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未誕英雄は生まれていない  作者: 伊野外
遠征
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47.火と料理について

炎は見ていると妙に落ち着く。

たぶん、遙か昔、ご先祖様が同じようにこうして火を見つめていた記憶がどこか魂の隅にでもこびりついているからなんだろうと思う。昼間の明るさをほんの少しだけ持ち込み、夜の危険を遠ざけ、沈む冷たさを温かさへと変える。


小川で手を洗うのも、身の回りの様子を確かめるのにも、虫除けのためにも火は必要だ。

人はそれがなければ、夜を越えることが難しい。


とはいえ今は、もうちょっと別の意味でのありがたさが炎にはあった。

熱源としてのそれ。

すなわち、料理のためだった。


「熱っちぃな、おい」

「ええと、切ったけど、こんな風でいいの?」

「おお、いい感じ」


料理をしているのは、ペスだった。

前に調理系の魔術を学ぼうって言っていたのは本気だったらしく、料理も一通りできるようになっていた。

一応できるかな、くらいの僕の実力とは比べものにならない。

意外だ。ものすごく、意外だ。


「あとはこれだけだな」

「……いま気づいたんだけどさ、スープの中に僕が買った覚えのないものが入ってるような気がするんだけど」

「途中で拾ったもん入れといた」

「は!?」

「見知らぬもんでも、意外と食えるかどうかってわかるぞ」

「え、それって大丈夫なの?」

「あー、おれが道途中で食っておいた、今それで腹こわしてないから大丈夫だろ」

「そんなことしてたの!?」

「食ってヤバいかどうかわかるが、実際に腹こわすわけじゃない、毒味役としては最適だろ?」


僕は呆然とするより他にない。


ペスは肉に手早く胡椒をふりかけ、炒め始めていた。

ここは、彼女のひとり舞台だった。

僕らはそれこそ魔術にかかったみたいにそのステージを眺めてることしかできなかった。


大きめの深鍋にはいろいろな野菜がごろごろ入ったスープ。ペスはこれを一番最初に作っていた、手早く簡単にやっていたけど、ことこと煮込む時間はかなり長い。ただ野菜を煮ただけのものが、だんだんと「スープ」になっていく変化を僕らは鼻で感じ取った。

半生というか発酵途中の小麦粉はペスが持ち込んだもので、旅する途中でいい感じに膨らんだ。それを手早く丸め分けて簡易オーブンに。そう、焼きたてどころか「作りたて」のパンが出来上がりつつあった。

旅の最初の方しか食べられないって覚悟していたサラダの上には、これまた見知らぬ新鮮野菜と香草と岩塩が振りかけられていた。

保存食のはずのベーコンは、なにをしたのか生肉っぽい感じになっていて、僕は「え、なんで」と思いながらもサイコロステーキ状に切り分けた。今はじゅうじゅうと胃袋を刺激する音とにおいをさせ、いい焦げ目をつけようとしている。最後の仕上げとして僕が持ち込んでいた醤油をざっとふりかけ、じゅぅううッ! という音と香ばしさを更に発散させた。というか、隠していたはずのそれをいつの間に――


僕らは、ただ生唾を飲み込むより他になかった。

一足先に飼い葉をむしゃむしゃ食べている馬たちがちょっと羨ましい。


包帯姿のぺスが炎の前でテキパキ動き、鍋やらフライパンやらを操る様子は魔女の宴っぽい感じではあるけど、発する匂いや音は「ごちそう」の予感に膨れ上がっていた。

僕ら三人は、キッチン前で出来上がりを待つ子供みたいなものだった。口開けて、たまに生唾を飲み込んで、両手にナイフとフォークを持って待ち続ける拷問を受けている。


「よし、出来た、じゃ食おっか」


その言葉が飢えた獣を解き放つための合図になることに、ペスはあんまり自覚していなかったらしい。

いただきますの挨拶を言うと同時にあちこちで「熱ぅ!?」「――っ!」「あうま!」などの叫びがした。

たぶん、最後のは熱い、旨い、の略だと思う。


「お、おい……?」


でも、どれもこれもとんでもなく旨かった。

野外で、皆で食べてるからってこともあるんだろうけど、それを差し引いても間違いなく美味しいって断言できる。

作りたてパンのふっくらもちもち具合は常軌を逸したものだったし、スープは滋味豊かに「あー、あー、ああ……」とか音程を上下させながら感嘆するような感じだったし、サラダはしゃっきり瑞々しくいろんな香りの波状攻撃だったし、サイコロステーキはご飯が欲しくて仕方なかったッ! どうして僕は持ってこなかった。お米炊くのって難しそうとか諦めるのは早計だったんじゃないかっ!? それともうどんか? 最後の最後と思っていたそれをここでもう使っちゃうのか!? でもこのお肉にはあんまり合わないような気がする……!


いや、でも、そういう後悔すらも考えてる暇が惜しかった。

どれもこれも冷める隙すら与えず、お腹の中へと収納した。きっとあの黒鎧にも負けない速度だったと思う。


「おまえら、速すぎだろ……」

「美味しかった、本当に美味しかった、ペスって天才だ」

「お、おう」

「こんなに幸せでいいのでしょうか……」

「おい?」

「拙者はなぜ今も猫舌なのであろうか……!」


ヤマシタさんは声だけが聞こえてた。


僕らの様子を、ペスはむしろ気味悪そうに見ていた。

スープを飲みながら「んー、ちょっと塩足りなかったか」とか言ってる。


「うん、やっぱおまえらは感動しすぎだ」

「いくらペスでもそれを否定することだけは許さないっ!」

「あのな、作ったのおれだからな?」

「ペス」

「なんだよ」

「委員長見てみて?」


不審そうにしながら、その様子を粒さに観察する。

「なんなんだ……」と言いながらスープを二度ほど口へと運ぶ時間が過ぎて、やがて表情は驚愕へと変わった。

頬に手を当て、目を閉じ幸せを確かめる委員長、その首には首輪がはまったままだ。

問題は、そのロープ先にいるはずのヤマシタさんの姿がどこにもないこと。どこか別の場所で一人で食べているようだ。なのに、委員長がそれを気にしていない――!


「んな馬鹿な……」

「それくらい美味しかったんだよ」

「おい、委員長、正気に戻れ! なんかおまえヘンだぞ!」

「ペスティさん……」

「な、なんだ」


委員長は恍惚としていた体勢を元に戻し、真剣というよりも真剣勝負のような顔つきになった。


「やはり、あなたが私の最大のライバルなのですね……」

「……なあ、それってどういう意味で言ってるんだ?」


悲しげにかぶりを振る委員長の様子は、そんな言葉なんて聞いちゃいないって分かる。


「そうきっと、私のヤマシタさんも今頃これを食べ、美味しいと思ってしまっているはずです……」

「拙者は、委員長殿の所有物となったことは一度もあらぬからな?」

「そして、ヤマシタさんのものである私の心を、一瞬とはいえ奪いました、あまつさえ幸福を感じてしまいました! これはつまり、ペスティさんの飼い主レベルが非常に高い位置にあることを意味しますッ!」


ハンカチをかみしめながらの言葉だった。

頭上の梢からの「所有権を投げ渡されることもまた困るのだっ!」って叫びは聞いていない。


「いや、おれ、そんなへんてこなもんのレベル上げた覚えはねえよ」

「撫でてはごろごろ、餌付けまで完璧、この上なにをヤマシタさんと私にするつもりですかペスティさんっ!」

「なあ、どうしておれ裏切りもんみたいな扱いうけてんだ?」

「僕に聞かれても知らないよ、いや、本当に」

「ふふ……ぺスティさん、誤魔化しても無駄ですよ?」

「いや、なにをだよ」

「この場にいる三人のご主人様になって首輪をはめてお散歩したい欲望がないと、本当に言い切れますか?」

「そりゃあ……」

「ねえぺス、どうして僕を見てるの? そしてどうしてすぐに否定しないの?」


委員長は立ち上がり、指を突きつけ宣言した。


「エルシー・ペスティさん、あなたは私のライバルです、絶対に勝ってみせます! 決して負けません。だってヤマシタさんの方が飼い主として上なんです!」

「委員長が勝ちたいのか、ヤマシタさんを勝たせたいのかどっちなんだろう……」

「両方です!」

「両方とも違うであろう!?」

「おれ、不戦敗でいいか?」

「駄目です! あと、私にお料理教えてください! お願いします!」


頭を深々と下げる委員長の奥にともった炎は、きっと焚き火よりも盛大に燃えていた。


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