150.魔術選択の日々
状況は拮抗していた。
魔神からすればその拮抗は、言語道断の許し難いものだった。
この場は、このダンジョンは、この『空間』は、全て己のためにあるものだ。
そう定められ、そう決定づけられた、その意味と意義を以てこの地はある。
人間も魔族もモンスターも――三つのお供は己に付き従うものであり、わずかな報酬で唯々諾々と命を聞くものだ。
すべて一つ残らず己のものだ。
だというのに、その配下は揃いも揃って反逆し、呼び出したはずのモンスターはなぜか別のものとして現れた。
統一的な戦術が取れず、数だけは多い烏合の衆と連携の取れた小集団との戦いとなっていた。
上方では魔族と配下が戦い、五分五分の状況を作り出した。
飛行できぬ者など放っておけと思うが、その指令を出せる状況にない。未だ目の前には勇者と委員長と吸血鬼が忙しく巡り、隙あれば結節点内の己の体へ向けて攻撃を仕掛ける。
「――!」
そして、その拮抗ですらもバランスが崩れた。
下方で結節点の光が赤と青へと変化したかと思えば、モンスターの召還が行われた。
天使の集団とスライムの大群が多量に発生していた。
どちらも雑魚でしかないが規模が違う。
二つの勢力は一つとなって蒸気のように膨れ上がる。
もはや数を数えられるほどのものではなかった、しかも、次から次へと発生し続けている。
こちらが作り出したものたちも応戦をしているが、天使どもは残らずその手にスライムを持ち、盾代わりとして使った。
スライムは大した攻撃力を持たないが防御力や耐性はそうではない、一撃くらいであれば耐えられる。そして、その隙があれば一撃くらいは天使が攻撃を行える。
倒すには最低二撃が必要で、彼らは反撃を行えるのだ。
すさまじい速度で発生させた配下のHPが削られていた。
この場で本来有効な攻撃手段である魔術は、その構築に時間がかかる。
安定した光を放つ結節点は下方にしかなく、そちらへ向かうのは自殺行為だ。
そして、向かって来ているのは数あるモンスターの中でも『速度』に特化したものだ。
剣や矛を手にしている者たちよりもむしろ容易く駆逐された。
「天使様は天使様なのぅぅぅううううううう!」
「く、なぜ天使の衣服を溶かすことができないのでしょう!」
訳の分からない叫びは訳が分からない。
そして、魔神の周囲ではぐるぐると、勇者と元魔王と委員長が――心の底から癪に障るものたちが飛び回り続けていた。
「おまえらは、なぜ生存を続けている……」
今すぐに無惨と悲惨を合わせた有様で地へと墜ちて叩きつけられるべきだ。
この大『空間』内にいる全員がだ。
要らぬ敵も無能な配下も残らず要らない。
「死ね、死ぬべきだ」
「→やだよん」
放出した黒雲は、半透明の委員長がかき消した。
元魔王にして元吸血鬼は文句をいいながらも飛行の補佐をしている。
勇者の魔術が反撃として送り込まれたが、これはさすがに届かない。
許しがたい――と彼は思う。
彼らは、罪人だ。
この『空間』内でもっとも罪深い者たちだ。
元魔王の罪は言うまでもない、生誕を遅らせ、その力を盗み取った。百度殺しても飽きたらぬ。
委員長の罪は言うまでもない、己の体を蝕み、体の在り方を歪めた。千回滅しても飽きたらぬ。
勇者の罪は言うまでもない――攻撃をしたからだ。迂遠な手段ではなく直接攻撃の矛を向けた。
特に最後だ、勇者のそれは万死に値する。
この地にあるものが己に向けて剣を向けることなどあってはならない。それは摂理に反している。この地はそのようにできている。この否定は否定されるべきものだ。
喉よ裂けろと言わんばかりに吠え上げ、黒雲をまき散らした。
黒い光球がいくらか掠る。
徐々にではあるが、制御できつつあった。
黒雲が――『不運』が、物質そのものを拡散させ、劣化させ、失わせるものが威力を高めた。
方向性すら曖昧な、力であって力でないものは、操るものすら対象とする。
魔神の、その四肢の骨が勝手に砕けた、毛細血管が破砕し血塗れとなる。
全身という全身に針を打ち込まれるような苦痛を前に、しかし、その口元は笑っていた。
「あ、さすがに危険ですね」
「そんなことは見ればわかる!」
「→んー……」
己の体の破滅すらも省みない一撃を放とうとしていた。
威力はこの大『空間』を作成したものの比ではない。
その威力を見て取ったのか、勇者が立ち止まった。空中で停止し、真正面から対峙する。
愚かだ、と思う。
もともと同じ力を持つあの委員長であれば、まだしも力の受け流しを行える可能性はある。
だが、たかが雷、たかが魔術であれば『これ』を前にしては無力同然だ。
生存を求める元吸血鬼はすでに飛び去り、遠くなっている。
だが、その位置ですら『攻撃範囲』だ。逃げられはしない。
目の前の勇者は、何も言わず、ただ羽根だけを動かしている。
無言のままその位置にいるのは罪を認めて処刑を待っているからか。
瞼を閉じ、ゆっくりと呼吸する。
――諦めたか。
魔神は思う。
こちらは力を貯めて、制御を行い、これを重ねてすべてを吹き飛ばそうとしてるというのに、対応する行動をまるで取っていない。
ただ浮かび続けるその姿は、土下座し、首を差し出す姿に違いない。
いい覚悟だ――褒美として苦痛もなく逝かせてやると心に決める。
「――?」
だが、その周囲を、何かがわき出ていた。
『不運』のそれではない。
だが、たしかに浮かぶだけの勇者の姿がぼやけて揺らめく。
何かが歪んでいた、集結しその重さに耐えかね影響を及ぼしていた。
「……なに?」
始めに見えたのは、ただの点だ。ドットだ。黒く穿った丸だった。
僅かにあったとわかった途端、それは制限なく数を増やした。
勇者の姿を覆い尽くすほどにそれらはあった。
やがて点に、「・」の後ろに言葉が見えた、投射されたそれは本来であれば見えないはずのものだ。
そう、それらは一つ残らず――『未選択の言葉』だった。
魔神のそれが己自身すら食らい尽くす破滅の一撃だとすれば――
勇者のそれは大『空間』一杯にまで重なり、広がり、展開される情報の超密度だ。
あまりに高密度かつ広範囲に放たれた、いまだ未選択の言葉たち。
「勇者であることの緘黙をより強固にし、わたしは更なる言葉を述べる」
・あー、またキツくなるのか、きっついなぁ……
言葉、言葉、言葉。
その宣言を合図にしたように増え続ける。
重なり増える情報は重さを増す。
物質的な制限はなく、その思考はこの世の何よりも速い。
・切陣を通り香煙を突き抜け一閃を行き――
・神を鳴らす声の遠くに始まりから近くに終わりまでを記した宣誓の――
・我、祝詞を携え、彼、歪詞を撒き、空は燦然を記して地より遠く、万王の口舌の限りに――
・九陣円弧の螺旋よりサファルセルガの嘆きとなりて、観桜の血を受け入れ華となるべき上王の静まる笛の息吹こそ――
その背から、その前から、その体内から、言葉は湧き出て待機を続ける。
一つ残らず、魔術の呪文だ、声となっていない声は、ベクトルをただ一人へ向けている。
魔神の背中に寒気が走った。
確実に屠れるはずの、絶対を示すはずの手元の黒の力。それに互角となるものがいつの間にか目の前にあった。
「この、鬼め! 仇なす者め……!」
勇者は笑う。
その表情を変える。
手を掲げ、発動の体勢を取る。
このまま続ければ不利になるのは魔神の側だ。今行っているのはあくまでも制御であって力の増加ではない。
半端を承知ながらも術式を整え。
「ッ!」
両手を吹き飛ばしながらもその一撃を放った。
勇者は未選択肢のすべて――百六十四億五千七百四十七万八千八百十二個の言葉に対して、まったく同時に「→」をつけた。
「→極雷」
そして、それを一つの呪文とした。




