78.終了交渉について
終わった状況、でも、終わらないものもある。
静かになった場で、僕は河蛾の落とした短刀を拾い、ペスを抱えて外へ出た。
委員長はいまだ目尻が赤い。たまにこぼれる涙を拭き、ヤマシタさんを抱え、近づく僕を睨んでた。
恨んでいるというよりも、パーティ資金すべてを突っ込んだギャンブルで大勝した人を見るような目。結果的には良かったけど、黙ってとんでもないことしでかしてくれたたのう、って感じだ。
怨霊たちの内何人かは、そんな委員長と抱えている猫を恐ろしいもののように見ている。
あるいは、理解できないものへの忌避感と言った方がいいのかもしれない。
――そんな猫ごときで、どうしてあんな有様に?
言葉として言ってしまえば、そんな感じだ。
暴れ回っていた銀のロボは、今はもう鉄屑となって散らばっていた。
それに乗っていた人と、その仲間は、たぶんもうこの国から出てる。
怨霊の大半は、呆然としていた。
罪もなく殺され、復活し、膨大な暴力に消し飛ばされそうになり、なんとか生存し、状況がいつの間にか終わっていた――彼らからすればそんな感じだ。
変な表現だけど、魂が抜けたようだった。
個人的な復讐心を優先した人は、この場にはいない。それぞれの標的へと向かった。
ここにいる人たちは、ペスに従い、『次』の怨霊発生を防ぐために立ち上がった人たちだ。
それは、結果としてもう叶っている。
水壁は消えた。連れ去られた人たちも助け出されている。彼らの口から事態の真実が告げられ、あらゆる嘘が白日の元に晒される。
次の犠牲者が出ることは、もうない。
じゃあ、これから先は?
すがるようにペスへ向けられた視線を、僕は遮った。
背中に隠すようにする。
そこまでの面倒を見てやる義理はない。
だから、僕らに用があるのは、兵たちの方だった。
僕らを取り囲むように配置されていた。
戦闘の痕跡が色濃く残る場所で、怨霊兵たちは銃口こそ下げいるものの、殺意を隠そうともせず、アルフはその中央に陣取った。
まあ、言ってみれば僕らはこの国に対してテロを仕掛けたようなものだ。
国に属する人たちとしては当然の対応だった。
四対軍。
数の上では、まったく勝負にもならない。
まして今は四人の内二人は戦闘不可能状態。
いや、僕の怪我の具合を考えれば実質一人だけかもしれない。
それでも肩をすくめ、気軽に言う。
「僕らの仕事は終わった、魔法球はちゃんと運び終えた。あとは帰るだけだ。大変だったけど、契約通りに終わったってことでいいよね?」
こっちがしているのは「なにも無かったことにしよう」っていう提案だ。
二回生には黙っているよ、ってことを暗に示す言葉でもある。
アルフの顔つきがとたんに険しくなった。
肉体を持たない自由な体は、文字通りの鬼面を作った。
相手の立場からすれば、どうなるだろう。すでに尖塔はかなり壊されている。開いた穴を塞ぐにしても、かなりの時間が必要だ。そして、狐央国はこの場に一度来た。いままでのように引きつけてから叩く戦術は、もう使えない。
早急に軍備を再編成しなければならない。
国内で発生するであろうゴタゴタ、スキャンダルによる人心荒廃と王国そのものへの不審。
僕らに関わり合っている暇があるだろうか?
それよりも、もっと重大な問題の解決に乗り出さなければならないのでは?
アルフは動かない。
その背後の兵たちも微動だにしない。
統一された意思は、ただ一人の指示を待っている。
彼らは、罪を犯した者たちだ。でも、全員が怨霊と化した。責任を取ったといえば取った形になっていた。
また、眠ることなく周囲の警戒を続け、戦うことのできる体になった。
再軍備を整える間、それは有用だ。
「……」
アルフは黙ったまま、周囲を見た。より正確には怨霊たちの様子を。
ここで僕らを――ペスを攻撃すればどうなるか。
一度は沈静化したものに、再び火を入れることになりかねない。
兵と民の決定的な断裂と敵対だ。
生身の彼らを殺した上、怨霊としての彼らすらも殺す、そういう事態を作り出す。
デメリットは様々にあった、だけどその上でも――
「そう、そうだ、後顧の憂いはなくすべきだ……」
腕を振り上げた。
銃口が一斉に上がった。
確実な安全を期すのであれば、そういう結論になる。
相手を信用するって作業は、組織が大きくなればなるほど難しい。国ともなれば「絶対」と断言できるほどのものが要る。
「あっそ――ヤマシタさん」
「なんだろうか」
ペスをおんぶした状態のまま、僕はナイフを引き抜いた。
毒付きのそれ――接触しただけで殺傷できる刃。
「一緒に死んでくれないかな」
「承知した」
アルフを睨んだまま、委員長に抱えられたヤマシタさんにそれをつきつけた。
「――!」
泣きそうな顔で遮ろうとする委員長を、ヤマシタさんのロープが抑える。「待て」の合図だった。
旅中のそれと違って、本気の停止だ。
飼い主として行動し、止めている。
「そんな……ッ!」
濃い黒雲が、少しばかり放出される。
その場の全員が忌むべきもののように遠ざかる。
「おまえらはッ!」
「もう一度言う、僕らはここへ依頼で来た。それを果たし、帰るだけだ。そうじゃないと言いたいのであれば、全力で刃向かう。手負いでも、少数でも、未誕であっても、僕らは英雄だ。最低この国くらいは道連れだ」
状況はシンプル。
いや、彼らからしたら詰みに近い状態だ。
どのような状況であれ、ヤマシタさんが死んだ時点で終わりだ。
委員長という名の爆弾が起爆する。
怨霊兵たちであれば、実は通用する可能性が高いけど、幸いなことに彼らはそれを知らない。
まるで歯が立たなかった銀色ロボを、一方的に叩きのめしたものとしてだけ在る。
さて――確実な国の破滅と、不確実な将来の不安要素。天秤はどちらに傾く?
しばしの沈黙の後、盛大な舌打ちがした。
「好きにしろ。とっとと居なくなれ! やはり貴様等は外異だ――!」
「味方が少なくなるようなことは、控えた方がいいよ」
「ハッ……!」
アルフは僕の言葉をむしろ馬鹿にするように笑った。
そして、尖塔を見上げた。
目には、絶対の支援者に向ける信頼があった。
「この国を守ることを決意するものは、我々の仲間となる、我々は永遠だ。我々は絶対だ――この塔はそれを保証する!」
「その心が本当なら『仲間』は増えるだろうね」
尖塔を経由すれば『怨霊』は増える。
同じ志を持つ味方を増やすことができる。
でも、死後もなお忠誠を誓えるだけの人がどれだけいるか、かなり疑問だ。口を動かすことは簡単だけど、それで心を動かすことは難しい、まして、魂となれば自分自身でだってどうなっているかわからない。
どれだけ口だけを動かしても、他人の魂までは変えられない。
彼らの言葉じゃなくて行動いかんによって、仲間は増えもするし、減りもするんだろうと思う。
「じゃあね」
見上げたままのアルフを背後に残し、僕らは去る。
四人で歩く周囲を、怨霊たちがついて来た。
終りを認めることが出来ない、あるいは、わかりたくない人たちだった。
「う……ん……?」
呻き声を上げて、ペスは起床する。
骨姿のままだけど、僕は『掴んだ』ままだ。外部からの影響を排除する。寒がることはないはずだった。
解放者の覚醒に、怨霊たちはざわめいた。
あるいはそこに希望を見た。
「あ、おまえらは――」
「ダメだ」
強く『掴む』。
ぺスは驚いていた様子だったけど、やがて状況を理解した。
しばらく、無音のまま歩く。
ペスは、言葉なく彼らを見ていた。
背負う僕からは、彼女がどういう表情で、どういう風に見ていたのかはわからない。
「悪い――」
ちいさな声。
でも、どこか優しく、寂しそうに。
「やっぱさ、放っておけないんだ」
心臓が凍えたかと思えた。
その言葉は、その意味は――
いや、ぺスは今、どっちを向いている?
舌が震えた。
「……放っておけないって、まさか僕のこと?」
「他にいねえだろ」
「あっそ」
「おれの口癖マネすんな」
心臓がようやく動き出したと思えた。
『掴む』手がやけに強くなっていることを自覚する。
弱める気には、まったくならなかった。
怨霊たちに見送られて、消失した壁を通り過ぎ、僕らはこの国を出た。




