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プロローグ

 対等でありたいと思うことは罪なのか?

 ただ愛する者と同じ目線にいたいと願うことは罪なのか?

 わかってもらいたかった。

“わたし”はただ“あなた”と同じものを見て同じものを聴いて同じものを感じて、なによりも“あなた”をこそ感じていたかっただけなのに。

 そこに上も下も関係なく、ただ同じ場所に。

 

 ささやかな願いは、しかし理解されることもなくただ一方的に拒絶された。

 だから――――




 新暦66年5月23日。

 桜は散り、木々には若々しい緑の葉が生い茂っている。

 うららかな日差しの下、木漏れ日から差しこむ光は暖かく、まるでその腕の届く限りの全ての生命を祝福しているようだ。

 たとえばそれは絶好のレジャー日和で。あるいはまたとない昼寝時。優雅にティータイムなんてのも映えるだろう。

 しかしそんな何をするにも素敵快適な青空の下で、少年はこれ以上ないというくらい必死の形相で駆けていた。

 走っているのではない。

 地を蹴り、木を蹴り、枝を蹴り。まるでパルクールのように足の届く全てを地面にして駆け抜ける。現代によみがえった忍者、などではない。その姿はとにかく前へ、速く前へとそれだけを意識した走行ならぬ騒行とでもいうべきものだ。忍べよう筈もない。


「あーもー、最悪だ最悪」


 必死な形相で、しかしそんな表情には似つかわしくない気だるげな声音で少年は吐き捨てる。

 跳び、跳ね、時に登り、駆けて駆けて駆け抜ける。

 そんな明らかに人間の機能に相応しくない運動のさなかにあって、けれど少年は息切れすることなく、むしろ汗の一つも掻いていない。むしろ着ている制服を木に引っかけたりしないようにと配慮する余裕すらある。

 少年をしらない第三者が見れば、それはとても不自然で、いっそ狂気的に感じることだろう。

 少年が必死に駆けるには相応に理由がある。

 端的に言い表すならば、そう。

 命の危機なのだ。


 現在から数十年前。第二次世界大戦終盤に、それは起きた。

 天使が降臨し。

 悪魔が限界し。

 怪物が溢れ。

 世界が崩壊した。

 何が起きたのかを簡潔に説明すればそれだけのことだし、暦を西暦から新暦と改めた今日でもそれ以上の情報は一切明かされていない。

 ただ確実なのは、世界は人間同士で戦争なんかしている場合ではなくなり。

 これまで神話や伝承や怪談や、つまるところのファンタジーなアレやソレが現実になった。

 ――いや、これは正しくない。

 表出したのだ。

 たとえば、現在の最高権力を揮う教会のトップに天使が君臨しており。

 たとえば、悪魔が魔法の知識や魔道具をバラ捲いて。

 たとえば、霊障なんて呼ばれる怪異が、それこそ交通事故のように頻発する。


 少年は今まさに霊障の被害の只中にあった。

 それこそ本気で逃げないと死ぬこと間違い無しのヤバイやつだ。

 だと言うのに少年に悲壮感はない。疲労感もない。ただ追いつかれたら必ず死ぬと当たり前に理解しているから、表情だけは必死だ。

 そう。追いつかれる。つまりは追われ、逃げられる霊障。

 霊障という字面から心霊的なものを連想しがちだが、それは半分だけ間違いだ。

 確かに心霊的な怪異も含むが、それ以外にというか。むしろ多いのはこちらなのだが。

 霊障とは怪異全てを指す。憑き物、ラップ音、学校の怪談とか目に見えないものから、


 Gyuaaaaaaaaaaaaaaa!


 ――たとえば今まさに雄叫びを上げているような動物だか虫だかわからないような、一目見ただけで胃の中の物をリバースしそうな醜悪極まりない怪物まで。全てが霊障だ。

 姿形の見えない心霊系の霊障に比べて今回のような実態を伴う霊障は被害もわかりやすく対処も容易い。とはいえ、一朝一夕にどうにか出来る様なことでもない。一般的な心霊系の霊障に『悪魔祓い師』や『祈祷師』や『陰陽師』などの魔法や秘蹟を修めた術者が必要なように、実態を伴う霊障にも相応の“すべ”が必要なのだ。

 では、今回のような場合に必要なものとは?

 

「――シッ」


 呼気が口から漏れ出た。そんな感じの音ともに風が一つ奔る。

 野生の獣もかくやという変態的な身体能力で駆け抜けた先はちょっとした広場だ。煉瓦が敷かれ噴水があり三、四人が掛けられそうなベンチが並んでいる。平時であればちょっとした休憩にちょうど良い憩いの場所だ。

 だが今は平時ではない。ただでさえ交通事故並みに頻発する霊障の発生確率が街中のそれと比較してはるかに多い“此処”では、ある意味平時と言えなくもないが。

 ともあれ霊障が発生している現在、被災地の近くでわざわざ好んで休憩をしような酔狂な輩はそうは居ない。

 だが広場には先客がいた。

 一人はふわふわとした長い蜂蜜色の金髪の少女。ベンチに腰掛けてニコニコと微笑を浮かべている。

 一人は今まさに振りぬいた長い脚を静かに下ろす、美しい青年にも冷ややかな女性にも見える人物。褐色の肌に首の後ろで括った銀髪、ベストにズボンという格好が性別不詳っぷりに拍車をかけている。

 

「これだけ?」


 性別不詳の人物が零した声音はハスキーがかっていてやはり性別がはっきりしない。

 

「うっス。他のは途中でフィーちゃんとヴァーシャ先輩がヤってくれましたんで」

「そう」


 少年の答えに短く答えると、そのまま踵を返して少女の元へ。


「帰るんスか? お疲れっした。助かりました、灯さん」


 少年の労いに答えることなく、灯と呼ばれた性別不詳の人物は少女を伴って歩き去ってしまった。

 そんないつも通りの姿に「あいっかわらずクールだなぁ」なんて思いながら、少年は後ろを振り返った。

 

 霊障に対して必要となるのは“力”だ。

 それは腕力だったり魔力だったり精神力だったり意思力だったり生命力だったり、そういう“力”だ。それも何モノにも侵されず決して折れず、世界に対して反逆することも辞さない圧倒的な“力”。

 それこそが、それだけが、そんなものが、霊障に大して必要な“術”であり“力”だ。

 

 振り返った先には既にその姿の四半分を消失させている、真っ二つになった異形の躯がある。どれほど鋭利であればそうなるのか解からないほどに、元からそうだったのではないかと錯覚させるような断面。

 それを一息で行えるのが灯や、此処に至る途中で任せてきた二人や、此処――学苑特区に籍を置く者たち。更には天使や悪魔やその他のファンタジーな存在たちだ。

 では、この少年は?

 ただ逃げるように、否。まさしく逃走するために駆け、途中で処理を任せ、最期まで他力本願に任せた少年には、彼ら彼女らのような存在なのだろうか?


 特に疲れたわけでもないが、少年は空を仰ぐと一つため息を零した。


 

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