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未誕英雄は生まれていない  作者: 伊野外
遠征
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73.目的意識について

戦場では対決が二つあった。

片方はペスとアルフが、殿下の操るロボとの対決。

もう片方は僕と河下との対決。


派手に銃弾や魔術の飛び交う方と違って、こっちはただひたすらに地味だった。

地味に、そして、着実にダメージを受けていた。


戦い自体は有利に進む、にも関わらず攻撃を受けているのは僕の側だけだ。

ゆっくりと垂らされた滴みたいに負傷が蓄積する。


ぬらりと毒の付着するナイフが迫る、回避や防御よりもナイフごと切断すべく剣を振れば、幻でしかなかった。流れた体勢にジャブのような軽く正確な攻撃が刺さる。

こっちが風を掴み反撃するころには距離を取られていた。


ただでさえ左手が機能してない状態に嫌がらせのようなちくちくとした打撃。

戦う気があるのかどうかも怪しい。

それでも、チリも積もればなんとやら、正直、かなりキツくなってきた感じだ。


「まったくもってタフですな――」


河蛾は感心したように言うけれど、その目にあるのは獲物を取り逃がさないようにする猟師のそれだ。

左手の動かぬ様子、そこから流れる血の量、活動限界がどこにあるかを冷徹に見極める。


「僕は意外と丈夫にできているみたいだよ」


河蛾を倒すどころじゃない。

このままだと僕が倒される状況だ。


体にめり込む銃弾は相変わらず痛むし、左手もまた同様。

未だに自分が剣を振り、戦えることが信じられない。

一方の河蛾はほぼ無傷、基本的な身体能力の差はなくなりつつある。


「……しかしあなた方は、疑問に思わないのですかね?」

「なにを」

「あなた方自身のことをですよ」


どこか侮蔑さえ浮かべていた。

あるいは、苛立ちに近いものかもしれない。


「ワタクシですら疑問に思いましたよ? 未誕英雄――そんなものが本当にあるとでも?」

「……」

「そこまでのことをする価値が、本当にあなたにあるとお思いですか? たかが鍛えた一般人に倒されようとしているあなたが?」


言葉による攪乱。

体より先にこちらの心を折ろうとしている。それはわかる。


「世界を変える者は、最初から特別であり選ばれたものでありその運命を背負ったものである――そんなありきたりで、陳腐で、つまらないストーリーを、本気で信じているのですか? 仮にそれが真実であるとしたら、ずいぶんとまあ酷い話だ。貴族制度を鼻で笑える。命に格差があると宣言しているようなものでしょうよ」


でも、ああ本当に、たしかに言うとおりなのかもしれない。


英雄。

未誕英雄。

英雄であることを定められた魂――それは一体なんなんだろう?


朦朧とする頭、右手で剣を振る。それが幻なのか本物なのかもわからない。

攻撃と回避、繰り返されるそれらの交差は、高速で繰り返される。

河蛾の攻撃と動きは、変わらず憎らしくなるくらい着実だ。


僕は英雄を、殺すべきものを殺すものだと定義した。

なら、この場で殺さなきゃいけない相手って、誰だ。

いま戦っている河蛾か?

違う、彼は障害ってだけだ。取り除いたところで事態は変わらない。

ならアルフか?

違う、自国民を殺した事実は変わらないけど、守護する意志は本物だ、魂だけとなってもそれを行っている。

だったらエルメンヒルト殿下か?

確かに侵略を行おうとしている、だけど、この場所の改善だけを考えれば、いっそ他国の占領下に置くのも一つの手だ。 

水壁が消えた以上、戦争勃発の可能性は高まっている。それは被害を最小限に抑える手段になり得る。


殺傷によって何かが改善できる状況じゃなかった。

誰かを除くことは、その可能性を除くことでもあった。


違う、違う、違う――


その言葉だけが心の中で繰り返される。

剣は踊る、打撃を受ける、血は流れる、ルーレットのように心は迷う。


「おそらく、あなただけではなく、あなた方四人ともが『―――』だ。いったいなぜそのような有様になってしまったのか。未誕英雄世界とやらは、ワタクシからすれば嫌悪の対象にしかなり得ない」


言葉の意味は、相変わらずわからない。こちらの魂にまで伝わらない。


「あ……」


でも、大切なことは、それでもわかる。


攻撃の合間、周囲になにかヒントはないかと目を配る最中。

委員長が必死にヤマシタさんを治療しようとしている姿を見た。

不器用ながらも止血しようとしている。

その体から漏れる『不運』は、吹き出ては止まることを繰り返していた。


横たわる猫はうっすらと目を開け、低く呻いた。


生きていた――


英雄、未誕英雄、あるいは殺傷すべき相手。

そうだ、それがどうした、知ったことじゃない。


僕にとって大切なのは、三人だ。

それ以外のなにかじゃない。

この扶萄国も、狐央国も、怨霊たちも、あるいは尖塔ですら『価値がない』。

それに価値を認めているのは、ペスであり委員長であり、あるいはヤマシタさんだ。


仲間が大切にしているものは尊重する。

でも、それは決して僕が認めた価値ってわけじゃない。


価値あるものを守るために、殺すべきものを殺す。障害を取り除き、行うべきことを行う。

他の誰かじゃない、僕がそれを定めなければ意味がない。

目の前の河蛾が行っていることを、僕はまったくしていなかった。


「――」


状況が、この上なくクリアーになった。

いったい、なにを迷っていた?


不審と警戒を浮かべる河蛾は、毒付きのナイフを構えて前にいる。

こっちの剣が届かない、だけど、幻体による揺さぶりは行える距離で。


その向こうには委員長とヤマシタさんがいた。

治療の成果は見える涙の量が教えた。このままだと仲間が死ぬ。


少し離れて銀色のロボが歩きながら銃弾を吐き出す。

高速移動せずに、たどたどしく歩いているのは、ブースター部分を露出させたくないからか。

怨霊兵たちが効かない銃弾を三百六十度から撃ち込み、いくつかの銃身を破壊していた。


アルフはその指揮を取り、ペスは防壁を張りながら怨霊たちに檄を飛ばし、彼らの手に魔力のブーストをかける。ロボへ無謀とも思える近接攻撃を仕掛け、別働隊は尖塔に運び込まれている人たちを運び出してもいた。


一番奥、尖塔は変わらない様子である。

そこが、ゴールだった。


僕がしなきゃいけないことは、すべてを蹴散らし、そこへと走ることだ。

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