140.猫と小鬼の日々
その『空間』は特別だ。
なにせ他と通路が連結されていない、少なくともそのように見える。
『空間』内部を見れば、本来あるべき扉はどこにもない。まるで入り口を閉じたカマクラのような有様だ。結節点の空気浄化作用があるからこそ二酸化炭素濃度は低く押さえられているが、ぶおうぶぽう! と忙しく空気を出し入れする様子はいささか限界が近いことを示した。
『空間』内の人口密度が、それだけ高いのだ。
そこかしこに小さな体躯のものたちが所狭しとひしめき動く有様はミニチュアの模型がわさわさしているかのようだが、交わす言葉の内容はいささか生臭い。
照射した地図情報が更新されるたびに歓喜と悲嘆の声を上げた。
この瞬間にも、大金持ちと『大金持ちだった者』が出来上がっているのだ。
――やった! やりやがった! あいつら影人罠地帯抜けやがった! とっとと残骸取りにいくぜぇ!
――――どうしてだよ、どうしてまだ生きてるんだ……ありえない……
――ふっはははっあっはははははぁヒィヒヒヒヒヒヒヒヒヒぃッ全額スったぁ!
――――単純な戦闘能力だけではありませんね、彼らのチームワークにこそこの快進撃の秘密があるのでしょう。
――しねしねしねしねしねしねしねシネ……
――――心臓が、心臓がまだどきどきしてます……!
この者たちは今こそ違うが、その当初は、ハイエナとも、腐肉漁りとも、墓暴きとも呼ばれる存在だった。
全滅しそうなパーティや魔王に目を付け、身を隠しながら追跡し、『そのとき』を待ち望む。両者相打ちになれば最上、要らぬ荷物を打ち捨てるのでも良し、あるいは取りこぼしたアイテムがあるかも――そうして物品を獲得する。
完全な嫌われ者であり、見れば襲われる存在であり、忌まわしい死神の扱いだった。
だが、ある時からスポンサーがつくようになった。
その者は、膨大な金銭を支払わなければ得ることのできないリアルタイム情報を無償で提示し、効率的かつ安全な『回収』を可能にさせた。『空間』の一つを占有し彼らが逃げ込める場所も作った。得た武器防具アイテムを遺品として結節点経由で一定期間販売に出すようにしたのも功績だ。彼らへの風当たりがいくらか弱まった。
ここまでであれば、あるいは、平和的な善行だったのだろう。
しかし、そこから皆は更に金銭的な効率を求めた。
いつでも回収が上手く行くとも限らない、五回か六回に一度は失敗もあれば全滅もある――うむ、なるほど、ならば保険制度を作ろうではないか。
目を付けたパーティが全滅したが他の連中に割り込まれてしまった――ならば優先権売買を導入しようではないか。
だけど、いつまでも優先権持たれたまんままだと困るんだけど、十年後でもそのままなの?――ならば一定時間で区切ろうではないか。
あ、ひょっとしてこれ、賭けの対象にとかできるんじゃないか? ほら、胴元作っていつ全滅するか賭けて、当たれば総取りとか――む、それは……
保険システムにもこれ応用できるよね、というか保険証書自体を資産に見立てれば……――待て、待ってはくれないだろうか、なにか違う方へ向かっているように拙者には思えるのだが?!
ダンジョン深部への回収パーティ作りたいんだけど装備がちょっと心許ないんだよね、みんなから出資を募るのってどうだろう?――む、むむむ……
あ、そうだ、いっそ大人数になればもっと安定して業務を行えるから……――株式会社まで作るつもりか!?
考えれみれば結節点経由なら売買できるよね、わざわざ回収に行かなくても別にいいんじゃね?――ああ、うん、そうかもしれぬ……
でも元手になる資金が足りないから、ええと株式会社だっけ? それ作って――だからそれは!?
気づけばやけに歪な形の産業構造が形成された。
その中心には「なぜこんなことに……」と呆然とする人の姿がある。
そう、かつてのダンジョン内の嫌われ者は、今となっては経済の中心となっていた。
彼らがいなければ、魔族側も人間側も立ち行かなくなる。
ダンジョンにおける中心がどこかについては多くの説があるが、経済的な中心といえば間違いなくこの場所――『魔神』の支配する空白地帯に居を構えるここだ。
これを設立したスポンサーは「たまたま大金が手に入り、これを上手く活用できないか、あるいは皆の役に立つ情報を得ることができぬかと考えこれを行った、まさかここまでの規模になるとは思ってもみなかった」などと言うが、これを言葉通りの意味だと信じる者など誰もいない。
なにせヤマシタさんと呼ばれるこのスポンサーは、今もなお貪欲に資金運用を行う者であり、今もなお社会を変革させる者であり、今もなお経済の中心に位置する者だ。
その先見の明は一種の予知とすらいえるレベルのものだった。
場当たり的としか思えぬものが、回り回って利益となる。
多くの者がこの手法の模倣し、その全てが無惨な失敗に終わった。
――あいつはただラッキーなだけだ……
そう嘯く者も中にはいるが、むろん、言った本人すら信じてない。
生きる伝説、黄金の中心、常に革新を続ける者は、しかし、今まさに逃げだそうとしていた。
+ + +
「なにをしてるの、猫さん?」
問いかけているのは一人の少女だ。
泡のように膨張した経済システムの、その最初から見つめたものであり、ヤマシタさんとのつきあいがもっとも長い者だった。
元はただの小鬼でしかなかったが、膨大な金銭をつぎ込むことで新たな体を『買い取り』、これを使用していた。
一定レベルの金銭以上を得て初めてわかったことだが、このダンジョンでは有形無形を問わほとんどのものが売買可能だ。
結節点のさらに上、『空間』面積を広げて作った一室にいるのもそのためだ。
相応の金銭を支払いこれを得た。
何もかもを結節点経由であれば金銭にて得ることのできる世界、その中でも一番の金持ちともなれば怖いものなど何もないはずなのだが、今は全身からダラダラと冷や汗を流し、急いで旅支度を整えた。
粗末なそれらは、最初ここに来た時の装備だ。よほどの低階層でなければ得ることが逆に難しいものであり、高値とは逆の意味で希少価値がある。
「わからぬ……」
頭を振る様子は、本当に自身でも理解できていないことを示した。
「だが、拙者は急いでここから逃げ出さなければならない、もはや一刻の猶予もあらぬ……!」
「……ひょっとして、また例の直感とかのそれ?」
机の上に行儀悪く乗った少女は、手のひらの上に顎を乗せ、半眼で揶揄するように言う。
「それすらもわからぬ。だが、だがしかし、わずかにでも躊躇すれば破滅すると拙者の魂が叫んでいるのだ、この場より待避しなければ囚われると……っ!」
「変なの」
「拙者自身もそう思う、しかし、今の自由が奪われてしまうのだ……!」
「今でもけっこう不自由だと思うけど?」
「むぐっ」
「たいへんだよねー、いろんな役職押しつけられて、ほいほい受け入れて、『全部成功させる』なんて」
「むむむ……」
「おかげで寝る時間もあんまりないのに今って自由?」
「し、仕方ないではないか! 皆が困っている以上、見て見ぬ振りをするわけにも――」
「逃げた先でもまた不自由に?」
「そんなはずが――」
じっと見つめる元小鬼の視線を前に、徐々に体を縮めて涙ぐむ。
「あるよね?」
がっくりと敗北宣言のように頷く。
今ここのような『空間』は、一つではなかった。最大級の場所がここであることは確かだが、他にもいろいろと作ってしまった。おかげで現在、ダンジョンはなかなか快適な具合になっている。
「意地悪をいう……」
「小鬼だし」
「ここに残るか?」
「冗談」
「結局、ここでもいつも通りか……」
「だねえ」
「……どうして嬉しそうにしているのだろうか?」
「さあ?」
ため息をつくヤマシタさんと呼ばれる者の姿は、最初にこの場所を訪れたときと変わらぬ少女としての形であり、ネコミミが頭部から生えていた。
そして――記憶を失っていた。




