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未誕英雄は生まれていない  作者: 伊野外
日常Ⅱ
110/179

103.始まる日々Ⅱ


唖然としたのは一瞬。

すぐさま飛びかかる。


ここは、己が魂の在処だ。

無断で踏み荒らしたものに容赦する謂われなどありはしない。

だが、慣れた動作で振られた爪は、対象をすり抜けるだけで終わった。

幾度も繰り返すが、ダメージを与えることはない。


相手にため息を吐かせる効果しかなかった。


「気に障るとは予測したが、殺傷まで行くか。おまえは本質的にそういう奴だったか」


幽体では物質に対して影響を及ぼすことができない。

この狼藉者を追い出せない。

だが、その程度で諦められない。

せっかくの作品を、『生まれ』た後にも残るものを、コイツは汚した……ッ


「掃除したのは床だけだ。壁面には手をつけていない。どこまでが作品で、どこまでがただの汚れかなど、分かりきっている」

「――」


怒りに任せた攻撃を止め、その言葉を確かめる。

たしかに、ドーム状の部屋一面に描かれた原色はそのままの形で残っていた。

一見すると積まれたガラクタでしかない作品もそのままだ。それでいて本当にただのゴミ集積でしかない箇所はきれいに片づけられている。


たしかに、「わかって」いるようだった。

この人間は区別ができていた。


「まったく理解できぬ。一体これのどこが作品だ……」


だが、作品性そのものは理解していなかった。

ぶつぶつとこぼしながら、不本意というように顔をしかめながら、掃除を続ける。


わからない。

まったくわからないし、理解もできない。


「……この世界でも、これらを評価する奴が出るのか? 混沌そのものだ、汚れた耳垢のようだ、どうしてこれらを愛することができる……」


なぜこの場所をかぎつけられたのか。


「邪魔ではないが目障りだ、退け」


なぜ無精無精ながらその言葉に従ってしまうのか。


「まったく、おまえは迷惑ばかりをかける、片づけるということをせぬ。習慣かと思えばここまで筋金入り――生まれるから前からそうだったとは」


なぜ、こんなにも心が穏やかになっているのか。



その人間――祓打という名を持つ一般人は、細々と働いた。

たしかにいくらか汚れてはいたが、それはそれで居心地の良かった空間は、やけに美しく、整理整頓されたものとなった。

落ち着かない。

こんな場所は、己の居場所ではない。


だが、それを止めようという気にはならなかった。

心に浮かぶ疑問の声は絶え間ない。すぐに排除してしまえと理性は告げる。しかし、魂が動こうとしない。このままでいたいと痛切に訴える。


わけがわからない。

こんな混沌は、混沌ではない。

己の心に望まぬ乱雑がある。


なにをどうやったのか、やけにふわふわになったマットレスに身を横たえながら、サルファと呼ばれた妖精のことを、なぜか思い出した。

あの奇妙に広い部屋には、手錠や足枷や注射器があった。

意識操作系の魔術書もあった。

誰かを監禁するための設備が整えられつつあった。


それら全てを壊さずにいられなかった。

無尽に湧き出る激怒が、一体なにを根拠としたものなのか、まったくもってわからない。

どうして、この男がこの男としてあることを阻害するものに対し、底知れぬ嫌悪が吹き出たのか――


「こんなものか」


言葉とは裏腹に、不満そうな様子だった。

まだ満足いくレベルの清掃ではないのだろうとわかる。


「……これらの作品は公開するのか? まったく理解できぬが、賞賛が得られるはずだ」


首を振る。

それを目的に作ったものではなかった。


「そうか、そうだな、おまえはそういう奴だった」


牙を剥く。


「わかったようなことを言うな、か? 残念だが、わかっているから言った。悔しければそっちもわかってみせろ」


無茶なことを言う。


「少し待て」


部屋隅に置いてあった、大きめの水筒を取り出した。

コップに中身を注いでいる。白く、甘い匂いがしている。

この体であっても、わずかにであればそれを感じ取れるようだ。


「甘酒だ――すっかり冷えてしまった」


言いながら指を動かし、正確な円と精緻な文字を空間へと刻んだ。

魔力がそそぎ込まれ、光り、砕けた。

コップ内のものが、湯気を出し始める。

熱が照射され、適温にまで温められていた。


「魔術が使えるようになった」


さして嬉しくもなさそうに言う。


「飲め、好物のはずだ」


目の前に置かれたが、当然それを飲むことはできない。匂いはわかる、美味そうだともわかる。だが、実際に味わうことはできない。思わずうなり声を上げて威嚇する。


祓打は、別のコップに口を付けて飲んでいる。

そして、初めて嬉しそうに笑った。


「これからおまえは人の飲んでいるものを横取りするという罪深い所行を何度も行う、その意趣返しだ。甘んじて受けて貰おう」


む、と唐突に顔をしかめ。


「……ひょっとして、今ここでの行いが、あの執着の原点か? いや、この程度でそんなはずが――」


目の前の、実に美味そうなものを睨みつける。

これを決して忘れないようにする。忘れてなるものか、この所行を赦すことなどできようはずもない。


匂いを嗅ぎ、舌を動かしてみる。

味などない、だが、暖かい何かを得た気がした。



それからも、祓打は語り続けた。

甘酒を飲み、横に座りながら、わかることもわからないことも、絶え間なく語り続けた。


「これから先に出会う者に対して、もう少し優しく接するべきだ、部屋に入るたびに迷惑そうな顔されてはこちらも気分が良くない。掃除をしないことがあり得ない以上、満面の笑顔で出迎えろ」


「どうして旅行計画にあそこまで細かく口出しするんだ、突然行き先変更を求められることも間尺に合わない。まさかなにか理由があったのか? だったら説明を行うべきだった」


「野良犬が出入りするから毛が多量に残されているとの説明は偽りだったか。獣に変じることができるのであれば、それを言えばよかった。その程度のこと、おまえの部屋の汚れと比べれば些末事だ」


ああ、まったくウルサい。


「栄養バランスの偏った食事は、おまえの出自を鑑みても許容できぬものだ。肉ばかりを食わずに、野菜を食べろ野菜を。こっちが料理を作りにいけぬからと言って、偏食をしたら許さないからな」


どうしてそんなに口うるさい。


「風呂嫌いも得心がいったが、この怠惰も許容できぬ。ひょっとして、たまに出会うやけに人なつこい、図鑑にも乗っていなかった獣はおまえだったのか? ブラッシングをしたから風呂が不要ということにはならない。理解しろ。そもそも、今はそれができぬだろうが」


どうして、そんな泣きそうな顔でいる。


「聞いているか、聞こえているか、目を閉じるな、人の話を聞け。わかっているか、わかっているのか! なあ!」


まったく、眠れないじゃないか


「……」


「……」


「……」


「……絶対に、戻る。どのような手段を講じても、そちらへ戻る。だから、待っていてくれ」


その真摯な瞳と言葉を魂に刻みつける。

時空がねじれる、因果が逆しまに、記憶も意志も想いも消え、魂だけが辿り行く。この世界からいなくなる。


『生まれる』



 + + +

 + + +

 + + +

 

 

泣かない子供だった。

誕生直後、医者が呼吸をさせようと四苦八苦していたが、ごく当たり前に生存した。


また、言葉をあまりしゃべらない子供だった。

知能は通常以上だったが、なぜか音を発することを極度に嫌がった。


甘えることをせず、一人きりでいることを好んだ。

独立独歩といえば聞こえはいいが、子供らしさのまるでない子供だった。


まったく手が掛からず、迷惑をかけない子に対し、親は愛情を注ぐことを止めた。

子供の側も、これをごく当然のこととして受け止めた。


洗濯機の使い方も、お金の意味と意義も、時計の読み方も、読み書きも、ストローの使い方も、エスカレーターの乗り方も、車の危険性も、衣服の着替え方も、鍵の掛け方と開け方も、地図の読み方も――すべて周囲を観察し、ひとつひとつ自身で獲得した。


もっともそれは、必要のないと判断したものを無視することでもあった。

風呂の意義を理解せず、たまに獣と変じては自ら毛繕いすることで代用した。


周囲からは、明らかに浮いていた。

幼稚園に入ってからは、その違いは更に顕著となった。


積極的に暴力を振るうことはなかったが、邪魔者に対して実行することは躊躇わなかった。

前触れもなく、唐突に殴りつける子供であるとされた。

殴った理由を大人が訊いても睨みつけるだけだ。いわゆる「扱いにくい」子供だった。


周囲に騒がしい子供が居なければ積極的な行動に出ることはないため、気にはかけたができるだけ他の子供からは引き剥がすことにした。

平穏な日々が続いたが、それすら通用しなくなる時が来た。


ある時、隣の子供の積み木を壊したのだ。

なにが気に入らなかったのか、大声で口論し、馬乗りになっていた。

それだけの感情の発露を、親ですら見たことがなかった。


大人が引き剥がそうとしても、どこにそれだけの力があったのかまったく果たせなかった。

相手の子供の、「なにをする」という冷静な指摘も通用しない。

ただ両眼から涙をぽろぽろと流した。

その場の誰も知らなかったが、それは生まれて初めての涙だった。


本人ですらわからぬ衝動に突き動かされていた。

その衝動のまま、マジックで相手のネームプレートに書いた。


 ただの人間


祓打の名前の後ろに、そう書き足していた――


日常Ⅱ編、

あるいは、ただの人間編、終了

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