょに煽る。暗雲立ち込める空は光を遮り、暗い気分をよりいっそう落ち込ませた。


死せる街に希望は無く、人々はすがるものも無い。有るとすれば非情な現実と底の無い虚無感のみ。そんな逃れようのない暗闇に一筋の光があるとするならば、それは第一王女ソフィアの存在。


今はまだ力もなく、ちっぽけな存在である彼女こそが、いずれこの国の救世主になるとアイリスは信じて疑わない。




「大変、モンタンの熱が下がらないわ……」


アイリスは焦っていた。子供の一人が高熱を出し、非常に危険な状態に陥っていた。


「どうすればいいの、ソフィア」


動揺の隠せないアイリスにソフィアは毅然きぜんとした態度で答える。


「同じです。普通に熱を出した子と同じ対応をするだけよ」


「こんな高熱出してるのに、それじゃダメだよ」


「仕方ないのアイリス。それしか出来ないのよ。あとはこの子の気力と体力にかけるだけ」


「そんな……」


「アイリス、あなたがそんなに動揺していては

駄目よ。不安があの子達にも伝わってしまうわ

。いつもと同じように接していきなさい」


その言葉に落ち着きを取り戻したアイリスは、ソフィアに他の三人の子を任せると、モンタンの看病に専念する。


笑顔を絶やさず、いつも通りに接しながらも必死の看病が続ていく。


ここにいる子供達は親にも捨てられ国にも見捨てられ頼れる者は誰もいない。


更には追い打ちをかけるように史上最悪の疫病にもおかされてしまう。しかもそれは国の人間による富と虚栄から生み出された人災。


ただここに生まれただけで、これほどの不幸を背負わされた子供達……


「私だって、この国の王女よ。絶対に見捨てたりはしない」


王女としての責任。人間としての愛情。


アイリスの歪まされた心には、以前とは違う何かが芽生え始めているようだった。



モンタンの体を丁寧に拭いていると、うなされながらも、荒れた息とは違う何かが漏れ聞こえる。


「ハァ、ハァ、ア…… ハァ、ハァ」


魔法による効力で普段は口もきけず、ぼんやりとしたままの子供達。時おり表情を変える以外は何も出来ない状態が続いている。


意思の疎通もままならず、コミュニケーションも一切取れないモンタンの口から漏れる音……



「ハア、ハア、ア、ア…… イリス……」


「!」


幼子おさなごが母を呼ぶようにアイリスの名を漏らす。


「あぁ……」


解っていてくれた。言葉が無くとも繋がっていた。子供達との強い絆。


アイリスの身体は小刻みに揺れ始め、その瞳から大粒の涙が溢れだす。


「モンタン……」


アイリスは感極まった表情でモンタンに寄り添うと、その顔を近距離から覗きこむ。


だがそれは粗末な防護服で患者と接するには、あまりにも危険で、してはいけない行為。



それは一瞬の出来事だった……


モンタンが咳き込んだ時に飛散する唾液。その唾液がアイリスの目尻に付着する。


顔を近づけ過ぎた為、防護服の中で唯一露出した目の部分に直撃した。


「ハッ!!」


アイリスは急いで隔離部屋を出ると、水場で目の消毒をする。


「くっ! 気をつけていたつもりなのに」










本堂の正面入り口から広がる大きな礼拝堂。

長椅子が並んだだけの寂しいチャペルは御神体ごしんたいも既に取り外され、壁一面を覆う美しいステンドグラスも、どこか色あせて見える。


そんな寂れた元礼拝堂にアイリスの姿があった。先頭の長椅子に腰掛け、ソフィアとドレファスがアイリスを挟む形で両隣に座っている。


「……ごめんなさい、アイリス。わたくしがついていながら」


「やめてよ、ソフィア。自分の不注意なんだから、ソフィアは悪くないよ」


接触感染率百パーセント。逃げ出しようの無い現実がアイリス逹を襲う。


「ソフィア、発症までどれ位だっけ」


「……三時間前後です。本当にごめんなさい、アイリス……」


「だからやめてってば。最初はどんな症状が出るの?」


「腕や体に赤紫の斑点が出てきます。発熱も」


「魔法で進行を遅らせたら、どれ位もつのかな」


「約一年…… ごめんなさい。本当にごめんなさい」


「もう、いい加減にしてよね。ソフィアは悪くないんだから」


涙をにじませうつむくソフィアに対し、これまで腕を組みながら目を閉じ黙って聞いていたドレファスが、アイリスを見据えながら立ち上がる。


「アイリス、お主は誰よりも勇敢だ。私はお主に会えたこと一生涯の誇りと思っている。私の子々孫々、お主の精神は伝えていきたい」


「重い! 相変わらず重いよドレファス。

ってか、既婚者だったの」


「子供もいるぞ」


「うわ~奥さん大変そぅ。ドレファスに、これどっちがいい? なんて可愛く聞いても、右だ。とか左だ。とかしか言わないんでしょ。ユーモアもうるおいもないわ」


「ほっとけ」


二人が笑い合っていると、つられたソフィアにも笑みが漏れる。



「フフフ、さて少し一人になろうかな」


アイリスが笑いながら、そう言うとドレファスは深くうなずいた。


「そうか、そうだな。姫様参りましょう」


「え、ええ。わかりました」


ドレファスがソフィアを促し二人で聖堂から出て行くと、アイリスはゆっくりと目を閉じ、長椅子の背もたれに寄りかかる。



 


 迫り来る絶望を前に落ち着いた様子は、二度目だからこその余裕か、指先一つ震えていない。


「会いたいな…… ミカエル」


心の壁はソフィアやドレファス、愛くるしい子供逹によって瓦解し、徐々に取り除かれていった。皆それぞれに愛おしく家族の様な存在になっている。それでも


「王女様のピンチよ。早く飛んで来なさいよバカ……」


アイリスの目から一筋の涙が流れ出る。二度目の最後を悟った時、恐怖より絶望より大切な仲間逹よりも、愛する男への想いが先頭に立つ。


「せっかくミカエルがくれた命なのに。ごめんね」


だがアイリスに後悔はない。ここで皆に会えた事が、どれだけ救いになったことか。守り守られる存在が、生きる力にどれほど必要か……


人がこの世に存在してもいい価値、善意の源ともいえるその総てを、ここで教えてもらったのだから……





そして、三時間が経過する……



ソフィアとドレファスはアイリスを見守っていた。不安に満ちたその表情は、気丈なアイリスを刺激する。


「二人でそんな顔しないでよ。いつものとぼけた姫と無愛想な騎士でいて」


その言葉に、ソフィアとドレファスは互いに顔を突き合わせると


「わたくしはいつでも真剣です」


「私はいつもニコやかだ」



アイリスにはまだ発症の気配はない……



四時間後……


「……」


五時間後……


「……」


六時間後……


「モンタンは平気?」


「わたくしの見たところでは、峠は越したようです」


「そう、良かった♪」



控えていたドレファスは不可思議な目でアイリスを凝視すると、我慢出来なくなったのか、突然声を張る。


「どうなっているんだアイリス!? 何故発症しないんだ!」


「そんなこと言われても……」


アイリスは発症せず元気なままだった。その兆候すら垣間見えない。


「……う~む、モンタンに触れてしまったと勘違いしたのであろう。神経を使う仕事だけに過敏になるのも無理はない」



長い緊張が緩和され、いつもの落ち着きを取り戻した時、それは唐突にやって来た。



突然の轟音と共に激しい揺れが本堂を襲う。


「なんだ! 地震! いや、二人は早く子供逹の所へ!」


ドレファスが降りしきる雨の中、急いで外へ飛び出すと、アイリスとソフィアは防護服を着ける間もなく隔離部屋へと走る。


揺れは一瞬の内に強さを増して行き、窓ガラスが割れる程の衝撃を本堂に浴びせる。ソフィアが足を取られ、その場に転倒すると支えようとしたアイリスもまた転倒する。


「川の氾濫だ! 溢水いっすいして濁流が来る。子供逹を連れて早く逃げろ!」


割られた窓口からドレファスが叫ぶ。


「氾濫! まさかっ」


アイリスとソフィアはお互いを支え合いながら立ち上がると、おぼつかない足どりで何とか前進する。


「ソフィアは子供逹の所へ先に行って! 私はドレファスを見てから行くわ!」


「わかりました」


アイリスは廊下の窓から外へ飛び出すと、ドレファスの元に走る。



破壊の波は、もう目の前まで来ていた……



降り続ける豪雨が作り出したものは、濁流の域を超え、視界に入るもの全てを飲み込む津波のような勢いを見せる。


「あぁ、こんなの…… もうダメ間に合わない……」


絶望の表情を作るアイリスは、数十秒後には自分もろとも全てを飲み込んで行くだろう大濁流を前に、ただ呆然と立ち尽くした。



「諦めるな!」


アイリスの正面に立つドレファスは向かい来る大濁流を見据えながら己の全魔力を溜め始める。


「アイリス! 私が時間を稼ぐ! その間に早く子供逹を!」


「バカ言わないで! こんなの人間にどうにか出来る訳ないでしょ!」


既に諦めを見せるアイリスに対し、魔力を限界まで高めているドレファスは、大濁流を見据えたまま叫ぶ。


「アイリス! 人を、人間の生命力を見くびるな!」


ドレファスの体に己の命とも言える全魔力が

集中する。




「私は騎士! 姫と力無き者を守る盾! 行くぞ! --------バリアァァァ!!」


ドレファスの体が白色光はくしょくこうの幕で覆われ、轟音と共に荒れ狂う濁流と激突する。




「う、嘘……」


アイリスは奇跡を見る。


無力な人間が大自然の猛威を退けていた。聖書にある「十戒」 を思わせる光景。


ドレファスの体を中心に濁流が二手に割れ、本堂である建物を避ける様に水が流れて行く。


「人間にこんな魔力あるわけ…… ミカエル、いえ、ミカエル以上だわ!」


目を見開き、立ち尽くすアイリスにドレファスが再び叫ぶ。


「行けぇアイリス! シェルターだ! あそこで身を隠せ!」


「 わっ、わかったわ! ドレファスも絶対に来てね!」


我に返ったアイリスは再び子供逹の元へと走り出した。


前を見据え濁流と対峙するドレファスは、歯を食いしばり全力を出しながら呟く。


「アイリス。姫と、姫と子供逹を頼んだぞ……」





アイリスが窓口から再び中へ入ると、二人の子供を抱えたソフィアと鉢合わせする。


「ソフィア! あなた!」


防護服も手袋もしていなかった。


愕然とするアイリスに、意思の強いハッキリとした声でソフィアは進言する。


「いいんです。アイリスはシェルターに避難して下さい。後の二人も私が……」


ソフィアの言葉を聞き終わる前にアイリスは隔離部屋へと走り出す。


「アイリス!」


アイリスは隔離部屋から残った二人を抱えると、急いで飛び出しソフィアのもとへと戻る。


「アイリス! あなたまで」


「時間がないわ! 走ってソフィア!」


二人は子供逹を抱え、息を乱しながら必死で走った。大濁流が奏でる破壊の爆音メロディに怯えながら、一切振り向かず懸命に走る。


「ハァハァ…… もう少しよ、頑張って」


なんとかシェルターにたどり着くと、大濁流が轟音と共に本堂を飲み込んでいた。


「早く入ってソフィア!」


アイリスはソフィアを先に行かせると、

一瞬ためらいを見せる。


「ドレファス……」


迫り来る大濁流を前に苦痛の表情を浮かべるアイリスは、子供達を抱えたままシェルターに入ると、内側から蓋状ふたじょうの扉を閉めた。






数日ぶりの太陽が街を照らしている。

先程までの騒々しさが嘘のようにおさまり、穏やかな静けさが辺り一帯を支配していた。


シェルターの中で難を逃れたアイリス達は、大濁流が過ぎ去った後、本堂のあった場所でガレキの整理をしている。


この元教会だけでなく、視界に入る建物は全て

倒壊し流されていた。遠くまで見渡せる景色が惨事の大きさを示している。



「……ソフィア」


子供逹をそのままシェルター内に残し、アイリスとソフィアで片付けをしていた。しかしソフィアは動かない…… いや、動けない。


第一王女として常に冷静を保ち、どんな時も

激情を表す事の無かったソフィアが、瓦礫がれきに埋もれ泣き崩れている。



……ドレファスは戻らなかった。



誇り高き騎士の名を呼びながら、延々と泣き崩れるソフィアをアイリスはただ黙って見守っていた。






そして半日が過ぎた頃……


ソフィアは発症していた。






住む場所を流されながらも、生き残った者達は感染者と非感染者に分けられ城に保護されていた。


逃げ出した貴族と違い、城に残った者達は皆優秀で少数精鋭といった感がある。その手際の良さで避難民はある程度の不自由はあるものの快適に過ごせていた。



感染者側の部屋にアイリスとソフィアの姿がある。ソフィアは第一王女としての身分を隠さず、姫として皆と共に生活していた。


ソフィアは感染者にとって、女神の様な存在であり、その前向きな姿勢は希望という光を思い抱かせるには充分であった。


「アイリス、わたくしは後悔などしていませんわ。例え命を失おうとも、その時はドレファスに謝りに行けますしね。ふふ」


「バカ言わないでソフィア。あなた、ここにいる人達の顔を見て何も感じないの。あなたは死んではいけない人なのよ」


「わたくしは、そんな大層な人間ではありませんよ。弱くて、大事な人も守れない……」


アイリスはうつむくソフィアの両肩をがっちり掴むと、真剣な眼差しを向ける。


「聞いてソフィア。私がこの悪夢を終わらせるわ。だからあなたにも一つお願いがあるの」


「……どういうことですの? 何を言っているのアイリス」


「いいから、私を信じて…… そして願いを聞いてソフィア」


「あなたを信じなかった事は一度もありませんよ。わかりました。信じます。それで願いとは」


「伝えて欲しいの真実を。エズミの大虐殺の本当の理由を」


アイリスの真剣な表情にソフィアは驚いた様子で目を丸くする。


「本当の理由? あなたは一体…… 誰なんですか?」


「取り引き成立ね。一週間待ってて、必ず疫病を、ウランを根絶させてみせるわ」





アイリスは王国を抜け出すと、ミカエルの待つ城に向かった。不眠不休のまま城に戻ると、ふらつきながらミカエルの部屋へと直行する。


「ただいまミカエル」


出発した時と同じ様子で、安らかに眠るミカエル。その穏やかな表情を見つめていたアイリスは、張っていた気が緩んだのか、ミカエルの胸に顔を埋め眠ってしまう。




……


「あっ! しまった。急がなきゃ」


幾分スッキリとした表情で目覚めると、研究室へ向かい医療に関する資料を漁り始めた。


「やっぱり凄いわね。唯一無二(ゆいいつむに)の天才だわ」


人には到達出来ない境地にミカエルは立っている事を、研究資料から思い知らされた様で、何度も驚嘆の声を上げていた。




「私が感染しなかった理由。多分それは転生魔法。ミカエルの力が転生魔法によって私に影響を及ぼした……」


アイリスは大きなカバンを用意すると医療用器具を雑多に詰め込んでいく。


「ミカエルの体質。ケガも早く治り、病気にもかからない。ミカエルの血は抗体など作らなくても、あらゆる病原体に討ち勝つ程強い」


アイリスはカバンを持ち研究室を出ると、ミカエルの部屋へ戻る。


「影響を受けたぐらいの私の血じゃダメ。オリジナルのミカエルの血でないと。ミカエルの血で血清を作れば必ず討ち勝てる。凶悪な疫病ウランに!」



アイリスはミカエルの前に立つと苦悶の表情で、その顔を見つめている。


「ごめんなさいミカエル…… あなたは私を許さないかも知れない。あなたの血で、あなたの嫌いな人間を救おうとしている。でも……」


アイリスの瞳から大粒の涙が流れ出す。


「救いたいの。ソフィアを救ってあげたいの。尊いものに自分の身を犠牲に出来る人だっていたのよミカエル! だからお願い……」


アイリスは注射器を取り出し、ミカエルの腕から血液を採取する。


「ごめんなさい、ごめんなさいミカエル…… でも私は成長出来たの。あの二人のおかげで人を許せたのよ」



採取が終わると、空いた寝台の上に鞄を乗せ、中から小型の魔法器具と試験管を数本取り出した。


「ふぅ……」


アイリスは大きな息を一つ入れ、両手で自らの頬を二度、三度叩く。


「迷ってる場合じゃない。やるのよ私」


言い聞かせるように呟くアイリスは、資料を確認しながら、たどたどしく作業を開始する。


「ここに設置すればいいのね……」


家庭で使う、かき氷機のような魔法器具に、

試験管を三本並べて嵌め込んだ。



「なになに…… 培養、凝固、分離を全てこれ一台でこなして………… えーい、やった方が早い」


アイリスはミカエルの血液を三本並んだ真ん中の試験管に一滴だけ垂らした。


「そんでもって、動力を注ぐわけね……」


かき氷機の天辺(てっぺん)に付いている球状の出っ張りにアイリスは両手を重ねて置くと、魔力を流し始める。




「のわっ! 動き出した」


低い機械音と共に、かき氷機は作動する。


(ビー、ビー、ビー)


魔力を流した球状の出っ張りが青く光ると、一滴だけ垂らした試験管が血液で一杯になる。


「増えた!」


更に球状の出っ張りが緑色に光ると、一杯に溜まった血液が凝固する。


「固まった!」


はたまた球状の出っ張りが赤く光ると、固まった血液が消え、左右の試験管に分離する。


「分かれた!」


真ん中の試験管に垂らした血液は消えて無くなり、赤と黄色の物質になって、右と左の試験管にそれぞれ分離した。



アイリスは黄色い液体の入った左の試験管を取り出すと、まじまじと見つめる。



「出来た。これが血清ね! 簡単じゃない」


満面の笑みをもらすアイリス。


効果が不明である試作品のため、一本作れば良い所であったが……



「これ、おもしろ~い♪」


玩具を手にした子供のようにアイリスは、自身の魔力が枯渇こかつするまで作り続けた……



「ゼハァゼハァ…… バカなの、私バカなの?」


二十本近い血清とミカエルの血液を保存用のケースに収めると、かき氷機と共に鞄に入れる。



「ふぅ。待っててね、ソフィア……」



アイリスは身仕度を整えると、安らかに眠る

ミカエルの前に行き 、いつもの様に寄り添いながら、その顔を見つめている。


「ミカエル私を許して。そしてお願い。

ソフィアを、子供達を助けてあげて。ドレファスの命をかけた願いを叶えてあげて……」


ミカエルの額に唇を重ねると、アイリスは立ち上がる。


「行って来るよミカエル…… いつもわがままばかりでごめんね」




再び王国へと出発したアイリスは、行きと同じく不眠不休の強行軍の中、ソフィアの待つ城に到着した。



「おかえりなさい。アイリス」



魔法医師団に囲まれたソフィアがアイリスを出迎える。ソフィアの腕や首筋には赤紫の斑点が

色濃く浮きあがり、その顔色は血の気を失ったように青く染まっていた。


「ちょっとソフィア! 大丈夫なの」


心配顔のアイリスに無理に作った笑顔を返すソフィア。防護服を着た医師団の一人がソフィアをその場に座らせる。


「姫様はあなたの帰りを意識を保ったまま迎えたいと、機能低下治療を拒否していたんです」


地べたに腰をつけたソフィアは、余程の無理をしていたのか、目の焦点も定まらず息を荒げている。


アイリスはソフィアの前にしゃがみ込むと、その顔を険しい顔で見つめる。


「バカ! 私が帰って来れなかったら、どうするつもりだったのよ!」


ソフィアは虚ろげながらもハッキリとした

言葉で答える。


「それはありませんわ。わたくしは信じておりました。アイリスは必ず戻って来ると……」


ソフィアの顔を涙ぐみながら見つめるアイリスは、持ってきた鞄から保存ケースを取り出すと魔法医師団の前に差し出した。



「これは、あらゆる病に効く抗血清よ。試作品二十本も含め、血清の取れるオリジナルの血液も入っているわ」


「なんだって!?」


魔法医師団がざわめき始める。


「そんなバカな」 「ありえないぞ……」



喧騒の中、医師団から当然の質問がアイリスに放たれる。ウランに討ち勝つほどの抗体を持った血液は一体誰のものなのか……



アイリスは険しい表情のまま医師団を見据えると、ハッキリとした口調で答える。



「あなた達が魔王と呼ぶ人間の血よ」


「えっ!?」



「いいえ、彼は魔王なんかじゃない。彼の名はミカエル。私やあなた達よりも崇高な魂を持った聖人よ」



困惑しつつも、静まりかえる一同をよそに、アイリスは涙を溜め、身体を震わせながら力強く訴える。


「私達人間が忌み嫌い、迫害し、闇に追い込んだ彼は、誰よりも強く、賢く、思慮深く優しいの。そんな彼が魔法の次に私達バカな人間に与えてくれるのは、命よっ!」


「……」


「私自身、あなた達人間を救う気なんて、まるで無かった…… だから感謝しなさい。あなた達の姫君とその従者である騎士に!」



沈黙の続く中、ソフィアは驚いた表情でアイリスを見つめている。


「アイリス…… あなた……」



「ソフィア…… この抗血清、実はまだ使ったことが無いの。だからどんな副作用があるか分からない。もしかしたら新たな血清病を生み出してしまうかも知れない……」



危険な代物を前に再び医師団がざわつき始める。


「残念だが、その話を信じるわけにはいかないんだ。そんな得体の知れないものを使うわけにはいかない」


当然ともいえる反応にアイリスは返す言葉も見つからないのか、押し黙ったまま立ち尽くしている。



場に不穏な停滞感が流れ、再び沈黙の時が訪れる。


そんな空気の中、ソフィアは保存ケースを開けると、血清の入った試験管を一本取り出した。



「わたくしに使って下さい」


「姫様!」


「わたくしはアイリスを信じます。わたくしの体で試して下さい」


「いけません! あまりにも危険過ぎます」


「ウランは国の起こした人災です。王女であるわたくしが責任を取るのは当然でしょう。

これ以上、犠牲者を増やしてはなりません」


「し、しかし……」


「第一王女として命じます。わたくしで血清を試し、その安全性を見極めなさい。あなた達の大事な仕事ですよ」



ソフィアの意思は固く、周りの制止を振り切ると城内にある自室に向かいベッドの上に腰をおろす。


「さあ。私に使って下さい」


息も絶え絶え虚ろな表情のままソフィアは腕を差し出す。戸惑いながらも医師の一人が血清を注射器に移すと、ソフィアの腕にゆっくりと注入した。



「……ふぅ」


アイリス以下数名の魔法医師は、ベッドの周りを囲みソフィアの様子を息を飲んで見守っている。


「……どう? ソフィア。どんな感じ?」


かけられた言葉に反応したソフィアは顔を少し上げるとアイリスの目をじっと見つめる。


「あら……」


直後にそう一言呟くと突然目を閉じ、大の字でベッドの上に倒れ込んだ。


「ソフィアっ!」


アイリスは慌てて身を乗り出すと、ソフィアを心配そうに覗きこむ。


「う、嘘でしょソフィア……」


医師の面々もソフィアの突然の変化に驚きを隠せない様子で、絶句したまま真っ青な顔で立ちすくんでいる。


そんな中、ソフィアを凝視していたアイリスは何かに気づく。


「あ、あれ? これってまさか……」





「……グゴー、グゴー、グガー……」


ソフィアはいびきをかいて眠っていた。



「何これ……」


呆けにとられるアイリスを見て、魔法医師達が表情を崩して笑いはじめる。


「眠るにも体力がいりますからね。ここ数日、

姫様はうなされるばかりで、まともな睡眠も

とれていなかった様ですし……」


「だからって、このタイミングで普通寝る?」


「眠れる体力が戻ったと言うことですよ。姫様をよく見て下さい」


ソフィアの腕や首筋にあった斑点が、綺麗に無くなっている。それと同時に色の無かった顔にも徐々に赤みが戻っていた。



「効いたのね!」


「はい。今のところは成功と言えるでしょう」



アイリスは細かい検査などを医師団に任せると

部屋を一人出ていく。元々住んでいた城だけに地理には明るく、人気のない庭に出ると膝を折って号泣する。



「良かった。本当に良かった。ありがとうミカエル……」






そして一週間が過ぎる……



ソフィアは完全に回復していた。


体に異常は見当たらず、現在は副作用も出ていない。体調も以前と何ら変わりなく、感染者施設で元気に働いている。


一方アイリスはウラン撲滅の功労者として、城に仕える事を勧められるが、それを断り帰り支度を始めていた。


ソフィアから執拗に引きとめられるも、アイリスの気持ちが動く事はなかった。


城の正門前に荷物を抱えたアイリスと、白衣を着たソフィアが向かい合っている。




「本当にありがとうアイリス。ミカエル様の血液は魔法培養され、血清はどんどん量産されていますわ」


「うん」


「量産{ようさん}取れてまっせ~」


「……」


「姫さまジョークです。家臣達も笑い転げているでしょう」


「やっぱり変な人……」


「あなた程ではありませんよ。王国第四王女殿」


「えっ!?」


「エズミの真実を聞いた時、そう思いましたわ。あなたは王女なのですね」


「……どうかしらね」


「愛しているのですね。ミカエル様を」


「ふん、いっちょまえに小娘が」



二人は笑い合い、そして別れの時が来る……



「モンタン達にもよろしくね」


「はい。ずっと泣いていましたけどね」


「やめてよ。後ろ髪引くのは卑怯よ」


「ふふふ、そうですね…… 必ず伝えていきます。エズミの真実を」


「ええ、任せたわ。ソフィア…… この国をお願いね」


「はい。叔母さま」


「おば…… まあ、そうだけど」




こうして二人は、惜しみつつも別れを遂げる。

アイリスは王国の未来をソフィアに託し、晴れやかな表情で城を後にした。










ミカエルの城に戻ったアイリスは、早々に研究を開始していた。


研究室に籠ったまま、ミカエルの学者精神が乗り移ったかのように、熱中して作業を続けている。


そのきっかけはドレファス。ミカエルの魔力をもって初めて扱える転生魔法。しかし、ドレファスがあの時発揮した力はミカエルを凌駕りょうがする程の魔力であった。


あの力が発揮出来るならば、普通の人間にも転生魔法が使えるかも知れないと、アイリスは考えているようだ。


「あれは思いの力。愛する者を命をかけて守りたいと思った時に発揮した力」


アイリスはミカエルとの再会を信じ、転生魔法の研究を引き継いだ。そしてもし転生魔法が使えるならば、もう一つ研究しなければならない事もあった。



「これがうまくいけば共存も夢じゃないわ」


それはミカエルの食料事情。現状人の肉しか食べられない体質は、転生魔法によって多少の改善が成されるかも知れないとアイリスは考えている。


アイリスが転生魔法によって、ミカエルの体質の影響を受けたのだから、その逆もありえるはず。


アイリスの体質がミカエルに影響を与えれば、人以外の物を食べられるかも知れない。

その絶体条件が


アイリスが転生魔法を使える様になること。


アイリスの転生魔法によりミカエルを蘇らせる事である。


アイリスは同時に研究を進めていくが、当然成功への壁は厚く突破することは難しい。困難な研究に行き詰まりを感じると、いつもあの場所へと足を向けていた。




「ん~、いい匂い」


中庭にある花畑は見事に返り咲いていた。


一度は枯れ果て、見るも無残な状態であった花の園は、アイリスの丹念な手入れにより、見事に再生していた。


「二人でデートするの約束してたのになぁ」


アイリスはその場に腰を下ろすと、暖かい陽射しを浴びながら、花に埋もれ眠っていた。







 そして、六十年の月日が流れた……


アイリスもまた研究に全てを費やしてきた。

不完全ながらも、ミカエルと同じ転生魔法を使えるまでにはなったが、どうしてもその代償として命が必要になってしまう。


結局、自分の命と引き換えなければならなかった。日に日に増していくミカエルへの想いは、再会という夢を果たせぬまま、頓挫とんざする。


無念を抱きつつも、アイリスはミカエルの前に立ち、優しい笑顔でその顔を見つめていた。


よわいがいくつを越えようと、いとしい想いはあり続け、アイリスの胸を焦がし尽くす。


「ミカエル……」


アイリスの寿命も尽きようとしていた。



「ミカエル、魔力の源は生命力だけじゃないの。あなたが失った感情の中にも多く含まれているのよ。あなたが感情を取り戻せば、元々の魔力と相まって、莫大な魔力を得ることが出来るはず。そうすれば完全な蘇生魔法が使える」


アイリスの身体がふらふら揺れ始めると、ミカエルの眠る寝台に寄りかかる。


「ミカエル…… 人間を許して…… そして感情を取り戻すの。あなたになら出来る。私に出来たんだ…… から……」


アイリスは寝台の下に倒れると、ゆっくりと瞳を閉じていく……


「会いたいよ。ミカ…… エル」



アイリスの身体から光のエネルギーが飛び出すと、一瞬の閃光と共にミカエルに宿る。





「転生」





アイリスは死を迎え、ミカエルは蘇った……






…………


……


「……うっ」


ミカエルは覚醒すると、数秒の内に何が起こったのかを理解する。唯一理解不能だったのが


「体が…… 縮んだのか」


推定十三歳程の少年になっていた。


寝台を降り、倒れ込む老婆を抱えると、愛おしそうに髪を撫でる。


「まさか、アイリスが転生魔法を使えるとは」



アイリスを寝台に寝かせると、その手にリンゴの様な物を握っていることに気付き、それをそっと剥がす。


「これは?」


赤黒く球状で硬球ボール程の大きさがあり、何かの実であることは間違いなさそうだ。それを手の上で転がしていると、ミカエルは驚く様な行動を取る。


口に運んだのだ。何故そうしようと思ったのかは解らない。人以外の物を口に入れても、すぐに吐き出してしまうことは過去の経験から承知しているはず。


葛藤から何度も試した行為を今、自然に行おうとしていた。


赤黒リンゴ本体からスプーン一杯分程の量を噛み剥がすと、ゆっくりと咀嚼そしゃくする。初めて味わうであろう食感にその表情は不安気だ。


数十回の咀嚼の後、飲み込む……


喉を通り胃に納まるまでの間ミカエルは緊張した面持ちを崩さない。吸収を感覚で捉えたのか、数秒後には身体の力も抜けたようで肩が一段下がった。


ミカエルはアイリスの横に立ち、その顔を不思議そうに見つめる。


「どうやってこんなものを……」



急ぎ足で研究室に向かい、ドアを開けると


「やってくれたな。アイリス」


美しく清潔な室内。花の香りがただよい魔法器具は理路整然りろせいぜんと置かれオブジェの様に並んでいる。研究室というよりも、ちょっとした美術館の体を成していた。


仏頂面ぶっちょうづらを作りながらもミカエルは、アイリスの研究資料を読み始める。ジャンル分けされ、綺麗にまとめられた書類の山。


ミカエルはどこか落ち着かない様子で読み進めた。


「アイリスは十六歳程で転生したのか。私が十二歳程度だとすると、転生魔法を使う術者の魔力が関係しているのか……」


更に読み進めていると、どんどんと表情が険しくなっていく。


「生命力以外にも、私の無くした感情の中に魔力エネルギーがあるというのか? 一体どの感情だと言うのだ」


理解の出来ぬ問いに苛立ちを見せるミカエル。

気分を変えるためか、机の端に置いてあるアイリスの手記に手を伸ばす。


手記をめくると一枚目には手書きでメッセージが書かれていた。


(また色々やらかしちゃった。わがままばかりでごめんね)


「慣れているよ……」


寂しそうに小さく呟いた。


ミカエルはアイリスの手記をいとおしそうに読み始める。


噛み締めるように読むその姿は、アイリスの感情を必死に理解しようとしているようだった。


「人は難しい……」


しかし、あるページをめくった時にミカエルの動きが止まる。



「なっ、なんだと! 私の血を人間ごときのために!」



ミカエルは立ち上がると、目を見開き小刻みに身を震わせた。それは醜く汚らわしいものに触れられた様な所作(しょさ)を思わせる。


「何故だ、何故なんだアイリス…… 君は同族からあんな仕打ちを。私以上に憎んでいいはずなのに何故だ」


ミカエルは城中をうろつき始める。アイリスの数ある奇行の中でも、飛びっきりを思わせる行為にミカエルは居ても立っても居られなかった。


困惑したまま歩き続けると、アイリスの作った花畑で足は止まる。色とりどりの花が咲き乱れ、蝶が舞い、鳥が鳴く花の園でミカエルは花の匂いをまとった優しい風にあおられる。


「これは美しいものなのか…… 綺麗と感じるものなのか…… 解らない」



ミカエルはアイリスの眠る部屋へ行くと、何も言わず、ただアイリスの顔をじっと見つめていた。





ミカエルもまた研究の日々を送る。


口に出来る食べ物が自城の畑で獲れるため、完全に引き籠って没頭した。


あのリンゴの様な物は、血清を作った時の副産物らしく、アイリスとミカエルの遺伝子を特殊な魔法精製技術でリンゴに組み込んだ物らしい。



その名を「エルの実」


アイリスの転生魔法により、人間の体質を多少受け継いだミカエルが唯一、人以外で食べられる物であった。


エルの実と体質変化。この二つが合わさったからこそ、ミカエルは新たな食糧を得ることが出来た。共にアイリスが起こした奇跡であり、大手柄であることには間違いない。



「これで共存への道が開けたとでも言いたいのかアイリス。人間との共存など私にはもう考えられない」


エズミの大虐殺は、きっかけに過ぎず、積み重なってきたものがある以上、根は深い。



アイリスの部屋で過ごす時間が増えていく。研究はなかなか進まず、行き詰まる事も多い。そんな時は、いつもアイリスを眺めていた。


「私は人も共存もどうでもいいんだ…… 君が居てくれれば」



進まぬ研究を続け、二十年が過ぎようとしていた……


城は廃墟の様に荒れ、研究室も散乱し、花畑も枯れ果てていた。ミカエルはいつもの様にアイリスを眺めている。


三十前後の大人になったミカエルは一度も外出すること無く、研究だけに全てを費やしていた。



そんなミカエルは結論に達していた。


蘇生魔法に関する結論。それは…

(命の代償無しには蘇生は不可能)

というものだった。


「魂の回帰には魔力の大きさだけじゃダメなんだアイリス……」


この世の頂点にいる者の結論。蘇生魔法は存在出来ない。存在出来るのは転生魔法まで。


非情な現実を前に眠りにつくアイリスを険しい顔で見つめるミカエル。その表情には覚悟にも似た冷たさがうかがえる。


「私は決めたぞ。君はこれをやったら私から離れて行くだろう。だがもうそれで構わない」



ミカエルはアイリスの額にそっと手の平を重ねる。


「私の望みは君に生きて再会すること。それだけなんだ。それ以外の事など、どうでもいいんだ」


額に重ねた手の平が闇色に染まる……


「人間のアイリスが転生魔法を使えたなら」


闇色がミカエルの体を徐々に浸食していく……


「他の人間共にも使えるはず。ならば」



全身が闇色に包まれ、ミカエルの身体が漆黒の魔力に覆われた。


「生け贄になってもらう。私の代わりに転生魔法をアイリスにかけさせればいい。死と引き換えにな……

忘れていた、私は魔王。人間共の畏怖の象徴。邪魔する者は皆殺しにしてくれよう」



「魔王復活」



魔王は転生魔法を使えるだけの、強い魔力の持ち主を捜し始めるが、それは意外な程すぐに見つかった。


「ほう、これだけの内包量があれば充分だ」



不適に笑う魔王は、生け贄となる 女性 を拐いに夜の闇へと消えて行った……





後編へ続く……

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