148.二人だけの日々
魔術を構築する、これまでは呪文を延々と唱え続けなければならなかったものは、今は瞬間的に構築し、放つことができた。
「ははっはあははっ」
手元の腕輪、銀の円の内部にはぎっちりと魔術図形が描き込まれ刻一刻とその形を変えている。
どれほどの演算能力なのか想定するのも馬鹿らしい、すさまじい精度と量が流れ続ける、骨を通してそれを感知する。
眼前には、だが、その圧倒を残らず『掴み』、制御し、支配下に起き、己のものとして来るものがいる。
常日頃であればとぼけた味のするその視線は炯々と見据えて揺らがず、火炎魔力毒露風嵐を把握しきったその手は、ペスそのものをも『掴み』とろうとしている。
ぞくりとしたものが、魂にさざなみを打った。
なにせそれは、以前たしかに味わったものだ。
その安心を知っている、その安堵を味わってしまっている、なにもかもを相手に預けて、受け止められてしまう心地だ。
望めば、きっと今すぐにでも手に入る。
だが、体は異を唱えるように死を構築した。
骨すべてが意味と魔術と文字の伝導体となり、発動させた魔術に対して魔術を施す。
人がエンチャントを受けてより強い攻撃を行うように、魔術そのものを魔術によって強化し、解き放った。
螺旋を描いて立ち上る炎が、タレ目の周囲を取り囲んだ。
一声も発することなく、百六十四方位から同時に発生。
乱舞する炎はしかし殺到することなくグルリと標的の周囲を巡り、合図ひとつで固形化、立ち止まり、凍り付いた。
ペスは震えながら骨の手を握った。
途端に物質化したそれらが押し潰さんと殺到した。
魔術による攻撃ではなかった、わざわざ物質化の工程を経てからの飽和攻撃だ。
一人の人間相手では明らかなオーバーキル。だが、それですら『掴まれた』。
気づけば、塊となって圧縮した魔術物質と、それを手に持つタレ目の姿があった。
「……おまえのそれ、どうなってんだよ」
「さあ? けっこう僕にもわからない感じ」
全方向の飽和攻撃ですらも、剣の一振り――概念把握のそれに巻き取られ、あっという間に相手の制御下に置かれた。
ひょっとしなくても、時空そのものですら『掴んで』いるのかもしれない。
強く圧縮されたそれを投げつけてくるが、当たり前のように回避。
再び移動を繰り返す。
ペスは魔術による飛行だが、あちらは『掴み』による無理矢理の移動だ。
速度差は歴然としていたが、こちらが放つ攻撃はことごとく阻まれ無効化される。
そう――無効化されるだけだ。
ペスは笑う。
ただ笑う。
だが、目には狂的とも呼べる切実がある。
「半端な攻撃してんじゃねえ、手加減なんかしてんじゃねえ、おれのことが欲しければ支配してみせろ、中途半端にお膳立てしたみてえに差し出されたもんしかその手には『掴め』ねえのか?」
骨を覆う姿は徐々にはっきりとした形を取り出す。
魔力が循環し、形を作る。
「おれは、おまえを支配する――他の奴にはぜってえ渡さねえ」
それは、より強大な魔術構築の証だ。
両腕にはまった銀円が回転を早め、その内部の図形を限界まで振り絞る、一国をあげて行う大魔術、その規模をただの一人が構築する。
「命までも取られそうだなぁ」
「……ああ、そのつもりだ」
「知ってたけどやっぱりそうか」
「他の奴に渡すよりは、そっちの方がまだマシだ」
「んー、やっぱ今のぺスを手放すことはできない、それをするとぺスが壊れそうだ」
「ははっ――おまえの今の言葉、すっげー残酷なもんだって気づいてるか」
「ぺスこそ気づいてなかったんだ、僕はそういう自分勝手でワガママな奴だ」
ぞくぞくとしたものが奔る。
それが魔術によるものなのか感情によるものなのかすらわからない。
「君を手に入れるためなら、他がどうなろうと知ったことか、ぺスの望み全部を否定し、打ち壊し、恨まれても構わない」
本気なのだとわかる。
何の偽りもなく、こいつはぺスという存在を得ようとしているのだとわかる。
そのためであれば、何を失おうと構わないと思い定めている。
その想いの強さは種類こそ異なるが、ぺスのそれにまったく劣らないものだ。
骨を覆う魔力による映像、それが勝手に泣き笑いを作っていた。
「おれたちさ――」
遥か遠方に作成してあった時限式の魔術が発動し、意図しない形で会話の間に入り込んだ。
超高速で飛翔する魔弾を、しかし、目の前の人間は当たり前のように『掴み』取った。
「すげー本末転倒なことしてねえか?」
「かもね」
切っ先がこちらを向いた。
弾丸は速度を殺さず、その剣上を滑って発射される。
重力火炎雷を纏ったそれは凶悪な破壊力を秘めていたが、誘導性能のないものなど当たりはしない。
「そういえばさ」
「なんだ」
「今作ってるその魔術――僕がぺスに負けたら『生まれ』ることすらできない感じ?」
「当たり前だろ」
「うわー……」
「おまえは、『生まれる』程度でおれのこと手放すつもりか」
「ぺスの生き方を尊重してるからね」
「ハッ、尊厳尊重敬意全部却下だ!」
「却下したら、世界一つの運命とかが壊れるよ」
「その程度のことだろ」
「言われてみればそうかも」
ぺスが構築している魔術は、ある種の封印だった。
体を縛り、操るのではなく、魂そのものを縛り、押しとどめるためのものだ。
ペスの右手に魔術文字がひしめき、装甲のような有様となった。
見せつけるように振る。
「コイツが当たれば、お前を『生まれ』させなくさせることができる」
「でもそれ、近づかなきゃ効かないよね? 僕相手に接近戦をするつもり?」
「ああ、そうだ」
揶揄するような言葉にたいして大まじめに返答した。
少しだけ顔が曇った。
「だっておまえ、その体にまだ馴染んでねえだろ、まだ上手く操れてねえ」
「……」
「おまえの戦う様子は映像越しだが、何度も何度も繰り返し見た。おれがその違いをわかんねえとか寝ぼけたこというなよ」
「だから観て欲しくなかったんだよ……」
「能力は変わってねえ、いつも通りだ、だが接近戦は、今のおまえは不得意だ。どうしたって違和感が抜けてねえ――だからこそ投擲してたんだろうが」
基本的に『掴み』とは、手元から離れた瞬間から弱くなる。
熱でいえば、手元で『掴み』続ければ五百℃を継続できるが、手放した瞬間から下がり続ける。それでも十分な威力を保ち続けるが、『掴み』の概念そのものは弱体化する。
「今のおまえは、その体を信頼することができてねえ」
「――」
「おまえの投擲は、この世界で、その体で、仕方なしにやってることだ」
笑う。
その肉体ではなく、その奥にあるものを見る。欲しいものはただそれだ。
「おれに、今のおまえを捉えることができねえと思うなよ」
タレ目は渋い顔になった。
剣を『掴む』力を強くする。その能力事態は前と変わらぬものだった。概念をよく伝え、よく保つ。
だが、それを支える腕はやけに細かった。
体そのもののバランスも、前とは違う。
その差は雑魚相手であれば問題にもならないものだが、全身全霊を込めなければ勝てない相手、ほんの僅差が決定的となるものを前にしては、致命的だ。
ペスは笑う。笑う。とても嬉しそうに。
「おまえはまだその体を『掴み』きってねえんだ、そんな奴がおれのことを支配できるはずがねえ」
かじり取られたように開いた『空間』からは、大空洞の様子が見える。
魔神が一声上げ、次々に結節点から人影が現れる、多種多様な姿、時代も種族も武器も技術も――なにもかもがごちゃまぜな、統一感のないその姿。一目見ればそれが「彼らのクラスメイトだった未誕英雄たち」であることがわかる。いつの間にか見えなくなってしまったものたちだ、既に『生まれ』ているはずのものたちだった。
それらが現れては魔神に付き従う。
中には飛行能力を持たず、そのまま墜落死する者もあるが、そんなことなど関係ないとばかりに次々に生じる。
二人ともその様子を把握していた。
仲間だった者が生じている異常だ。
だが、互いへ向ける視線は、一瞬も揺らがず離れることはなかった。




