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未誕英雄は生まれていない  作者: 伊野外
遠征
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77.事態収束について

事態は、僕が思った通りのものでもあるし、まったく違うものでもあった。


委員長の激怒がここまでのものになるとは予想外だったし、エルメンヒルト殿下がそれに立ち向かうとか未来予知でもない限りわかるはずがなかった。


怪我人をこの尖塔へと運び込むこと、僕がやろうとしていたことは言ってしまえばそれだけだ。

そのためには委員長が邪魔だったし、この世界の医療技術が必要だった。


「河蛾、早くヤマシタさんの治療を! いくら銀色ロボだからって、アレに勝てるはずがない! 殿下を助けたければ、彼を助けるんだ!」


そう、今はとにかく河蛾の手助けが要る。

猫一匹の生存は、僕ら全員を助ける。

そして、この幼女主義者が万が一を考えて応急処置を学んでいないはずがなかった。


というか、今となっては肉体を持ってる現地人が周囲にいない。

ほとんど唯一といっていい助けの手は――


「……断ります」


震えながらも否定された。


「あなた方は敵だ、殿下を傷つけた者達だ、助ける道理がどこにあると――」


敵対を宣言しながらも手足は攻撃に動かず、視線は銀色のロボと委員長の接近だけを見ていた。


悪しきものを破壊を目指す意志。

でも、ただ接近するだけで、銀の機械は動きを鈍らせた。

原因不明、根拠ゼロ、ただの偶然による故障――


黒色が銀を犯す。

暴れる動きはまるで無駄。

高い意気と無意味な手段の組み合わせは、良い結果につながらない。


「だけど、現状は――」

「ワタクシが殿下を信じず、他の誰が信じると!」


迷いを吐露するような叫びだった。

その天秤に乗っているのは、片方は殿下の命、もう片方は信頼だ。

信じる者はこの危機を乗り越えるに違いないという、信仰にも似た想いだ。


それは揺れながらもバランスを取り、傾くことがなかった。


拳を強く握りしめる。

切れるカードが、もうなかった。

もともと敵でしかない相手だ。

趣味嗜好はわかっていたけど、それ以外となると把握しきれていない。

命より別のものを優先する奴だとは、読み切れなかった。


委員長は歩く。

僕の視界では、ブラックホールの様子だけがわかった。底なしの、果てのわからない「落下」だ。

銀の機械はそれに巻き込まれる。

指先からボロボロと崩れる。銃弾はただの火花にしかならず、胸中央の砲塔は発射するより先に暴発した。


雄々しい叫び声は変わらない。

だけどそれは何一つ事態を変えない。


悪循環の錬成。運命と呼ばれるものの負のベクトル。

この世界そのものを墜落させようとするような有様。

力任せでは否定できないものが、ごく当たり前の歩行速度で接近する。


怨霊兵は、本来であればこの有効な対処手段になっただろうけど、幸いというべきか不幸にもというべきか、混乱する怨霊達に巻き込まれて組織的な動きが取れていなかった。

烏合の衆の間に兵士がいる格好だ。たまにアルフの叫び声だけが聞こえる。


「河蛾、頼む。僕の仲間を止めてくれ! このままじゃなにもかもが台無しだ!」

「殿下が止めます! あなたの頼みは、ワタクシに幼女を裏切れと言っているに等しい!」


苦悩そのものの顔が、振り向いた。

無理矢理に笑おうとしている口元の奥では、歯が軋んでいる。


「妥協点は、無いのか……」

「ワタクシたちは敵同士ですよ、敵に助けを求める方がおかしい」

「そっち二人と、こっち四人、全員が助かる道をどうして選ばない」

「最後の最後に頼るべきは信念でしょう、ワタクシは子供の味方だ。そればかりは崩すことが――」


しかめられた河蛾の眉が、唐突にゆるんだ、というか呆気にとられて「は……?」と呟いた。


何事かと思い、そちらを見ると、見知らぬ男の子が倒れていた。

ヤマシタさんの位置にいたその少年は、裸で、怪我をしていて、苦しそうだった。


横を疾風が通り抜けた。

河蛾がダッシュした。

僕が身動きする暇もないほどの高速移動だった。


「なにをしているのですか、早く治療をしなければならないことは誰でもわかる事態を前に惚けているとは馬鹿ですかあなた! 人類の至宝が失われてもいいと思っているのですか!」

「ちょ、え……?」

「治療用具は最低限のものしか保持していませんが、この様子であれば幸いなことになんとかなりそうだ、ふふふふふ、まったくあなたも人が悪い、交渉に際してこのような奥の手を隠していたとは……! 回避できずに直撃でしたよワタクシ!」


治療対象に熱い視線を向けていた。

手つきは適切だったけど、なんか不必要な動作もあった気がした。


少年はイヤそうに身をよじり、目尻からは涙が流れた。


「く、あなたに喰らった怪我が開いてしまうとはワタクシもまだまだ……!」

「その鼻血は絶対それじゃないと思う……」

「む、これは魔術的な措置ですか? 急速回復を果たしているようですが、骨の位置が適切ではありません、このままでは容態が悪化するばかりです、むむむ、苦痛をもたらしてしまいますが致し方ありません、外部から徒手による整復をするより他ないでしょう!」

「拙者は――」

「その声、やっぱりヤマシタさん……?」


薄々そうじゃないかなというか、他に答えはないんだろうけど、ようやく答えに行き着いた感じだ。


「この事態は、なんなのだろうか……」

「僕にもまったくわからない」


素直に答える。

河蛾はまじめな顔で治療を続け、鼻血を流し続ける。


僕はその助手役をした。

立ち上がることも精一杯。他にできることがない。


たまにヤマシタさんの体が苦痛に跳ねた。

外では圧力が倍増しになった。暗黒が世界を覆うような勢いだ。


「怖っ!? なんか委員長がさらに怖いことになってるんだけど!?」

「無理もありません」

「河蛾はなにを納得したの!?」

「このようにハイレベルなショタを前にして、人が冷静でいられるはずがありません!」


黒穴が急速に迫る。

いままで一歩一歩と進んでいたのに、唐突に駆け出した。

姿はまったく見えないけど、なんだか必死な様子だった。


「これで良し! いや、ですがもう少し全身および下半身を触診する必要があります! そう治療行為として当然のこと! 労働には対価が必要だとは思いませんか!」

「ヤマシタさん、猫に戻って大丈夫そう?」

「うむ」

「鬼畜の所行をなぜあなた方はそんなにも平然と行うことができるのですか!?」


いつものまだら模様の猫姿に戻ったヤマシタさんの動作は、やはりどこかぎこちなかった。


「まだ上手く動くことはできぬが、それ以外は問題はなさそうではある」

「そっか……河蛾、感謝する」

「子供が命を落とすことは見過ごせません」


鼻血を垂らしながらじゃなかったら、いい台詞だったのかもしれない。


「ですがそう、ワタクシの一番で特別がエルメンヒルト殿下であることに変わることはないのです。それだけは誤解無きよう」

「ん……?」


ヤマシタさんを抱えた。


尖塔へと向かう委員長と殿下との戦いは――いや、一方的な破壊は終わりを迎えようとしていた。

叫びと共に繰り出される巨拳、乾坤一擲のそれはミキサーに突っ込むような有様にしかならなかった。

そのまま巨体までもが解け、全身を管で繋ぐ少女の姿が露わになる。支えをすべて失い、それでも目に闘志を失わぬ少女は落ちようとする。


「ほい!」


河蛾は猫を投げた。

なんの躊躇もない投擲で、容赦のない高さだった。


僕とヤマシタさんと、おそらくは委員長。

三人そろって目を丸くした。


その隙に河蛾は駆けた。


委員長は止まる。

落下予測地点がそこだった。


暗雲の範囲が急速に縮まった。

燃えていた心に、氷水がマリアナ海溝ぶん降り注いだような格好。


じたばたと空中で暴れる猫が、しっかりと意識を取り戻し、元気でいることがそれに拍車をかけた。


「あ、え、えええ……?」


暗雲は全て消えた。

おろおろとした姿。自信なさげな表情。半端に伸ばされた両手。

ごく普通の女の子の姿しかない。

むしろヤバかった。


とんでもなく下手な野球選手のところへ、外野フライが飛んできた――そんな危機だ。


「委員長! 今度は間に合う!」


僕は叫んだ。

落ちるヤマシタさんを助けようとするのは、今日で二度目だ。


「!」


委員長の首に嵌められた首輪から、リードロープが伸びた。

幾本も幾本も、せき止められていたものが解放された。

猫に巻きつき、そのまま宙に螺旋を描き、バネのように落下速度を抑え制御した。


ぽすん、と音がした。


「あ、あ……あ……」

「うむ?」


委員長の胸元に猫は戻った。

その右前脚にはリードロープが、以前と同じようにある。

壊れやすい宝物のように、彼女は抱きしめた。


その横では殿下をお姫様だっこで受け止め、そのまま駆け逃げる人影があった。


「河蛾離せ! まだ負けていない! 勝負はこれからだ!」

「はい、ワタクシもそう思います!」

「ならばその足を止めろッ!」


誰もが呆気にとられるような速度で、その場から離脱した。

あっという間に消えていなくなる。


残された場では、なんだか妙な沈黙が流れ、ひゅうひゅうと空々しい風ばかりが吹いていた。

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