101.終わる日々Ⅳ
白い獣は牙を剥き、終わりを求めて、無為無策に駆ける。
暗闇を切り裂くというよりも、まったく異質な存在として浮き上がり、音もなく、足音もなく、声もなく四肢を動かす。
夢に登場する獣のよう。まるで現実感がない動作。
目だけが切実に『それ』を求める。
誰かに向けられている視線だった。きっとこの獣自身ですらわからない『誰か』だ。
その想いがあったからこそ――
『不運』の極大へと走った、まったく躊躇することなく。
ゲートへも何度も向かった、それこそ使い方を会得してしまうほどに。
そうして、僕へと走っている、今までにない攻撃方法を与える存在としての僕へ。
この白い獣は、死を求めて、全身全霊を振り絞る未誕英雄だった。
誰よりも切実にそれを欲している。
うん、それは、よくわかった。
よく理解できた。
だからどうした。
こちらの意志は変わらない、こちらの行うことは変わらない、何一つとして変化しない。僕と向こうの物語が交わることは決してない。望み通りのエンドマークをくれてやる。
両の拳をさらに強く握り掴む。
僕自身が高まり、棒に意が伝わり、攻撃の支度となる。
暗闇で浮かび上がるように、全身がうっすらと光る、握る棒はさらに凝縮され限界に近い悲鳴を上げる。
駆ける敵と僕。
お互い声は上げない。
威圧する意義がどこにもない。
ただ互いに向けて攻撃を行い、互いに望むものを得る。
その、お互いだけを注視するこの状況は――
「……よし」
「!?」
――こっちが計画したことそのままの状況だった。
音もなく駆けていた存在はもうひとつ。
ようやく合流できたヤマシタさんが、横から存在を消しながら駆けていた。
強く、厳しく、敵を睨む。
咄嗟に進路を変え、避けようとする白い獣の動きは――
「させねえっての!」
魔法陣が捉えて捕縛した。
上空で待機していたペスが放ったものだった。
「シィっ!」
ヤマシタさんは駆け寄りながら一動作で首についた鈴を落下させ、前足ですくい上げるようにしながら叩きつけた。猫の手が獣の頬にぶち当たる。
音が、鳴った。
最後の恐竜の断末魔はこうだった――そう言われて納得してしまう擬音化不可能な響きだ。
強制的な『興味』の呪、視線どころか魂魄ですらも引きつけられる。
即座に前足を引く。
ずるりと、白い獣の魂魄が引きずりだされる。頭が二つに増えたような格好。
だけどそれは、強引かつ容赦のない回復力によって、すぐさま戻ろうとしている。
そこへ、全力を越える状態となった僕の一撃を送り込んだ。
ヤマシタさんのそれでは魂魄と体をズレさせるだけで精一杯。
僕のものであっても大差ない。この状態であっても成功率は低い。
でも、二人で同時に行えばそれは――
「!?」
ぽん、という音が聞こえたような気がした。
無事に、その体から魂だけを分離させることに成功した。
幽体離脱状態だ。
「悪いね」
棒を振り切った姿勢で言う。
体全体がカス欠状態、だけど、ふらつきながらも近寄り、飛び出た魂魄をきちんと『掴む』。
「殺意に逃げたら怒る部下がいるからね」
「あったり前だろ馬鹿」
ペスは委員長の首根っこをつかまえながら上空にいる。かなり嫌そうな顔だ。
委員長はヤマシタさんだけを見つめ、ちいさく拍手をしてた。
そう、僕が提示した解決策は簡単なものだ。
肉体と魂、両方一度に対処するのが難しいのであれば、分離してこれを解決してしまえばいい。
皆で集まり、それを実行しただけだ。
物質として残されている空っぽになってしまった肉体。
本来なら、そのままドサリと倒れなきゃいけないもの。
白い獣の体は、だけど、ギロリとこちらを睨んだ。
「え」
体がボコリと増大する。制御されていたもの消える。無制限に回復だけが行われる。
スキル、技術、あるいは呪い、それだけが独立した存在として、そこに在った。
瞳には今まであった虚無も悲しみも消えていた、代わりに赫怒が灯り、『本人』へ向けて走り出す。
僕が掴んでいる方の、魂だけの白い獣は唖然とそれを見ている。
僕だって呆然としてしまう。
吠える、膨れ上がる、そして、迫る。
獣というよりも怪獣と言った方がいい体躯。
さらに増大し、屋上面積の大半を占拠しながら、前足で僕らをまとめて押し潰し、取り戻そうとする。
影が走り――
「やっぱり、こうなるか」
轟音が響いた。
巨大な爪が一本の剣に遮られた。
止めたのは二回生。狼の顔を持つ人だ。
振り返り、僕が捉えている人へ向けてウインクした。
「よ、ひさしぶり。悪いが、こっち片づけてからな」
口端を歪め、剣を振る。
正確には、たぶん、攻撃をした。
剣先どころか、体そのものが見えなかった。
わかるのは音を越えて動く突風と、攻撃の結果だけ。
白い獣、そのとんでもない回復力は『ゲート』ですら突破できないほどだ。
だっていうのに、確実に『削って』いた。
四本の足が、まず一度に消えた。
細切れにされた上に細切れにされ、そこからさらに真っ二つ、それを更に。倍々に増え続ける対象を正確かつ丁寧に分割する。
微塵以下と化したそれは、元へは戻れない。僕の攻撃だって、血や肉体を残した。
倒れて白い獣の頭部も、同じような細切れに。
魂魄を失った赤い目が驚愕に見開かれると同時に消える。
胴体部分しか残らされていない状態で、それでも全方位に膨れ上がる。その様子は毛の生えた白いスライムのようだった。
それを二回生は許さない。
徐々にその肉体が縮んで行く。増殖し回復する端から削られ、押し込まれる。
僕の全身全霊、それ以上の攻撃力がほぼ同時に一千以上は放たれている。
「むちゃくちゃだ……」
そして、そんなとんでもない攻撃であっても、殺しきれていなかった。
それどころか這いずるように接近した。
白い体躯のところどころから噴水のように血を出し、動くというよりも倒れ込むように肉体を前へと『増やす』。ほんの数メートルしかない距離をじりじりと近づく、魂の死を、体が許さない。
「むちゃくちゃだ――!」
思わず叫ぶ。
すでに体は疲弊済み。
持っている棒ですらも、なんだか様子がおかしい。
というか、この戦いに僕が参加しても邪魔にしかならない。こんな削り作業はとても無理だ。
「そうでもないぜ?」
委員長とペスが、すぐ近くで降りた。
ぺスは魔術の準備を開始する。いくつもの陣が浮かび、複雑さを増した経路が形作られる。
「こっちだって、けっこう無茶苦茶だ」
委員長は前へと進む。
当然のように転けた。
鼻をさすりながら立ち上がり、トコトコと近づき、その白いスライム状のモノに触れた。
「そう――強すぎる幸運は害悪でしかありません、死なないということは必ずしも人を幸福にはしないものなのです」
そして、町の一角にクレーターを作り出すほどの『不運』をなんの遠慮も容赦もせずに流し込んだ。
自壊の強制ではなく、純然たる『不運』。運の無さがその肉体へと刻まれる。
僕の視界からは、死神のようなものが憑依したと見えた。
委員長自身ですら最近は持て余し気味だったものが、魂魄の消えた肉体に染み渡る。
わずかな身震い、外見の変化としてはそれだけ。
二回生の不審そうな視線が見えた気がした。
だけど、諦めず、前へと進んでいた白い怪物が、すってんころりんと転んだ。
どう考えても転倒できるような状態じゃなかったはずだし、なにも滑るようなものは無かったはずなのに、巨体がぐでんと回転する。
「むちゃくちゃだ!?」
何回叫べばいいんだって感じだ。
『運』の一切をなくしたその体は、徐々にその身を減らす。
状況は、もうフィナーレに近い。
このまま状況解説だけしてるってわけにもいかない。
「ああ、もう――!」
僕は立ち上がる。
それだけで全身をわけのわからない苦痛が襲う。細胞そのものが疲弊している。
ひとつ呼吸。
『掴んで』いる対象が、視線を左右へと走らせている。たぶんすごく戸惑ってるし混乱してる。
眼前には白と赤のまだらになった敵。
すってんすってんと転び続けている。
どこからやりにくそうというか困った顔をしながら、二回生はそれを切り刻んでいる。
僕のすぐ横にはペスが魔術の準備をしている、広がる魔法陣は刻一刻と光量を上げる。
委員長は、まだ風邪が直っていないのかマスクをつけようとしていた、ひも部分が当たり前のようにちぎれた。
ヤマシタさんは僕から見て右方向へ移動している。
僕は、体を引きずりようにしながら左方向へ行く。
目標の移動を理解し、敵がこっちへ来ようとする。
同時に、鈴の音が鳴った。
興味の呪は、魂の宿らない肉体にも効果を発揮した。
集中すべき対象が左右にある、わずかに、『動きが止まる』。その戸惑いを逃がさぬように。
「全員退避!」
ペスが叫んだ。
循環する魔力が陣を経過することで物理現象と化す。その場にいる大半が――二回生の人も含めて尻もちをつくほどの威力が魔法陣から吐き出された。
直接対象となっていないにもかかわらずだ。
制御された衝撃波は、白スライムはもちろん、切り刻まれた破片すらもまとめて一か所へと集めた。
上から見れば、見えない布で包もうとしているようだったはず。
吹き飛ばされた先にあるのは、『ゲート』。
肉体を細切れ以下にしてしまうもの。
「運が悪かったですね?」
なぜか倒れることなく立ったままの委員長が、祝福するように言った。
どぷん、と音がしたような気がした。
白い獣の肉体は、完全にそこへと入り込み――出てこない。
歩こうとしては転倒する、それと同じように『出ようとしては失敗』する。
いろいろと予想外もあったけど、つまりはこういうこと。
「『不運』も加味すれば、あの肉体は近い内に死ぬことになる。回復力は減ってるし、あの肉体の望みとは逆方向に運命は向かうことになる」
僕は掴んでいる獣へ向けて、気軽に言う。
「もうすぐ、あなたの日々は終わる」
魂だけとなった白い獣は、信じられないというように目を見開き、首を振っていた。




