76.中央突破についてⅢ
一番のクリティカルな場面だった。
ここでミスれば全てが無意味となる。
僕の今の目的は、三人の生還であり、未誕英雄世界へ無事帰還することだ。
それは、ヤマシタさんが命を落とした瞬間に不可能となる。
彼だけじゃなくて、僕ら全員が帰還不能だ。
ヤマシタさんの脱落は、そのまま委員長の脱落にもなる、行き先を失った『不運』は彼女自身をも蝕む。
そうなってしまえば、ペスは二人を怨霊として復活させ、この世界に残る。
それをしない理由がないし、元の世界に戻ったとき『怨霊』であり続ける保証もない。
だから、僕が第一に目標とするべきは、左腕に抱えている猫の生存だった。
そのための難関は、いまだ高く聳える。
前にある尖塔は、どこに入り口があるのかまったくわからない。ペスと委員長の二人掛かりでも、外から影響を及ぼすことはできても、内側から操作することはできなかった。
後ろの敵は僕らを纏めて葬り去ることのできる攻撃力を誇っている。
そう、この事態は――
「ヤマシタさん、頼む!」
僕だけの力じゃ、とても足りない。
走りながら叫んだ。
うっすらと開いた猫の瞳が背後を捉え、その情景を僕へと伝えた。
ロボの動き、動作、雰囲気、細かな動き、地面への加重の具合――それらすべてが必要だ。
発射を見てから動いても遅い。
その予兆を捉えなきゃいけない。
なにも動かない、なにも変化していない、怨霊たちは飛び回り効かない攻撃を仕掛け、ときおり消滅させられている。
走る僕を何人かの怨霊達が憎悪と呆然の表情で睨みつけている。
動かす足が遅く感じる、水の中を駆けているみたいだ。
両手に乗る感触は、むしろ力をくれる。
揺れる視界は霞みながらも伝わる。
河蛾が会話の後に駆けようとしている姿、散りじりになる怨霊たち、その混乱に巻き込まれ顔を真っ赤にしているアルフ、
横へ跳躍した。
ただの直感、直後に発火と煙が見えた、耳はまだ音を聞き取らない、光より遅く音よりは速くそれは来る。
両手は抱えることに使用中、二段ジャンプはできない。
それでも直撃を避ける位置取りは得た。
衝撃波は回避できない位置取りだった。
ヤマシタさんを今の状態にしたものを、喰らうわけにはいかない。
だから僕は、『ペスを掴んだ』。
より正確にいえば、その体に流れている僕の血、それを掌握し、僕自身のものとして扱う。
ペスを僕のものとする。
流れ込む情報、まったく異質な知識、わけのわからない乱雑に翻弄されながら必要なものの構築を命じる。
無茶無謀どころじゃない、ほとんど自殺行為に近い。ましてこのピンチは僕が招いたものだった。
普通に協力してもらうことを拒否し、その身柄を奪い去った。
最低最悪、失敗したら一生どころか三生くらい謝り続ける必要がある。
「――」
全てがスローモーに動く、集中の極限、死と生が薄皮一枚隔てて在る世界。
気づけば、ペスが虚ろに目を開き僕を見ていた。
ペス、のはずだ。
だけど、あまりに様子が違った。弱々しいし、儚いし、いつもの覇気がまるでない。まるで病弱な深窓の令嬢。それでも、矛盾しているようだけど、それはペスだった。
唇が動き――
「うん、わかりました、『――』」
なんか、こう、致命的なことを言われた気がした。
それが過去の失われた情報なのか、それとも別のものだったのかもわからない。
どちらにせよ、こんな短時間の出来事だ、本当に口に出しての発言かどうかも怪しい。
理由不明の汗が全身から大量に流れた、それでも僕が望んだ通り防護魔術が球状に展開して包んだ。想定していたものよりもずいぶん強固だ。
莫大な速度はすぐ横を通過。激しい衝撃。防壁ごと吹き飛ばされる、だけどそれはダメージにならない。
不自然な飛行をしながらもペスを見る。
全ては僕の勘違いだったとでも言うように、くうくう寝息を立てていた。
発射された攻撃は、尖塔を掠めるように当たり、ちいさな穴を開けた。
次撃は来ない、それどころの様子じゃない。
なにもかもが狙い通りのはずなのに、なにもかもが計算違いになっているような気がするのは何故なのか。
二度三度とバウンドし、防御魔術は解ける、僕は駆ける。ゴールはもうすぐそこだ。
砲撃の余波で運ばれた分だけ近づいた、仲間を抱えてそこへ行く。
スタート地点から一直線に、最短最速で到着することに成功した。
そこは――尖塔内部は、まだ魔力が充分に充満していた。
この世界唯一の『魔導機械』だ。僕らの世界にもっとも近い環境がここにある。
その内部に二人を寝かせ、ヤマシタさんに丸薬を飲ませた。
喉が動き嚥下する様子を見て、よろけるほどの安堵を覚える。
効果は、あった。間違いなく。
いくらか呼吸が楽になっている様子がある。
だけど本来あった問答無用の回復力は無かった。
死に落ちようとするのを『幸運』で踏ん張っていた状態から、どうにか死と生の分水嶺へと引き戻した感じだ。
一息つくことは――できなかった。精神的にはもちろん物理的にも。
振り向きながらバックハンドで振り抜いた。
手甲が銃弾を弾く。見える景色に敵はいない、放り投げられた拳銃がカツンと音を立ててバウンドした。
上――!
河蛾がいた。いつもの笑みは消えていた。
凄まじい速度の回し蹴りを避け、投擲された毒短刀をたたき落とし、隠すように投げられた手榴弾を掴んだ。
さらに回転しての蹴りを右腕で防ぎ、接近した顔に向けて僕は叫んだ。
「エルメンヒルト殿下が大怪我をし、河蛾がこれを治療していたと仮定する!」
掴む右手では音だけが鳴った。
今度は把握しきれず威力を受け止めるようなマネはしない。
爆炎の余韻と赤色の鉄片を、開いた手から零す。
「なにを――!」
再びの攻撃、ペスを狙ったもの。
最優先で叩き落とす。
「その最中に、僕が河蛾を叩きのめし殿下を浚い逃げたとしたら、どうする」
「あなたがなにを言いたいかは知らないが――」
きっと殿下にとって脅威となるものを優先して狙っている。
だけど、一番の脅威を見過ごしていた。
僕はここに到着した時点で、半ば目的を果たした。
彼らにとってはここからが本番だ。
「――?」
攻撃の手が止まった、周囲の異様な静けさにようやく気付いたみたいだ。
そう、今となっては誰も僕らのことなんて見ちゃいなかった。
怨霊たちも殿下も恐る恐る覗き見ていた周辺住民たちも――全員が、別の『モノ』を見ていた。
それは、僕にはブラックホールだと思えた。
他の人の目にどう映っているのかはわからない。
河蛾も目を見開いた。
幽霊以上のものを発見してしまった表情だった。
「そう、そんな奴を許すはずがない、地の果てまで追いつめ、大切な人を取り戻した後、二度と同じことができないよう破滅させる、絶対にその存在を許容しない…………自分で言ってて背筋が冷えるどころじゃないんだんだけど、本当にどうしよう!?」
委員長だった。
一人の女の子が破壊神と化して、歩き、おそらく僕を睨みつけた。
それだけで心臓発作が起きそうだった。
僕にとって三人が大切だ、そのためには僕の生存はあんまり考慮していられなかったんだけど、やっぱり早急すぎるやり方だったんじゃないかという後悔がこれでもかって勢いで湧いた。
絶対敵に回しちゃいけない相手に対して、全身全霊全開で喧嘩を売ったことの結末だ。
「河蛾! ヤマシタさんを――ここにいる怪我人を治せ! 命の危険がないレベルにまで戻すんだ! 早くしないとこの世界が手遅れになる!」
言葉は悲鳴に近かった。
「あ、あなた方は本当に英雄なのですか!?」
「救国の英雄って敵国を壊滅させたからそう言われるんだよ!」
「それどころのレベルには見えません!」
正解だった。
重すぎる『不運』が――委員長自身も制御しきれていないそれが、この世界の法則すら変化させようとした。
何が起きるかはわからないけど、ろくなことが起きないに決まってる。
そんなものに対して、
「次から次へと、懲りぬことだな!」
銀のロボは雄々しく立ち向かおうとしていた。




