35.ぺスティの日々Ⅱ
いつものように起こされ、いつものようにちょっかいをかけながら登校し、いつものように委員長がホームルーム中に不運を暴発させ、そして、いつもとは違う訓練課題を彼女は選択した。
魔術ゲートを通り、状況を見て確かめた。思わず笑った。
それは、最初は諦めと呆れ半分だったものが、怒りと憎悪と歓喜の――つまりはいつも通りの笑いへ変わる。
哄笑は彼女自身もどこにつながっているのか分からない喉奥から口へと響いた。
この未誕英雄世界における課題訓練とは、言ってみればキッカケの獲得に過ぎないと言われている。
たとえば魔術。
これは学問としての側面もあるが、それ以前の問題として「魔力を感知しこれを使う」ことができなければ話にもならない。そしてそれは、決して机の上にかじり付いているだけでは獲得できない事柄だ。
実際に魔力というものに触れ、己の内に呼応するものを見つけ出し、それを引きずりだしてようやくそれが叶う。
本来一朝一夕ではいかないものを、一朝一夕で無理に行うのがこの世界における課題訓練となる。
今、ペスが獲得しようとしているものは前々から欲しかったものだった。
ようやく最近になって解除されたそれは――最大魔力放出量の増大だ。
言葉として言ってしまえば簡単だが、これをするためには意識的無意識的なストッパーを外すことが求められる。
体中の魔力を限界値を越えて振り絞り、魔術を発動させなければならない。
だから、そうした課題が出されるだろうなとは覚悟していた。
「ハハハハハッ――」
だが、思った以上にむちゃくちゃだった。
震える。
この課題訓練は誰もが後込みし、様子見に徹していた。
今これに挑戦しているのはペス一人だけだ。
調べれば、その課題を作った人間がどのような者かは知ることができる。
これを作り出した先達は――
緻密にして無謀。
狂気にして正常。
阿呆にして才人。
正反対の評価を同時に受けている者だった。
何個か受けた訓練課題は、なるほど、たしかにその評価にふさわしいものだった。
親切な二回生の人も、「これだけはちょっと止めておけ」と忠告していたそうだ。
この場所は魔法的に作られた異世界だった。
真っ白な地面がどこまでも延々と広がる。
おそらくは地動説ではなく天動説を採用している。
その遙か上空から、隕石が降り落ちようとしていた。
大きさは判別できない。
だが、この人工世界を残らず破壊してしまえるだろう威力があるとわかる。
たった一個でも間違いなくそうすると断言できるものが、十九個ばかり同時に降り注いでいた。
ランダムではなく、ペスひとりだけに向けて。
正気の沙汰とはとても思えない。
準備時間を与えられたが、その内の五分ほどはただ呆然としてしまった。
きっと部下予定のタレ目がいれば「いやいやそんな馬鹿な」とツッコミを入れるのだろうなと思う。
その少しばかり間の抜けた様子と行動を明確に想像し、笑い、決意が固まった。戦いへと意識が戻った。
まったくだふざけんなバカと叫びながら銀円を広げ、その手と円の間に魔法陣を展開。地面へと照射し陣とする。一つ二つではまるで足りない、百や二百の陣形が必要だ。
浮かぶ彼女の真下で、集積回路を思わせる緻密と精度のそれらが瞬く間に描かれた。
これらを発動させるだけでも、並の魔術師の一生涯を必要とするだろう。
「来いよ、来てみろよ、やれるものならな――!」
そう、正気とは思えない攻撃力を前にしては、彼女もまた正気とは思えない破壊力を構築するより他にない。
手を広げ、目標へと掲げる。
目はぎらぎらと興奮に輝き、口は己の最大を壊れるほどに発揮できる喜びに溢れる。
真下の魔法積陣は相克することなく起動し、刻一刻と光量を上げる。
『敵』は、惑星を破壊しかねないほどの威力を保持している。
これに対処するにはいくつかの方法がある。
一つは逸らすこと。
軌道を計算し、最適かつ最小の動きでやり過ごす。
一つは逃すこと。
魔術的なゲートを開き、こことは異なる場所へと追いやってしまえばいい。
一つは消し去ること。
物質消去系の魔術を使えば、運動エネルギーごと消してしまえる。
そして一つは――
「真正面からぶっ潰す!」
もっとも愚かな回答を、ぺスは喜々として実行しようとしていた。
大小さまざまな円が輝き、ぐるん、と動く。
ペスを中心点として、いくつもの魔法陣が流麗かつランダムに、魔術師の意のままに。
宙に浮かぶ彼女は、片方の手を真下に、もう片方の手を真上へ向けていた。
二つの銀の腕輪は最大限に、まったく同じ大きさに開いている。
それは、エルシー・ペスティという名前の骨を伝導体に見立てた砲台だった。
二つの銀円は発射孔と発射機構だ。
存分に力を流し込んだ魔法陣、それを束ねて貯めて集積し、真上へ一度に解き放つ。
単純な力を以て狂った景色に風穴を開ける。
「――っ」
発動。
まずは力を取り込む。
三角錐の竜巻があればこうだろうと思える有様で魔力が吸い込まれる。
今まで味わったことのない力の奔流、だが、まだこの程度であれば耐えられる。
全身でぴしぴしとイヤな音をしており、己が自意識を消し飛ばしかねない魔力が蠢くが、まだ、大丈夫、制御しきることができる。
蓄えられた力はすべての骨のすぐ上で螺旋状に巡り、更に強く発光し、出口を求めて加速する。
今のペスができうる最大の攻撃。
問題は、それでこの『敵』を打ち破れるかどうか――
弱気を凶悪な笑みを浮かべることで押し殺し、二円の狭間の伝導体としてあるペスティは、しかし、『さらなる力の奔流』を受け取った。
「え――」
意識したものではなかった。
限界値間近、これ以上はただの害悪でしかない。そのぎりぎりを狙ったというのに、あり得ないほどに増加した。
真下を見る。
展開させた魔法陣は、残らず思う通りに、思う軌跡で予定通りの流れを作る。
だが、気づけばその速度が十倍増しになっていた。狂ったようなテンポで動き、白い地平すべてを輝かせ、膨大さを二乗したそれが押し寄せる。
大地そのものが魔力を発し、供給した。
やけに描きやすかった地面は、今やペスが作り出した魔力を更にアシストし、増大させ、手助けをした。
「――っ」
反射的に難を逃れる思考――今すぐトリガーを引き発射してしまう案。
即座に遮断。歯を食いしばりその景色を睨みつける。
気づいた。
これがこの最大魔力放出量増大訓練、その本当だ。
ペス自身が想定する『最大』を発揮したところで意味がない。
たかが覚悟や決意ひとつ程度でそれができるのであれば、訓練など必要ない。
「上等だクソッッ!」
限界のラインを一つどころか五つほど越えてようやく人は『限界を超えた状態』を手にすることができる。
この白い世界は、ただそのためだけに――限界を越えた力を発揮させるためだけに作られた場所だ。
上からの暴虐は刻一刻と近づく。
下からの親切極まりないキャパオーバーはそれに対抗する手段となる。
あとはペスがこれを耐えきり、制御しきればいい。
銀円が高速で回転する。うなりを上げるそれは大気を切り裂き世界を回す。
ペスの口から出され続ける絶叫のような叫び声は、高密度に圧縮された呪文だ。いくつもの魔術文字が生まれる端から消費され、さらなる次の魔術文字を生み出す。
二つの銀円すら越えるほどに濃密かつ膨大な球形制御魔術が脈動する。
あまりに膨大すぎる魔力はペスの自意識を乱雑に吹き消そうとした。
もとよりきちんとした生命とは言い難いペスは、魔術生物としての側面を持つ。
常に魔力を制御しなければならない。
常に意識を保ち続け、人格を揺らがせず構成しなければならない。
さもなければここで『死ぬ』。
アホか放課後アイス食う約束してんだ魔力ていどがおれの楽しみ奪うつもりかふざけんな悔しかったらフォーティーンアイスの新作食ってみろ隙見てつまみ食いとかするんだからなうらやましいだろばーかばーか!
常に発する言葉の裏には不安がある。
その揺らぎが、エルシー・ぺスティという人間の人格根本を引き抜く契機となる。
口元は相変わらず笑顔。
だが目元からは涙が流れる。
諦めないことは間違いだと、なにかが言う。
真実に近いもの。
あるいは心の底にある本音。
うるせえぼけ知るか関係あるかおれはおれだ文句あるなら真正面から来やがれ逃げたらぶん殴る――!
魔術構築とともに一瞬たりとて意識をとぎれさせることもまたできない。
ただ没入してしまえば、それはペスという人格の消失につながる。
極大の魔力はペスの心と体、その両方を崩そうとしていた。
魔術的な迂回路を構築し、耐えているがこれもいつまで持つか。
心の方は――ふと、言葉が思い浮かんだ。
黒鎧を前に、驚いたようなタレ目に向けて言った言葉。
きっと自分は、憎悪などよりもあれを望んでいた。
腹の底から笑うために必要な条件はなにか?
へばりついていた弱気とおびえが消し飛ぶ。
揺れていた心の天秤があっという間に逆転する。
表現できぬ強い何かが心を満たした。
それはプラズマ熱を前にしてもひるまず進む心の動きだった。ごく当たり前の日常を過ごし、無限に歩き続ける意思だった。
静けさが膨大な魔力を捉えた。
敵対するのではなく流せばいいのだとわかった。
心の揺れが一時的に止まり、その分だけ思考領域に働きが戻った。
そのときのぺスは、ただ一個の魔力を制御する生き物だった。
心には大切な、言語化できぬその想いだけがあった。
真下からの魔力をすべて吸い込み、圧縮し、加速させ――発射した。
魔術の光弾だった。
十九個の隕石群すべてよりも巨大な。
やけに静かな心地でペスはそれを見る。
魔術と隕石の衝突は一瞬で終わった。一瞬で、光弾は通過し、原子単位にまで蒸発させた。
この世の終わりだったような光景がすべて晴れ、そこにはただの青空が広がっていた。
「あー……」
ふと気づけば、先ほどまでの確信が消えていた。
宙に同じように浮かびながら、妙に軽く感じる体の様子を確かめながら、ぺスはただ茫然としていた。




