70.二重奇襲について
「撃――」
撃て、という言葉は最後まで言わせない。
抱擁状態を解いて、即座に駆ける。
僕は敵兵へ、ペスは尖塔へと、磁石の反発のように。
綺麗にタイルが敷き詰めらた広場は、足運びの反発を十分に受け止め、僕の体を加速させる。
狙いは指揮をしている上級兵士。
本来なら一番安全な後方は今は最前線だ。
青ざめた顔で、安全な『後方』へと逃れようとしながら、僕を指して叫ぼうとする――
言う言葉なんて決まってる、「撃て」の一言で充分だ。
それだけで殺傷力は発揮される。
だけど、それより先に『別の銃声』が鳴り響いた。
眼前の敵からじゃない、後ろの、さっき僕がくぐり抜けた壁の破壊痕から、数百もの発砲音が一斉に。
敵の大半が反射的に縮こまった。
銃と対峙して重要なのは、いかに着弾箇所を狭くするかだし、いかに遮蔽物を得るかだし、いかに地面に近づくかだ。
だからその場に伏せる。
匍匐姿勢は回避と攻撃を両立させた姿勢だ。
鳴ったのは発砲音だけで、着弾音がないことには気づかなかった。壊れた壁の向こうにいるのは澄まし顔した猫と、音の発生源になった鈴だけだ。
幻の奇襲は、「奇襲」としての役目は存分に果たした。
統制の取れた行動をさせない効果だ。
なにを指示するか迷うその隙に、僕は駆け足から全力疾走にシフトした。気持ちとしては長距離速度から短距離速度へ、敵の想定速度以上で近づく。
斬った――タイルと数人ばかりが纏めて宙を舞った。
その中には驚愕を浮かべる上級兵士もいた。
指示する人間が死んだ、銃撃をしかけた敵集団はまだいる、本来標的にしていた怨霊たちはすぐそこまで来ている――敵からすれば、きっとそんな状況だ。マトモに行動しろって方が無茶だった。
集団は個人の群れでしかなくなり、応戦は散発的なものになった。
多数であれば避けるのも防御するのも難しいけど、これなら対処可能だ。というか、元の世界でやった防御訓練の方がよっぽど怖いし痛いし苦しかった。
「あとは、ペス達があっちの対処をしてくれれば――」
ペスと委員長は、すでに尖塔へ向かっていた。
もともと僕らの目的は、この破壊。
周りを取り囲む水壁――今は真っ赤に染まっているそれを壊せば、恒常的な魔力消費はなくなる。そうすれば、人々を生け贄に捧げるんじゃなくて、もうちょっとマシな人間の使い方ができるはずだ。
もちろん、これによって別の被害が発生するかもしれない。
他国の侵略を防げなくなるのかもしれない。
それでも、味方を守るために敵を殺すんじゃなくて、味方を守るために味方を殺す有様を、肯定したいとは思えない。
まったく余計なお世話であり、誰も望んでいない行いであり、より多くの人を殺すやり方だ――そんなことは百も承知。だからどうした。
「この、外異どもがッ! 今すぐ離れろ!」
アルフが叫んだ。
尖塔は、本数を増やしたリードロープが巻き付いていた。
不運を伝達するそれによって、塔全体がきしみを上げる。
倒れる様子はないけど、明らかに不調が起きていた。
球体の制御部分にはペスもいた。
叫ぶアルフを気にもせずに、その球体に触れていた。
はー、という感心のため息は、たぶん心からのものだ。ぺたぺたと触れるその様子に青筋立てて拳銃引き抜こうとする人のことは視界にも入ってない様子だ。
「なるほどなぁ、こりゃ凄まじいもんだな」
「この……ッ!」
銃弾は、ぺスが片手間に張った魔術の防壁に弾かれた。
何発撃っても通用しない。というか、近づくことさえもうできない。
「ああいう手軽さは羨ましいな」
魔術は、魔力が許す限りにおいては万能って言っていい。
僕が空間その他を掴み、銃弾を弾き、剣を振り下ろす――
そういう一連の動作を魔術ひとつでやってのける。
委員長とぺスは順調に尖塔の攻略を行い、ヤマシタさんは奇襲をかけようとしている人を逆に奇襲していた。僕からは見えないけど、反撃しようとした人が不自然に崩れ落ちてるから間違いないと思う。
遠くからは怨霊の群が来た。一見するとただの人、その実、まったく生命力を持たない彼らが到着する。
アルフ側からすれば、中心部が抑えられ、外の防備も剥がされ、なにもできない状態だ。
一方のこちらは好き勝手に暴れ、援軍までもが到着した。
勝敗は決したと言って良かった。あとは油断せず、着実にことを進めればいい。
「この――ッ!!」
「あー、おれとしちゃありがたいけどな、無理しすぎじゃねえか?」
アルフは最後の呪詛塊を放とうとしていた。
塔の先端に赤黒いものが集積しようとするけど、明らかな無理が見て取れた。塔全体が紫電を出してるし、なんだか不安定な様子だ。
「うるさい!」
「そっか、普通の水での攻撃はもうできねえんだな、それこそ魔力供給を戻さないとダメなんだ。人間を魔力にする関係上、操作が固定化されちまってる」
「外異ごときが口を開くな! 薄汚い亡骸の姿を晒す屑が! 死者は死者らしく墓へ戻れ!」
「はははっ! そんなこと気にしてるやつ、そういやおれの周りにはいなかったな!」
心底面白そうにに笑っていた。
アルフは、その手を半ば制御球に融合させていた。
ペスが未だに攻撃せずに放置しているのは、無理に『切断』をすれば、どういう影響があるかわからないって判断なのかもしれない。
へろへろと、どこか情けない感じに呪詛塊は発射された。
最初に感じた圧倒的かつ絶対的な威圧感はすでになかった。
だって、そこにいるのは、人間だ。
怒り、呪い、苦しんだ上に目隠しされ、ただ暴発することだけを望まれた人たちだ。
だから、それが上昇していく様子は、怖くない。
それは、解放しなきゃいけない相手だ――
「ああ、なるほど」
背筋がぞわりと冷えた。
聞いた覚えのある『敵の声』。
振り返る。
気軽に扶萄国の兵を倒しながら、呪詛塊と尖塔を見上げている人物がいた。
「なぜ手っ取り早く塔を破壊しないのか不思議でしたが、攻撃側の機構は残すのですね。防御がなく攻撃だけとなれば、敵の襲来を察知するための偵察および伝令が要ります。そう、人員の需要が生まれるということです。なるほど、ワタクシ関心いたしました」
「なんで、あんたがいる……」
相変わらずの特徴のない顔。無手で蹴散らす、狐央国の軍人。
幼女幼女と騒いでた印象しかないけど、その実力自体は決して侮れない。
「ははは、そんなことは決まっているじゃありませんか、ワタクシは約束通り、ここに来るまであなた方に手出しをしなかった」
ニヤリと笑い。
「だが、ここに到着した時点でその約束は終了しました。そして、敵対する兵が来て行うことなど、そう多くありません」
睨みつける。
笑顔は変わらない。
「奪うため――それ以外の答えがありますかね?」
近づいた怨霊の行進。
機能を掌握されつつある尖塔。
無力化しつつある扶萄国兵士――
順調な要素が、残らずひっくり返ってしまうような予感があった。
「そして、そのためにはあなた方の行動はまったく邪魔だ」
遠くから、機械の咆吼が響いた。
「ッ!」
「ようやくですな」
子供が作った人形に銀鎧と巨砲を取り付けた、そんな不格好な姿ながら、壁外からこちらへの接近速度は異常の一言。
遠近感が狂う姿であっという間に到着し、そのまま跳躍。
一跳びで越せるだけの高さまでは、もちろん行かない、水壁を足場にさらに駆け上がる。
複雑に蠢く様子のそこは今は赤く色づけされている。その上昇する流れだけを捉え、その巨体を持ち上げていた。
最頂点を過ぎた先にあるのは、だけど、不格好に上がっていた呪詛塊だ。
これを避けて行くことはできない――
「我が道の邪魔をするな!」
幼い叫びと共に巨大な拳を振り回し、『打ち壊した』。
「……え」
力がほどける、魔力が消える、そこにあった怨念もまた。
多くの人が、形を取ることなく消失した。
「我が国の至宝、聖銀の巨鎧は魔を打ち砕く! この国に巣くう悪しきものどもを残らず祓ってくれよう!」
それを行った声は、堂々と宣言していた。
「どうです、かっこいいでしょう?」
対峙していた男の言葉は、心底そう思っているものだった。




