9.対決と英雄について
洞窟内は暗いというよりも薄気味悪い。
岩肌がそこかしこにあり、閉じた場所特有の臭いが充満してる、光はないけど代わりに魔力が照らす。ちかちかしていて、なんだか目が疲れてくる。ブラックライトとか紫外線照射とか、普段見ないような光の中でずっと過ごしている感じ。
仲間内の会話だけが安らぎだった。
「――そう、これは拙者の意見ではあるが、危険域にて注意すべきは魔力の揺れであると考える」
「そうなの?」
「拙者もまたそうだが、戦うものが必ずしも魔術に精通しているわけではない。隠れ潜みやり過ごすならばともかく、攻めるとなれば魔力を揺らすものだ、これを感知すれば不意を打たれることはなくなるであろう」
「そっか……」
試しに強く拳を握ると、周囲の光の様子も違った感じになっていた。細波みたいに伝わってしまう。
「隠れることのみに意識を裂いているものを探り当てることは、難しい。わずかな差で拙者にもそれが不明となる。専門に習い覚えておらぬのであれば感知は不可能であろう。それでも、これを知ることは決して無駄とはならぬと拙者は思う」
「だね」
知識は力だ。
知らないままだと、できることが少なくなる。
いいことを知ったなぁ、と思っていると、後ろからひそひそ声がしていた。
「ええ、そうなんです、ヤマシタさんが一緒にお風呂に入ってくれないんです、ひどいとは思いませんか?」
「よくわかんないけどさ、別に風呂くらいどうでもいいだろ?」
「いいえ! 毛がべっとりとした情けない状態のヤマシタさんを是非見たいんです、というか撫で回したいんです」
「そっか、そういうもんか、わかった協力するぜ!」
「本当ですか、ありがとうございます!」
「代わりに、おれの方にも協力してくれよ?」
「はい、拷問施設にはいくつか心当たりが――」
後ろの不穏当な会話は聞こえなかったことにする。
というか聞こえなかったことにしたい。
「ヤマシタさん、なぜだか前後から敵に挟まれてるような感じがするよ……」
「奇遇だ、拙者もそう思う……」
冷や汗を流すヤマシタさんは、今は僕の肩に乗っている。
もうすぐボス――あるいはこのダンジョンの『中枢』が近いと思われるからだった。漂う魔力がやけに濃くなっている。
委員長のそれは頼りになるけど、ここまで来るとそれだけじゃ危ない。
前衛の僕と斥候役のヤマシタさんで警戒し、いち早く敵に対処できるようにした。
「右前だ」
ささやく言葉と一緒にイメージが来る。
感知した魔力の揺れ、ごくわずかな足音、鈴の音による形の予測、十字路向こうにいる敵――
もろもろの情報が敵の位置と形を教えた。
どこから、どれだけの速度で、どの高さにいるのかわかってる。
これで外すのは、よっぽど変なことが起きなきゃありえない。
「フッ!」
カウンター気味に入った剣は、そのまま敵を両断した。
背骨に沿って切り分ける感じ。
中央魔石の位置は外してあるから、これだとすぐに取り外せる。
いい加減、両手がぬちゃぬちゃになるのが嫌で、この方法に切り替えていた。
楽に倒せて、楽に稼げる。
良いことずくめのはずなのに、なぜかペスは、嫌そうな顔をしてた。
「なあ、そこの猫」
「拙者にはきちんとした姓がある、それで呼んではもらえぬだろうか」
「んなことどうでもいいからさ、探知とかもう止めね?」
「にゃ!?」
「ねえペス、斥候役に斥候するなって、まったく意味がわからない」
「だってよー、さっきも言ったけど、ホント暇なんだぜ?」
「それは――いいことであろう」
「うん、そうだよ」
じとっとした半眼で、ペスは僕を見ていた。
ヤマシタさんと同じことを言ったはずなのに、僕だけに糾弾の視線をとばしてた。
「おまえさ、自分だけ敵ぶっ殺せてるからそんなニコニコなんだろ?」
「え、そんなことないよ」
「棒読みで目ぇ逸らしながら言ってんじゃねえよ! おれにも少しはそれ分けろ!」
「ペスは大事な戦力なんだ、有限な資源は取っておかなきゃいけない。ここは仕方ないから、そう、仕方ないから、僕が一人でがんばるしかないんだ――!」
「素振りしながら言うなぼけ」
「ペスさんに、いい感じの不運が纏っていくのを感じます、すてきです!」
「おい、委員長、それっておれの望みが叶わないってことじゃないか!?」
「委員長殿は、ひょっとしたら占い師が向いているかもしれぬ」
「不運になるのが百パーセントの確率でわかるのはスゴいよね――」
言いながら僕は、グー、パー、と手を開閉してみる。
魔力が揺れる様子が、ちょっと面白い。
同時に、ペスの方に黒いなにかがふよふよと接近しているのもわかった。
……なんか、だんだんと見えるものの範囲が広がっているような気がした。
でもこれは、いわゆる成長とかレベルアップとは違うんだろうな、ともわかった。
一時的というか限定的というか。たぶん、委員長と離れたらこの『不運』は見えなくなる。仲間に影響されてるだけだった。
「強くなりたいなぁ……」
骨の手足を振り回し、「もういい、この洞窟、全部壊す!」とか言って暴れるペスを見ながら、そんなことを思った。
+ + +
感知、撃退、魔石採取、進行。
だいたいこのセットが繰り返された。
敵襲撃のタイミングはランダムだけど、単数相手ならたやすく勝てる。
本当に、拍子抜けするくらい楽だった。
それでも、変化は徐々に現れた。
現れる雑魚敵が一段階レベルアップした。
一回りでかいそれは、倒すのに少し苦労するけど、まだペスが出張るほどじゃない。
ギリギリと歯軋りの音が後ろから聞こえるけど、聞こえないことにする。
委員長はそこはかとなく嬉しそうで、ヤマシタさんは全身の毛を逆立てていた。
臨戦態勢一歩手前、尻尾をばしばしと上下させてる。
明らかに、苛立っていた。
「どうしたの?」
「拙者にも、わからぬ――」
「……」
気配を探る。
ヤマシタさんほどじゃないけど、まったく感じ取れないほどじゃない。
嫌な感じが、徐々にその水位を増している、そんな感じがあった。
「む、十字路の左から敵」
情報が伝わる。
いつも通りに対処する。
「フッ!」
予測位置に剣を振る。すでにヤマシタさんは邪魔にならないよう降りていた。練習通りの最速の動き。だけど空振った。
敵は――加速していた。
それまでが10の速度だったとしたら、突如として100へと跳ね上がったと思えた。
「!」
僕を完全に無視して後衛へ行こうとする敵。
剣を振り切る動きから移行し、掴めたのは幸い。
すさまじい手応えと共に、靴がガリガリと地面を削った。
ヤマシタさんが併走しながら飛びかかるのが見えた。爪と牙に力を纏わせ跳躍し、敵の目鼻を狙う。
委員長は意外なくらいスムーズに銃を構え、ペスはマントを翻し魔力を循環させる。
僕らの焦点が敵一匹へと合わさり、ニヤリと口を歪める様子を見た。
同時に、ぞわりと悪寒が体中を駆け抜けた。
空気の揺れ――いや、魔力の揺れだった。
十字路の全方向からそれは来た。
囲まれていた。ただの一匹に僕ら全員が引きつけられたこの状態で、多数の敵が襲撃しようとした。
僕が今掴んでいる相手は――
「ダンジョンボス……!?」
僕らの中心に躍り出た敵は、この洞窟に満ちる魔力と同質のものを発散してた。
「罠……ッ!」
痛切な後悔と共に、気づいた。
+ + +
考えてみれば、いろいろとおかしかった。
どうして敵は一匹ずつで襲って来るのか。それも、僕らが呑気に会話できるくらいの適度な間を開けながら。
あるいは、落ちたときには弓矢で襲われたのに、なぜ狼しか出てきていないのか。
きっとその理由は、あの毒沼を一瞬とはいえ枯れさせる威力を敵が見たからだった。
最大限に警戒し、封じ込めるための策を講じた。
一匹ずつ捨て石にすることで、複数による襲撃はないと刷り込ませた。
攻撃の際には魔力の揺れをわざと起こし、『攻撃せずに潜んでいる敵』を意識から外させた。
そして、最速の攻撃をボス自らが行うことで、ペスの攻撃目標を絞らせた。
ボス自らを囮にした、包囲殲滅攻撃。
僕らの動きは、なにもかも敵のオーダー通りのものだった。
ボス狼が吠え上げる声、同時に狼とその上に乗る小さな人間型の敵が迫った。弓を引き絞っている。
真上では隠れていた狼二匹が涎をまき散らしながら襲い来る。
ボスにかまっている暇はなくなった。
それをすれば、僕らが殺される。
かといって、なにもしないまま放置も悪手――!
僕は掴んだボス狼を投げた。嘲笑を浮かべる狼の毛皮の上を、矢は滑った。ダメージにはまったくなっていない。
前からのそれはヤマシタさんの爪が跳ね返し、上からの襲撃はペスの魔術が吹き飛ばしていた。委員長の撃った弾は当然のように外れた。
だけどもちろん、これだけで終わらない。
着地と同時にボス狼が再び吠えた。
前後左右、十字路それぞれから無尽蔵に狼と弓矢がやって来た。
「――!」
いままでの行儀の良さをかなぐり捨てた、完全にこちらの息の根を止める襲撃だ。
「ははっ!」
その憎悪に目を輝かせて歓喜するぺスが正直少し羨ましい。
骨ばかりで防具もつけていない彼女は、実のところこのチーム内で一番脆い。
それを補うための移動速度であり、身軽な体だ。
「いいぜ、もっともっと憎み合おう、果てなく枷なく憎悪しよう――戦いはそれだ!」
十字路、その四方向すべてからやってくる敵に対して、滑るように上昇しながら魔力弾を放つ。黒いマントからこぼしたようにも見える無数の弾は、ひとつひとつが敵を葬り去ることのできる力を持つ。
それは、吠えると噛みつくを繰り返しながら疾走する獣たちの熱狂に、冷や水を浴びせかける効果を発揮した。
すぐ隣を走る奴の頭蓋骨がひしゃげて中身ごと地面にぶちまけられる有様を見ても平気な生物はあまりいない。
「ああ――本当に良かった……」
「委員長殿、なにを!?」
的確にトリガーを引きながらの、心からの委員長の安堵にヤマシタさんがツッコミを入れた。
「これだけの不運が起きたなら、きっと他のクラスメイトは無事です。きっと生きて帰ります。ここでの危機の訪れは、皆の平穏の証明です」
「それは――」
「そしてもちろん、ここにいる皆さんのことも、無事に帰しますから」
笑顔を浮かべて言う言葉。
だけど、特大に嫌な感覚が背筋を這った。
見れば、黒くおぞましい何かが委員長へとすり寄ろうとしていた。
誰もが嫌悪し、顔を背け、直視することのできないそれを、委員長はむしろ望むように受け入れる。
ぺスの援護を受けながらも僕が切り払っていた狼たち、それらが突然迂回した。
壁を蹴り、あるいは跳躍しながら通り過ぎる。僕を標的にせず、後ろにいるただ一人を攻撃の対象にしていた。一匹や二匹ではなく全員が「この敵を襲うことが最優先だ」と考え実行に移した。
それは、時間を作り出す。
大技を使うのに十分な間だ。
ペスが魔術を準備し、十字路の一方くらいは薙ぎ払うことができる。
そのためには犠牲が要る。
その技能を持っているのはただ一人だけ。
だけど――
「ペス、僕に防御魔法を!」
僕と委員長、どちらの耐久力が上かなんて自明なはずだ。
どちらが敵を引きつけるべきかについては、もっとわかりきってる。
黒く淀んだおぞましい流れ――委員長が集めた不運を『掴み』、引き寄せた。
距離なんて全く関係なかった。ぞわりと嫌な感触、まるで蛆虫の固まりを持ったようだ。呆気にとられた委員長の表情、「おま、ばか!」という叫びと共に魔力光が僕を包み、敵意の方向がこちらへ集まり――無数の牙が突き立てられた。
主な攻撃箇所は足、何本もの牙と顎に陵辱される。
防御のそれを貫通し、肉を突き破り、骨まで届く。
覚悟していたとはいえ、脳を焼き焦がすような激痛。神経が発火し、天然のトラバサミががっちり挟む。なによりも、コイツ等は僕を生きたまま喰おうとしている、空腹を満たす歓喜が踊る。
ペスは、叫びながら魔力弾を放出して僕にたかる敵を撃つ。
助かるけど、敵が倒れた端から別の敵が噛みついてるから、現段階だとあんまり意味がない。
委員長は戸惑っていたけど、唇を噛みしめながらボス狼にむけて照準、トリガーを引いた。
不運は僕が引き取った、ミスは起こらず敵の後ろ足を穿つ。分厚い毛は矢を滑らせたけど、足の間接はそうじゃなかった。
不遜なものが傷を付けた怒りと共に、ボス狼は委員長を攻撃しようとしたけど、その前にヤマシタさんが立ちはだかる。ただの猫と巨大な狼、普通に考えれば勝負にもならない。だけど、英雄となれば話は別。
素早さと、魔力を込めた爪と、決死の咆吼が互角を作り出す。
英雄……
――英雄って、なんだろう?
剣が自然と持ち上がる。疑問は続く、体は動く、すべきことを行えと何かが命じる。
体中は傷だらけ、あと数分もしない内に死ぬ。記憶をすべて失って、僕は未誕英雄からただの英雄となる。だけどその先の、生まれた後でもきっと同じような終わりに違いない。ハッピーエンドで終わる英雄譚は稀だ。
こんな風に、必死で助けようとする少数の味方と、剣を振り上げる僕。その未来。その情景が浮かんだ。
鮮やかに、現実のように目の前に現れるそれは――銀の鎧と、天を突くような槍の群、怯える軍馬、感情を抑えた瞳と唇の数々。その中央の、ちっぽけな王のちっぽけな狂喜。
万を越える人間の軍隊。
空想、あるいは、あり得るかもしれない未来。それを幻視した――
はじけるように現実感と、痛みが戻る。
歯を食いしばりながら、僕は足を踏み出す。
一緒に引きずられる狼たち、だけど、力む必要はどこにもない、練習通りにすればいい。ただ体に最高の動作をさせればいい。
そう英雄とは――殺すべきものを殺すものだ。
駆ける。
幻の王様の驚きと、現実のボス狼の驚きが同期する。
敵の攻撃は激しさを増す。
矢が降り注ぎ、牙がさらに深く突き立てられる。
それらをふりほどき、あるいは、無視しながら接近する。
喉元を狙った狼の牙、眉間へと吸い込まれようとする矢。それらをペスの魔術弾と、委員長の弾丸がはじいた。
道が開ける、足を加速させる。
視界の明度が下がり、上手くものを考えられない。それでも、狼たちを引きずり進む。
足止めをしていたヤマシタさんを無視して、ボス狼は逃走しようとした。
賢い選択だ。
放っておけば僕は死ぬ、前衛が崩壊したチームなんて、後でじっくりゆっくり料理すればいい。
だから、それをさせるわけにはいかない。
矢が多く刺さった左手を振りかぶり、投げつけた。
掴んでいたのは不運そのもの、特大のそれは狼に触れた途端に吸い込まれ、転倒させた。巨体が地面に倒れる音がした。
いま最も不運なことは、この場から逃げられないことに違いない。
右手の剣を、掴む。
壊れてしまえとばかりに強く。
起きあがる狼、その必死さ。
幻の王様は怯えを浮かべる。ボス狼の瞳にもそれがある。
未だ必死に僕へと噛みついてる狼たちのことを意識から消す、体の動きだけを注意する。
練習通り、ただ最高速で――
踏み込み、斬った。
握る柄が、役目を終えたとばかりに砕け散り――
幻と現実、二つの首が同時に舞った。




