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未誕英雄は生まれていない  作者: 伊野外
遠征
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80.旅と後悔について

実は馬車には、報酬の物品がすでに運び込まれていた。

たぶん、事前に運び入れてくれていたんだと思う。


アルフの指示か、その部下がやったことかわからないけど、意外なところで律儀だった。


樽に詰められたその中身は――醤油と味噌だった。

少しだけ舐めてみれば、最高級で、至高で究極で、職人の手間暇と、熟練の技と年季を感じさせた。

未誕世界の食堂で味わったものは、これと比べれば塩味の水だ。


即座に扶萄国へと帰還し、買い占めることを決意した。全員に止められた。なぜ。


「いや、落ち着けよ。おまえがそんなんじゃ困るだろ」


落ち着いていられるはずがない、どうして事態の深刻さがわからないんだ……!


「僕らの世界だと、魔力が豊富すぎるからこれらが作れない。逆にここだと魔力がないから微生物とか麹とかの働きが強いから作れる! そして、怨霊とか大量に闊歩してる今の状況だと、へ、下手をしたらもう――」


いままではごく普通に作れた醤油味噌が、これからは作成不能ってことになるかもしれない。


アルフは許し難いことをした。

物事は連鎖的に波及するんだから、もっと考えて呪詛とか使うべきだった……!


あ、でも考えてみれば、僕も尖塔破壊に荷担した。

魔力がガンガンこぼれる状況を作り出した。

味噌醤油壊滅の危機が、さらにもう一段階上がっていた。


僕は、僕はなんてことを……ッ!


「ひょ、ひょっとして、醤油と味噌が食べられなくなる……?」


その恐ろしさに背筋が震えた。


ここ以外にも未誕英雄世界への輸入ルートがあるのかもしれない。

だけど、無いのかもしれなかった。


なぜ僕はもっと真摯に考えなかった!

世の中には、なくしちゃいけないものがある。失ってから初めて気づく大切が存在する。


「ええと、この先、扶萄国との関係はどうなるんだ……?」


必死に頭を働かせる。

扶萄国には魔力球の備蓄はあるはずで、急いで再購入する必要はないはずだ。まして今回、僕らはやれるだけのことをやらかした。未誕英雄の危険性をこれでもかって勢いで示した。下手をすれば一国を破壊してしまえることを証明した。


取引を控え、しばらくは備蓄だけでやりくりをし、その後、交易を再開するにしても国内に入れず、充分離れた場所で取引を行う――妥当なところでは、そんな感じか?


つまり、しばらくの間、輸入が無いのは確実。


仮に再開したとしても、別の商品で取引することになるのかもしれない。

上手い具合に麹壊滅危機を回避して、元のように生産できたとしても、その取引の際には軍がゲート付近まで出張らなきゃいけない。

そのコストは味噌醤油の輸入量に響き、品不足は高騰に繋がり……


「ぬおお……」


どの場合であっても、いままで通りとは行かない。

積まれた樽が、今となっては同じ重さの黄金に見えた。


「おい、何見てるんだよ。いくらおまえでもダメだからな? これちゃんと持って帰って渡すからな? そうしないと後払い分出ないんだろうが」

「ちょ、ちょっと減るくらいなら……」

「どれくらいだよ」

「半分?」


容赦なく却下された。


「じゃあ、やっぱり戻って――」

「おい、どの面下げてノコノコ引き返せって言うんだ?」

「たぶん、入国禁止でしょうね」

「拙者では運ぶことのできる量に限度があるな」

「じゃあ、僕がこっそり……!」

「おまえが一番ダメに決まってんだろうが、国そのものを本気で壊すぞって脅したような奴が、近所の店先で買い物してたら、おれだったら後先考えずにぶっ殺しに行く」

「みんなは素うどんが食べられなくなってもいいの!?」


僕の心からの叫びは、なぜかまったく伝わらなかった。



 + + +



カッポカッポと進んでいく。

世の無常をひしひしと感じ取る。

結局は、引き返して買い占め作戦は不許可だった。


たぶん、僕はものすごく後悔することになる。


「というか、考えてみれば今回の依頼って、単純に荷物を運ぶだけの依頼だったはずなのになぁ……」


ノリとしては、みんなでちょっと旅行に出かけるくらいだった。

決して、襲撃怨霊銃撃ロボとか盛りだくさんのバトルをしに来たわけじゃない。

ましてや醤油味噌生産に大打撃を与えることになるとか、考えてもみなかった。


重いため息を一回だけ地面に吐き出した。


道はきれいに均されている。踏みしめた後がしっかり残り、進みやすい道にしていた。雨が降れば酷いことになるんだろうけど、幸いなことに水気まだ加えられていない。


僕は手綱を握り、横にはペスが座ってた。

現金だと思うけど、なんとなくそれで気分は軽くなった。


馬が動いて進み、車輪を回し、僕らごと移動をさせる――そのコントロールが、今持っているこの革製品だけで行うことができる。

意外と楽しかった。


「馬って……大きいなぁ」

「今更すぎね?」

「かもしれない、なんか今になって実感できた」

「おまえ、変に緊張してたんじゃないか?」

「あー、そうだったのかも……」


行きはいろいろと一杯一杯な感じだった。


「……というか僕、買った剣の支払いの代金のためにこの依頼受けたのに、その剣を無くしたんだった……」


残ったのは、鉄屑だけ。

あれだけ丹誠込めて作ってくれたもの――実際に使っててもそのすごさが実感できるようなのが、二週間も経たない内に跡形もない有様と化した。


そりゃ鍛冶屋泣かせとか言われる。

僕だったら、こんな奴に作ってやろうって気にならない。


「ん、どした」

「いや、うん、お金が無いって話」


借金してまで買ったものを失った。

新しい剣が欲しければ、さらに借金するしかない。


懐の寒さは、たぶん北極点とかそのレベル。

南極とか地獄第九圏コキュートスのレベルじゃないけど、人がいつまでもいられるところじゃない。


「ふーん」


ペスは隣であぐらをかいて座ってた。

包帯に包まれた体をゆっさゆっさと左右に揺らしてる。


後ろでは、たまに何かが暴れる音がしている。

まだ悲鳴とか助けを求める声とかは聞こえてないから、放置しておく。


青空は広い。道はどこまでも続く。

襲撃がない代わりに、他の人もいない。半径十キロ圏内にいる人間は、きっと今は僕らだけだ。

その贅沢と寂しさを存分に味わう。


ふと――

僕らはこの世界をどこまでも進もうとしていて、次の町まで移動している最中にある――そんな風に錯覚した。

錯覚にしては、なんていうか、やけにリアリティと実感があった。


その中で僕らは英雄なんかじゃなくて、ただの一般人で、旅人だった。


金銭や魔力や能力や外見や――そういう色んなことに縛られてはいるけど、自分たちの意志で行き先を決め、圧し掛かる『なにか』が無い立場だ、自由と呼ばれるものに、一番近いあり方。


「……ッ!」


カッと、腹の奥底に熱が生じた。

ほとんど飢餓にも似た欲求。


だってそれは、今、やろうと思えばできることだ。

僕らに掛かる役目や運命や義務をすべて捨て、この世界に骨を埋める覚悟を決めれば、すぐにでも叶う。


無謀で無茶で無意味。

だけど、それは僕らだけの生き方だ。邪魔の一切入ることのない、多くの人の運命と無関係でいられる在り方だ。それがどういうものかを、たまらなく知りたい――


ぺスを見る。

あるいは、背後の委員長とヤマシタさんのことを思う。


生じた疑問は、とても単純なものだった。

僕は、三人と一緒にいたいだけじゃないか?


本当に僕は、『未誕英雄世界に』帰りたがっているのか?

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