66.復讐肯定について
屋根上へと落下する。
苦痛が鈍く脳を叩いた。
他人事のようにしか思えない。
上空では、ペスを飲み込んだ痕跡が異質な太陽みたいにあり続けた。
あるいは、剥き出しになった魔物の心臓と言った方が近いのかもしれない。
上空を見つめることしかできない。
ペスが死んだ、あれで生きてるはずがない、どう考えても致命的――
そう思うことはできるのに、感情がついていかなかった。ニュースの速報を見てるみたいに無感動だ。きっと関係ない遠くの誰かにとっての大事だ。
だから、目は出来事を追うことしかできなかった。
僕だけじゃなくて、兵士達ですら目的を忘れて同じような有様だった。だれもが惚けて事態を認識できない。
屋根上からだと、遠くの塔の様子もよく見えた。
アルフがこちらを睨み、何度も球状の制御装置を叩いていた。
僕が死んでいないことが、死ぬほど不満らしかった。
「あ……れ……?」
そして、いつまで経っても、その『太陽』は萎むことがなかった。
脈動はより速く、強く、そして、巨大になった。
赤黒いそれの内部にて、別の赤い何かが混じる。
なにが起きているのか本当にわからない、誰かちゃんと説明して欲しい。
体だけが、ちゃんと周囲の異常を感じ取った。
空気が、風が、冷えた。
明るかったはずの光景が徐々に暗鬱に変わった。
まだ真っ昼間と言っていい時間なのに、あらゆる気配が閉じ眠りに落ちた、生きて活動することが不自然になる。
夜が、始まろうとしていた――
兵がしゃっくりのような悲鳴を上げ一歩後ろに下がった。
暗い景色、ほとんど暗黒といっていい地面から、ゆっくりと立ち現れるものがあった。
人影だ。
うつ伏せに寝ていたものたちが身を起こしたとでもいうような、ゆるゆるとした動き。
たしかにその場所には何もなかったはずなのに、立ち上がり、異質な太陽に向けて口を開き、己の手足を確かめていた。
この暗さなら、見えるはずがない。なのに、それがわかることは不思議だとは思えない。
だって、それらは生きている、だったら、理解できるのは当然だ。
……変だって自覚はあるけれど、なぜかそれが変だとは思えなかった。
ルールが書き換えられようとしていた。
根本的な法則。その世界における在り方。
魔力のある世界、魔力のない世界、それらとは別個の、「呪念に満ちた世界」。
穿たれた銃痕の、じくじくとした痛みは、今だけは助かった。
目の前の光景が夢ではないとわかるし、まだ僕は確かに生きているんだと実感できる――これが現実だって理解することができる。
そう、だって――
「 肯定する 」
響くそれはペスのものだった。
鼓舞する声が上から降った。
「おまえたちが奪われたことを恨み、憎しみ、嘆き悲しみ復讐を行うことを、おれは肯定する。無駄だと諭す奴など構うな。殺した者を止めることができず、殺された者に正論を吐く奴など笑ってしまえ。おまえ達は救われなかった、おまえ達を救うものはいなかった、なら、立ち上がり、武器を取り、復讐を果たせ――」
『太陽』が薄れる。
異質な人影が映る。
影法師の姿は増える。
彼らは戸惑い、だけど、徐々にその心に熱を貯める。
徐々に――まるで上から水を浴びたかのように、影が溶けて人そのものの姿を取り始める。
「おまえたちは人間だ。他の誰が否定しても、おれはおまえ達をそうだと認める。たかが命を奪われた程度で終わりにするな、それで諦めるな、おまえ達の怒りを嘘にするな!」
暗がりに紛れて、脈動しながら赤黒いそれらは地面に落ち、個別に人の形となる。
巨大な魔力を制御し、それぞれの形として発現させる――
落下するものと、起きあがるものたちの現れる速度が加速する。
いまや離れ小屋の周囲には、陣取る兵士たち以上の『人』がいた。
「心の底から恨め、憎みを忘れるな、奪われたものから奪い返せ、その報復を正しく行え、おまえ達の『次』を許すな! その行動をおれは肯定する!」
魔力を魔術とするように、僕の魔力を魔術としたように、ペスは魔力と思念の結合を解きほぐし、数多の『怨霊』へ変えた。
巨大な呪詛塊を解析し、変換し、それぞれの元へと戻し、人間であるとした。
震える。
たぶん、嬉しさと恐怖、その両方だ。
ペスが死んでいなかったことは素直に嬉しい、だけど、屋根上から見れば状況の異常は明白だ。
本来であれば僕が突進する間に銃弾にて十分殺傷できるだけの広がりは、今や群衆に占められていた。嘆き悲しみ、身動きを取らないものが二割、怒り狂い周囲のものを破壊しようとしているものが一割、そして残りの七割は呆然とペスの言葉を聞いていた。
だけど、徐々に己の有様とその身に起きた出来事を理解し、動き出そうとする。
仲間を、身近な人のために何をすべきかを考える。
無念の死を代行するんじゃなくて、彼ら自身が。
――銃声が鳴った。
思考を切り裂くように鋭く、そして場違いに響きわたった。
僕を含めた多くが一斉にそちらを注目した。
年若い新兵が撃ったものだった。
もちろん怨霊たちをすり抜けるばかりで、効果は発揮されない。
「また?」
ガチガチと歯を鳴らす新兵らしき人の前には、呆れと悲しみを混ぜ合わせた表情をした怨霊がいた。
群衆となっていた場所から離れ、近づいた。
「また、わたしをころすの?」
人のように見える、だけど生命力とは別の道理で動いているとわかる手を伸ばした。
絶叫と共にトリガーは引かれる。当たることは無かった。
怨霊はその数をカウントながら近づいた。
撃たれるごとに躊躇が消え、踏み出す足は迷いが無くなり、加速した。
ついには逃げだそうとした新兵は、踵を返す間に捕まり、肩に手をかけられ、魂そのものが掴まれたように叫び、崩れ落ちた。
ペスが僕にしていたことの強化版。体内に流れる魔力を残らず吸い取られた。
痙攣する体は、きっとそのうち絶命することになる。魂魄は怨霊になることなく地に返る。
「――」
怨霊は、その様子を見ながら、ゆっくりと消えた。
本懐を果たしたというよりも、酷くつまらなさそうな表情だった。
それが、契機だった。
なにをすればいいのかが、わかった。
怨霊の側はもちろん、彼らを作り出した「犯人」もまた。
心当たりのある者たちが、次々に行動を起こした。
被害者だった側はその相手を探して回り、加害者だった側は関係なしに銃弾を無駄にばらまき、まったく意味がないとわかると逃げ出した。
現実離れした光景だった。
武装した兵士たちが、素手の民衆から逃走していた。
怨霊たちは全員を対象とはしてなかったけど、雪崩を打ったような有様には変わることがない。
悲鳴と罵声と断末魔の木霊する有様は、虐殺のようにも、立場を変えた過去の光景にも、死者の痛切な訴えにも見えた。
そして、当たり前の話だけど、僕の前にもそれは現れた。




