147.過去と今の日々
「早く、早くしなければ……!」
ジツと呼ばれる彼女は顔を歪ませる
連結された羽はゆっくりとじっくりと体の様子を確かめ、一部になろうとしていた。
勇者がやったような瞬間的な接合と動作など、通常はできない。
生じたばかりの器官をすぐさま自在に使うことなど不可能だ。
だが、真下では人外の戦闘が繰り広げられている。
勇者と元吸血鬼と委員長――二人とも三人とも見えるものたちが、魔神と互角の戦いを繰り広げていた。
人外の戦闘だ。
黒い何かと雷の余波が頬を撫でた。
破壊の余波だけで怖気が走る。
歯の根が合わなくなり、手足とついでに羽まで震える。
この戦いに介入しようとするのはただの愚かなだけなのでは。
ボス戦に低レベルが入り込んでも邪魔なだけだ。
だが――
「仲間を殺させるわけにはいかない、あと、単独行動したあいつら叱ってやる……!」
退いてはリーダーの名が廃る。
矜持のみを頼りに前へと進む。
その背後ではウーツが騒ぎ、魔術師が震えていた。
全員がその背中から羽をはやしているが、もちろん、誰一人として似合っていなかった。
だいたい天使要素がないものばかりだ。
キョウは顔を限界以上まで歪ませた笑顔を作っていた。
禍々しい笑顔だった。蝙蝠や翼竜の羽の方がよく似合う。真っ白なそれは完全に不釣り合いだ。
「天使様なのぅぅぅぅぅううううううううううううッッ!」
とりあえずキョウの方は見ないようにしておく。
背中の方の、ぷちりぷちりと細胞同士が連結する痒みにも似た神経の接続を体感しながらも、思い出されるのは故郷での出来事だった。
眼下の破壊と戦いは、あの過去を思い出させた。
そこはキョウとジツと勇者、あるいはそれ以外の多くの者がいた場所だった。
対ダンジョンのための戦闘者養成をしていた。
今思えばずいぶん特殊な環境だった。
いわゆる普通の子供時代の思い出など、ほとんどなかった。
訓練と実戦と友達との会話くらいしか浮かばない。
寝た記憶すらない有様だ。たいてい気絶して次の日を迎えた。
『先鋒の村』、村はそう呼ばれた。
戦闘の際、人類の先頭に立って進むものたちがいる村だ。
実際、育ったものたちはダンジョンで大きな成果を上げ続けた。
だが、だからこそ――魔族の襲撃に会った。
魔族の側からすれば、そこは厄介なものを作り続ける場所だった。
今でも思い出す、はっきりと記憶している。
人も、それ以外も、あるいはモンスターと呼ばれるものですらも、『人間』の陣営に属するものも『中立』に属するものも残らず殺傷の対象となった。
防衛のための戦力など、開始一分で消し飛んだ。
先鋒の村は、先陣を切る者たちの村だった。後ろから殴られることを想定していなかった。そしてそれ以上に単純に、敵の数が多すぎた。
村を埋め尽くすほどだった。
少数とはいえ、生き残ることができたのは幸運以外のなにものでもない。
ジツは、遅れて駆けつけた騎士団に助けられた。
キョウは、教会の神父が最後の力を振り絞って天使を召還し、避難された。
勇者は、一人で生き残った。そこで彼女は勇者となった。
襲いに来たものは、多数の連合魔族、その中にはアリの形をした魔族もいた。
退却に遅れ、取り残されたものも一人いた。
奪われない、殺されない、そのために戦う。
あの日からの誓いだ。
神でもなく剣でもなく己自身に課した。
ジツはそれを違えるつもりはなかった。
人間陣営のため?
先鋒となるため?
そんな想い、心の内のどこにもありはしない。
「なるほど、天使の羽が似合わないわけだ……」
「そんなことはないのよ?」
私ほどじゃないけど、そこそこなのよ――
そんなことをすまし顔でキョウは言った。
むふんと鼻息荒い様子は、どうやら本気で言っているらしいとわかる。
だから、一番おまえが似合って無いぞと、事実を告げることは止めておいた。
+ + +
アリん子と呼ばれたものは恐怖に震えていた。
あれは、ダメだ。
あれと戦ってはいけない。
それがわかる。それを理解する。
文字通り、人を前にしたアリの気分だった。
その小ささを利して逃げ出すことはできるかもしれない。だが、アリで人を倒すことはできない。
それは摂理というものだ。
だというのに、あのタレ目と勇者は飛び降りた。
力は理解しているはずだというのに、一瞬の躊躇もありはしなかった。
そして自分は今、大人しく羽根を背中につけている。
なぜどうしてという思うが、ここで逃げだそうという気にはならなかった。
ぎゅっと胸に手を当て、握りしめる。
迷う心は確信のなさだ。
己自身の思いがどこにあるのかわからない。
戦わなければならない根拠がない。
ジツは飛行の際の注意事項を述べている。
彼女自身も把握してないのか、結節点経由で手に入れた初心者用の教本を片手にしながらの解説だった。
あまり接近しないこと、特に翼開長の範囲を把握すること、空中でバランスを崩した際にはまず落ち着くこと、一番してはならないことは周囲の人につかまり、一緒に落下するような有様とならないこと――
真面目な言葉のほとんどは耳から抜けた。
ジツを見ている内に、ただ申し訳なさだけが浮かんだ。
彼女には、とても世話になった。
そもそもジツがいなければ、自分はとっくに死んでいたのではないか。
「……はやく行こぅ?」
ウーツはいつものように首を限界近くまで傾げながらも、どこかあわてた様子がある。
ふざけた様子にも関わらず、彼女はたまに鋭い。
たぶん、もう自分のことはバレているのだろうなと思う。
それでも黙っていることは、とても助かる。
「ぅふふふふぅ、天使様が天使様なの! 今まさに天使様っ!」
わきわきと指を蠢かせ、笑う人は天敵だった。
魔族殲滅を公言してはばからない人だ。
そうした気持ちも……理解することはできた。
だが、怖いものは怖い。
遙か太古、このダンジョンが生じた時には『人間』陣営や『魔族』陣営などとは呼ばれていなかった。ただ青と赤とだけ呼ばれ、形による区別などなかったのだという。
ジツから聞いた話だが、是非ともそのときにまで戻りたかった。
だからこそ元は『魔族』だった自分がこうして『人間』の陣営に変更することができて、仲間として扱われ戦闘に参加している。
だが、未だにちゃんと参加しているとは思えない。心のどこかにわだかまりと引っかかりがある。
「――!」
ぞくりと、触覚が異常を教えた。
大『空間』そのものが震えていた。
一向に効果を発揮しないことに業を煮やした魔神が行なったものだった。
膨大な魔力を使用しての瞬間的な支配だ。人間、あるいは魔族レベルであれば不可能なそれを、空間に満ちる結節点すべてに対して行った。
赤も青も白も、すべての結節点が蠢き光り、そして――人が現れ出た。
それまでずっとそこにいて、ようやく出てくることができたというような、当たり前の動作だった。
中には飛行能力を持たず、そのまま落下するようなものもいる、だが、大半は自在に動き、周囲の敵を排除せんとした。
それは、現在いる『空間』の結節点もまた例外ではなかった。
結節点から人影が湧いて降り立ち、中華風の槍を持った者が笑いながら攻撃を行った――どこか、あのタレ目の人と似ていると、なぜか思う。
まず潰すのは弱い相手から。
そのセオリーに従ったように槍が振られた。
回避は、完全にはできなかった。
ぞぶりと肩を貫かれた、硬質化した肌がいくらか衝撃を弱めたが、骨が断ち切られ、血しぶきが舞った。
「このっ!」
「――!」
ほぼ同時に振るわれたジツの攻撃を、相手は防御しようとしたが失敗した。
凄まじい速度で吹き飛ばされ、その喉をウーツが引き裂いた。
強くて弱い、妙な敵だった。
「あ……!」
――いったいなんなんだろう?
そう考えたのは一瞬、痛みに茫然としていたのも僅かな時間、だが、あまりに致命的な呆然とする時間だった。
触覚その他がそのまま外へと飛び出ていた、相手の槍がそれをめくり上げていたのだ。
慌ててフードをかぶり直す。
おそるおそる、目線をあげる。キョウの方を見る。
ばっちりと視線が合っていた。
「え……」
完全に、見ていたはずだった。
絶対に、どういうことかがわかったはずだった。
だというのに、すぐにその視線は外れた。
興味がないというよりも、「ちぇー」というつまらなさそうな表情だった。
――え、ひょっとして、ずっとバレてた……?
そんなありえない答えと真実が、アリん子の中で渦巻いていた。




