87.二人の日々Ⅱ
郊外にぽつんと建つアパートはけっこう目立つ。
周囲に二階建ての建物はなく、場違いな感じに直立してる。
四角四面で、見るからに安物の既製品な感じだけど、たぶん特注というかわざわざ『こういう形』として造ったものだった。他に似たような建物なんて見たことがない。
この世界に生まれた当初、どこに住もうかいろいろ悩んだあげく、ようやく見つけたのがここだった。
安っぽいし、不便な部分がいろいろ残ってるし、隣にどういう人が住んでいるのかもわからない――
そういう諸々のマイナス要素は、むしろ「うん、そうでなきゃ」って感じで腑に落ちた。その日のうちに契約して、そのまま住んだ。
実際、三日目くらいでもう三年くらい居続けたような気分になった。
パンツ一枚になって布団に包まって寝ても、誰からも文句を言われない環境。
だらー、っと全開にだらけていられる自分の巣だ。
そこに、今はペスもいる。
……とても悪いことをしているような気分になるのはどうしてなんだろう……
まあ、それでも階段をカンカンと音立て昇りながら向かう部屋には、もう既に明かりがついていて、ちゃんとあったかくなっていて、鼻歌とか料理する様子があるのは、素直に嬉しい。
甘くて重い感じの匂いが鼻をくすぐる。
たぶん何かを作ってる。
よく見知ったはずの自分の部屋がプレゼントの箱みたいだった。
ただいま――妙に照れるし慣れない挨拶を言いながら、僕は扉を開けた。
+ + +
「おー、おかえり」
ペスはキッチンにいた。
やけに真剣な顔で、鍋に入ってる温度計とにらめっこしている。
僕はテーブルに頼まれた荷物を置き、コートを脱ぐ。
「なに作ってるの? まだ夕飯には早いと思うけど」
「秘密だ」
「えー」
「ダメだからな? 絶対教えない」
「そこをなんとか」
「却下だ」
「部下が上司をないがしろにする……」
「上司が部下の私生活に介入すんな」
「ここ、私生活しか無いよ」
「だから秘密で問題ないよな」
「むむむ」
なんだか悔しくて覗き込もうとすると、小型魔力障壁でブロックされた。
『掴んで』どかせることはできるだろうけど、その場合はふよふよ浮かんでる包丁とかナイフとかが降り注ぐことになる。
仕方なしに引くことにした。
まったく、そこまで隠さなくてもいいじゃないかと思う。
ペスは障壁に顎を乗せて、けっこう真面目な顔で。
「初めて作るもんだから、上手く行くかどうかがわからないんだよ。不味かったら不味かったでおまえを驚かせることができるしな、期待しててくれ」
「それどっち方向に期待すればいいの!?」
「両方」
素っ気なく言って、またキッチンに戻った。
どうやら最後の味調整をしているらしい。
「あ、そういやコタツの電源、さっき切ったばっかだ」
「了解――頼まれた味醂は買っといたよ」
「さんきゅー」
僕はコタツには向かわず、窓の大きさをたしかめた。
ロール状に丸まっているものを広げ、確かめる。
買ったそれが無駄にならなずに済んだようでほっとする。
「なんだそれ?」
「断熱材、ってやつかな? これ張っとくと、少しだけ部屋の保温効果が高くなるとかなんとか――」
見た目としては、よく段ボールに敷き詰められてるプチプチだ。
空気を含むそれは衝撃吸収の役に立つけど、寒気遮断の役にも立つらしい。
自室の窓ガラスの大きさとか大体でしか覚えてないから、ひょっとしたら小さすぎるかもと不安だったんだけど、どうやら大丈夫そうだ。
「それ、張るのかぁ」
「うん」
「なんか安っぽくね?」
「かもしれない」
だけど寒さは防ぎたい。
部屋の中にいても、明らかに窓ガラスのある方だけ空気がひやっとしてる。
「まあ、おまえの部屋だし、あんま文句も言えないか」
「こういう時って魔術はあんまり役立たないんだよね」
「あくまでも瞬間的なもんだしな、あの尖塔みたいなことができないのが普通だ」
「意外とすごかった」
「今更だな――うん、だけどそうなんだよな、魔術って継続的な調整は苦手分野だ、おれもうっかりしてた……」
「なんの話?」
「温度調整を勝手にやってくれる魔術はあるかも知んないけど、おれにはできないって話」
だから付きっきりで料理をしなきゃいけない、ってことらしい。
「暖房機・ペスは無理なのか……」
「大丈夫だ、家なら燃やせる」
「それって暖房機じゃなくて火炎放射機だ」
「あったかくはなるぞ?」
「心と懐は凍死だね」
ぺたぺたと張り終えた。
暖かくなったら剥がさないといけないものだからなのか、けっこう簡単だった。
心なしか寒さが和らいだ――ような気がする。
後ろではペスが「よし……!」と作成完了の声を上げた。
+ + +
「ええと、なにこれ?」
「飲んでみ」
濁った白い飲み物――だと思う。
不味そうな匂いはしない。だけど、まったく知識にないものをいきなり出されて「飲め」と言われても躊躇する。
僕はじれったくなるほど遅いペースで熱を上げるコタツに足をつっこみながら、マグカップに入ったそれをどう扱うべきか困っていた。
ちらりとペスを見る。
猫みたいな笑顔があった。
どうやら自信があるらしい。
覚悟を決めて、ゆっくりと唇をつけ、味わい、嚥下する。
「あ……」
美味しかった。
もう一口、更に飲んでみる。どこか懐かしい感じの甘さが広がった。
「これ、甘酒?」
「だな」
「自作できるものだったんだ」
「そりゃそうだろ」
「あー、なんかやたらと美味しい……」
「まだ発酵止めるための沸騰させてないからな、これって今しか味わえないもんだ」
コタツとかも利用して、マメに温度を確認しながら半日ばかり発酵させて作ったものだとのこと。
自慢げな説明を聞きながら、コクコクと飲む。
寒空を歩いてきた直後の体に染み込んだ。
僕ら二人は、しばらくそれを味わい続けた。
そして、口の中が甘さばっかりになると――
「……なんか、しょっぱいものが食べたくなる」
「えんどう豆の軽く炒ったやつ、冷蔵庫にあったよな」
「絶対に合うと思う」
「だな」
言いながらも二人とも出ない。
というよりも出られない。
手足を突っ込んだコタツは、僕らを捉えて離さない。
視線ばかりが交錯する。
「……ここは部下が気を利かせる場面じゃないかと思う」
「上司が度量を見せてこそ、部下がついて行くもんだよな」
「ほら、僕はさっきまで外歩いてたし、手足をあっためたいし……!」
「この甘酒作ったのはおれだ、それを今飲んでいるのはおまえだ」
「冷た!? 足つけるな!?」
「そんだけ体温あるなら平気だよな」
「というかペスって本来、そんなに暖まる必要とかなかったよね」
「あのな?」
「なに」
「恨めしそうな目をしながら、ぬくぬくの場所から追い出されて、冷蔵庫に食い物取りに行くおまえの姿を、おれは見たい」
「最低だ!?」
「たったそんだけの純真で真摯な気持ちを組んでこそ、上司としての――」
「どこにも純真真摯要素がないよ!?」
結局、僕が取りに行くことになった。
せめてもの抵抗として、キッチンのとこでえんどう豆をいくつか食べた。
……どういうわけだか、負けた感じがむしろ強くなっただけだった。




