50.魔力と血について
よくわからない感じに夜を終え、朝を迎えた。
初めての外でのキャンプで泊まりだから眠れないとは思ってたけど、なんか別の意味で疲れた。
とりあえずは朝食を終えて、昼食としてのサンドイッチも作成、行儀いい三角形じゃなくてフランスパンにどかどかチーズとかハムとかを入れた感じのやつだ。食べるには大口開けなきゃいけない、でも、その分美味しそうで今から楽しみだった。
そうして、あとしばらくすれば出発って感じの時刻。
馬たちは相変わらず大人しく草を食んで、闘争心の欠片もない様子でいる。
見たこともない鳥たちが、自由に騒ぐ様子が遠くにある。あんまり近くにないのは僕らがいるからだ。
逆を言えば、遠くのあの辺りまではきっと安全ってことだ。
もう眠気は冴えた。焚き火跡を始末しながら、体の様子をたしかめる。意外と悪くない感じだった。
「いくらかは眠れたから、それで大分ましって感じかな……」
「だな」
「あ、ペス」
相変わらずの包帯状態で、いつもみたいに人の悪そうな笑顔を張り付けながら近づいてきた。
「何かわかるの?」
「なんとなくだけどな、おまえの魔力、けっこう回復してる」
「え、そうなの?」
「体由来のもんだと、ここでも自然に回復できるみてえだな」
「へえ……」
魔力、って呼ばれるものがなんなのか?
これについては、いまいち詳しくわかっていない。あるいは、僕みたいな『新入生』じゃ知ることができないってことかもしれない。けど少なくとも僕のそれは、生命力由来のものらしい。生きる力の一部を別のものへと変換してる。
「じゃあ、ペスの方は――」
がしりと、肩あたりを捕らえられた。
にぃィ――って感じの笑みをペスは浮かべてた。
目の奥には飢えた獰猛なケダモノが「はらへったー」と鳴いていた。
「待った」
「なんだ?」
抱き寄せるみたいな動きに反抗、手と手がぶつかり合って力比べっぽい感じに。
両手同士を組み合わせた体勢だ。
力的には僕の方が上のはずなんだけど、なんか執念的なもんに押されてた。
「ひょっとしなくても、ペスは自然回復しない?」
「だな」
「そして、その不足を僕で補おうって話とかそういうことは――」
「大丈夫だ、すぐ終わるからな?」
「やっぱりか! 僕はペスの食料じゃないからね!?」
「おれが作った料理をおまえが食べて、おれがおまえを食べる、完璧だよな!」
「行程がひとつ抜けてるよね! 料理部分が完全に消えてるよねそれ!?」
「同じく美味しいんだからいいだろ!」
「むちゃくちゃだ!!」
「じゃあ、他二人から吸い取れってか?」
「何か言いましたか?」
すぐ側を、ヤマシタさんを抱えた委員長が歩いていた。
とてもいい笑顔だった。
あとすばらしい殺意だった。
「……さ、さすがにペスに死ねとは言えない……!」
「だろ? だからおまえだ! おれのモノだし別にいいよな!」
「そんな事実はないよ!? あといきなりジャイアニズムを発揮しないで欲しい!」
「おれは巨人じゃない!」
「自分勝手って意味!」
「あんがと!」
「まったく誉めてない! あとちょっとは考えさせて!」
「なんだよ、そこまで嫌なのかよー」
「いや、ええと……」
たぶん、やるとしたら馬車内の、魔力遮断の結界内でやることになるんだと思う。
ここでやったら元の木阿弥、ただ魔力をたれ流すだけで終わる。
「時間かかりそうなのが問題だと思う……」
もともと膨大な魔力量を誇っていただけに、満タンになるまでけっこうかかる。
「直接吸えば速く済むんじゃね?」
「どうやって?」
「吸血鬼っぽく血をちゅーちゅーと」
僕の魔力は生命力由来、確かにその方が効率的だけど……
「却下」
「んー、まあ、そっか」
マント姿で包帯姿のペスにそれやられると、似合いすぎていてむしろ嫌だった。
ぺスも素直に頷いた。どうやら、血に関してはあんまり本気で言ってなかったみたいだ。
でも――
少しだけ、もやもやと引っかかるものがあった。
上手く言葉にして言えないもの。
何かをごまかして喋ってしまったような感覚。
じっとペスを見てみる。
未だに手を組みあった力比べの形だけど、もうほとんど力は入っていない。
意外と整った顔立ち、眉を上げながら「ん、どした?」とか言ってる。
その様子は、たしかにいくらか魔力を減じさせているように見えた。
調理系の魔術を使ったからなんだろうと思う。加工食肉が生っぽい感じに戻るとか、普通ないし。
抱きつかれて魔力吸われる状態は嫌だけど、血を与えるのはそれこそ毎朝のことだ。別にいまさら嫌がるようなことじゃない、与える対象が変わるだけだ。
ぺスの魔力が減っているのは事実。あとはその補充を慣れた方法でやるか、慣れない方法でやるかくらいの違いでしかない――
うん、と頷く。
血による魔力供給を嫌がる理由は、本当に何一つなかった。
「数滴でいいよね」
「は?」
「血」
「え、あ、うん」
「ちゃっちゃとやろう」
突然の僕の反応の変化に、ペスは驚いたみたいだった。
「お、おお?」と戸惑っていた。僕に手を引かれるままになっている。なぜか赤面していた。
まさかとは思うけど、僕が肯定するとは思ってなかったのかもしれない。
もごもごと「冗談のつもりだったんだけど、え、いや、え……?」とか「魔力吸収はともかく、血とか流石に早くないか……?」とか「まさか、まじで朝っぱらからこんな……」とか言ってたみたいだけど、素直に手を引かれてついてきた。
一晩だけでも過ごした馬車内は、少しだけ生活臭が濃くなっていた。大半は藁だけど、それ以外にもいろいろある。特に今は四隅に張られた結界基点となる御札だ。魔法陣と祝詞と魔数学図形のミックスであるそれは、一見するとIQがとんでもなく高い子供が根気よく書いたイタズラ書きだ。要するに意味が分からない。
ただ、湿気とも違うなにかが充満して、いつもみたいな不思議な雰囲気――未誕英雄世界の日常が徐々に馬車内を満たそうとする様子だけは確実にわかった。
「お、おう、おうおう」
「なにそれ?」
なぜかペスは緊張していた、挙動不審気味にきょろきょろと周囲を見渡してる。
これから犯罪を行おうとしているかのような感じだった。
「あのさ、血をちょっとあげるだけだよね?」
「そ、そうだな! そんだけだよな!」
「あー……ひょっとして血を上げることに、なにか魔術的な意味があるとか、そういう感じ?」
「無い。ぜんぜん無い。まったく無い。ほんとうにまったくそういうのは無い。ひゃくぱーだ」
「……さすがに嘘くさく聞こえるんだけど」
「い、いいから、とっととやるなら始めればいいだろッ」
鼻にしわ寄せた、威嚇するみたいな顔だった。
「うん、だから、別にいいんだけどね」
小さな窓の向こうからのぞき込むようにしている、委員長とヤマシタさんの姿があるけど、ペスはそれにはまったく気づいてないみたいだった。wktkって様子がぴったり当てはまるその様子はかなり目障りだ。
手早く終わらせてしまおうと、最近は自前に持つようになった針をぷつん、と刺した。
ちゃんと血管に刺さないと、針程度だとすぐに血は止まってしまう。
この辺、慣れてしまってる自分がかなり嫌な感じだった。
「お、おま……っ!?」
刺したのは手の甲、あんまり太くない静脈狙って。
……動脈の方がよかったのかなと、少し思ったけど、もう後の祭りだ。血がとろりと流れる。
「お、おれどうすればいんだ!?」
「普通に嘗め取ればいいんじゃないの?」
「え、ええ……?」
ここまで弱気な姿勢のペスは初めて見るかもしれない。
体を壁に寄せて、追いつめられてるみたいに両手を横へ広げてる。
「いや、早くしないともったいないよ?」
ちょっと傾けて、指先へと流す。ちょうど人差し指と中指の隙間を流れる。
「あ――」
反射的に出したような感じの舌、そこに血は上手く着地した。着地したとたんに、ペスの体がびくんと震えた。
二滴、三滴、と更に続けて。
「? 飲んで」
なぜか舌を出した状態のまま、飲み込みもせず、なにかを訴えるように見ていたのでそう言う。
やけに呼吸が荒い様子だった。なんで?
震える舌が引っ込んで、ごくんと飲んだ。その間、ずっと僕を見ていた。少しだけ涙目だ。なんでだろう、ものすっごく悪いことをしているような気分になってきた。
曰く言い難い雰囲気になりつつあるような気がしたので、僕は手早く面綿で傷口を抑えて止血、助けを求めるみたいに周囲を眺めた。
窓外で、委員長が両手を叩いて大喜びしていた、意味がわからない。
嚥下する音が、やけに艶めかしく、何度も聞こえた。
一度だけじゃわからないというように繰り返し。
「う……」
上目遣いでじっと見られた。
「ええと、もう少しいる?」
「い、いや、いらね、十分」
「なんか、カタコトになってない?」
「そんなことないないない」
「増えた……」
じー、っと見られていた。
なんだかどうしていいのかわからない雰囲気。僕だけじゃなくてペスもきっとそうだ。
いや、でも、これ本当にそんな大したものじゃないよね?
「えとさ、別に気にするほどのことはないと思う」
「そ、そうか? それって本当か?」
声は裏返っていた。
「うん、毎朝、樹さんところでやってることなんだから、別に今さら痛たたたぁあああ!?」
「気が変わった! もっとよこせリットル単位でよこせ!」
「死ぬよ!?」
「うっせうっせ、てめー、このぉおお、人の純情をだなぁあ!!」
よくわからないけど、何度もがぶがぶ噛みつかれた。
本当に意味が分からない。




