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未誕英雄は生まれていない  作者: 伊野外
試験Ⅱ
145/179

136.現在過去の日々

「――?」


誰かの視線を感じた、気がした。

だが、生きたものなどここにはいない。

暖かな血を持つものがいれば確実に感知するはずだ。それが魔術であっても同様だ。

この場には、一つの魔力のみが満ちているのだ、その阻害要因の把握などたやすい。

だからこそ遠慮なしにラジオ体操を行えたのだし、だからこそ無遠慮に襲いに来た者たちを瞬時に殲滅した。

開始時間に間に合わなくなりそうだったのだ。


そうして、今は外にいる。

今度はご飯の時間だった。


芝生が枯れ果てながら足にまとわりつき、化石のような樹木がわずかな血臭にざわめく様子を見ながら、さらに気配を探ってみた。

神経質かと思うが、たしかに感知したのだ。アリの歩行音を聞き取る精度で確かめる。


結果は、同じだ。生きたものはいない。

はぁ、と息を吐く。

その音だけが無音に響く。

静寂はこの『空間』における日常だ。


「――」


彼女は、目を閉じ、昔を思いだそうとした。

ここに来るより前の出来事だ。

いつものように、それは上手く行かない。

靄がかかったように判然としないが、ときおり断片的なイメージはある。

それは――走る足、破壊の痕跡、高く上がるモンスターどもの鳴き声、そして、吸う血の甘さ――

このダンジョンへと走り逃げ込む契機となったもの。

だが、その根本は、まるで思い出せなかった。


そもそも、いつから『吸血鬼』として在ったのか。

それすらも、不明だ。


ただ彷徨し、敵を倒し、多くの人もモンスターも魔族もその血を吸って生き延び、たどり着き――気づけば真上に『これ』があったのだ。


『空間』の中心にて光る結節点、それは通常のものよりも幾分以上に巨大であり、また異常でもあった。

照らす光は赤ですらない。

白と黒を呼吸するように交互に照らした。


その内部には、影がある。

結節点の巨大さと比べれば微々たるものだが、それはたしかに人の影であり、また、放出される魔力波動の中心でもあった。


「――」


彼女は、「これ」が何かは知らなかった。

結節点にあるのであれば、モンスターかとも思うが、それにしては強大すぎる。

そこから湧き出る力はどれほど吸おうとも吸いきれず、果てなどないように溢れかえった。


血を吸い、生きた彼女にとって、それがどれほどの福音となったかわからない。


いままであった永劫の飢餓――まるで蒸発する雪でも食べているかのようなそれ。ほんのひととき乾きを潤すことすら満足に行えず、むしろ渇望を酷くするものから、救われた。


どれだけ血を吸っても満たされなかった。

戦士の血を。

魔術師の血を。

恋人同士の血を。

そして、この『空間』にいた魔王の血を吸ったが、まったく足りない。――そう、『足りなかった』。


「――」


足を、とん、と軽く蹴り、宙へと浮かぶ。

結節点の側へ行く。

命のない『空間』の中を飛翔し、手が焼け付くのもかまわず、口をつける。牙が伸び、凝固した力そのものであるそれへと牙を突き立てる、当然のように顔の表皮が焼かれ、黒い血は流れる端から蒸発するが、表情は紛れもない歓喜を示した。

体の中を溢れる魔力は、百人ぶんの血液を凝縮させたものだと思えた。


最初に吸ったときの感動は、忘れられない。

どれほどぶりかわからない「満ち足りる」という感情を知った。

永劫と思えばものが終わりを告げた。

乾き続けた放浪者が、永遠に湧き出る泉を見つけたのだ。


副次的な効果もあったが、ほんのおまけだ。

その膨大な魔力は、瞬間的な破壊を可能にさせた。

単純に魔力を放出するだけであっても敵は残らず吹き飛ぶ。

火呪を放てば周辺一帯が火の海と化した。

拘束呪を放てば空間そのものが停止した。

レベルも、見たことがないほどの勢いで上昇を続けた。


部下や仲間など、いらなかった。

彼女一人さえここにいればいい。

この結節点にいるものが――無限の恵みをもたらす『魔神』と自分さえいればいい。


「そう――この餌さえあればいい……」


他よりも大きいその結節点は、幾分か萎み、一般程度のものとなっていた。

その様子を見て、さらに笑う。


これがなにかは知らない。それは本当だ。

だが、強大かつ無双の力を持っていることはわかっている。また、放置し続ければ結節点は体積を増し、内部の人影は成長を続け、そのうちに目覚めてしまうことも。

目覚めた魔神がなにをするのかは、わからない。

周囲一帯を破壊するか、上や下へと進行するのか。


ひょっとすれば、自分こそが「世界の平和」を守っているのかもしれない。

少なくとも、今回攻め込んできた無能な人間よりは、確実に貢献しているだろう。


くく――と喉の奥で笑う。


地面へとゆるゆると降りる間に、顔や手はすでに再生を終えていた。


「だが、退屈は退屈だ――お客人が来るのであれば、相手をしなければ」


結節点よりも更に上に視線をやりながら言う。

瞳孔を開きながらの笑みは、強者としての確信があった。


「生き残るのは、こちらだ」


生存を求める吸血鬼は、『自分たち』を損なうものに容赦するつもりはまったくなかった。


「……しかし、モンスターの生成ができないのはつらいな」


手を広げた体勢のまま、思わず弱気もこぼす。

結節点の関係で、通常行う『空間』の支配はできなかった。

また、あまりに長くこの地に暮らしていたためか、いつの間にか陣営が魔族側から魔神側へと変化していた。

中立である白の時間にもっとも高いステータス補正を受けるこれは、便利と言えば便利だったが、立場は微妙な位置にある。


彼女はあくまでも『魔王』であって『魔神』ではなかった。

結節点を通じての取引は行うことはできるが、これを支配しているのはあくまでも『魔神』だ、その部下、あるいはモンスター扱いの彼女は結節点使用の生成を行うことができないのだ。


せいぜい吸血鬼としての能力を使い、部下としてのゾンビを作成することが精一杯だ。


――くぅ、とお腹が鳴った。


「む――」


本来癒されるはずのない餓えが満たされ、吸血鬼としての側面が弱くなったためか、最近はごく普通にお腹が減るようになっていた。

生存を求め、健康に誰よりも気を使う彼女は、当然のように食事にも気を使っていた。


まったく仕方ないなぁ、という顔をしながらもウキウキと引き返そうとした動作は、すぐさまずぅんと沈んだものとなった。


「ああ、そうだった、調理番のやつも倒されたのだったか」


返す返すも口惜しい。

早寝早起きの生活リズムを乱すように行われた襲撃だったため、人間どもの先手を許してしまった。


まったく、あのゾンビが好みの味付けを覚えるまで、いったいどれほどの時間を費やしたことか。

いや、味だけではない、タンパク質、炭水化物、脂質の比率、ビタミンや栄養バランス、食材の新鮮さを見極め、旬のものを使い、なおかつ予算内に納めることの難しさは筆舌に尽くしがたい。


久々に自分で作るしかないのかとため息をはき。


「――」


立ち止まった。

停止させている心臓が、脈打った。


そこに、いつの間にか人が横たわっていた。

ついさきほどまで確実に居なかったはずだ。


ゾンビではなかった。人間――生きて血脈を通わせるものだった。

若い女性のように見えた。

おそらくは処女だ。

健康状態は悪くなさそうだが、どういうわけか寝間着だった。


魔力的な感知を飛ばす。

乱れはあったが、もう術式実行は終わった後だった。

瞬間的に発生し、わずかな痕跡だけを残して消えた。それ以上の変化はなさそうだ。


ただ人だけが横たわり、眠っている。


「……」


ごくりと喉を鳴らした。

迂闊にも、横たわる彼女の周囲の吸血草たちが、残らず死滅していることにはまったく気づいていなかった。

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