95.交差の日々Ⅱ
委員長は昏々と眠りについている。
とりあえずは苦しい様子もなさそうだった。
ひょっとしたら、快方に向かっているのかもしれない。
僕らがラーメンに気を取られている間に、蛍光灯がとつぜん全部切れたり、窓ガラスにヒビが入ったり、買ったばかりのお皿が五個くらい一気に割れたりしたけど、まあ、その程度で済んだ。
正直、奇跡だと思う。
あと、無事に僕のぶんのラーメンが作れたのも奇跡。
半分くらいペスに取られたけど。
「これ以上なにか不運が起きるとしたら、その辻斬りやった人がここを襲うとかそういうの?」
「それは勘弁願いたいところではある……」
「そいつ強いのか? なんか話聞くだけだとよくわかんねえけどよ」
「強かった」
「……ハラウチ殿、さすがにその認識はどうであろう」
少し小声で話し合う。
もう既に丼は片づけてあった、というか、ハラウチさんが率先して洗い物をした。
テーブルはコタツしかないから、正座とか胡座な感じで囲む。
委員長が入っているそこへ足をつっこめば、布団が噛みつく。
「実力そのものは、それほど大したものではなかったように思う。しかしながら、尋常ではない回復力とタフさが厄介であり、また哀れでもある……」
「哀れ?」
僕とペスは揃って首を傾げた。
「……あれは、『生まれ』ることができぬ未誕英雄なのだそうだ」
+ + +
未誕英雄は、生まれる前の英雄だ。この世界でいろいろと技術や知識や武具を得て、それを魂魄にまで刻み込む。
獲得するものは千差万別、時には無駄とも思えるものもある。
ある意味では、「生まれた先で極限までレベルアップした姿」が、今ここにいる僕らになるのかもしれない。
この世界で時間をかけて鍛え上げ、生まれた先でなぞり直しを行うからこそ、急激な成長が可能となる。
そして、僕らが『生まれ』るためには、死ぬ必要があった。
別の言い方をすれば、死ななければ『生まれ』ることができない。
スキルが、時にその邪魔となる。
どれだけ死のうと思っても果たせない、極限まで鍛え上げた回復力と耐久力が阻害する。
ありとあらゆる方法と方策を用いても不可能。
死のうと思っても、死ねない――
一応は、病院屋上に誕生用の『ゲート』があるけど、あれも基本的には「死ぬ」ための装置だ。
体を素粒子レベルにまで分解して、転送する。
それすら通用しない者が、いる。
この世界に拘束された、誕生できない未誕英雄は、主に二つの道を選択することになるらしい。
一つはこの世界に根を下ろす生き方。あの司書の人みたいに、未誕英雄の補助役として残る。
もう一つは、諦めない生き方。どうにかして『生まれ』るための方法を追い求める。多数の世界からの情報が流れ込んで、定期的にいろんなスキルを持つ者が生まれる場所だ、可能性ならある。
そして、手っ取り早くその『可能性』を確かめるためには――
「相手を襲ってしまえばいい、ってことか」
「そのようだ」
「で、委員長の『不運』も通用しなかったんだ」
「……そのようだ」
突進したその白い獣は、無事な姿のまま逃げ出した。
全身の細胞が自壊する程度じゃ、回復力を突破できなかったらしい。
もうほとんど呪いというか刑罰だ。
腕を組んで、考えてみる。
その未誕英雄は、一体どういう気持ちで、どういう感じなのか。
……ちょっと想像ができなかった。
僕自身や大切な人が死なないことはいいことだ。その反対を望む状態がどういうものなのか、さっぱりわからなかった。
でも、ひょっとしたら、その辻斬りにしたら、今していることは悪いことですらないのかもしれない。なにせ殺したら『生まれ』てしまう。欲しくて欲しくてたまらないものを、相手に贈ってしまう……
「僕の『掴み』も、効くかどうか微妙だなぁ」
「そうなのか?」
「うん、対象というかその概念がちゃんとわからないと無理、それだけの回復力を僕が理解しきれるとは、ちょっと思えない」
だからこそ、今まで『生まれ』ることができずにいたんだと思う。
まあ、仮に僕ができたとしても、やるかどうかは微妙だけど。
そこまでの苦労を支払うメリットがないし、下手をすれば今度は僕が『生まれ』ることができない、ってことになりかねない。
「今後もヤマシタさんとか委員長を襲うっていうなら話は別だけど、そういうわけじゃないよね?」
「うむ――すでに試した後であるだけに、可能性はないと向こうは把握したはずだ、これ以上つきまとわれることはないであろう」
「じゃあ、別に殺す必要はないや。あー、でも、どういう斬り応えなのか試せないのは、ちょっと残念かな」
「おまえ、無自覚に物騒だよな」
「え、そう?」
かなり意外な指摘だった。
そんなことは無いよねとヤマシタさんに視線を送ると逸らされた。
ハラウチさんには「自覚のないうっかり殺人鬼か……」と妙な表現をされた。
「あとは――」
ハラウチさんが、もう一度襲撃されるかどうか、ってことだけが残された問題。
あんまりマトモには戦ってなかったみたいだし。
だけど、僕はその胸にあるネームプレートを見た。
ただの人間と書いてる。
なるほど、用意周到な辻斬り対策だった。
「うーん、おれとしてはちょっと興味あるけどな、そいつ」
「え、そうなの」
「どういう恨みと憎しみ持ってるのかを知りたい」
「……知ってどうすんの」
「今後の参考に」
「なんの参考なの!?」
にっひっひと笑うペスから答えはなかった。
「ふむ……」
「どうしたのであろうか、ハラウチ殿」
「……どこか、汚れがある」
「そうだろうか、かなり清掃され終えたように思えるが」
「むぅ……」
腕組みするハラウチさんの顔が、ふと陰る。
というよりも、ライトが消えて薄暗くなる。
いつの間にか熱の入っていた言葉のやりとりが、それで途切れた。
「……またかぁ」
言うまでもなく、くぅくぅ寝息を立ててる人が犯人だ。
漏れ出る『不運』の黒雲が、腕みたいな形になって蛍光灯を文字通り『消し』ていた。
結局、この日はこのまま眠ることになった。
幸いなことに豆電球は切れてなかったから、オレンジの光の中で布団を敷くことはできた。
雑魚寝未満な感じ、暖かさは暖房器具のみで眠りにつく。
ペスは、ちゃんと自分を『掴んで』おくようにと偉そうに言った。どうやら寝てるとバラバラになってしまうらしい。
両腕で確保しておくことにする。
ヤマシタさんは委員長のすぐ傍で寝ていたけど、定期的にコタツ布団の中に引きずり込まれそうになっていた。
ハラウチさんは、布団にくるまり胎児みたいな恰好に。
寝るときも直立不動というかきっちりしてると思ったからかなり意外。
こんだけ人が多くて、いつもと違う有様だから、寝ることができるかなと思ったけど、五秒も経たない内に眠りに落ちた。
夢も見ずに、ぐっすりだった。
そして、もちろん……起床時には全員がカオスなことになっていたのは言うまでもない話。
というか、どうして僕は隣の部屋なんかでペスと一緒に寝ていたんだろう。空き室のそこはきっちり暖房が入ってた。
ハラウチさんは、目が覚めたらなぜか逆立ちしていたそうだ。理由はまったく不明。
裸で少年姿になっていたヤマシタさんが、部屋の隅でさめざめと泣いきながらコホンコホンと咳をしていた理由も、完全に不明だった。
委員長は完全に回復し、昨日作っておいたお粥を美味しそうに食べていた。




