40.空腹と紙について
まずはクエストを受けることにした。
実は何回かやったことあるけど、何日もかけてのものは初めてで緊張した。
まあ、結局はいつも通りだった。
期間の長短とか、難易度の高低であんまり変化はないみたい。条件さえクリアーしてればそれで良しみたいな感じ。
メガネをかけた七三分けの、なんだか銀行員っぽい人が「ただ今賽の河原で小石積み上げ中です」みたいな顔で処理してくれた。
参加メンバーは何人なのか、準備の不足はないのか、保有スキルは適切かとか、そういう余計なことは一切言わない。ガラス玉みたいな視線のまま書類と金銭を渡して「次の方、どうぞ」とだけ。
いいのかなぁ、とその素っ気なさに少し不安になる。
その癖、手にした前払い報酬にほくほく顔になってしまうんだから勝手な反応ではあるんだろうけど。
一人でやるとなると難易度は上がるけど、その分だけ報酬は増える。
人数が増えたら逆に依頼達成率は上がるけど、報酬は人数割りだ。
このあたりのバランスをどうするか、ってことについては皆悩むらしい。
少数で報酬をがっぽり得るか、それとも大人数で確実に行くか。
下手をすれば「課題訓練やってた方がずっと有益だった」みたいなことになりかねない。
一人きりでいる僕は幸いなのかどうか。
その正否は、きっとこれからわかることなんだと思う。
それよりもとにかく、金銭を手にした僕は即座に走った。
準備としてはなによりも最優先でしなければならないことがある。
それはどれほど高い装備を購入しても、どれだけ技術を持っていても、隔絶した体力があっても関係なく、真っ先に得なければならないものだった。
つまりは、食べるために向かった。
どこにここまでの力が残っていたのかと思えるほどの瞬発力を僕は発揮した。
機能的ともそっけないとも言える食堂。あんまりデザインとかにはこだわってない感じのカウンターで注文。券売機とかはさすがに無い。
頼んだのは素うどん。
余計な手間暇時間とか本気で要らない。
すでに茹でてあって温めるだけの状態にしていたのか、すぐに出た。
澄んだつゆがたっぷり、ネギもどっさり。お盆を持った瞬間に指が震えて眩暈がした。
「――」
箸を割る作業は大事業、麺を持ち上げる作業は人類史上最高の偉業、そんな大革命を前に唇が開き歯が開きその奥にある食道と胃袋がおそるおそると様子を見ながら動き出そうとする。
顔を接近させ、ようやく特有のやわらかい香りが鼻を突き――
食べる。
ここ三日くらい摂取していなかったタンパク質は、五臓六腑に染みこんだ、それは完全に容赦のない美味しさだった。
コシのあるというよりも、ちゅるんとした、って感じの麺がまたいい。
一気に食い過ぎたら体に悪いとか、そういうことすら意識に上らなかった。
どんな三ツ星シェフが作るどんな最高の料理だって今この瞬間の素うどんには敵わないに違いない。
だって、うどんが食えるんだよ?
「あー、美味しかったぁ……」
ごくごくと最後の一滴まで飲み干して、言える言葉はただそれだけ。
気づけば滂沱と涙を流していた。
食べれるってすばらしい……
+ + +
望むときに、望むだけ素うどんが食べられる。これほどの喜びがこの世の中にあるのだろうかと真剣に思った。
お金があるとはことほどさように人の心に余裕を生み出す。きっとどれだけの素うどんを食べれるかが、心の余裕の度合いを計るバロメーターになるに違いない。
金銭的なそれはもちろん、心理的に追いつめられる場合も同様。うどんの一本も入らないようになってしまってはダメなのだ。
心も体も、うどんを入れることができるだけの余地を持つことが必要なんだ!
だってカレーうどんとかあるし!
……いや、違う、うどんから離れよう、僕。
暴走しかけていた頭を振って、そう考える
いろんな意味で頭悪いことになっていた。
空腹って人を変える。
でも別にそこまで好きなわけじゃなかったけど、なんか僕の中で認識が変わりそうだった。
小麦をこねる最適な握力ってどんな感じなんだろうとか少し考えてるし。
未だに僕は丼の底に残ったネギをちまちま食べていた。そういえば七味とか振ってなかったなぁ、とか思う。
胃袋が活発に動く様子が、なんか気持ち悪いくらいよくわかった。
しばらくは、このまま席を立たずに居た方がいいだろうなと判断。
下手に動けばせっかくの偉大にして至高のうどん様をリバースしてしまいそうな気がした。
それは許し難い罪悪だ。
いや、だから、違うって……
たしかに食べ物粗末にすることはダメだけどさ……
「あれ……?」
満足になったお腹をぽんぽんと叩いた拍子に、かさりという音を聞いた。
ポケットにそれが入っていることに、ようやく気がついた。
紙切れだった。
本当にいつの間に、って感じにそれが入ってた。
やけに小さく折り畳まれたのを開くと、文字がある。
ヤマシタさんの字で、「一時でも安らぎが欲しいから一緒に連れて行ってくれないか」的なことが書いてあった。逃亡嘆願書だった。
筆跡からはかなり必死な、切実な様子が伺えた。
あー、そういえば最近は、なんか委員長がものすごく必死というか「ごろごろ言ってくれるまで撫で続けます、諦めません!」的な活動をしているらしいと聞いた。
触れるものみな自壊し、消える有様は、敵はもちろん味方ですらも近寄りたくないような感じだったから、その訴えの切実さはよくわかった。
それに、考えてみればヤマシタさんの主張は、委員長が行くことのダメ出しであって、ヤマシタさんが行くこと自体には問題がないものだった。
委員長を一人にして丈夫かなと思うけど、なんか偉い感じにパワーアップした今の状態なら、放っておいても大丈夫なんだろうなとも思う。
「なるほどなぁ」
「ええ、たしかになるほどです。そういうことでしたか」
後ろから声がした。
ぞくりと背筋を極大の悪寒が走ったのは一拍置いてから。
それは聞いた覚えのある声で、この場面で決して聞こえたらいけない声だった。
どうして周囲を確認してからこれを開かなかった、僕。
おそるおそる振り返ると、委員長がのぞき込んでいた。
後ろで手を組んで、中腰になりながら。
たまにこの人がヤマシタさん顔負けの隠密性能を発揮するのはどうしてなのか。
「よ、読んだ?」
万が一の可能性にすがって訊いてみた。
「私も行きますね」
笑顔で言われた。
質問ではなく確認だった。
断れるはずもなかった。だって委員長の目はまったく笑っていなかった。
その手に持っていたロープからはやる気というか怨念というか真っ黒なオーラみたいなものがゆらゆらと立ち昇っていた。




