89.二人の日々Ⅳ
オレンジを皮ごと持つ。
ヘタの部分辺りに、あらかじめ穴を開けておく。あんまり大きすぎるとこぼすから、適度な感じに。
そうして、グラスを下に置きながら『掴む』。
けっこう力加減が難しいけど毎朝こっそりやってることだから、もう慣れたものだった。
ペスはやけにまじめな顔で、香り高い液体が注がれる様子を見ている。
グラスの中には、既にほんの少しだけお酒(ラスボス風味)を入れてある。
中身を残らず絞りきり、分厚い皮はぺったんこになっていた。水分はもうカケラも残ってない。
ストローでかき混ぜ、別のグラスに注いで分ける。
「の、飲む……?」
「お、おう……!」
なぜか緊張していた。
足をコタツにつっこみ、しばらくじっと見つめ続ける。
「なんか、普通のジュースに見えるな」
「うん……匂いも、そんなに違いはない、かな……?」
「え、そうか? けっこう違うと思うぞ」
机の上には料理がいろいろ並んでる。
自家製ピクルスの大根とか人参とかタマネギが、いい具合にしんなりしてる。
小エビとタコは、ニンニクと唐辛子の香りを移したオイルでさっと炙るようにしてから、塩胡椒とパセリを上からぱらぱら。
マッシュポテトの上にトマトと挽き肉とチーズをトッピングして焼いたもの、皿ごとオーブンに入れたから、まだじゅうじゅう音を立て、チーズはふつふつしてる。
それ以外にも細々とした物が、早く食べてと待っている。
いつまでも黙って見ているだけってわけにはいかなかった。
「よし」
覚悟を決めた。
「飲む!」
「まじか」
「……覚悟鈍るようなこと言わないで」
「なんかすげー怖いんだけど」
「み、みんな飲んでるものなんだから、毒とかじゃないはず……」
「本当か? おれら嘘つかれてないか?」
「嘘だとしたら大々的すぎるよ……」
ふむんと一つ呼吸。目を閉じて、ゆっくりと口を付けた。
味わい、嚥下する。
「……ん?」
ごくふつうのオレンジジュースの味がした。いや、ちょっとは苦味みたいなものがあるけど、基本的には変わらない。
酒とか入れずに飲んだ方が美味しいんじゃないかと思った。
でも、うん、ごく普通に飲める。
「ど、どうだ」
「まあ、うん――お酒だね?」
「なんだそりゃ」
「思ったより、違いは無いような気がする」
ペスは真偽を量りかねてるような顔をしてたけど、やがておそるおそる口を付けた。
そして、実に意外って感じの表情になった。
「……けっこう好きな味かもしんない」
「おお、酒飲みがいた」
「考えてみりゃ香り付けとかで酒は使ってたしな」
「ビールとかだとまた違うんだろうけど、意外と普通だよね」
僕らはちびりちびりと飲む。
ヤバいことをしているような雰囲気は、だんだんと薄れた。
「あ、なんか甘酢漬けが美味しい」
「そうか?」
「意外に合う感じ」
「んー、おれとしてはこっちの方が……」
そうなると興味は料理に移る。
いつもよりも、食べるペースが早いような気がした。
なんだろう?
ちゃんと味わえてるわけじゃないんだけど、体が塩辛いものとか油っぽいものを求めてる感じ。
飲みやすいそれは消費されていく。
『掴んで』絞ったオレンジはあっという間に消えていく。
透明でたぷたぷなラスボス風味が、どんどん量を減らしてく。
こうなると、別のものにも挑戦したくなる。みかんとかで割っても美味しいのかな?
ペスが持ち込んでいた日本酒、本来なら料理用に使うつもりだったらしいそれも試してみる。
僕としてはこっちの方が好みだった。
ペスは甘い方がいいと、勝手に味醂で割っていた。
「顔、あっつい……」
「脱ぐのはダメ」
「いいだろー、おまえ、おれの上司だろー、脱がせろよー」
「ペスが僕を上司扱いするときって、大抵わがまま言いたいときだよね」
「バレてたか」
「ボスですから」
なぜか首を締められがっくんがっくん揺らされた。
あんまり力入ってなかったし、ペスが満面の笑顔だったから放っておく。
「そうえば、どうして僕ら並んでコタツ入ってんだろ……?」
「おまえがおれの手を掴んで離さないからだろーが」
「そういえばそうだった」
左手にグラス、右手にペスを掴んでた。
「……なんか、狭い」
「んじゃ離せ」
「やだ」
「そっか、そりゃ仕方ないな」
「うん」
なんか変な感じになってるなー、って自覚はあった。
だけど、血が巡るに従って気持ちがふわふわしてくるのが楽しくて、あまり気にならなかった。
「……そういや、血と酒混ぜたらどうなるんだ?」
「不味いよ」
「やってみないとわかんねえだろ」
「そっか」
「針刺すから手、離せよ」
「無理、離せない」
「そっか、じゃあ仕方ないな」
「うん仕方ない」
そんなわけがない。
でも、心のどこかでは「確かにそうだ」と納得してた。
ぺスが悪戯っぽく笑う。
「こうすんのも、仕方ないよな?」
体勢がちょっと変わった。
そのまま首筋あたりにカプリと噛みつかれた。
吐息が直接肌にかかる。
加減を見極めるみたいに歯が当たる。
めちゃくちゃくすぐったかった。
「こら、身動きすんな」
「無理だってっ!」
うっひゃひゃと笑ってしまう。
歯のエナメル質な感じが妙にこそばゆい。
「こんの!」
「ホントに勘弁、いや、笑っちゃうってこんなの!」
緊縛系の魔術に拘束されそうになったから、掴んで引きちぎる。
ついでにペスのことも『掴ん』でおく。
「卑怯だ!」
「動かずおとなしくするよーに」
「おれがおまえ拘束するのはいいけど、逆はダメだ」
「わがままだなぁ」
「おれにもたまには味あわせろ」
「なんか、眠い……」
「おまえな」
「コタツで寝るのって、ダメなんだっけ」
「いいんじゃねえの?」
「あー、ダメだ、良い感じに今なら眠れる……」
「なら離せ」
「不可能」
「仕方ないな」
「うん……」
「てか寒い」
「潜り込まないで……」
「却下」
「仕方ないのか……」
「そうだ」
胸元あたりに重いのが乗っている。
すうすうと呼吸する音が聞こえる。
自分が今寒いんだか暑いんだかわからなくなる。
外ではひゅうひゅうと風の音だけがしている。
食べ尽くされた料理とアルコールが部屋の中に充満している。
そういえば、ガスの元栓とか大丈夫かなとキッチンを見る。
ヤマシタさんと目が合った。
「……」
「――」
鍵そのものはかけていたけど、猫用の扉は閉めてなかった。
にゅっとそこから顔だけをのぞかせ、僕らの様子を目をまん丸にして見ていた。
我が身を振り返ってみる。
酒瓶とかが転がっていた。
周囲には衣服が散乱していた。大半はペスのものだった。
そのペスは僕のYシャツ内に潜り込んでいた。ボタンがいくつか弾け飛んで偉いことになっている、あと密かに噛みついてもいた。
僕の両手はこれでもかって感じにペスを『掴んで』いた。
「……」
ヤマシタさんはゆっくりと頭を下げた後。
「――」
しずしずと頭を引っ込めた。
「いや、違うからね!?」
酔いが一気に冷めて、あわてて追いかけた。




