74.中央突破についてⅠ
河蛾を見つめたまま、右手で剣を『掴む』。
力が刀身にまで伝わり、かすかな唸りを鳴らした。
僕の攻撃準備を見て取り、河蛾はゆるやかに、だけどその実、すさまじい速度で接近した。
どれだけ目を凝らしても、本体なのか幻体なのかわからない。
気配の出力というより、もはや分身って言った方が正解だ。あるいは、これも『怨霊』の一種なのかもしれない。
そこへ、ひょいと剣を投げた。
「!」
ヘロヘロのスローボールのような速度。
それでも剣とそれは接触し、通過した。
剣を手放し、敵が幻だと見抜いた状態だ。
有利不利でいえば、間違いなくこちらの不利。攻撃と防御能力が著しく下がった。
まして、幻の看破は必ずしもメリットにはならない。
幻体は、ニヤリと本物そっくりに笑い、消えることなく突っ込んできた。
リアリティのあるそれは背後にいる本物の姿を隠す。
銃を撃とうとしているのか、それとも接近戦を仕掛けようとしているのかわからなくなる。
情報皆無、それを知りながら、僕もまた足に力を込めて突っ走った。
真正面からの衝突覚悟、こちらだけが不利なチキンレース。
幻は走りながら両手を広げる、ゴールを切ったランナーのような姿で視界を更に遮った。
心なしか、トリガーが引かれようとする音がその向こうから聞こえた気がしたが、どこを狙っているかはわからない。防御も回避も難しい。
僕の左手は攻撃には使えず、剣はまだ放物線を描いて落下中、だから右手で、笑うその幻体を『掴んだ』。
「――は!?」
何度も繰り返し見せられた概念だ、把握するだけの間は充分にあった。
幻だけあって軽いそれは、片手だけで振り上げることができた。
ニヤリと笑った表情のまま上下反対の体勢になる。
呆気にとられた声を上げる河蛾の姿が、それでよく見えた。銃口の向きも、撃つタイミングも丸わかりだ。
だけど今は目を真ん丸にし、気配の消去すら忘れて僕の行動を許した。
野球の要領で投げる。笑う幻体が飛翔し、今度は僕のための死角を作った。
走りながら、投げた剣を予定通りキャッチ、そのまま『掴み』直した。
掴む概念は『重力』。
右手のみで強く握る。
発砲、銃弾は頬を掠めた。
走る足は止めない。ここからは一秒だって立ち止まるつもりはない。
刃に力が乗り、踏み込み、叩き潰した。
斬るというよりも、ハンマーを真上から振り下ろしたような具合。幻体も実体もまとめて潰す。
肋骨を折り、頭蓋にヒビを入れたような感触が手に返り、河蛾をまるで地面に寝そべる蛙のような有様にした。
そのまま跳躍し、飛び越えようとする。
それでも、手は伸びてきた。
僕の足を捉えようと足掻く、眼孔が行かせるものかと語っている。
その執念につきあってはいられない。
背中を踏みつけ、駆け抜けた。
走る、走る――
どれだけ僕が動き続けることができるか、かなり怪しい。すべてが終わるまで持てばいいけど、その保証はどこにもない。
さらに発砲音、今度は背中から。
当たろうが外れようが関係ない。
それに、ある程度進めばまるで当たらなくなった。
勝手に別の方向へと引き寄せられ、着弾することなく自壊する。
僕からみれば、黒々と地獄の蓋が開こうとしてるような地点へと、周囲の攻撃は引き寄せられる。
委員長の姿は見えない。
ほかの人はわかるのかもしれないけど、不運を視認する僕には、そこになにがあるのかわからない。
断続的だった暗雲は、今や真っ黒な墨で空間を染め上げたみたいだった。
同時にそれは、ヤマシタさんの容態の悪化も意味していた。
生きてはいる、だけど、このままだと死に至る。
魔力のないこの世界。
丸薬は持ってきているけど、この状況下では意味がない。怨霊達はペスが感じる寒さを止めたけど、強引な回復力を発揮できるほどのものじゃない。
だから、この世界の流儀で回復を促さないといけない。
僕は黒々としたそれを『掴み』、引っ剥がすように真上へと持ち上げた。
重い。
それでも走る足は止めない、そんな余裕はない。
地面との間に僅かな隙間を作成するだけで精一杯。
涙をはらはらと流し、たどたどしい手つきで包帯を巻く委員長の姿があった。
「あ……」
困惑と希望の顔。
どうすればいいのかわからない。助けが来たのかもしれない――
心が軋み、崩壊の一歩手前のような様子の彼女に向けて、僕は再び重力を纏わせた剣を叩きつけて、その体をぽーんと彼方へ飛ばし、寝ているヤマシタさんを左手で抱えてそのまま走った。
手は酷いことになっているけど、腕全体で抱えるようにすれば、持つこと自体は可能だ。
暗雲が晴れて、視界も良くなる。
委員長復活までどれだけの時間があるかわからない。
長すぎてもダメだけど、早すぎても僕のゲームオーバーを意味する。
背後から迫る、恨みを込めた呻き声が、一つから二つに増えた。
血を流す左手にはヤマシタさん、右手には剣。そうして次に目指し進む先は、銀色のロボだ。一歩一歩進んでいる巨大なそれ。
前後左右に怨霊を纏わせ、それでも構わないとばかりに突き進んでいた。
相対しているのはペスだ、宙に浮かび、同じく浮遊する怨霊たちに囲まれながら障壁を作り、ときおり攻撃を仕掛けていた。
だけど、あまり効果はない様子だ。
僕はその障壁を越えるように魔力球を投げる、撃ち落とされても構わない。少しでも力になれば幸い。
結果を見ずにロボへと向かう。
走る足が萎えそうになるほどの巨体だった。どんな馬鹿がこれを作ったんだ。どんなマッドサイエンティストが過去にいた。剣と魔法の世界にロボット持ち込むな馬鹿――
過去の人間への怒りを込めて跳躍、高さはまるで足りない。
全力で剣を振り下ろした。
右手のみの一撃は空間を叩き、僕の体を上へと運ぶ。一回転しながら上昇した位置は、肩口付近、思った以上の高さへ行けた。
ペスが僕とヤマシタさんの姿を見つけ、驚きの声を上げる。
アルフが迷わず「集まれッ!」と叫んだ。
兵も民も怨霊達は残らず驚き、注目している。
それは好意的なものじゃなかった、紛う事なき馬鹿者を見つめる視線だ。
銃弾を撃ち込んでいる最中、生身で猫を片手に接近戦を仕掛ける愚か者だ。
うるさそうにロボの手は動き、僕をたたき落とそうとした。
それに対して、僕は『爆炎』と『衝撃』と『河蛾邦字の気配』を掴み反撃とする。
腕の動作が急速に減速し、僕の一撃は炎と衝撃を炸裂させ、その装甲を引き剥がした。
「貴様、何故――ッ!」
「河蛾邦字は、もう僕の足止めをすることができない。そのせいじゃないかな?」
すれ違うような回答。
だけど、答えにはなっている。
殿下が攻撃の動きをゆるめたのは、河蛾の気配があったから。味方を殺すわけにはいかない。
だけど、改めて視認してみれば、そこに彼の姿はなかった。
一体なぜか?
正解は、僕が気配を『掴んだ』から。
だけど、僕のスキルを知らなければ別の答えに行きついてしうかもしれない。
たとえばそう、こんな怨霊ばかりがいて、意思表明が行えるような状態下にあって、河蛾の気配だけがあり本人の姿がなく、明らかに激戦を戦い終えた直後みたいな人間がいたら、一体どんな誤解を生み、どんな解釈をしてしまうか?
巨大なロボの顔、その眼光が僕を貫いた。
殺意の鋭さに頬が緩んだ。
意味深に笑う僕は、エルメンヒルト殿下にとって明確な敵へとランクアップした。




