32.ヤマシタさんの日々Ⅱ
いつの間にかできあがっていた彼の参加しているチーム。その仲間はどのよなうな者たちかと問われたなら、彼はしばし考えたのちにこう返す。
とびきりに、欠けた者たちだと。
+ + +
なんとか無事に到着したクラス内の様子はいつもとさして変わらない。
まじめに来ているものもいれば、平然とさぼるものもいる。
それぞれに好き勝手でまとまりがなく、そして、それを誰も気にしない。
そうした規律のなさに思うところが無いといえば嘘になるが、それでもどこか居心地の良さのようなものを感じているのもまた確かだった。
猫とは、人にではなく家につくものだという。
ならば、彼がついているのはこの教室ということになるのだろうが、どうもそうは思えなかった。
居心地はたしかにいい――だが、いくらなんでも騒がしすぎる。ここではゆっくり眠れないではないか。
だが、だとすれば、自分の場所はどこになるのだろうか?
少しばかり真剣に悩む彼の隣で、ふああ、と大きな欠伸を呑気にしている少年がいた。
タレ目と手に着けている手甲以外にはさして特徴のない、ごくごく平凡な人間だ。
他を気にせず振る舞う様子は、自分などよりもよほど猫っぽいと少し思う。
少し嬉しそうに手をにぎにぎと開閉させている少年には、名前がない。たとえ名前を付けたところで消えてしまう。元からそれがないと言うよりも、『名前』という概念そのものが元より備わっていないかのようだ。
たいへん不便ではないかと思うが、本人は意外と気にしていないらしい。
「あ、蠅の右羽つかまえた」
さっきからの開閉作業はそれだったらしい。
暴れる蠅の、その羽だけを捕らえて、もがぬように手を小刻みに動かしていた。無意味に器用だ。
しばらく見つめ、観察しているようだったが、そのうちに飽きたらしくそのまま離した。
「――」
今の作業を、はたしてできるだろうか?
ヤマシタさんは考える。
胴体視力としては問題ない。だが、この手足では精密作業は難しい。両前足で拍手するような格好となる。ならば、人の形となれば可能か?
いや、そもそもそんなことなど関係ない。
そうではなく――仮にこの者と敵対したとき、果たして今のような精密さがどのように戦闘へと用いるかを――
「ん」
「む――」
きょろきょろと見渡したかと思うと、こちらを見つめ。
「ヤマシタさん、どうかした?」
どこかわくわくした様子で、微笑みながらそう言った。
手は剣の柄へと伸びている。
この平和にしているのが似合う少年は、殺意に敏感だった。ここ最近は特にそうだ。
敏感に反応するのではない。
敏感にそれを感じ取り、歓喜するのだ。
どうやら本人は自分自身のことをごく一般的な人間だと思っているらしいが、甚だしい誤解と勘違いである。
「いいや、なんでもないとも」
「そっか」
少し残念そうにしていた。
友達と遊ぶ約束が潰れてしまった、くらいの残念具合だろう。
逆を言えば、殺し合いをその程度のことと考えていた。
人斬り、あるいは殺人鬼とは少し違う。
殺意を発揮したいだけだった。己自身のものはもちろん、相手のそれですらも。
黒鎧との戦いのときは凄かった。
本人は意識していなかったようだが、これ以上ないほど喜悦していた。
地獄の悪鬼ですら、もう少し苦しそうに戦うはずだ。
ペスティにからかわれて、苦々しくも嬉しそうにしている様子は、まったくそうは見えないが。
+ + +
そうやってからかっている側――ふよふよ浮遊して、少年の背中にこっそりと氷片を入れ、腹を抱えて笑っているのは、ペスティという名前の少女だ。
骨が自在に動き、小躍りする様子は、一見すると非常に不気味であるし、最初の頃は忌避感を覚えていた気もするが、今となっては慣れたものだった。
あるいは、その『骨』が人間のものではない――もっといえば生物のものではないとわかるからだろうか。
生身の頭部、その首より展開されるそれは、純粋に生物としてのものではなく、別の要素がいくつも加わっていた。
それがどのようなものかはわからないが、その特殊性によって無尽蔵ともいえる魔力と破壊力を作りだしていることは間違いなかった。
プライドが高く、仲間を思いやり、目立ちたがり屋で、義理堅さもある――
そうした、人格の輪郭のようなものは把握している。
だが、それでも彼はペスティのことがよくわからなかった。
彼女が憎悪を望んでいることはわかる。
もっと言ってしまえば、強い感情を行き来することを望んでる。
だがそれは、彼女の性質であって性格ではないのではないか、と思えた。
今彼女は天真爛漫に笑いながら、すさまじく器用に氷片を入れていた。袖口からやら、わずかに開いたズボンの隙間からやらだ。
百発百中の精度は、先頃に貰った銀の腕輪のお陰だろう。広がる腕輪内部に描かれた図形が魔術のアシストをした。
たかが氷片のひとつに分身・透明・誘導・液化からの再氷化などの効果を付与しているのだ。
「ちょ、冷っ、どこに氷いれてんの!?」
「わはは、もちろん、おまえのちん――」
「答えが欲しかったわけじゃないよ!?」
とても楽しそうに見える。
だが同時に、なにかを酷く我慢しているようにも見えた。
「考えすぎであろうか……」
「いいえ、そんなことはないと思いますよ?」
「委員長殿……いったいいつからいた?」
「あはっ」
笑ってないで答えてくれ。
そうは思うものの、言葉にしては言えない。
なぜなら、髭の一本でも動かせば、そのときには首輪ががっちりはまる体勢だった。
心の底からまったくの不覚だった。
一番の危険人物から目を離した。
すさまじい空中戦を繰り広げるそのすぐ傍で、まったく身動きできないだるまさんが転んだ状態となっていた。
――ああ、まったく……
いつの間にやら後ろに位置取られ、その動物の口蓋のように広げた首輪が触れんばかりのところまで接近された。己自身の阿呆さ加減をどれだけ責めてもまだ足りぬ心地だ。
冷や汗がだらだらと、滝のように流れる。
「ダメじゃないですか」
「なにがだろうか……?」
「ヤマシタさんは私のペットか飼い主のどちらかなんですから、そんなに熱心に他のひとを見てはいけません」
「委員長殿はその言葉に矛盾を感じたりはせぬのか!?」
「え、どこがです?」
「ペットor飼い主であることが、同等条件として成り立つ点がだ!」
「ふふ、ヤマシタさん?」
「なんだ」
やけに真剣な声で。
「ペットを飼うのは、ペットとして飼われる覚悟を持つ人だけができるんです」
「なにやらかっこいい台詞だが、この場合は種族的な差を少しは考えるべきだと拙者は思う!」
「えー」
人差し指で、背骨を撫でられた。
毛が間にあるために直接肌に触れられているわけではないが、ぞくぞくと熱病のような悪寒が駆けめぐる。
すさまじく邪悪な――それこそ「全身の細胞という細胞がたまたま偶然にも破砕する」と思えるほどのものが込められていた。
すでに不運というよりも、因果律操作に近い。
「そんなの、関係ありませんよ」
耳元でささやかれる笑み混じりの言葉は、間違いなく呪詛のそれだ。
「ね。ずっと傍にいてください……」
触る動作に、だんだんと遠慮が無くなる。致死が確死へと変わろうとする。
そもそも、なぜ自分がいま耐えられているのかまったくわからない。
どうして、まだ死んでいない?
真っ白になった頭では生存本能がただ絶叫し、気づけば全身全霊で逃げ出していた。




