44.魔力枯渇について
「寒、なんだこれ、寒っ!?」
そのゲートから目的の場所に出たとたん、開口一番にペスがそう言った。
「え、そうかな」
「うむ、気温としてはさほどでもないと思うのだが?」
「わー」
「え、いや、なんかダメだろ、これ」
ペスは信じられないというような顔をしていた。
僕は首を傾げることしかできない。
たしかに、高原っぽさというか、空気が乾燥しているような感じはある。
だけど、温度自体は過ごしやすいもので、秋晴れの爽やかな気候で、ちょっと散歩でもしようかなとか思ってしまうような感じだった。
全身をがたがたと震わせるようなものではまったくないはずだ。
「ひょっとしてですが、ペスティさんはこの世界の魔力の無さを感じ取っているのではないのでしょうか?」
「あ、なるほど」
「まじか……」
「ふむ、たしかに拙者の体も若干の重さがあるが、それほどのものか……」
眼下に見えるのは森林地帯だった。
僕らは巨大な樹木の根本に開いたゲートを出て、その眺望をたしかめていた。
見渡す限り木々ばかり、人類未到の地のど真ん中にいきなり到着したみたいな感じだ。
僕らは見える限界の、さらにその先まで行かなきゃいけない。
「というか、ここってまだしも魔力がある地点じゃなかったっけ」
だからこそ、こんな目的地から遠い位置にゲートが開いた。
本来なら魔導設備のすぐ側に開けばいいだけの話だ。それをせずに輸送の旅をする意味は、この世界由来の魔力が濃い地点、それがここだからだった。
僕の言葉を聞いて、ペスが真顔になった。
「おれは、もう、帰る……っ!」
「いやいや、もうゲート閉じちゃったから」
「寒いってか痛いというか、なんだここ、本気でなんなんだここ! なんでこんな場所あるんだよ!?」
「首根っこ捕まれて揺さぶられても、僕には答えられないよ!?」
「そうだな悪いな、これは八つ当たりだ! おれのわがままだ! だから耐えろ!」
「無茶を言わないでよ!? というか悪いと思ってるなら止めようよ!」
ぐわんぐわんと動かす動作をぴたりと止めた。
見るとやけに真剣な視線があった。あ、ちょっと涙目だ。
「……あのな」
「う、うん」
「これ本気でキツイ……魔力制御をかなり密にしないとヤバい……」
今のペスは、全身をぐるぐると包帯で巻いてあるような状態だ。
とんでもなくガリッガリにやせた人に見えないこともない。
あの着ぐるみっぽいのは止めたらしい。似合ってると思ったんだけど。
包帯は魔力をまったく通さない素材で出来ていて、魔法攻撃に対する防御性能としても優れている。
それでもなおペスにとって魔力枯渇した地域は、南極を行くようなレベルの辛さらしい。
「ええと、じゃあ……」
その様子を見て、必死に脳味噌を動かす。
「魔力遮断の結界を馬車内に張ってそこに待機してもらう感じにすればなんとか――」
「……」
「その設置までの間はどうしよう、あの着ぐるみみたいなのがあれば解決するんだけど――」
「……」
「ペス?」
いつの間にか、黙っていた。
その両手は僕の襟首あたりを持った状態のままになっている。
心なしか、さらに真剣さが増しているような気がした。
「あの、どしたの?」
「えーと、だな……」
「うん」
「旅ってさ、おれ、したことなんだよな」
「それは僕もそうだよ」
「だよなぁ」
「生まれた時期はだいたい一緒なんだから、僕らは大抵そうだと思うけど、えと、体は大丈夫なの?」
「……そっか考えてみりゃ、おれらが旅してないのは当たり前だな」
なにか、話を逸らされてるような感じがあった。
「あのさ……」
「ん?」
「もうそろそろ手、離してくれない? 準備が――」
「どうしてだ?」
笑顔を消して聞いてくる。
背丈としては僕の方が若干高いから、上目遣いな感じになっていた。
「どうしておまえは、そんなことを言うんだ、俺の部下としての自覚が足りないんじゃないか」
「そんなの自覚したこと一度もないよ!? というか、待った、ちょっと待った」
「な、なんだ?」
「……まさかとは思うけどペス、いま僕の魔力を吸収してないよね……?」
ざっと顔を背けた。手は離さなかった。むしろ握る力が強くなった。
「やっぱりか! なんでそんなことするの!?」
「おまえが無自覚に魔力発散してんのが悪いんだろうが!」
「まったくです」
「委員長はいま何に納得したの!?」
「いや、だけどな、まじでこの状況はまずいんだ。魔力制御に慣れるまではこのままでいさせろ」
「そういうのは黙ってじゃなくて、一言断ってからにして欲しかった!」
僕が持っている余分な魔力が拡散している、それをペスが吸い取ってる形だから、何かがマイナスになってるわけじゃない。でもだからって、勝手にされるのは気分がよくない。
「ああ、そうだな、たしかにそれは悪かった。謝る。だから吸収するぞ、いいな?」
「うん、それ自体はいいよ」
ペス、辛そうだし。
「……!」
ペスの表情が緩んだ。
僕の気持ちもちょっと緩んだ。
ペスの手が縮まり、接近し、がしりと僕の背に両手が回された。
「ちょ!?」
「許可はもらったぞー」
「だからといって抱きつくことまで許してないよ!?」
「あー、ぬくいなぁ」
顎が肩に乗っていた、うへへ――とか笑い声までしている。
心なしか何かがぎゅんぎゅんと吸い取られてるような感じがあった。
反射的にふりほどこうとするけど、ペスの抱きしめる弱々しさがむしろそれを押しとどめた。
「なんか恥ずかしいから!」とか言ってこの抱擁を解除すれば僕は相当の鬼になる。かといって、このままでいるのもなんかダメだ……!
「ねえ、どれくらい? これってどれくらい時間かかるの!?!」
「あー、どうだろうなぁ」
「ペスいま真面目にやってないよね! 絶対にいい感じに暖まってるだけだよね!?」
「なにいう」
「なにを言っているんだ、みたいな言葉をちゃんと言わずに省略してる時点で気分ゆるゆるになってるのが明白だよ!?」
「ばれたか」
「誰にだってバレるよ!」
「待ってなー、だけどなー、魔力がなー、こう、いい感じにな? わかんだろ?」
「集中! 集中をしようよペス!」
「わはは――そんな魔法力学的に無理なこというなよ」
「そこまでのレベル!?」
委員長はにこにこと笑っていた。
ヤマシタさんは周囲を見渡していた。
僕ら三人は完全に非戦闘態勢だったからありがたい。
旅の第一歩での足止めは、ずいぶん続いた。
終わらない魔力制御の構築、ずっとローディング中で止まったみたいな状態の、僕の精神力というか男の子のプライド的なにかがガリガリ削られてる状況を打ち破ったのは、周囲の安全を確認し終えたヤマシタさんの何気ない一言だった。
「……そもそも、ペスティ殿が魔力を吸収できることがおかしいのではないか?」
あ、と僕はつぶやく。
んー? とペスはすやすや眠ろうとしている。
「ええ、おそらくですが、どこか包帯を巻くのに失敗しているのだと思います。その隙間があるからこそ魔力が漏れて、吸収もできているのでしょうね」
「なんで言ってくれなかったの!?」
委員長はむしろきょとんとしていた。
「不運が起きて、しかもペスティさん本人が幸せなんですよ?」
それを止めるだなんてとんでもない!
そんなメッセージウィンドウが現れた気がした。
「ねえ、委員長的にはそれが一番ベストな状態なのかもしれないけど、少なくとも僕は幸せじゃないよ?」
「えー、本当にそうですかぁ?」
「き、決まってるよ……」
「むにゃうひむにゃ――」
「眠りに落ちてしまったペスティさんを落とさないよう、しっかと抱きしめている人は今、不幸をわずかにでも感じているのでしょうか、いや、ない」
「反語使わないでよ!?」
「……委員長殿のここまで邪悪な含み笑いは拙者、いままで見たことがない」
結局、予備の包帯を上からさらに巻くことで解決になった。
その間、ペスはずっと僕に抱きつき、寝ぼけていた。
なんかむずむずすようなヘンな気分だったけど、別に幸せって状態ではなかったと思う。たぶん。
だいたいこんな感じのがしばらく続きます。




