143.合流到着の日々
走りながらも今までの旅を思い出す。
出会ったのは中立『空間』にいたのは友好的なモンスターか、さもなければ「たまたま」居ない場所だった。
倒してレベルアップすることはなかったが、同時に無用な怪我を負うこともなかった。
棒を倒して決める運頼りの道先決めだったが、これが誤ったことは一度もない。
今は、その棒倒しをしなかったせいだろうか?
逃げた先の『空間』に一匹とはいえ、スライムがいた。
きーっ! と叫び、ぷるぷると震えて威嚇する。
一蹴してそのまま通り抜けた。
壁際で目を回すそれを生き埋めにすることは気が引けたので、巨石による封鎖だけを行う。
「――」
じっとりと、背中に汗が湧き出た。
いままで味わったこともなかったが、いわゆる「イヤな予感」だった。
たしかに覚えがないはずのものなのに、やけに慣れ親しんだ感覚でもあった。わけがわからない。
不運の実感と予感は確実で確かだった。
『空間』に現れるモンスターの数が着実に増えた。
ごく当たり前のようにそれらがいて、襲撃まで仕掛けられた。生来の身の軽さと幸運を生かしてこれを回避し次の『空間』へと向かうが、どうしたって逃げ足は鈍る。
一方、追跡者の方はやることが変わっていない。
魔術をぶっぱなして追いかけるだけだ。どういうわけか別方向へ行くことは一度もなく、確実に正解だけを選び続けた。
現在、『魔神』が目覚めた関係で位置関係の感知はできないはずだ。
一体どうやってそれを知っているのか、どんなレーダー的ものがあるというのか、まったくわからない。
是非ともそれを買い取りたい。追わずに居てくれたら全財産だって支払っていい。
「拙者がいったい何をしたというのだろうか!?」
追跡者は、親の敵でも追うかのような執念深さだった。
刻一刻と近くなるそれは、もう足音すら聞こえて来そうだ。
こちらも逃げ足を早くするより他になかった。
空鎧集団の槍をすり抜け、一面にのたうつ蛇を一跳びに越え、無数に浮かぶ六面体の間をタイミングを合わせて移動し、ドラゴンの炎をくぐり抜ける。
背後から迫る爆発は、それでも近くなる。
「待てぇ……!」という声が、遠く小さく、しかし確実に聞こえた。
聞こえなかったことにしたかった。
何か他に手はないかとタブレットを操作する。
つるりと滑って手から放れた、あわてて手を伸ばすが、つるりつるつると逃れてジャンプし、地面に落ちる。
これがなければ、上からやってくるものたちに援助を行うことすらできない。
逃げ足が鈍るのを覚悟で拾おうとして――
「はい、どうぞ」
「む、これはかたじけない」
手渡された。
あまりに自然な動作で、警戒心が湧く暇すらなかった。
渡され、受け取り、拳銃の決闘における早抜きを思わせる精度と速度でがっつり右手首を捕まれた。末代まで手放さないとばかりの執念があった。
「あはっ」
全細胞が「おまえはいま死んだ」と叫んだ。
ゾンビよりも酷い有様の生き物となってしまったと。
喉の奥、肺のさらに深く、心臓の先にある魂が「ひぃっ!」と悲鳴を上げた。
反射的な飛び退りは、距離を変えない。重さがないかのように一緒についてくる。
くるりと踵を返して走るが、やっぱりまったく変わらない。
「手、手を、放してはもらえないだろうか、ど、どういうわけか拙者はいま追われていて……」
「やっぱり、こうなっても接触できるんですね――えへへ……」
「喜ばしいことがあったようでなによりではあるが、拙者は――」
「どうして声も体も震えているのでしょうか、とても不思議です」
「う、うむ、拙者もまた疑問に思っている……だから手を離して……」
「逃げるんですよね、なら一緒に逃亡しましょう!」
不意に、不思議なことに気がついた。
すでに追いつかれていなければならないだけの時間が経ったはずだ。なのに、まだ到着されていなかった。
つい先ほどまであれだけの勢いで接近していた気配が、今はもう無かったのだ。背後は完全な無音だ。
それどころか――
「全力で遠ざかっている……!?」
聞こえているのは小さくなる足音だけだ。
「元吸血鬼さんにはとても感謝しています、だって私をここまで運んでくれました!」
呆然とした脳味噌が、ようやく事態を理解する。
言うなられば、もうすでに『タッチ』されてしまったのだ。
鬼ごっこの鬼が交代したから逃げ出してる。
「逃がすものか!」
やたら上手い具合に気配を消しながら逃げる相手を追跡しなければならなくなった。
「一体どこに乗りましょうか、うーん、ヤマシタさんリードロープとかありませんか?」
「その手のものを買うことを拙者の魂が拒否している!」
「ええと、この紙を使って……」
「なにを買おうとしているのであろうか!?」
「残念、なぜかお値段が高くなっています……」
しょんぼりと言う。
無謀な散財は決して無駄ではなかったと歓喜する。
「あ、たぶんですが、適当に追えば捕まえることができると思いますよ?」
「……なぜだろうか」
「仮の肉体とはいえ、私の血を彼女は飲んでしまいました。ならばとてもステキなことになるはずなのです」
「具体的には?」
返答は笑顔のままの、耳を澄ます動作だった。
ヤマシタさんもまたネコミミを立てて、音を拾おうとする。
くいくい、と小刻みに高性能のそれは動き、やがて追うべき相手が遠ざかっていないことに気がついた。
それどころか別種の爆発音と戦闘の響きがした。
悪態をつく声と、見知らぬ相手との会話もセットだった。
「この、この変態が!」
「っふうふふふふ、このような美的存在があろうとはやはり骨の魔王様に付き従うことは正解でした。ここ最近なぜだかガードが固くなりまったく撮影できずにいた上、先発隊として遠ざけられたことすら些事瑣末事でしょう!」
「――火炎法縛呪!」
「なるほど! 継続的な範囲攻撃であればスライムたちを駆逐できます、しかしそれは誰もが使うよくある手段でしかないことでしょう!」
「火炎耐性だと!?」
「さあ、その衣服をゆっくりじっくり溶かしましょう。くまなくこの経過を撮影し、映像として保存を! 貴女は今こそ永遠に!」
やけに湿った音と、爆発音と、罵りの声がしていた。
扉のすぐ先だった。
開ける手を止める。
「拙者、このまま逃げていいだろうか?」
「はい、いいと思いますよ」
「……ついてくるつもりだろうか」
振り向き見た表情は、「なぜそんな疑問が出るのかわからない」と書いてあった。
「拙者と貴女はつい先ほど出会ったばかりだと思うのだが……?」
「ほほう、それは興味深い指摘ですね」
「どこがだろうか!?」
「なるほど、ところでネコミミって動かせるのですね」
「な、なにをしようとしている」
「はもはもと」
「その擬音がなにをするか意味がわかるようでわからないが、やめてはもらえないだろうか!」
声をひそめることすら忘れた盛大なやりとりは、当然のことながら内部にまで伝わっていた。
きぃ――と小さく音をさせて扉に隙間が生じ、そこから鳥魔族が満面の笑みでデジタルカメラ片手にしていることに、ヤマシタさんはまったく気づいていなかった。
気づいていないのはヤマシタさんだけだった。
委員長は、カメラに向けてにっこりと微笑んだ。
当然のように、当たり前のように、それが自然の摂理というように、それは爆発した。




