・誕生について
そこでは、英雄を造っていた。
+ + +
いきなりぱっちりと、なんの前触れもなく目が覚めた。
こう、直前まで寝ていたなんて自分でも驚くほどの、いきなりの覚醒。そういうことってたまにないだろうか。
僕のそれも、似たような感じだった。
目が覚めた途端、『生きて』いた。
今この瞬間に生まれ、誕生したんだって、わかった。
「え……」
呆然と上げた声さえきっと初めて。
何もない、真っ白な部屋、僕はただ椅子に座ってた。
「ええ、と……」
首を左右に振る。
ちいさな窓と、真っ白な室内が見えた。僕は行儀正しく背筋を伸ばしていた。
ちょっと、真上を見上げてみる。
おー、と声が出た。やっぱり白い天井があり、小さなランプが吊られていた。日中だからかまだ点いてない。
「……」
することがもう無くなった。
どうしたもんかと、ぺたぺた触る、まずは椅子から、続いて僕自身。
中肉中背、おそらく男、いや、ついてるんだから間違いなく男だ。ぴったりとしたシャツとズボンは、どこかの学校制服を思い出させる。
腰にあるのはブロードソード。しっかりと手に馴染む。
すらりと音立て引き抜くと、物騒な輝きが「斬ってやるぞ」とばかりに威圧感を放つ。
座ったまま振ってみても、ぴしりと思うところで止まった。
使い慣れてる?
わからなかった。
今この瞬間、誰よりも僕についてわかっていないのが僕だった。
左右へと剣を振る、次に8の字を描くように。
剣を収める動作もきっちりと決まった。どれも不自然なくらい体が自在に動いた。
「……」
元の姿勢に戻る。やっぱりわけがわからない。
真正面にあるドアをずっと見ているのもなんか間抜けなので、僕自身の右手を見てみた。これ、本当に僕のか?
たしかに思うとおりに動く、だけど、こんなにも知らないことだらけなのはどうしてなのか。
「記憶喪失……?」
違うと、何かが言った。
「転生……?」
そうかもしれないと、何かが言った。
問いかけた先にある、僕の右手はまったく答えない。
手を開閉させてみる、なぜか妙な違和感のようなものがあった。
脳味噌の奥底、魂と呼ばれるもの、あるいは肉体そのものが宣言していた。
僕が人間であるのと同じくらいの確かさで、僕は「今この瞬間に生まれた生き物」であることを。
他人に言われたら反発することも、僕自身が確信しているんだからどうしようもない。
はは――
口元が、痙攣にも似た笑いを作った。
生まれて初めて浮かべた笑顔は、ひどく苦しかった。
+ + +
扉の外をこわごわ覗くと、色々な人が忙しなく走り回っていた。
一見すると病院の風景、だけど、どこかが違ってた。
病院?
待て、どうして僕は病院ってものを知ってる?
いやいや、それ以前に言葉とか物の固有名詞を知ってるのはどうしてなんだ?
色々な部分が食い違っている、チグハグな部分が多すぎる、僕が僕であることすらひとつ間違えれば確信が持てない。
なんだよ、勘弁してよ、ホント……
思っただけのはずだったのに、どうやら声に出していたらしい、一人が僕を指さし「あー!」と言った。
「また生まれたのぉ!? 勘弁してよホントにぃ!」
オウム返しっぽく叫ばれた。
「あの……ここって……」
「はいはいわかってるって、わかってないんでしょ? いいからコッチ来ようか」
にこにこ笑顔で、でも有無を言わさず運ばれる。こう、子猫を運ぶみたいに首根っこ掴まれて。いや、もちろん足はついてるけど、気分としては似たような感じだ。
見れば、けっこうな割合で僕みたいにされてる人たちがいた。本物の猫も一匹いた。
誰も彼もが憮然としながらも大人しくその扱いをされているのは、きっと根本的な自信がないからだった。
――不安です、わけがわかりません。
全員の顔にそう書いてあった。
僕にも、間違いなくそれが浮かんでる。
陰鬱なドナドナ言ってる曲がなぜか脳内で聞こえた。
「ふっざけんな人の首とか勝手につまんでんじゃねー!」
そう叫んでる人も後ろの方でいたけど、たぶん例外だと思う。
通された場所は、それこそ病院の診察室そっくりのところ。というかそのまんまだ。
メガネをかけた年寄りっぽい人が、椅子に座る僕を見ずに何かを書き込んでる。見たことの無い文字だ。
表意文字っぽいけど、やたら曲線を多用してる。
ぱっと見、すごく綺麗だった。最高に複雑かつ美麗にした楽譜があれば、こんな感じだと思えた。
字が下手な僕が書けば、きっとなんか酷いことになる。
いや、だから、どうして僕は僕の字が下手だってことを知っているんだよ。
ちいさく手で僕自身に対してツッコミを入れる。
誰もツッコミ役がいないんだから、僕が自分でやるより他にない。
若干むなしい。
しばらく、変に静かな時間が流れた。
廊下向こうはまだ騒がしくざわざわしていた。
なのにこの室内では、一言もしゃべっちゃいけないみたいな雰囲気があった。
いい子だから待っているように。そんな風に言われてるような感じだ。
なんだろうなぁ、と思う。
向かい側の、窓越しに見える建物の一室がなぜか突然崩壊していた。
何事かと思うけど、外の騒がしさはまったく変わっていない。こう、「大変なことが起きた」みたいな感じはまったくなくて、「なんとお湯をこぼしてしまった」ぐらいの様子だけがあった。
「なんなの、ここ……」
思わずボヤくけど、答えはない。
というか、僕の前にいる人もまったく慌てていない。なにかを書いているだけだ。
まだなのかな、と注目してみると、白眉毛の下と丸メガネの奥にある目がこっちを見ていたことにようやく気がついた。
実は、ずっと観察されていた。
「いや、失礼」
僕に気づいたことを向こうも気づき、柔和な作り笑顔でそう言った。
嘘だとわかった上でも気を許してしまう類の、慣れた表情。
「君たちは、中には危険な人も多いからね、しばらくは観察することにしてるんだ。悪いね」
「いえ、あの……」
「ああ、混乱しているだろうし、不安を感じているだろう、それは、まったく不自然なことじゃない。ここに『生まれた』誰もが味わっているものだ」
いま机にしまい込んだ重火器っぽいのなに? とは言い出しにくい雰囲気だった。