160.概念把握について
チャンスが逃げた、けれど、次のチャンスに賭ければいい――
勇者が倒れたわけじゃない、もう一度チャージして、僕らが敵魔神を引きつけ続ければ、再攻撃は可能なはず。
震えて寒さを感じる体――いや、魂魄を無視して、そう思い込もうとする。
勇者は死んだわけじゃない。
こちらの被害は未だに軽微。
不意を突いての邪魔をされただけ――
だけど、そういう思いは、まったく甘かった。
女神は前髪しかないのは、どうやら本当みたいだ。
「え!?」
攻撃を振り切った勇者、その体が突然に崩れた。
吐血しながら羽ばたくこともできずに落下するのを、ウーツが抱えた。
・やっばぁ……!
原子単位にまで還元する一撃。
だけど相手は現在わけのわからないレベルの回復力を持つ存在だった。
その魂魄の拠り所となるものは消失しない。
そして、寝返った、あるいは元の勢力へと復帰した彼女は、元吸血鬼。
その体をコウモリに、狼に――霧に変化できる存在だ。
分子状態の己に違和感を持たない。その状態での移動や攻撃もまた可能。
「こっちは、死にたくないんだ――」
その声は、勇者の内部から聞こえた。
「――だから、おまえたちの邪魔をする、悪く思うな」
分子原子状態となった彼女は勇者の内側へと入り込み、その内部から攻撃をしていた。
物理的な憑依、あるいは浸食。
見えず、防げず、対処もできない。
「……!」
ウーツは勇者が落下しないように抱える。
その表情には焦りばかりが浮かぶけれど、事態の改善となる行いは、まったくできなかった。
――あちらの状況は手詰まり。
僕はそれを認識し、周囲を知覚する。
今もまだ戦いながら、卑下た笑いを浮かべる魔神の攻撃を捌きながらだった。
ペスの魔力を『掴み』ながら余剰魔力をペスへと送り、力の循環を続ける。
キョウの位置、少し離れてるけど出来るか?
――いまキョウをそっちに送って回復魔法を――
・だめ、内部に入り込まれてる、両方回復したらグロいことになるだけ……!
――なら破邪系の魔術を使えば――
・それもだめ、もうこの子、吸血鬼じゃないはず、効果がない!
――ヤマシタさんに頼んで、体の買い直しと復活を……
・あはは、勇者って人工であっても秘匿されてるから、オンリーワンの非売品、みたいな……?
――どれもこれもだめかっ!
・たいていの勇者って、耐毒性能が無いしね……
いざというときの、処分のためにも――
そんな文言が一瞬見えた。
吐き出す血に紛れて見えなくなる。
こっちの思考は空転する。
なにか良い案は?
実現不可能ばかりが思い浮かぶ。
時間をかければ可能なものはいくつかある。
だけど、この場ではその時間が貴重品。値千金って言葉ですらもまったく足りないレベル。なにせ目の前の魔神は刻一刻と成長を続ける。僕とペスのコンビ、それに加えて人間魔族のチームワークだけじゃ、もう対処が難しい。
委員長の『不運』――事態を根こそぎ回転させるその能力も、魔神側が同じ能力を把握している以上は無効化される。
まして、今の委員長は一度は消滅寸前まで行ったところを、ヤマシタさんがつなぎ止めてる状態だ。確実に弱体化している。
魔神が吐き出し続けるそれらを相殺してまわっているだけで精一杯だった。
この場で現在、あの結節点を破壊できるのは僕とペスだけ。
でもって、魔神と真っ正面から敵対中。背中を向けてすたこら行っても、きっと見過ごしてはくれない。
「案外、そうじゃねえかもな」
――いやいや、そこまでバカじゃないでしょ。
「やってみなけりゃわからない」
――かなり勝率低そう。
「そういやさ」
――なに?
魔神の一撃を受け止め、少し離れた状態で、ぺスは顔を近づけこそっと囁いた。
「おまえからキスしてくれないのな」
――突然なに!? というか、この体でどうやって!?
「なんとかしろ」
――無茶を言う。
「かわいいわがままだろ?」
――そう自分で言っちゃうのはかわいくない感じ。
嘘だけどね。
言葉に伝えず、心で思う。
への字口になった様子を感知しながら。
さて、今の僕に取れる手段はあんまりない。
前にやった裏技的なもの、僕自身を『掴む』ことで強化するくらいしかない。
剣状態でやればどうなるかわからないけど、まあ、たぶんパワーアップはするけど反動として刀身が壊れるとか、そういう感じになると思う。
うん、悪いものじゃない。
ぺスには窘められたけど、僕自身のこの性質は、どうやら変えられそうになかった。
「どうせやるなら一緒にだ」
覚悟決め能力を発動しようとした途端、割り込むようにそう言われた。
ぎゅっと強く僕を握ってる。
――どういうこと?
「おれのことを、『掴め』。おれって概念を強化しろ。二人で一緒に強くなるんだよ。勝率低いからって諦めんな。高くする努力はしなきゃダメだ」
それはたしかにその通り。一人よりも二人を『掴んだ』方が勝率は高くなる。
だけど、それは――
「けど、だけど、しかしは無し」
笑い、軽く。
「ちゃんとおれのことを抱きしめて、掴まえてみせろ」
……僕は、何度かぺスの体を『掴んだ』ことがある。
その概念はおおよそ把握してる。
だけど今回は、ぺスって存在そのもの、魂魄そのものを『掴んで』の強化だ。
求めらてる精度もレベルもまるで違う。
仮に、その概念が間違えていればどうなるか?
わからない。
どういう被害や不都合が起きるかまるで不明。
だけど、ろくなことにはならないはず。なにせ僕自身をちゃんと正確に『掴んで』いても反動が酷かった。
間違った理想や姿の押しつけを、ぺスの魂魄そのものに対して行なうことになるかもしれない。下手をすれば廃人だ。
「無理か?」
ペスの提案は、僕って人間がどれだけペスのことを把握しているかって問いかけでもあった。
エルシー・ぺスティという概念を、きちんと把握し、わかっているか?
ちゃんと見て、分かって、知っていたか?
試してやるからやってみろ――
そういう、わがままだ。
「――」
どうだ?
そんな感じに笑っている。
言葉なんて出ない。
何も言えない。
ここでの失敗は、たぶん死よりも辛い。
死に別れは再会のチャンスがある、どこか遥か先の未来で再び出会えるかもしれない。だけどこれは、ぺスって存在の変質の可能性だ。
迷う僕に。
「おまえは今、なにをしたい?」
ぺスはまっすぐに。
「おれは、おまえとこうして手を握っていたい。もっと強く握り合えるのなら最高だ」
いつものように笑い。
「おまえになら、殺されてもいい」
言葉を投げ。
「一回、おれがおまえにやっちゃったようなもんだしな。お返しだよ」
まるでプレゼント交換みたいに、その魂魄を差し出した。




