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前編


わたしは人であって人でない……

多少の才はあるものの、人の男と見た目も変わらずしゃっくりもすれば寝言だって言う。


しかし人とは相成れない。私は人を食べるから…… 人以外は食べられないから。


生まれ持った特異な体質は、人の肉からでしか栄養を摂取出来ない。私にとって肉や野菜が人であり、デザートが人なのだ。





それでも私は人として、ただ生きていきたかった。


生を保つ最低限の食に頼る私を、飽食の限りを尽くす人が悪魔と呼ぶ。


争いを避けるため墓場の死人から食を得る私を、生きる以上に殺す人が鬼と言う。


同族を糧にする行為は何よりも重たい罪なのだ。いや、私は同族とすら思われていないのだろう……


ゆえに私は独りきり。どんな時でも独りきり。孤独に満ちた葛藤の日々を私は才を活かすことのみに使ってきた。


体質のためか身体は異常に丈夫でケガの治りも早く、病気などにもかからない。この膨大な生命力を新たな力に変換すべく私は研究に研究を重ね、いつしかそのすべを身につけていた。



生命力から生まれる新たな力を魔力、魔力の行使により起こる現象は魔法と呼ばれている。


名付け親は人。私の生み出した力はいつの間にやら伝染し、気づけば人も扱うようになっていた。今では生活に当たり前のように密着し、私の知らない魔法まであるようだ。


人は面白い。忌み嫌う存在の知恵さえも養分として吸収する。必要以上食べぬ私には理解しがたく、だからこそ興味をそそられる。


貪欲なまでの探究心、人の心自体に憧れのようなものを持っていたのかも知れない。


あの時までは……










大きな大陸と大陸の間に小さな島があった。

自然に囲まれ、人の気配も感じられない未開の孤島。その突端には島に見合った小振りな城がひっそりとたたずんでいる。


そんな捨てられたような島に、仰々(ぎょうぎょう)しく武装した一組の男女が粗末な小舟で上陸する。険しい表情で城を指差す二人組は、互いの顔を見合わせると、無言のままゆっくりと城へ向かって歩き出した。


重鎧の男を先頭にローブ姿の女が後に続く。険しくも緊張した面持(おもも)ちを並べながら城の目前まで到着すると、足を止め大きな深呼吸をする。


「覚悟はよろしいですか」


「ええ、行きましょう」


城は荒れ果てていた。外壁を無数のツタがいまわり、かろうじて出入り出来る城門以外は緑の壁に覆われている。


二人組は真っ直ぐ門をくぐると、そのまま城内に足を踏み入れた。彫像品も絵画も絨毯じゅうたんさえ敷いてない何も無い大広間。目の前の大階段にはほこりが溜まり隅には蜘蛛の巣まで張っている。


二人は顔を見合わせ、互いに表情を曇ら

せると、男が小さく呟く。


「こんなところに奴はいるのか……」





「いるよ」


大階段中央に突然現れた黒マントの男が、腕を組みながらそう返事をすると、二人組は何が起こったのか理解しがたい様子でほうけにとられ固まっていた。


黒マントは悠々と二人を見据えている。


二十代後半であろうか、黒装こくそうに漆黒のマントを羽織ったワイルドな出で立ちとは相反し、中性的な美しい顔立ちにどこか品のある立ち居振る舞いは一級貴族を思わせる。


「今月は君達で三組目だよ」


黒マントが薄く笑いながら呟くと、我にかえった鎧の男は震える手で剣を抜き、高ぶった声をあげる。


「きっ貴様が食人鬼だな! 我は王国騎士団の剣士! 義によって成敗してくれる!」


突然口上をあげたかと思えば、問答無用とばかりに黒マントめがけ走り出す。なかばヤケクソとも思われる猪の如き突進は、黒マントの呆れ顔を充分に誘い出した。


「ふぅ」


溜め息と同時にそのしなやかな腕をゆっくりと上げた黒マントは、向かい来る男に手の甲をかざすと親指と中指の腹を合わせ弾く。

パチッ!


直後、激しい爆音と共に男の握っていた剣が粉々に砕け散る。その爆風は凄まじく男は女のいる位置まで吹き飛ばされた。


「ひ ひぃ」


およそ騎士団とは思えぬ声を発すると女の顔を一瞥いちべつし、逃げるように外へ飛び出して行く。黒マントは追撃する気も無いのか、その様子を腕を組みながら黙って見つめていた。


相方の逃亡という絶望的な状況にも、何故か女の反応は薄く棒立ちのまま黒マントを見つめている。いや、見とれていたが正しいか、女は蒸気した惚け顔で黒マントをボーっと眺めていた。


「あ、えっと、君も一緒に行かなくていいのかい」


何のアクションも起こさない女に黒マントは困り顔で語りかけると、女は正気に戻ったのか慌てた様子で身構える。


「わ、私は王国第四王女! アイリス バクスター! 覚悟しろ…… しなさい!」


たどたどしい自己紹介を済ませると王女は両の手の平を黒マントに向けながら短い詠唱を始めた。黒マントはその姿を見据えたまま余裕の表情で待機している。


詠唱を終えた王女が黒マントの体に連続の爆発を浴びせると派手な爆音が城中に鳴り響き、衝撃による震動であちこちに積もった埃が一斉に舞い上がる。


「やったか!」


全弾命中の期待からか思わず声をあげる王女であったが、そのもくろみはすぐについえる事となる。薄い光の膜で包まれた黒マントの全身はダメージはおろか髪の毛一本すらも揺らいでいない。


爆発前と何ら変わらぬ黒マントの姿に王女の表情から勢いが失われていく。


「はぁバリアも桁違いね…… まぁわかっていたけど。いいわ殺して食べなさい」


王女はローブのすそを乱暴にめくりあげると、その場にあぐらをかいて座り込み黒マントをにらみ付けた。



「ふぅ……」


食傷気味に息をく黒マントはゆっくり階段を降りていくと、王女の目の前まで行き同じようにあぐらをかいて座った。


「君達は本当に面白いな。勝手に殺しにきて勝手に殺してくれと頼む。相手の都合は関係なしかい」


「ふん、人食いの都合など……」


「それについての説明は省略しても構わないかな。ここへ来る人間にどれだけ話してもまるで話が通じないんだ。次から次に君のようなやからがやって来る」


「当たり前だ。人食いの意見など誰が聞くか」


「私は食べる為に進んで人を殺したりはしない。人間と争うつもりも毛頭ないんだがね」


聞く耳も持たない様子で王女は黒マントを睨み付けたまま微動だにしない。


「さあ早く殺して食べるといいわ。でも覚えておきなさい。必ず人間はあんたを倒す。その日を天国で楽しみに待ってるわ」


「天国? さっきの男も義によって成敗とか言ってたけど君達人間は正義なのかい」


「そうよ」


「生きる以上に殺し、意味もなく殺し合う君達が正義?」


「そうよ。あんたには辛いだろうけどこの世は

人の世だから」



「私だって人間だ!」


王女の放った乱暴なセリフに黒マントは怒声をあげる。人間がどれだけ醜悪であろうとも、この世界を支配している限り人間のルールに従い生きて行かねばならない。


黒マントは人間として生きる上で致命的なハンデを背負っている。共に生きて行くべき同族を己の糧にしなければならない悪魔的な矛盾ハンデ



黒マントは両拳を握りしめながら王女に背を向ける形で立ち上がると、自戒じかいのためか目を閉じ肩で一つ息を入れる。


「声をあげてすまない…… だが私には君達と争う気など最初からないんだ。だからもう国に帰りなさい」


突然の咆哮に一瞬たじろいだ王女であったが、黒マントの言葉がやっと耳に入ってきたのか、あぐらを解き足を組み直して正座をすると神妙な面持ちで呟いた。


「もう帰れないの。あなたを殺すか私が殺されなきゃ」


「何故?」


「聞いてたでしょ、私第四王女よ。しかも側室の子だし。四番目なんてただの厄介者だもの」


「口べらしのために、ここに送られて来たと」


「ハッキリ言うのね。でもまあそんなとこ」


「嫁に行けば何とかなるだろう。例え政略結婚でも」


「この不景気に、こんな性格の年増なんて誰が貰うのよ」


「……」


「早くそんなことないって否定しなさいよ」


「えっああ、年増ってまだ二十代そこそこだろうに。性格はわからないけど充分美しいのではないかな」


「えっ本当! 貴族ってロリコン多いのよ。二十歳越えたら、もうオバサンなんだから」


「それは偏見だと思うけど……」



いつの間にか二人は語り合っていた。似たような境遇に置かれた者同士の共鳴きょうめいか、互いに時間も目的も忘れ、ただただ話し込んでいた。







「ミカエル起きなさい! いつまで寝ているの」



陽も高く朝も大きく越えた時間に彼は目を覚ました。窓から漏れる強い陽射しに目を細めながら、声の主に朝の挨拶をする。


「おはよう アイリス」


「おはようって、今何時だと思ってるのまったく。すごい力持ってるからいっぱい寝ないとダメなのかしらね」


「そうかもね。それと名前で呼ぶの止めて欲しいんだが」


「どうしてよ。ミカエルなんて立派な名前じゃない」


「私には不釣り合いだろ。悪魔とさえ言われている男に大天使の名前なんて」


「いいえ。あなたにこそ、ふさわしい名前よ」


ミカエルの身の上話は壮絶だった。天涯孤独となった幼少の頃より、劣悪な環境の中をたった一人で生き抜いてきた。


今日こんにちに至るまで人間から受け続けたひどい仕打ちの数々は、アイリスの表情を歪ませ涙を誘う程の残酷なものであった。


アイリスは人間を代表する形でミカエルに頭を下げ続けた。


そんな殊勝なアイリスは……





「さっさとどいてほら、お布団干すんだから」


今は何故かこの城で暮らしている。誰に許可をとる訳でもなく割りと自然に。


凄まじいまでの順応力と生活力を発揮する事二週間、外壁のツタは取り除かれ、城内も隅々まで磨かれ、小振りながらも立派な城に生まれかわった。


「さあ! 今日もお掃除頑張っちゃうわよ」


少しだけ賑やかになった城内には入室を控えるよう言われた部屋が二つ存在する。だがそんな約束もアイリスの我慢は三日ともたない。


「うわグチャグチャ…… でもこれ勝手に掃除したら怒られるパターンよね」


一つ目の部屋は研究室。魔法に関する様々な資料が所かまわず散乱しており、見たこともない魔法器具が幾つも並んでいる。


「うちの研究所とそっくりね。まったく学者肌ってやつは……」


ブツブツ呟きながら部屋を出る。学者慣れしているようでこの場合は一切触らない事が正解らしく、何も手をつけずにもう一つの開かずの間へと向かった。


「さてさて、ここは何かなっと……」


両開きの扉に手をかけ、開けようとする。



「そこは冷蔵庫みたいなものだよ」


ミカエルがアイリスの後ろで腕を組み、壁に寄りかかりながら答えた。


「あらっ」


アイリスは扉から手を離すと、渋い表情でミカエルの顔を覗いた。


「まあ君の性格は理解出来たからね。よく三日も持ったほうだよ」


「むむ」


「そこはね、部屋全体が特殊な魔法陣で形成されていて、あらゆる物をそのままの状態で保存しておけるんだ………… 私の食糧とかもね」


「あっ! ああなるほど」


「入らなくて良かっただろ」



「……そうね」


ミカエルは複雑な顔をするアイリスを、真剣な眼差しで見つめた。


「私と親しく関わっても、そのわだかまりだけは絶対に無くならないよ。私自身が抱え続けている永遠の葛藤なんだから」


ミカエルの重い言葉にアイリスは何か納得のいかない表情を浮かべると、その瞳にはみるみると涙が溜まっていき今にも溢れ出しそうな勢いを見せる。高ぶりと共に紅潮した顔が更に赤身を増していく。


「何が永遠の葛藤よ! 格好つけちゃって。

わだかまりなんて無い! 食べるものが違うだけじゃない! あなたは誰よりも強くて優しい人! そんなあなたが私は、私は……」


こらえていた涙が溢れ出すとミカエルはアイリスに近づき、そっとそれを拭う。


「涙…… 私には解らない。泣いたことも、泣きかたすらも知らない私には君が何を感じているのか解らないんだ」


アイリスは涙顔を隠すように、うつむきながら体を震わせている。


「ただ、君の想いは伝わったよ。ありがとうアイリス」


こらえきれなくなったアイリスはミカエルの体にしがみつくと子供のように泣きじゃくった。


「わ、私。最初からずっと…… えぐっ、ずっと……」


「自分の出した言葉に自分の感情を乗せない方がいい。涙が止まらないよ」


「えぐっ、何それ。これだから学者肌は」



二人は抱きしめ合いながら笑った。









共同生活にも慣れてくるとアイリスは農耕に関する知識を集め始め果樹園や畑なども作って…… もとい作らせていった。


不足品の補充などは街への買い出しが基本となるが、準備が面倒という理由で週に一度行くか行かないか程度。


「移動魔法とかないのかしらね。街までバビューンって」


「移動は蘇生と同じくらい魔力が必要でね、そこまでの魔力を生命力から生み出せないから現状はあきらめたよ」


「え? 生命力? なにそれ」


「魔力精製の原理さ。魔法の素は命の力」


「……なんであなたがそんなこと知ってるわけ?」


「私が魔法を作ったから」



アイリスは目を見開き数秒間固まると、悲鳴にも似た声をあげる。


「名付け親は君達だね。気づいたら皆そう呼んでいたから」


アイリスは狼狽ろうばい気味にミカエルを見据えている。


「そ、そうね。言われてみれば、あなたぐらいしか思い付かないわ…… ということはあのじじぃ共」


「どうかしたかい」


「魔法はうちの研究所が発明したことになってるの。原理とか構造とかを秘密にしてたから何かおかしいと思ってたけど、知らなかったのねあのじじぃ共」


四番目の王女はあまり良い扱いはされていなかったのか、アイリスはその口調も含め、かなりの苛立ちをつのらせている。


「君の言うことが確かなら結構危険かも知れないな。新しいエネルギーは原理はもとより、作用からその限界、制御までをキッチリ管理出来ないと暴発した時止められないよ」


「こわっ」


「ふふ。君達は本当に不思議だ。もし未来に魔法とは別のエネルギーが手に入っても同じことを繰り返すんだろうな」


アイリスは腕を組み眉間みけんにしわを寄せながら必死に思案する。


「よし! 布教活動をしましょう」


「また良からぬことを」


「何言ってんのよ! あなた人間に貢献してるじゃない! 国宝級の貢献よ。たたえられてもおかしくないのよ!」


「そうか。喜んでもらえたなら良かったよ」


「またそんな事。あんなじじぃ共の手柄にされたままで悔しくないの! 私が嫌なんですけど」


「それなら街に出た時に噂として広めればいい。あまり無茶はしないでくれよ」




血気盛んなアイリスをなだめるとミカエルは研究室にこもり、魔法に関する正しい知識を書にまとめるため執筆作業を開始する。



アイリスが城に来て二ヶ月が過ぎようとしていた。



ミカエルとアイリスは充実した毎日を過ごしていた。必要とされる相手がただそこに居るだけで、これほど満ち足りるものなのか。


孤独な日々を送っていた二人には想像も出来なかった世界。いつしか二人の間には愛が芽生え育まれていく。しかしミカエルにはそれが解らない。誰よりも迫害され続けてきた心と身体は無意識に人との接触を抗い逃避へと走る。



欠落した感情は己を守る鎧となり、永遠の孤独という破壊神から守ってくれていた。この鎧があったからこそ壊れずに一人生きてこれた。


その鎧が今は天敵となってミカエルを襲う。喜びや悲しみ、美しいものを見て感じる感動、人を愛する心、それら正の感情が理解出来ないミカエルは新たな苦悩を抱えることになる。





「起きなさいミカエル! いつまで寝ているの」


陽も昇りきった正午、いつもの声でミカエルは起こされる。


「本当よく寝るわね。なんか病気なんじゃないの」


「私は体質的に病気にならないと教えただろ。

寝る子は育つってね」


「便利な体よね。ケガもすぐ治っちゃうんだもん…… あっ、そんなことよりちょっと来て」


アイリスはミカエルの身体を無理矢理引き起こすと両手で背中を押しながら城内を進んで行く。訳もわからず連れ出されたミカエルが疑問を口にしようとした時、アイリスの足が止まった。


「ねえミカエル、この中庭使っていい?」


城の隅にある庭というよりも空き地といった広い空間。吹き抜けの天井から直接降り注ぐ日光が、むき出しになった土の地面にほどよい栄養を与え、雑草が人の背丈程にまで成長している。


一人暮らしの城では何に使うこともなく、ただ野ざらしで放置されていた場所に二人は立っていた。


「ああ別に構わないが、これ以上野良しごとが増えるのはちょっと……」


「作物作るんじゃないわよ。お花畑を作りたいの。これは全部私がやるから心配しないで」


「助かった。ならば好きにしたらいいさ」


「ふふふ。辺り一面色とりどりの花で覆い尽くしちゃうわよ。そしたら二人でデートするの。きっと綺麗よ」


「綺麗か…… 私にそれが解るだろうか」


「大丈夫。きっと解るようになる。ずっと一緒でずっと私の側に居てくれれば、どんな想いも感情も絶対解るようになる」


「そうだな。君が側に居てくれるのなら、解るようになる気がするよ」


「うん」


「花畑か、私を襲いにくる連中もそれを見たらびっくりするだろうな」


「そんなやからは私の美貌と魅力で追い返してやるわ」


「……」


「早くそうだねって肯定しなさい」





アイリスが来てから城への来客は三組。賞金稼ぎに暗殺者、アイリスとは別の国の正規兵とバラエティーに富んでいた。人類の敵を討つというよりも金と名誉に目がくらんだ売名討伐という感が強い。


悪名高い食人鬼を討った者という称号は、国だけでなく個人にも魅力的な代物であった。それは当初のアイリス達でさえ例外ではない。


欲望の的にされたミカエルの想いは人間には届かない。人のごうの深さを誰よりも知るミカエル自身がそれを解っていた。



それでもあがいた。共存という道を求めて、人の心に一縷いちるの望みを託して……

殺さずを決めてから今日まで、その想いは今だ実を結んでいない。


当然来客に対しても、命は奪わず丁重にお帰りいただいていた。ただし、いつもと違うことが一つだけ……


「あんた達、今から魔法誕生における真実をたっぷり聴かせてあげるから、帰ったら皆に教えてあげなさい」







アイリスが城に来て三ヶ月目を迎えようとしたある日、不足品を補充するため久しぶりの街に繰り出すと何やら不穏な噂を耳にする。


新種の流行り病と王国の出兵準備。


流行り病については国の対応が早く、隔離化も早急に進んだため大事には到らなかったという。それでも症状などの詳しい情報が伝わっておらず、新種という未知の恐怖も相まって街の人間は皆不安を抱いていた。


そんな未知の災害よりも二人にとって大問題なのが王国の出兵準備である。アイリスの国の軍隊がミカエルを討つべく軍勢を差し向けようとしているのだ。


「そんな、父上が……」


ミカエルが追い返していた招かれざる客からの情報は、アイリスの父である国王にも流れていた。実の娘である第四王女と悪名高い食人鬼の結託。


一国の王女がミカエルの仲間だと知れれば、面子どころか他国に攻める口実をも与えてしまう。王国としても国王自身にとっても由々しき事態であった。


「止めなくちゃ」


「難しいだろうね。国の威信がかかっているなら、なおさら」


「ダメよ! いくらあなたでも軍隊相手じゃ、

ただでは済まないわ」


「私はいいんだ。それより君を安全な場所に……」



「絶対ダメ!」


アイリスはミカエルの胸に飛び込むと両の腕できつく抱きしめる。


「ダメだよミカエル。そんなのダメ。そんなこと絶対させない。私、父上に会いに行く。会って説得してみる」


不安な表情のままミカエルにしがみつくアイリスの身体は小刻みに震えている。


「それこそ危険だよ。君は裏切り者と思われているんだ。行かせるわけにはいかない」


「誤解を解かなきゃ。本当のミカエルを知ってもらうの。これは私の気持ちだけじゃない。人間として、あなたにしなくてはならない事だもの」


「行かせるわけにはいかない」


アイリスの肩を掴み真剣な眼差しを向けるミカエル。その顔にアイリスは両手を添える。


「平気よ。一応これでも王の娘なのよ。そんなに心配しないで」


そう笑顔で答えるアイリスだったが、どこか無理のある様子にミカエルの表情も優れない。

それでもアイリスの決意は固くミカエルは押しきられる形で了承する。


「本当に君は頑固だね」


「ふふん」


翌朝には早速旅支度を始めるアイリスをミカエルは憮然とした顔で見つめている。


「いつまでそんな顔をしているのミカエル。いい加減にしないと、ぶっ飛ばすわよ」


「一度決めた事をとことんやるのは決して良いことではないよ。むしろ悪癖あくへきだ」


「お黙りなさい! これは人間としてやらなきゃならない事なの」


「私を気づかってくれているのなら無用だよ。

正の感情を理解出来ない私には特に……」


膨れっ面のアイリスは両手でミカエルの頬を、思いきりつねる。


「ウム。なかなか痛いのだが」


「悲しい事を言うからでしょ。前に言ったよね、私の側にずっと居てくれればどんな感情も理解できるって」


「……」


「だいたい、美しいって感情ならもう解るでしょ。毎日私を見てるんだから……

早くそうだねって肯定しなさい」



「そ、そうだね」


「よし。大丈夫よ安心して。父上を説得したらすぐに帰って来るからね」


その日のうちに旅仕度を済ませるアイリス。

翌日の早朝には今だ不安を口にするミカエルに花畑の手入れを命じると、いつもの元気な笑顔を残し王都に向かって出発した。








夕暮れ時にミカエルは目を覚ます。毎日起こしにやって来る、いつもの声は聴こえない。


誰も居ない島、誰も居ない城、誰も居ない部屋、慣れ親しんで来たはずの孤独と静寂。

ミカエルの顔色は優れない。


ベッドの上でゆっくり体を起こすと小さなため息を一つ吐く。シーツを剥がし立ち上がろうとすると、足がふらつきヨロめいてしまう。


目元を指で押さえるミカエルは自虐的な笑みをこぼす。


「活動時間がどんどん減っていくな……」





ミカエルは食べる事をやめていた。


殺さずになって以来、食事の量は目に見えて減っていったがアイリスが城に来てからは、その一切を口にしなくなっていた。


特異な体質は栄養摂取量と活動時間が直結しており、食べれば長く起きていられるが食べなければその逆である。


既に六時間程度しか活動出来ない体は、このままいけば確実に死を迎える……


だがミカエルはそれで満足だった。初めて人と関わり、それがアイリスであった事に感謝していた。


死にゆくならば、穏やかな安らぎを与えてくれたアイリスの側でと願ってすらいた。


「アイリスに知られたら、殴られるだろうな……」


仕方のない面もあった。唯一の栄養源である人間を食べられなくなっていた。心が解らずとも人間であるアイリスを愛してしまった事が人間を食べる事を本能で拒否する。


人を食料としてではなく愛するものとして心が感じてしまっている。食人性拒食症ともいえる状態に陥っていた。


それでもミカエルは、少ない活動時間を毎日二人でやっていた仕事に費やしていく。野良仕事をはじめ掃除や洗濯、当然花畑への水やりも欠かさなかった。


全てはアイリスがいつ帰って来てもいいように ……


だが、アイリスは帰って来ない……

出発の日から二週間が過ぎようとしていた。





ミカエルの活動時間はみるみると減り続け、既に三時間を切る勢いであった。アイリスの存在は精神的な支えに留まらず、生命をも支えるエネルギーとなっていたのだろう。


「私はなんて弱いんだ……」


アイリスの居ない生活が命を削りミカエルを薄めていく。心を飛ばした本体は脱け殻同然の状態であった。聡明で博識だった男の思考も回ることを忘れているのか、常に頭を悩ませてきた数々の葛藤も今は全て消え去っているようだ。


アイリスへの想いだけがミカエルを支配する。


「これが愛なのか…… 教えてくれアイリス」


気づけばミカエルは城を飛び出し王国へと向かっていた。自身から溢れ、こみ上げるこの感情が何なのか、完全に理解は出来ていない。


ただ己の死を目前に一目会って伝えたかった。

想いの全てを伝えたかった……


「愛しているんだ アイリス」








フード付きコートを深くかぶり、身を隠しながら王都を進むミカエルは、アイリスの居る城を目指し目立たぬよう慎重に行動していた。


その途中、物々しい雰囲気が漂う街広場に足を踏み入れる。


行き交う人々の顔は、やや興奮気味でソワソワと落ち着きがない。広場の中央では何やら人だかりが出来ており、その中心の高台で初老の男が集まった人々に何かを叫んでいた。


ミカエルは人だかりに近づくが、人の壁が視界を塞ぎ中心の様子をうかがえずにいた。しかし高台で叫ぶ初老の男に見覚えがあるようだ。


「王国の王か」


高台の下で何かが行われている。それは確かなようだが、あまりの人の多さに遠目からでは確認出来ず、ざわつく人々の声が騒音となり国王の叫ぶ声すら聴こえない。


(嫌な胸騒ぎが焦燥となってミカエルを煽る)


ミカエルの額から冷たい汗が流れ出る。先程までの慎重な行動は鳴りを潜め、ざわめきの中心へと急ぎ足で進んで行く。


「ハァハァ……」


息を乱し人ごみを掻き分けながら突っ切るように進んで行くと、群衆の先頭が徐々に見えてくる。高台を囲む群衆は興奮しながら熱狂し、せせら笑いや罵声があちこちからあがっている。


王の声がはっきり聴こえてくる頃、ミカエルは先頭にたどり着く。


「ま、まさか……」


人々の顔が狂気に満ち異様な雰囲気に包まれる中、立ち尽くすミカエルの視界にはあまりにも無慈悲な光景が映し出される。


国王の乗る高台の真下に、一本の杭が垂直に立てられ、そこには……


「う、嘘だ……」





そこには全裸のアイリスが立ったまま縛られ、力無くうなだれていた。晒されたアイリスの腹部からは大量の血が流れ落ち、地面を真っ赤に染めている。


「この女は食人鬼と密通し、あろうことか我が国を陥れようとした罪人である! ここに見せしめをもって、その罪を……」


国王の演説が続く中、ミカエルはゆっくりとアイリスに近づいて行く。ミカエルの顔に色は無く、表情も見当たらない。


一部の群衆がざわつき始め、異変に気づいた国王は演説を止めると、近づくミカエルを高台の上からじっと見据えた。


「なんじゃ貴様は」


ミカエルは国王を無視したままアイリスが縛られた縄を手刀で切ると、その体を抱き抱えるように支え優しく地面に横たわらせる。


「貴様何をするか! 憲兵!」


国王の合図で高台下に控えていた二名の兵士が剣を抜く。ミカエルを捕らえるため一歩踏み出した瞬間、兵士二名は跡形も無く灰になる。


「?」 「?」    「?」            「?」


群衆も国王も何が起こったのか理解出来ていなかった。魔法によって二名の兵士が焼かれたなら、あちこちで悲鳴が上がり、逃げ惑う群衆でパニックになりそうなものだが、ならなかった。


二名の兵士は音も悲鳴も上げず、血の一滴も出さずに消え失せた。死を連想させない殺しに、国王も群衆も質の良いマジックを見たかのように呆けて眺めている。



ミカエルは横たわるアイリスを愛おしく見つめていた。槍によって貫かれた腹部は完全な致命傷であり、アイリスは既に絶命していた。


おそらくは泣きながら最後までミカエルの名を呼んでいたのであろう、頬まで達した涙の跡。


ミカエルはそれを優しく指でなぞる……


「実の娘なんじゃないのか……」


小さく震える声を発すると、アイリスの頬に触れていたミカエルの指先が闇色に染まる。


「これがお前達の姿なのか……」


指先を染めた闇色は手の平から腕へと広がっていき、ミカエルの体を侵食していく。


「これがお前達の本性なのか……」


全身が闇色に染まる頃、その狂気の表情と共にミカエルの何かが覚醒する。


「これが人間かあああああぁぁ!!」




そこにもうミカエルは居なかった……


本能に忠実な人食いの悪魔が逃げ惑うエサを殺し、喰らっていた。


そこに集まった思慮しりょ浅き国王も、命令に従うだけの愚鈍な兵士も、残酷な処刑を声をあげ興奮しながら見物していた群衆も全て虐殺した。


もう共存も葛藤もない凄惨な怒りの跡。


「ハァハァハァ……」


静寂の中に広がる地獄絵図を前に、表情の無いミカエルがただ一人立っていた。


ミカエルは辺りを見渡し、仕事を終えた事を確認するとアイリスの遺体にコートを着せ、ゆっくりと抱き抱える。


「帰ろう…… 私達の城へ」










 その後、アイリスという心を失った食人鬼は、人々から


「魔王」


と呼ばれ恐れられた。





中編に続く


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