11.後夜祭について
あのときの、幻のことを思い出す。
幻の軍団、幻の王様。
それらと相対する僕自身。
あれは生まれてからあと、本当に起こることのかどうか。
少し考えて、きっと起きることなんだろうな、って結論になった。
生まれてくるはずの命を無理矢理この世界へ引き寄せ、時空を幾重にもねじ曲げ、今の状態として僕らは生じた。
逆を言えば、そうした無理矢理がなければ、あるがままに物事は進んだはずだ。
今の僕みたいな性格をした奴が、大きな何かを成そうとすれば、きっとああいう結末へ至る。
それは、なんとなくわかった。
横たわった体勢のまま手を開き、握る。
なにも掴めない。
空気ですらもすり抜ける。
きっと、ハッピーエンドだって掴めない。
息を吐いて、ちょっとだけ拘束の緩む木の根の様子をたしかめる。
横では、椅子に座った樹さんがすやすや寝ていた。
もう日が沈んで夜になったせいだと思う。
酸素じゃなくて二酸化炭素を吐き出す時間帯だ。
昼ご飯も夕ご飯も食べ損ねたなぁ、と思う。
樹さんが無理矢理に流し込んだあれをご飯扱いしてはいけない。お腹はまったく減ってないけど。
「はぁ……」
幻の中――あのヘンテコな王様を斬ったこと、それが僕の末路。
なんてくだらない。
心底そう思う。
そのくだらなさをひっくり返すためであれば、うん、ここで頑張ることにも、意味があるのかもしれない。
「でも、なんだかなぁ……」
僕は、英雄であることにそれほど価値があるとは思えない。
きっと人は、勝手に生きて勝手に死ぬだけだ。
ちいさな出来事を楽しんで、あるいは悲しみながら。
それが相応で、とてもぴったりと当てはまる生き方で、安らぎがある。
そして、それを守るためにちいさな努力を積み重ねる。
英雄ってものは、それを根こそぎ破壊する。
ただの一般人が頑張らなくてもいい、それは専門家に任せとけ、関わらなくて大丈夫で、知らなくてもまったく問題ない。
他人の努力を台無しにしてしまう存在が、英雄だ。
殺すべきものを勝手に殺してくれる存在だ。
凡人はそれまでの間、ただ耐えていればいい。
こういう考え方自体、とても傲慢なものなのかもしれない。
それでも、僕はそういう形の英雄に、価値を見い出すことができない。
他人の必死を、横からかすめ取っているように思える。
「ああ、もう……」
なんだか気分がどんよりしてくる。
せっかくの快勝に、僕自身がケチつけてどうするんだ。
わーい、って素直に喜べばいいのに、それができない。
ぷちぷちと、木の根を引きちぎりながら立ち上がる。
傷はもうすっかり良くなっていた。足にはまだしつこく巻き付いて止血してるものがあるけど、痛みや違和感はなかった。
病院なら一晩安静に、って言われるところだろうけど、ここでは言われない。だから大丈夫ってことにはならないけど、多少ふらつくだけでしっかり歩くことはできそうだった。
「ちょっと、気分転換――」
いつの間にか脱がされていた衣服に、いそいそと袖を通し、扉を開けようとして、ふと止まる。
上についているドアベル、これが鳴ったらどうなるか?
あのボス狼以上の速度で追いかけてくる誰かの姿が想像できた。
今度こそ逃げられず、養分な運命が決定される。
「むおう……」
我ながらわけのわからないことを言いながら、僕が落ちてきた天井の穴。そこを通って外へ出た。
体の様子は快調で、上り下りに支障はなかった。
+ + +
夜は静かだ。
道行く人は誰もいない。
だいたいは寝ているし、起きてる人は別の場所で騒いでる。
でも今日は、不思議と騒がしさに満ちていた。
ひょっとしたら僕は、この空気に当てられて外へ出たのかとも思う。
ふらふら歩く先は、気づけばいつも通りの方向へ。
意識しなければ、足は勝手にぺスの家へと行く。
ドアノッカーで叩く。反応はなかった。
開けてみる、相変わらず鍵はかかってなくて、家の中には誰もいなかった。
いくら「おーい」と呼びかけても返事は皆無。寝息は聞こえないから、寝てるってこともなさそうだ。
頭をかいて、そこから先もいつも通り、学校へと向かう。
近づくほどに、明るさが増した。
揺らめくそれは、火炎のそれ。校庭中央のほとんどを占める大キャンプファイヤーだった。
ときどき組み上げた木が焼き崩れて悲鳴が上がる。
「おー」
バーベキューをしようとして失敗して奇声を上げる人がいた。
楽しそうにダンスを踊ってるひとたちがいた。
火の揺らめきを体育座りで見つめる人がいた。
ギター状の楽器を鳴らして歌っている人も。
いろんな人がいる、いろんな英雄がいる。
その当たり前に、なぜかとても心が和んだ。
ちり、っと少しだけ心がざわめくのは、きっと何人か見あたらない人がいるからだ。
たまたま見えなかっただけ、って風には思えなかった。
不運は委員長が引き取った。
それを僕らで乗り越えた。
でもそれは、アクシデントが起こりにくいってだけだ。
誰も死なずに済むって意味じゃない――
「おうおうおう?」
「あ、ペス」
呆然としていたところに、上からの飛翔体が絡んできた。
首をがっちりホールドされる。
なんかいろんな人とか狼とかに捕まる日だな、となんとなく思う。
「よかったね」
「おお、そうだなあッ!」
「課題も終わったし」
「ああ、そうだよなあッ!」
「ほら、僕もこうして無事で――」
「あ?」
それまでの、コメカミに青筋立てながらも浮かべていた笑みが、極寒に変わった。
というか、薄々気づいてたけど、最初から最上級に怒ってた。
「なんつったコラ、いまなんていったんだオイ、自分から狼の口ん中に突っ込むようなマネしくされやがったおまえが無事とか言ったか? おれの目の前で全速力で特攻してくれやがった奴が無事? ほー、なんだ、オイ、おもしろいな」
「――」
火災でいえば、もうこれ以上ないほど燃え上がっている最中。ここで下手に水をかけても逆効果、むしろ被害を拡大させる。
初期に通用するものが、すべての状態で通用するわけでもない。
僕の首に回された骨には、凶悪な感じの魔力が纏っていて、その上の生身の顔はギリギリと歯軋りを鳴らしてる。
いろいろぐるぐる考えて、結局は僕自身に素直になることにした。
「うん、最高」
ペスがめちゃくちゃキレた。
言葉がちょっと足りなかったのかもしれない。
+ + +
僕らはなんとなく炎を見つめる。
怒りを存分に爆発させたからか、ペスの機嫌はいつも通りに戻ってた。
「だが、まー、おれの部下になったらそういう命の無駄遣いはゆるさないから覚悟しろよ?」
そう釘を刺すことを忘れなかったけど。
「だから、どうして僕がペスの部下になるのが決定してるの」
「おれがそう決めた」
「決められてしまった……」
「だから覚悟しろ」
「というかさ、生まれて後だと世界も違うし、記憶だって残ってない、僕がここで了承してもまったく意味がないよ」
「ふん」
骨の腕で偉そうに腕組みして、鼻を鳴らした。
「世界の一つや二つくらいは越えてこそ英雄だ。記憶が残らないとか、そんなのなくなってから考えればいいんだ――あと、知らないのか?」
「なにを?」
「大魔王からは逃げられないんだ」
「……ペス、魔王やるつもりなんだ」
「勇者とか救国のなんたらって柄か、おれが?」
「まあ、そっちよりは似合ってるといえば似合ってる、のかな――?」
マントを翻しながら高笑いするペスの様子が容易に想像できた。
「だろ?」
「そういえば、魔王ってどうして変なことするんだろうね」
「ん? どういうことだ?」
「人間が他国攻めるのは、土地とか資源が欲しいから。上に乗ってる人が邪魔で、実りを約束する土地を手に入れたいからでしょ」
「ふんふん」
「でも、魔物が土地手に入れたところで意味がない。彼らが農耕民族だって話は聞いたことがない。人間殺したいだけ、っていうのもちょっと違和感がある。そのチャンスがあってもやらないことが結構ある」
勇者、あるいは魔王、その他の『英雄』についての記録は、けっこう気軽に参照して読むことができる。
僕らの隠れた娯楽のひとつだった。
なんか、学ぶことを誘導されてみるたいで、嫌な感じだけどね。
「あー、そうだな、言われてみれば不思議だな」
「ペスにもわからないの?」
「おれ、まだ実際に魔王やってないからな!」
「魔王やってないのは、たぶんいいことだと思うよ?」
「人間の、悪意とか憎悪とか、そういうの吸収してんじゃないか?」
「そういうことなのかなぁ」
その割には人を浚って恨みや憎悪を引き出すってことはしてないみたいだし、奴隷貿易みたいなこともしていない。狩猟生活的なことしかせず、牧畜生活的なこと――最適な環境で増やしては刈り取り、また増やして、って感じの養殖はしていないように思える。
まあ、世界によって違うんだろうけど、なんだかいろいろ中途半端な気がした。
「ま、言いたいこともわかるけどなー」
「そう?」
「なーんかいろいろ不自然なんだよな。ちゃんと生きて活動してる雰囲気がないんだ。勇者って奴に倒されるため、そのために設置された『都合のいい悪役』が魔王だったりするのかもな。そう考えると嫌だよなー」
「好き嫌いが激しい」
「生き方くらい好き嫌いで選んでいいだろ? よし、おれは一人で魔王をやることにする」
「一人で?」
「武者修行して、各地探検して、勇者とやらに戦いを挑む。それで負けても、まあ、おれ一人が死ぬだけだろ、なんとかなる」
「やってること、ほとんど勇者だよね、それ」
「おれを勇者扱いするとこあると思うか?」
「世界は広いから、ひょっとしたら」
「おいこら、目を逸らしながら言うな」
けっこう楽しかった。
この後、ニコニコ笑顔で首輪をしている委員長と、そのロープを死んだ魚のような目でくわえてるヤマシタさんと出会った。
僕とぺスがやったようなのと似たような言い争いをした末に「なら、ヤマシタさんがちゃんと私を躾ればいいじゃないですか!」って結論になったらしい。
ヤマシタさん、どうしてその結論を無条件で呑み込んだんだ……
彼方の虚空を見上げる猫の目から、ほろりと涙が流れてた。
とはいえ、全体的にはいい一日で、いい結果だったんだと思う。
僕らは飲んで笑って歌って騒いだ。
そうして今日を祝い、もう会えない人たちへのお別れをした。
一章終了




