21.無謀について
誰がどう見ても、どう考えても無茶苦茶だし無謀だ。
相手は一級の戦闘力、二回生の人でも勝てるかどうか。
一方のぺスは一回性どころか新入生、その魔法的な素養と威力はあるけれど、言ってしまえばそれだけだ。
将来の大魔導師は、赤ん坊の頃からそうだったわけじゃない。まして今の僕らは生まれる前だ。
ぺスは、ほとんど昨日と同じ姿だった。
違っているといえば、きちんとマントをつけていることくらい、それを靡かせながら傲然と。
「おまえが強いのは分かるんだ、だけどよ――」
指をさす、その全身に魔力が巡る。
黒鎧が剣を構える。
「だからこそおまえをぶっ潰す!」
ぺスが吠えて魔力弾を放った。
当たり前のようにすべて弾かれる。
まるで通用しない様子を、僕は見る。
「――くそっ」
弱気に体を拘束されるのはここまで、僕は手足に命じて立ち上がり、駆け出す。
体の芯にまだ疲れは残るけど、それでも、動く。動かすことができる。
日中にストーカーをやってたかいがあった。
さらに奥歯へと、とっておきの緊急回復丸薬を放り込む。
念のためにと買っておいたもので、たった三つしか買えなかった、それを今ここで消費しようとしている――
「ああ、もう、なんなんだ!」
耳はマシンガンのような音の連続と、それを弾く硬質を聞く。
足は震えながらも速度を上げて、屋上を跳んだ。
下にはなにもない、ひやっとする落下感、無限に加速し、墜落する直前――両手で空間を『掴んだ』。
「があああああっ!」
覚悟していた以上の苦痛。
コンクリートに爪を立てて減速すればこうなるであろう惨状。一瞬で血塗れ。着地と同時に奥歯の丸薬を噛み砕く。
苦みと一緒に、強制的な回復プロセスが立ち上がった。
ぺスの様子を見る。
やっていることそのものは、単純かつ効果的。いわゆる遠距離攻撃だった。手の届かない地点から一方的に攻撃を浴びせかける。
空を飛びながら攻撃を絶え間なく降らせ、身動きを取れなくさせる。
そのためにペスは、まずはとんでもない高さにまで飛び上がっていた。
ほとんど豆粒にしか見えない距離。あそこまで行けば黒鎧には手の出しようがなくなる。
だけど、高すぎるし、遠すぎた。
攻撃が到着するまで十分な間がある。
避けるにしろ、弾くにしろ自由にできるだけの距離が。
誰であっても無駄とわかる攻撃を繰り返しながらも、ペスの動きはなにもかも承知というように淀みがない。
マントから零すようにばら撒くその傍らで、全身の骨が魔力を伝い、指先に灯った。
十本の指を使い、編まれた魔法陣は狂気のように高密度かつ圧縮された魔力を秘めていた。
洞窟内と、こことの違い。
それは即ち、十分な時間と生き埋めの恐れの有無。
制限を外されたぺスは、容赦をする必要が完全になくなる。
「十の爆裂」
名前の通り、十連の爆発が殺到する。
黒鎧はそれを涼風のように受け入れ、ただ目を赤く光らせる。
踊り浮かぶように術式を書き連ねるペスは、目を閉じ言祝ぐように呪文を続ける。
「百の刃裂」
空間一体にカマイタチが発生、岩肌を雪塊のように砕き乱舞する。
黒鎧は一際強烈なものだけを弾き、あとは防御力に任せて放置していた。
「千の砲裂」
土煙舞う様すべてを撃ち貫くような魔法弾の殺到、威力はさらに上がり、密度はさらに高くなる。
だけど、すべてを黒鎧は剣舞にて弾き返していた、赤い目は浮かぶペスから外れない。
「万の魔裂」
陽光が、陰った。明るい赤に染められようとしていた校舎や校庭、風景のすべての明度が下がった。
それだけだった。攻撃的な手段はなにも起こらない。
どこか不審そうにしていた黒鎧の、動きが鈍る。上半身の動きは変わらない、だけど、足がその場から動けなくなっていた。
「あ……」
気づく、地面に魔法陣が描かれている。
先ほどの攻撃すべてを使って、精緻なそれが彫り込まれていた。
百回素振りのとき、ペスの体を全自動で動かしていたものと、いくらか似ていた。
爆発で地面を均すと同時に視界を塞ぎ、刃と弾でそれを描き、そして、今まさにそこに魔力を注ぎ発動させた。
つまりペスは、強大な魔法を『当てる』ための下準備を終えた――
変わらず目を閉じ、魔力を循環させ、文字と円陣を巡らせるペスが手にしているのは、光の槍。
周囲の光量すべてをその一点へと注ぎ、固めたと思えるそれが輝き、膨らみ、密度を増した。
百メートルを越える長さとなり、相応の太さともなったそれは、もはや槍というより構造物だ。
槍は幾重にも光輪を纏い、ただ一点を目指した。地面に描かれた魔法陣、そこに囚われた標的を。
ゆっくりと、瞼が開く。
唇が動く。
「一の閃裂」
骨の人差し指が、倒れる。
それだけで光槍は馬鹿げた速度で落下した。ライフル弾を思わせるそれは重力の助けも得てさらに加速し、薄暗がりの世界に直線を作る。
身動きがとれない以上これを避けられない、剣での迎撃もこれほどの威力であれば意味がない、どれほどの技があったところで百メートルもの長さをいなす術はない。そして、黒鎧は魔法的な攻撃手段を持たない。
やった……!
わずかな悔しさと共にそう思っていると、南京錠をむしるように取り、黒鎧がぱかりと中心の扉を開けた。
今更なにをと思う暇すらなく、ほとんど仰向けの姿勢となり、光槍と相対する。
ペスから見れば、きっと大の字みたいな姿をした黒鎧が見えたはずだ。攻撃はその中心へと行き――
「え」
「は?」
吸い込まれた――
そうとしか言えない光景だった。
長く凶悪な強さを持つそれが、黒鎧中央に開いた箇所へと残らず入った。
訪れた人に望む素材を与え、岩石から鉱石を収集した地点へと長大な光槍を収納し、わずかな破壊もこぼさなかった。
どんな素材でも、少量であれば手に入れることができる。
ヤマシタさんや委員長が手にしていたアイテムの様子。
鍛冶屋が突然やる気をなくしてふてくされていた理由。
嫌な予感というよりも確信として、わかった。
「ペス、逃げろっ!」
叫びながら駆ける、魔法陣の中心、いまだ移動ができない敵は上半身であれば動かすことができる。
全身から蒸気を吹き出し、目を炯々と光らせ、中央の扉を閉じる。いまだに仰ぎ見るような姿勢のままだ。笑ってしまうようなそれは、だけど同時に『攻撃のための姿勢』でもあった。
膨大なエネルギーがその内部で蠢き、暴れ、反逆し、やがては整えられて改変される。
黒鎧中心にある扉が再び開き、そこから一つの球が出る。見るだけで莫大な力を秘めているとわかるそれ。
「この――」
ペスはそれに対応して、再び攻撃しようとする。
それは決して悪手じゃないけど、この場合は相手が悪すぎた。
黒鎧が、仰向けの体勢のまま球を取った。
そして、上半身だけを回転させる。鉄の拳が地面に付き、赤の視線が上空を睨んだ。
「届け……っ!」
その背を『掴む』ことができたのは幸運だった。
圧倒的な体格差、膂力は比べるべくもない。それでも相手はとんでもなく不安定な姿勢の最中だ。
鎧が軋んだと同時に無尽に回転し、伸びた腕に力が乗り、
投げた――
反動で足場としていた岩棚が崩壊した。
僕もまた、わずかに耐えただけで体ごと回転に巻き込まれ飛ばされる。
ほとんど攻城兵器の投擲みたいなそれは、降り注ぐ攻撃を吹き飛ばし、暗闇を切り裂き、落下時の倍する速度で上へと行った。
景色すべてを塗り替える一撃は――ペスのすぐ横の空間を過ぎた。
ほんのわずか、一度に満たない角度のズレが、攻撃を外させた。
直撃はせず、固体には何も当たらず、ただ雲だけを貫いた。
ペスもまたとっさにマントで体をくるんでいた。唯一にして命綱となる防御装備だ。相応の防御力はある。
なのに、致命傷だった。
ジェットエンジンを積んだかのようにペスは吹き飛ばされた。
骨が散らばり、マントは千切れて飛んだ。
呆然とした表情が「あ……」と呟き、羽をもがれた蝶みたいに落下する。
「ペス!」
僕の叫びは届かなかった。




