138.死者対決の日々
住み慣れた居心地のいい『空間』は、いざ敵地となるとこれ以上ないほどに嫌らしい場所となった。
歩くたびに周囲の草は足へとからみつき、血を求める。
下手に走り抜ければ鋭い葉に切られて出血し、他の植物たちが傷口へと殺到し、ほどなくミイラと化してしまう。
そう、この状況、走ることは死ぬことと同義だ。
館入り口から、人間の軍隊から魔神陣営に属するゾンビとなったばかりのモノたちが出ようとしているにも関わらずだ。
もっとも現在、入り口の狭さにぎゅうぎゅうに詰まり出てくることができていないが。
「く――」
つい五分前まで一声命じればすぐに引き返したはずの彼らは、今となっては撃退困難の強敵だ。
「そういえば、あなたのお名前はなんというのですか?」
「……」
「返事なしですか、では、げしゅぺんすといえーがーと……」
「断る」
「もしくは、漆黒の闇夜ブラック……」
「黒しかないのか」
「では、哀れな一般人犠牲者と呼べば……」
「現状を適切に表現するな愚か者が!」
あちらはノロノロと移動し、幽霊つきの一般人もノロノロと移動するという奇妙な追跡劇だった。
「……」
彼女は、ゾンビたちの位置関係を見極める。
もともと地面に埋め込んだそれら埋葬ゾンビは、敗走者の足止めのために配置したものだ。
戦士の襲撃に来るのは歓迎だが、ちょっかいをかけるだけで逃げ出すような輩は許しがたい、複数のゾンビ地面へと密閉し、条件が合致するまで出られないようにした。
実際、とんでもなくウザかったのだ。「なあ聞いて聞いて! 俺ってば吸血鬼の根城に行って生きて戻って来たぜ! それも三回も!」などと無意味な自慢話をする逃げ足の速さだけが取り柄の愚か者は。
だが、このままでは、彼女自身が設置したその罠にはまる。
なんの能力もない一般人が逃げきれるほど甘い作りにはなっていない。
己の用意周到が、このときばかりは恨めしかった。
「おお、引き返すのですか?」
答える必要ないとばかりに黙る。
大きく円を描き、むしろ周囲のゾンビたちを起動ような軌道を取った。
立ち上がったゾンビたちは生き血を求めて接近する。
入り口の狭さにつっかえていたゾンビたちも、壁ごと壊して通り抜けた。
作成されたばかりの膨大数の死体が、わらわら湧き出る。
だが彼女は、そちらの方へ自ら近づいた。
「ああ、なるほど、このまま逃げてもつかまると判断したのですね。さすがは元吸血鬼さんです、ゾンビの能力を知り尽くしています」
考えてみれば「これ」の声は他には聞こえていないのだ。無視してしまうの限り相手だった。
それでも肩に乗るにこにことした笑顔は勘に障った。
「――」
だからこそ、放置されたままの空になった肉体――委員長と名乗る不審人物の体の方をつかみ、ずるずる引きずった。
小石や草に表皮をなぶられ、擦過傷が出来ているが知ったことか。出血はこの際、好都合だ。
「あ、まさかですか?」
一度は引き返し、戻ってきた。
ぐるっと円を描くような移動経路は、低速移動の考えなしどもを一カ所に集めた。
ぐるりと取り囲まれた状態から、一対多数の「集団の追跡」の状況へ持ち込んだ。
ニィと笑う。
吸血鬼であったことを理解させる笑みだった。
体内の残り少ない魔力をかき集めて力を上昇、ゾンビどもの集団に『委員長の体』を投げ込んだ。
「わー」
委員長は悲鳴なのかどうなのか微妙な棒読みだ。
その視線が、上がり、そして下がる。
新鮮な血肉をゾンビどもは手を上げ歓迎する、だがそれは、大本である彼女のそれですら『壊呪』したほどのものだ。一度死体となってから復活した半端者などひとたまりもなかった。
薄紙を溶岩へと近づけたような有様で消し飛び、落下の衝撃は緩和されず、生々しい音をさせて落下した。
わずかに流れる血に周囲の生ける死者は色めき立つが、それら接近したものたちもまた同じ結末を迎える。
接触する、灰と化して消える。その灰を通り抜けて手を伸ばすゾンビもまた――
「全自動連鎖の開始です」
意味のわからない言葉だった。
次々に弾け飛び、消えた。
投げ込んだそれが最上の毒物であることをゾンビたちは理解しない。
新鮮な血があるのであれば吸いたいとだけ願う。
一分もしないうちに、膨大数は残らず消えた。
まだ残存するゾンビはいるだろうが、脱出そのものは容易となった。
「……」
じっとその灰まみれとなった肉体を見つめる。
彼女を吸血鬼から人間へと引き戻した、魂の入っていないそれ。
これはひょっとして、アイテムとして使用できるのでは?
「指を切り落として武器とするか……」
「なるほど、アリです」
「接触させるだけでゾンビどもが吹き飛ぶ物品だ、売ればどれほどの価値になるか……」
「それをした場合、結構おもしろそうな予感がありますね!」
「そうなのか」
「武器や盾や鎧を落としたり壊れたりしながらも、私の指だけを持って戦う姿に――」
「放置だな」
「ええ……かっこいいじゃないですか、勇者みたいな雰囲気ですよ?」
「それは別の意味で勇者だ」
館の中へと入った。
叫び、戦い、血を流しておびき寄せたかいあってか、ゾンビと出会うことなく武器庫へと入ることができた。
大半は侵入者撃退用のトラップでしかないが、中には本当に役立つものもある。一つ二つは価値あるものを残しておかなければ素通りされるからだ。
手順通りに罠を解除し、手早く短剣と短杖と皮鎧を身につける。
どれも吸血鬼であったときには不必要だったものだが、今となっては必要だ。
この『空間』より外へと出ればモンスターとはち合わせる。
「あれ、ここはもう安全になったと思うんですけど、逃げるのですか?」
「当たり前だ」
ごく小声で返答する。
剣を振り、その重さに顔をしかめる。
「ここには、アレがいる」
見上げる先にいるのは、結節点内にいる『魔神』だ。
つい先ほどまでは味方だったが、今となっては陣営を違えてしまっている。
放たれる力を受け取ることができない。
そう、ここはもう敵地に他ならない。
「……おまえは、何か役立つものを探したりはしないのか」
「不必要ですね」
「まったくの無手か」
「いえ、もともとは拳銃使いです」
「おもしろい冗談だ」
「たしかに当たったことは数えるくらいしかありませんけど、その評価は酷いですよ?」
「おもしろい冗談のようだ」
「面白がるものがいつの間にか私のお話から私になっていますね、えへへ」
「肯定的な評価はしていない」
おお、なんと!
と委員長は手をぱちぱち叩いて喜んだ。
その歓喜の様子を、元吸血鬼が警戒することはもちろん無い。
ヤマシタさんやペスなどがいれば全力で周囲の様子を確かめ、戦闘態勢をすぐさま取るが、彼女にはその知識がない。
「……」
だから、窓の外、彼女が吐き出した大量の血がゆっくりと逆しまに落下する様子を目に留めたのは、純粋に観察力の賜物だった。
生き残りたいとする意志が、異変を察知させた。
ゆるい螺旋を描きながら昇るそれらの血液は、すべて残らず先ほど彼女が吐き出した『破壊された吸血鬼の血』であり、膨大な力を蓄えたものだ。
それは当然のように結節点、その中心にいる人影を目指した――




