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未誕英雄は生まれていない  作者: 伊野外
日常
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33.ヤマシタさんの日々Ⅲ

四本の足を動かし続けながら思い出すのは、銃弾飛び交う先ほどの練習だ。

廃ビルに囲まれた地点にて行われた銃撃戦、彼はおとり役を買って出た。


鈴を鳴らした途端に向けられた銃口の数々。

某殺意マニアのタレ目であれば歓喜していただろうが、彼は違った。


銃弾の嵐が遮蔽にしていた壁を削り、数秒後にも破砕すると思える環境。

数にして二十六ばかりの異形たちの目が猫一匹を標的にしたかくれんぼを行い、彼方からはスナイパーが余計なことをしでかした猫をライフル弾で壁に縫い止めるアートへ変えることを企み、ぽぉんと投擲された手榴弾が絶え間なく鳴り響き、徐々に接近する。


彼は、その環境にまったく不安を感じなかった。

心音はまるで変わらず平素と変わらぬ鼓動を打っていた。

あんまりにも安息すぎて、自分から敵襲団に接近し、さらに攪乱させてしまったほどだ。

正直、少し退屈だったのだ。鈴を鳴らしながら混乱を加速させた。

注意しなければならないのは敵のそれはもちろん、味方の銃弾もそうだった。


だが、火薬が着火される際の、あの耳障りな騒音が忙しなく交差するその直中へ行っても心はまったく平穏だった。


意識が真っ白になるほどの集中。

何も考えずともかまわないと思える静謐。

ただ一個の器物として目的を行うことの歓喜。


そうしたものは皆無だった。


それらすべてよりも――


「日常生活の方がより危険であるのは一体どういうことであろうか……!」


後ろから、哄笑を上げながら迫る委員長の方がよほど危険で厄介な相手だった。



 + + +



そう、ヤマシタさんの日常とはたいていの場合はそんな感じで、委員長から逃げ出すことが大半を占めている。


委員長――捕獲方法の研究に余念がなく、諦めるつもりもまったくない相手から逃げるには、こちらもまた力をつけなければならなかった。武術や魔術などよりも、危険感知や逃亡技術の方がこの場合は必要だ。


今のところ、それはごく順調だ。

野戦適正くらいであればとっくに持っているはずだ。


仮になければ、きっとペットになるか飼い主になっていた。

こうして今日も無事に精神的な意味で生き延びることができたのは、ひとえにそうした自身の成長と、なによりも委員長の運の悪さが理由に違いなかった。欲しいものが手に入らない、望みが叶わないというのは、いかにも「運が悪い」。


逆を言えば、委員長が捕獲することを諦めたときにこそ、自分は捕まるのかもしれない……

そんな皮肉をふと思う。

同時に、ずず……と鼻水をすする。

勝手にどんどん垂れていた。


「寒い……」


夜もすっかり冷え込むようになった。

屋根上の、風を遮るもののない場所ともなればなおさらだ。冷えた風が体温高めの猫の毛を容赦なく撫でる。


委員長より逃げ切った後に、委員長の住む家に引き返し、そこへと潜む。

その行いに若干の馬鹿らしさを感じないと言えば嘘になる。


「わ……」


ばさりと顔にぶつかったのは紙で、元はといえば紙飛行機のようだった。

それで鼻を拭くより先に中身を広げて見てみると、今朝方に貰ったプリントと同一のものだった。


「……?」


正確に言えば、一部が違ったが気にするほどのものでもないだろう。

ちーんと鼻をかむ。


すっきりしてから、再び周辺に気を配る。

乗っている場所は、委員長が現在住んでいる家屋の上だった。


委員長という人間がもっとも危険にさらされる時間がいつかと言えば、間違いなく夜間だった。

そこでは意識的に不運を制御することができず、完全に解放されてしまう。

昼間であれば止める人もいるだろうが、誰もが眠る時間であれば不審な異物の大群を止めるものもいない。


これを排除することが、一日のうちでもっとも大変な作業だった。

なにせ、前方からはもちろん、後方からも――もっといえば委員長からも攻撃されるのだ。

昨夜はまんまと捕まり、ベッドの中へと引きずり込まれて抱きかかえられることになった。


すうすうという吐息との接触は、死神が間近で呼吸すればこうなるだろうと思える状態だった。

瞬間的に人型へと戻り、すぐさま猫状態へ復帰。そのわずかな合間を利用して首輪を抜けだし、自宅寮へと戻った。


――あのような失態は二度とすまい……!


心に誓う。


夜に沈む町。

住宅地であるため、それこそ草木すらも眠ったかのように静まりかえっている。

その中を、音もなく歩く集団がある。


それは――ただの人々だ。

なんの変哲もない、それこそ朝であればなんの違和感もないだろうと思える人々。

スーツ姿、あるいは制服姿、あるいはジャージを、あるいは私服を、あるいはランニング途中の様子で。

誰一人として武装しておらず、なんの戦意もありはしない。


だが、生命と呼ばれるものもまたカケラも無かった。


ひしめくように、歩調をそろえる彼らは、なに一つとして意思や感情を表さない。

虚ろに進む様子はゾンビであると言われても違和感はなく、誰であっても「マトモな生き物ではない」と断言する。


ここ最近、委員長を襲っているものだった。

ヤマシタさんは、彼らが生物ではないことを知っている。

魔力を込めた爪にて削ったところ、血は吹き出さずそのまま『はじけた』。

蒼い燐光を振りまきながら、まるで針で風船をつついたような有様で消えた。


つまるところあれらは、人の形をした『モンスター』だ。

倒せば消える。生きてはいないもの。あるいは、自動的かつ無限に動くもの。


リポップ――一定時間が経過したら再び似たようなのが現れるところもそっくりだ。

なぜそのような者たちが、委員長を襲いに来ているのかは知らないが――


「おまえたちは、不運だ――」


睥睨しながら猫は言う。

その意思に反応したのか物言わぬモンスターたちは立ち止まり、ガラス玉のような目を向ける。


「おぬしたちが目的にまでたどり着くことは決してない。いかなる所以と筋合いに依り来着したかは知らぬが、ここが結尾だ、先はない」


のろのろと、石や枝など手近な武器を手に取る様子がわかった。

中には理解できないような物品を懐から取り出し使用しようとしている者もいる。


猫は――意識を研ぎ澄ます。

やることは単純、敵を近づけさせぬこと。委員長を介入させぬこと。

それができれば勝利。

それができなければ敗北。


単純で、わかりやすい。


敵として注意するべきは運動着姿の者たちだろう。まずは機動力のある相手を削がなければ不利となる。

攻撃力はさして高くはないが、よくわからないものを使用している者たちがいる。奇妙な機械にて魔法にも似た力を発揮している。次に狙うべきは彼らだ。

数の多さは間違いなく不利だ、まして勝利条件を考えれば鈴を鳴らすこともできれば控えたい――


意識が綺麗に漂白されていくのを感じる。

単純な機械、あるいは人形としての己に戻ろうとする。

悩むことなく苦しむことなく己の力のなさを嘆くことなく、ただ成すべきことを全力で行う器物に。


彼はもともと、『そういうもの』だった。


名がつけられてしまう前は、命じられたことをただ行う者だった。

ただ一時ではあるが、それへと戻る。ほんの一時だけ、名を捨てる。

結局己は目の前の、意思無き者たちとさして変わらぬ――そんな皮肉をちらりと思う。


肉食のそれとしては細い牙と爪、足らぬ実力、己の弱さ、決定的な力の不足。

だからどうした。

それは役割を果たせぬことの理由にはならない。


行うべきことはなにか?

敵の排除。

味方の安眠。

これほどシンプルで、やりがいのあることはない。


つまりは、ナワバリを守ればいいのだ。


四人の中でもっとも欠けたものを守るため、ただ全力を尽くす。

音もなく、今夜もまた猫は夜を駆けた。




ヤマシタさん編終了。

とてもほのぼのとした話だった(自分自身を騙す表情で)

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