163.終りの事について
世界が壊れるような音がした。
斬って開いたそこから、なにもかもが崩壊した。
いや、違うか、目の前の結節点と、僕もまた崩壊しようとしてる。
意識が薄れ、体が崩れ、剣はぼろぼろに朽ちて行く、無理無茶無謀の当然の代償。
けれど一緒に抱えているこの『飢餓』も――ペスが抱えていたものもまた消える。
殺すべきものを、僕は殺した。
その行いを果たした。
たぶんただの自己満足。これが良い未来に繋がる保証はどこにもない。
それでもなお、やれるだけのことはやった。
座して諦めず、前へと進んだ、最後まで。
なら、きっと、悪くない……
知覚の遠くで、魔神の体が打ち倒されている様子を確かめながら、僕という体と剣と魂は、あっけなく消え失せた。
+ + +
+ + +
なにかを見た気がした
+ + +
+ + +
瞼が痙攣。
う、という僕自身の声を聞く。
止まっていた呼吸が再開。
ぜぇはあ、と目を閉じたまま激しく酸素を取り込む。
体があるってことにすごい違和感。心臓は動くし、呼吸のために肺は動かさなきゃだし、唾を飲み込めば喉が勝手にごくりと鳴る。
やたら騒がしいものの内にいたんだなぁ、とか思いながら、瞼を開けた。
ペスがそこにいた。
なぜだか抱き合っていた。
どうしてだか、それを当たり前に感じていた。
視線を上げる。
豆電球の橙色に照らされたカーテンがあった、隙間からは貼ったばかりの断熱シートのプチプチが見える。ちょっと安っぽい。
どうやら時刻は夜だった、暗闇の気配しか外からはやってきていない。
横倒しに転がっているのは小さいビンだ。
たしか発泡酒……じゃなかった、ええと、スパークリングワインとかいうやつ。引っ越し祝いに飲んだそれはとてもいい香りだったはずなのに、放置されたままだと嫌な雰囲気の匂いとして漂い来てた。
あー、そういえば、匂いってこういう感じだったなぁ……
すんすんと鼻を動かし、そんなことを実感する。別の匂いも近くにあった。
僕らは両足をコタツにつっこんでいて、赤外線の熱を浴びていた。
かなりあったかいはずなんだけど、抱き抱えてるペスのせいで上半身は結構寒い。熱伝導率が高すぎだ。
そのペスは、いまだにすうすうと、とても平和な様子で寝ている。
相変わらずの、そして、まったく変わっていない姿と形。
「……」
とても静か。
何も変わってない日常のよう。
けれど、なにか忘れてる気がした。
大切なもののはずなのに、よくわからない感じ。
天井の、豆電球の橙を見ながらペスの頬を無心に撫でていたら、噛みつかれた。
がぶりと痛い。でも血が出るほどじゃないから放っておく。
嬉しそうにがじがじしてる。それも、やがては止まる。
隣からは呼吸の音だけが聞こえるようになった、僕もまた呼吸の音を出している。
コタツが熱を出す様子、湿った音させて歯が離れた。切っ掛けみたいに僕の体がぶるりと震えた、やっぱ寒いな、と思う。
あ、そういえば、この豆電球、色が変わらないんだ。いや、まあ、当たり前なんだけど。
「……?」
そんな連想が、きっかけになった。
定期試験――
その単語が、遠くから僕を直撃した。
心臓がひとつ大きく鼓動を打った。
圧縮された記憶が解凍、再生される。
ちょっと量が膨大すぎる、理解して飲み込むのには時間がかかる。
ええと、なんだ、この、なんだ……?
夢から覚めたというより、臨死体験の走馬燈を今見てる、そんな感じだ。
やけにリアル、やけに現実味がある。
いや、本当にあったことだし体験したことなんだろうけど、それにしてはおかしかった。
だって、僕が知らないはずのことも纏めて『憶え』ていた。他視点の記憶もあった。
勝手に体が震える、今度は寒さのせいじゃなかった、ペスを引き寄せ抱きしめる。
相変わらずの骨の体、ちょっと冷たい、顔が少しだけ嫌そうにしかめられていた。
ぜひゅうぜひゅうと、やけに荒い呼吸音。
心臓は僕に許可なく、馬鹿みたいなテンポを刻む。
なのに、それらいっさいを、他人事みたいに感じる。
外では風の音がしていた。
それだけしか聞こえなかった。
世界中に、僕ら二人だけしかいないみたいだと錯覚した。ひどく寂しい。
隣の部屋から、悲鳴みたいな猫の鳴き声と、くすくすの笑い声がしたから、すぐに正されたけど。
うん……なんだかんだと言って変わっていない日常だ。
ヘンに入っていた肩の力がどっと抜けた。
むぃい……っ! とか言いながら、ぺスが両手を使って僕を押す。
寝ぼけたその動作に逆らわず離れ、僕は仰向けになる。同じ景色、再び。
ヤマシタさんみたいに丸まったぺスは、僕の脇腹辺りを枕に、すうすうと呼吸を再開した。骨の指が僕のおヘソに入ってるのは偶然なのかどうか。
「ええと――」
再生したこの記憶を、僕はいったいどう受け止めればいいんだろう?
見上げながら、考えてみる。
たまにぺスの指が動くのがやけに怖い。
この記憶してる出来事は、僕って魂が体験した他人事? それこそ前世がそうだったとかそういう感じの。
それともなければ、紛れもなく僕が行ったこと? 記憶喪失中に起きた出来事を今思い出した感じの。
「どっちでもいいか……」
どちらであっても、あの場であったことは、すべて一つ残らず本物だ。
間違いなくそう言える。
勇者は、ジツさんは、キョウは、ウーツは、アリん子はいたし、一緒にダンジョン『空間』の探索をした。
そして、ぺスやヤマシタさんや委員長や魔族たちや、いろんな人たちと協力して、強敵を打倒した。
けど、こうして横たわっているだけで、その実感はさらさらと砂みたいに薄れて行く。
きっと明日になれば、本当に起きたことなのかどうかも疑問に思ってしまうはず。
僕が剣になって、無限レベルアップして、敵の中核を壊した?
ああ、うん、ちょっと夢見すぎじゃね?
そういう感じだ。
僕はひとつ息を吐く。
腹筋使って上半身を起こし、ぺスを上から覗き込むようにしてみた。指は当然外しておく。
髪の毛がさらりと揺れて、その顔の表面を撫でていた。
肺とか無いはずなのに、大きく、ゆっくりと呼吸をしている様子がある。僕は飽きることなくそれを眺め続ける。
「……」
そういえば、リクエストされてたっけ。
そんなことを、今このときに限って思い出す。
僕の方からしてみせろとか、そういうことを。
とはいえ、ぺスは今寝ている。
たぶんやったら怒る、激怒する、不機嫌になる。
人の意識ないときに何やってんだー、とかそういう感じに。
その表情を見たいなと、今の僕は思っていた。
だから、実行した。
試験Ⅱ、あるいは、いろんなものぶっ壊しながら仲直り編、終了




