166.未誕英雄についてⅡ
医者は腹を抱えて嗤い続ける、しばらく止まりそうになかった。
だからこそ、思い出す。
僕が『掴んだ』ペスの過去には、複数の姿があった。
本当に僕らが誕生前の、未来に生じる英雄なら、そんなものがあるはずなかった。
いままであった出来事、そのひとつひとつを思い返しても、違和感はあった。
正直、どうして気づかなかったんだってくらいあからさまだった。
河蛾は同じ過去を共有していた、僕らと同じ『――』の出身だった。
祓打さんとの会話に齟齬があった、僕ら個別の好物や執着する対象を持つことだってそうだ。
確かな過去を持つ行動を、僕らは取りすぎていた。
本来なら、もっと早く気づかなきゃいけないことだった。
たぶん、なんらかの形で僕らの脳味噌には加工と制限が施され、不都合な情報を理解できないようにされていたんだと思う。
ちょうど勇者がその発言を制限されていたように、僕らにもまた制限がかかっていた。
まあ、だけど、それにしたってちょっと間抜けすぎだ。
あまり印象に残らない二回生、狼の頭部を持つ人は、きっと何回もそういうことを説明してくれた。何回もしてくれたからこそ、その印象はとても薄いものになってしまった。
そう、僕らの人格は僕らのものだった。
もともと僕らの魂に残留していたものだ。
未誕英雄の基本コンセプト――「魂にまで染み着いたものまでは消えない」、それが既に起きていただけだ。
時空を歪めて、未来に生まれる英雄の魂を呼び寄せた?
そんなの、嘘だ。
そんな無駄遣いを、偽物に対して行わない。
そう信じ込ませていただけに過ぎない。
「その通り! その通りだなんだ!」
腹を抱えて笑う声の隙間に手を叩き、唾吐きながら叫んでいた。
「この世界は、人造の英雄を造るための場所だ。君が見たダンジョン構造――英雄作成の自然発生装置を模倣して、この世界はある。理由? そんなの決まっている――」
笑いが止まり、そのまなじりがつり上がった。
「下らないからだッ! 世界に、神に、運命に選ばれた強者。誰もが賛辞し、誰もが崇め、協力者は都合よく現れ、批判者は残らず雑魚か敵か悪役。そんな存在がのうのうと闊歩しているなど、心の底から虫酸が走るからだ!」
似たような台詞を、以前にも聞いた。
だけど、覚える感情は正反対だった。
「下らない、ああ、本当に下らない――」
銃身を握り、コメカミに自らゴツゴツと叩きつけていた。
白々とした明かりに照らされて、血走った目の様子がよくわかった。
丸メガネも白眉毛も、加齢による成熟の証というより、ただひたすらに消耗した結果に見えた。
「はあ……」
だが、一転してにこやかになり。
「だからこそ、君たちが戦った様子は最高だった」
手を広げ、興奮したように銃を振り回しながら。
「まったく大笑いだった! 君もそうは思わないか? 英雄様だ、絶対負けない、選ばれた存在だから勝つんだと自信満々だった奴が、君たち罪人の魂魄融合体に――『それらしく振る舞わせた』だけの偽物に敗北したんだ。はははははっ! なあにが英雄だ! 結局のところズルして強くなっただけの連中だ! 君たち未誕英雄は、その確実な証拠であり証明だ!」
僕の眉が自然と上がるのを自覚する。
河蛾が身を張って否定しようとしたのに対し、目の前の医者は「他人の魂を使って」それを否定していた。
それと――
――ああ、罪人か。
そのことにも、納得した。
誰かを殺したいと思う気持ち、破滅を自覚しながら鼓舞する態度、不運を呼吸するように振りまく在り方。
考えてみれば、まったく当然だった。
僕ら四人の中で違うのは、たぶんヤマシタさんくらい。それも「使役される立場だったから」って部分もあると思う。自分の判断で動くことを苦手にしてた。
「おや、なにか不満かね?」
なにを誤解したのか、こちらの目をのぞき込むようにしながら医者は言う。
「こちらの思惑がどうあれ、この世界があるからこそ、君たちはいるんだよ? それを否定するのかい? 生まれてこなければ良かったと、そう言ってしまうのかい?」
拳銃をコツコツと自分のコメカミに当てながら言う様子は、あからさまに馬鹿にしたものだった。
「脱落した人たちは――いなくなったクラスメイトはどうなった」
銃が止まる。
きゅい、と音立てるように医者の唇が曲がった。
目は爛々と輝き続けている。
「未来の英雄の魂が脱落したなら、本来の流れに戻るだけだ。でも、ここで造られた存在なら、そんなことをするわけがない。英雄を嫌悪し、他者を尊重しない奴ならなおさらだ」
「もう、それは自分で答えを言ってるんじゃないかい?」
「あの魔神は、配下として未誕英雄を呼び出した。僕らのクラスメイトで、いつの間にか消えてた奴らが、あの場にいた」
「どうしてだろうねぇ……」
「血には魔力が宿る、それは立派なエネルギー源になる。そして、この未誕英雄世界は『魔力に満ちあふれている』。その供給源はどこだ」
「全部わかっているだろう? 英雄の偽者になれなかった者、英雄を越えることができなかった者、不必要となった者たちはこの世界の糧になった。物質精神魂魄を残らず搾り取る。たぶん、君たちをあの世界に送り込むときに混じってしまったんだろうねえ、ちょうど手頃なデータとして再活用されたわけだ」
医者は喉奥で笑い続ける。
こちらの無知を、すべてが終わった後で気づく名探偵の間抜けぶりを嘲笑する。
「リサイクルとエコは大切だ。とてもとても感謝しながらすべてを有効活用しているよ。一部だけとかもったいない使い方なんてしやしないさ、安心していいんだよ?」
たぶん、この世界のエネルギー元はそれだけじゃない。
でも、その一部であることは、間違いなかった。
「そもそも、どうして君たちが『新入生』と呼ばれていると思っているんだい。まだ『一回生』にすらなっていなかったからだよ。君たちがその存在を自覚してから今まで、長い長いオリエンテーションであり、篩い分けであり、テスト期間だった。ようやく君たち四人だけが晴れて『一回生』になった。他の人たちは脱落してしまった、脱落した者たちをどうしようがこちらの勝手だろう?」
「つまり――」
「そうさ、未誕英雄は生まれていない。誰一人としてね」
興奮すらなく、当たり前の口調で、医者は僕らのクラスメイトの死を宣告した。




