29.委員長の日々Ⅱ
教室は、どこかの異世界の学校を模したものらしく、やけに古めかしい作りになっていた。
黒板やチョークはたしかに便利ではあるが、他にもっと簡便なものがあるはずだ。どうしてわざわざこうしているのかは誰にもわからない。
ちなみに、この教室への引っ越しは五回目だった。
以前のものは残らず崩壊している。
異世界と連結してマグマが吹き出している所もあった。
厳重に封印されて立ち入り禁止区域となっている。鍛冶職人の何人かが炉として使用できないかどうかを考案中だった。ひょっとしたら、学校内に鍛冶場ができる日が来るのかもしれない。
教室に一番乗りした委員長は、机に鞄を置いて掲示板室へと向かった。
ここは個人的な依頼がさまざまに張り出されている他に、全体への伝達事項がホワイトボードにて記されている。
巨大なそれは壁そのものと一体化しており、それぞれのクラスへの情報を所狭しと書いてある。いつどの訓練が解禁となるのか、あるいは全体への注意事項、連絡事項や伝達事項などなどを、すべて残らず詳細かつ綿密にである。
慣れれば大体どのあたりの個所が必要かわかるが、慣れないうちは壁面を左へ右へと忙しなく移動することになる。
そこに書かれた文字は一見するとただのマジックペン書きなのに、どのような手段を用いたのか、いくらこすっても消えず、いつの間にか別の文字に変わっていた。
どこから情報を得ているのか、誰が管理しているのかはまったく不明。
実は文字はひとりでに消え、勝手に浮かび上がって来るらしい。以前に一晩中見張りを続けていたクラスメイトはそう言っていた。
本当を言えばそのクラスメートがホワイトボードに落書きして皆を混乱させようとしたが、画面一杯にでかでかと「イタズラ書きは死罪だッッッ!」と墨痕鮮やかな文字が出現し、それに肝をつぶして逃げ出しただけだということを、たまたま目撃した委員長だけが知っている。
ひょっとしたら、これ自体が生きているかもしれないと皆が噂していた。
委員長は、たぶんそうなんだろうな、と思ってる。
別の壁には個人用の依頼が張られている掲示板がある。ピン止めでさまざまな依頼が記されているものだ。
彼女はそこへは決して近寄らない
以前に触ったときは、すべてのピンが外れて紙が一斉に落ちたのだ。
元に戻すのはかなり大変だった。もう二度とやりたくない。細かい作業をちまちまするのは苦手だ。
一方でホワイトボードの方は委員長の不運をあるていどは弾くので、ぺたぺた触りながら確認する。
心なしか嫌そうに身をよじっているような風情があったが気にしない。
触れてる点が黒く変色しているように見えるが、気のせいということにしておく。
黒板をちょっと強めに触れば壁ごとバッタンと倒してしまうのが日常だ。こうして『意識せず』物に触れることのできる機会はできれば逃したくなかった。
たいていの場合、誰かに触れるときには必要以上に不運が行かないようにしなければならないのだ。ペスティをくすぐったときにはそのあたりを調整して笑わせた。
ただ、ホワイトボードの、そのすべすべとした感触はたしかに好みではあったが――
「ふ、やはりヤマシタさんのそれには敵いません……!」
ちょっとだけどや顔で、自慢げに言う。
ホワイトボードはその隅に「あっそ」とあきれたような文字を浮かび上がらせる。
それでもしばらくぺたぺたさわり、「あはは」と触れることのできる幸福を味わった。
その後で、ようやく必要と思われる範囲を指定し、プリンターにて出力。
以前であればここで終わらせて、運ぶのは別の人にやってもらっていたが、今日の様子なら大丈夫かもしれない。
だって、今日はまだ建物をひとつも壊してないし、マイクロブラックホールだって見ていない。さすがにあれに巻き込まれたら大変なので急いで逃げなければならない。
「……」
束になったプリント、そこに書かれた文字をじっと見つめ、情報を吟味。よく知ったもの以外に「明日、転校生か来るかも?」という見慣れない文字もあった。半端な時期に『生まれ』る人が来るらしい。
「よっと」
意を決して持った途端、全て残らず自発的に紙飛行機へと姿を変え、勢いよく飛び去った。
おそらく、式神のシステムがたまたま文字配列に適合し、接続してしまったのだろう。
まるで手品師が三十匹ばかりのハトを一気に解き放ったような具合だったが、委員長本人以外は誰もそれを見ていない。
「おー……」
器用に扉を潜り抜けて外へと向かう様子を、ただ眺めているだけしかできなかった。
「なかなかいい不運です」
ちょっとだけご満悦だった。
+ + +
武人タイプの人が「どうしてこんなことを……」と眉間に皺を寄せて苦悩しながらプリントを運ぶ様子を見ながら、ヤマシタさんはどこかと探す。ホワイトボードを触ったせいで、それより上のものをなでなでしたくなったのだ。
ごく当然の権利であり、自然発生的な欲求だと委員長は心中で頷く。
――最初に出会った時も……
と考えて途中で止める。
思い出すことすらもったいない。これは残らず独り占め。
えへへ、と笑う委員長を、プリントを持って歩くクラスメイトは死神の訪れたかのように顔を青ざめさせた。
黄槍を片手に「どんな天変地異が来るかっ!」と臨戦態勢を取る。
実は喜色が混じっているのは、根っからの戦闘狂だからだ。
もちろん、なにも起こらない。そんな幸運が来るはずもない。
挙動不審なクラスメイトには目もくれず、彼女は三階位置から外を見た。
何もない空をベッドに、ふよふよ浮かびながらぐーぐー寝ているペスティと、不満そのものの顔でそれを引きずってるタレ目がいた。
浮遊は立派な魔術だ、そこそこ魔力も消費する。おそらくは起きているはずだ。
だのに、首根っこを掴まれてそのまま浮かび引きずられているのは、きっとそれが楽しいからなのだろうなと把握する。
隠す気もない狸寝入りだ。
どう見ても、今の彼女には不幸の気配がない。
誰であってもそうだとわかることだろう。
タレ目が抗議の言葉を――おそらくは「ちゃんと自分の足で歩こうよ!?」などの台詞を言った途端、子供のだだっ子っぽい動きで抗議するような人が不幸なはずがなかった。
いろいろなやりとりをしながら歩いてる。
ぺスティが大笑いしながら気まぐれに身体拘束系の魔法を使ったり、それが完全に性能を発揮するより前に『掴んで』無効化させている様子がわかった。
またいつものようにじゃれつきのような戦闘をしてるのだろうな、と視線を戻した。
その幸福具合に、ちょっと嫉妬してしまいそうだった。
エルシー・ペスティには体の肉体がない。
それを引いている男の子には名前がない。
どちらも欠損している。
未誕英雄とは、そういうものだ。
「だからって、それは不幸ってことじゃないですよね」
ごく当たり前のことを確認する。
委員長と呼ばれている彼女もまた、きっとどこかが欠損していた。
だけど、いったいどこがそうなのか、彼女はまるで自覚できない。できなくても、かまわないと思っていた。




