38.ぺスティの日々Ⅴ
最近は、三日に一度くらいの割合で部下予定が掃除に来ていた。
几帳面というほどではないが、あまりに乱雑な状態が続くのは許せないらしい。おかしなところで細かい奴だと思うが、掃除してくれるというのであれば止めることはない。
他の人間が掃除なんてことをしようとすれば八つ裂きにして消し炭にして風でかき混ぜさらに爆炎を撃ち込み空間断裂陣でこの世界から消し飛ばすが、きっとこれはごく当然の対応であるはずだ。
「なにをどうしたら、こんなに部屋をカオスにできるの?」
「どうしてなんだろうな、気づけば勝手にこうなってる」
「そんなわけないよね」
「おいおい、人のこと嘘つき呼ばわりとはどういうつもりだ、おれはそんな部下を持った覚えはないぞー」
「僕もそんな上司を持った覚えはないよ!?」
眉間に皺を寄せながらもてきぱきと片づけている。
「むふふふ」
「……ペス、なんか気持ち悪い」
「気にすんな」
「気になるよ、というか、ちょっとは手伝ってくれる気はないの?」
「無いな!」
「なんて役立たずな上司なんだ……」
両手を挙げているぬいぐるみ、普段はペスが抱きしめようとするとダッシュで逃げ出す奴が、なぜか身動きせずにおとなしく飾られていた。
床を拭く動作はかなり丁寧だ。
モップを買おうとしているらしいが、絶対にそれはしてはならないことだった。
組み上がった家具類を、丁寧に下ろして適切な位置へと置く。
掃除、というものは実質的には肉体労働だ。
計画的に行わなければ余計な時間がかかり効率も悪いという部分はあるが、基本的には体を動かして汚れを取る作業となる。
それだけ、大変だ。
大変な苦労をしながら、綺麗にしている。この家を。
果たして世の中の家屋は、残らずこんな気持ちになっているのかなと、にやける顔を覆い隠しながらペスは考える。
「あ、そこ汚れてるからよく拭いといてなー」
「……よく見てもいないのにわかったね」
「家主だからな」
「そっか」
それで納得するからおまえはタレ目なのだ!
ソファに寝そべりながら心の中でそう叫ぶ。
もちろん、実際に言うことは決してない。
「ペスってさ、僕が掃除してるの、そんなに楽しい?」
「ああ!」
「断言されてしまった……」
「なんか不思議か?」
「というかちょっとは手伝おうよ」
「無理だな、そりゃ」
「なんで?」
「身動きが取れないからだ」
「いや、だから、なんで?」
感覚方面を家屋に移しているからだとはもちろん言えない。
最大魔力放出量増大――流す魔力の量をより増やすことができた。今はまだ多少増えた程度ではあるが、それを行う感覚自体は把握できた。
そしてそれは、以前よりもより緊密な感覚のやりとりを可能にしていた。
窓枠にたまった綿埃を、よく絞った布巾でふき取っている。
その動作、その感触、指一本の動きまでもがよくわかった。
やけにまじめな様子で、すべてきれいにしてやるとばかりに丁寧に。
「ぬふふふ……」
「いや、だから今日のペス、なんか気持ち悪いって」
「ばっか、いま笑わなくていつ笑うんだよ」
「……なにをした、一体僕になにをした!?」
もちろん、答えを教えることはない。
背中に何か張られているんじゃないかと確かめる様子を見てさらに笑う。
なぜだか知らないが、なにもかもがむちゃくちゃ楽しかった。
お返しとばかりに、頭をわしゃわしゃ撫でてやるが、いつものように嫌がった。
一時間、たったそれだけの時間で見違えるようにきれいになった。
ぺスのちょっかいに対応しながらなのだから、早い部類だろう。
そして終わった途端、もう夜にサバトをやらないようにと、えらそうに腰に手を当て言われてしまった。
おお、わかったサバトはやらないと元気よく返答した。
そんなものは元々やっていないのだから躊躇いは無かった。
「……」
疑念と不審が浮かんでいた。
「なんだよー、なら今日泊まってくか? 変なことやらかさないよう、おれ見張っとけばいいだろ」
「んー……それもいいかなってちょっと待った!」
「なんだよ」
「まさかと思うけど、それやったらその瞬間、僕が部下になること決定な感じになってない?」
「よくわかったな」
「目つきがやけに真剣だからどうしてかなと思ったら!」
「衣食住を提供するんだから、これはもう部下だろ」
「友達同士でも家に泊まることくらいあるよね!?」
「知らないのか? あれはお互い部下と上司になったことを暗黙の内に了解している作業なんだぞ?」
「初耳もいいところだよ!?」
「まあ、おまえは、なあ?」
「ああ、そういえばそうだったな、おまえは知らなくても仕方ないよなみたいな扱いなに!?」
怒って帰宅してしまった。
静かになった屋内は、やけに物寂しい。
しばらく待つが戻ってくる気配はなかった。
ふらりと立ち上がり、こればかりは立ち入り禁止にしてあった寝室に戻り、ベッドに頭から突入する。
長く静かな吐息はどこまでも続いた。
骨同士の連結が徐々に解けていくのがわかる。
リラックスしきった体勢だが、誰か侵入者があればこの家そのものが相手をすることになるはずだ。
――ああ、良かった。
心底思う。
さらに骨同士の連結が緩まる。
――あいつが部下になることを断ってくれてよかった。
全身がこのまま砂と化してもいいと思えるほどの安堵だった。
気がゆるんだ拍子に、一滴だけ涙がこぼれた。
完全に自分のものになったら、どうなるか?
ついさっき、あの返事に頷き、部下であることを承知したらどうなるか?
ぞくりとしたもの、よくわからない感覚が心を這った。
喜びなのか怒りなのか悲しみなのか、それすらわからない。ただ、そうなってしまえば自分は壊れるだろうな、という予感があった。同時に、壊してしまうだろうなという予感も。
エルシー・ペスティという人間は、それをせずにはいられない。
そうせずにはいられない何かが奥底にあり、常に鎌首を擡げ、抜け出る機会を伺っていた。
それはときに強大な力を制御する助けになるが、日常においては厄介な衝動となる。
他人であれば、まだいい。
だが、自分の下につくことを了承してしまえば――
毎朝の、魔力の様子。
乱雑に破壊の吹き荒れる有様。
ペスの奥底の心の様子そのままを現したそれを、ぶつけないでいる理由がなくなる。
部下になってくれ、おれのものになれ――言うたびに心が震える、断られるたびに全身の結合が解けるほどの安堵におそわれる。そして、同時にまた、欲しくなる――
どっちも嘘じゃなかった。
一緒に笑いたいのも馬鹿やりたいのも、まぎれもなく本当。だが、それとは別に欲求がくすぶる。いつまでも、絶えることなく――
涙が流れる。
しずしずと流れ続ける。
今日も一日、無事に終わった……
そのことを何かに向けて心の底から感謝し、ペスは眠りについた。
ぺス編、日常編終了。




