94.交差の日々Ⅰ
僕の部屋は、普段はあまりつけていないけど、エアコンもあった。
こうなったら電気代なんて惜しんでいられない、全力全開で部屋の温度を上昇させる。
今まで主な熱源となっていたコタツには、委員長をつっこんで眠らせた。ひょっこり出ている頭は氷枕の上に乗り、額には濡れタオルが乗ってる。
頭部は上下から冷やされ、体は十分に暖められ、首輪がはまっている状態だ。
吹き出る水分を補うべく、ジュースとか経口保水液を横に置いておく。水分補給は大切。
近くにはヤマシタさんを配置する。
コタツそのものは、僕が『掴む』ことで吹き出る不運を外へと漏らさないようにしておく。
風邪状態の委員長対策として、万全とはいえないけど、一応は整った感じだ。
――床、抜けないといいなぁ……
たぶん無駄な望みだった。
引っ越すことになるんだろうなと覚悟だけはしておく。
酒盛り直後の、散らかしに散らかしきった、明日面倒だなどうしようかって様子は、昼に見たばかりの受付の人が、なぜかテキパキ掃除してあっという間に綺麗にしてくれた。どうしているんだろうかと、かなり本気で思う。
今は窓に張った断熱シートの、僅かな角度のズレが許せないらしく、ごくまじめな顔で張り直してた。
ペスはぐうぐうと、僕の膝を枕に眠りこけながら、たまににへらと笑ってる。
そのたびにコタツ布団が持ち上がろうとしたり、窓が勝手に開こうとするので大変だ。
ヤマシタさんは右前足にリードロープを巻き付けながら、身動き一つしない。
どうやら体力を相当消耗したらしい、平皿に注いだ甘酒を舐める以外、動いているのは肺だけだ。
狭い部屋に五人が――正確には四人と一匹が詰めている格好。ギュウギュウ詰めの狭苦しい有様だけど、大半が物言わず横たわっているから、音そのものはあんまりしない。
むしろ病人を起こさないよう、できるだけ皆んな静かにしていた。
それでもどこか『騒がしい』様子なのは、それだけ人の気配があるからなのかもしれない。
人がいるって、それだけでけっこう賑やかになる。
ようやく掃除を終えたらしいハラウチさんが、一度玄関口で埃落としたりヨレヨレの衣服をなおしたりしてから、きっちりした正座で僕の前へと座る。
「ええと……」
「掃除の許可を感謝する」
「あ、これはどうも」
「祓打充という名だ」
「そうですか」
「……」
「……」
「ま、また一晩、ここへの宿泊は了承してもらえるのだろうか」
「うん、こんな寒空だと大変だし、もちろんいいよ。ああ、でも布団の数は足りないから、その点では不便になると思う。基本的には病人怪我人優先で」
「それは当然だ、泊めてもらえるだけでありがたい、また、こちらの名前は祓打充という。多くの者はハラウチと呼んでいる」
「そうですか」
「……」
「……」
「ああ、それと昼間は失礼した」
「なにかあったっけ?」
「サルファが――相方である受付が暴言をあなたに発した」
「あー、そういえばそんなことも」
「仮にも取引相手に対して行うべきことではなかった、また、それに対してきちんと謝罪をしていなかった、今ここで謝らせてもらう」
「別に気にしてないからいいよ、ホント」
「大変ありがたい、また、名を祓打充という。呼びかける時、ハラウチミノルと呼んでもらいたい、個別の名を知ることはとても重要だ」
「うん、わかった」
どうして「あなたは?」みたいな感じに手を広げてるんだろう?
「コホン、はじめまして」
「え、あ、はい、はじめまして」
「マイネームイズハラウチミノリ」
「どうして英語?」
「……なぜ、今のが英語だと……?」
「え、どうしてなんだろう」
酒がまだ残っている感じだ。上手く頭が回っていない。
ハラウチさんは、「なんだこの男」みたいな微妙な表情になってるけど、その理由もわからない。
とりあえず、事態を整理してみる。
ヤマシタさんが片目を開けて、僕らの方を見ていた。
「ええと結局、委員長が風邪になって、自宅と町を壊して、ここに退避、って感じでいいのかな」
「うむ、その認識で問題ないであろう。ハラウチ氏の住居もまた巻き込んでしまった」
「なるほど、しかも――」
「辻斬りにも会った」
「この辺も、物騒になったんだなぁ」
「同感だ」
「……ハラウチさん、どうしてそんなに僕を対象にじっと見つめてるの?」
「ヤマシタ氏、はたしてここは本当に安全か」
「拙者の見るところ、殺気を出さなければ問題ないであろうと思う」
「了解した」
「ねえ、なんで僕が危険人物っぽい扱いなの?」
まったくもってよくわからなかった。
+ + +
どうやら夕食もまだらしいから、インスタントに食べることにした。
僕も妙におなかが減ったから、三人前のうち半人前くらいを頂戴する。
コタツから離れる間、ヤマシタさんには委員長の顔の横にいてもらうようにする。
寝ているはずの委員長の顔が、ごく自然にヤマシタさんの側へ向き、やけに鼻息が荒くなる。
いつもの事だから気にしない、料理の方だけに意識を向ける。
お湯を湧かせば食べられる――こんな便利なものを一人暮らしの人間に与えたら、活用するに決まってた。
ペスがいたから最近はあんまり食べてなかったけど、それでも備蓄は十分ある。
ミリリットル単位で量ろうとするハラウチさんを追っ払い、湧いたお湯に乾麺を放り込む。
素ラーメンだと寂しいから煮込みっぽくすることにした。
油にネギを入れてしばらく温め、風味を移す。余っていたエビとざく切りキャベツを強火で一気に炒める。中華鍋は長く火にかけると持つとこまでが熱くなるけど、『掴め』ば大丈夫。
別鍋で沸かしていたスープを入れ、いい感じに茹で上がった麺も投入、色濃いスープに玉子色の麺を絡ませる。最後にゴマをつぶしながらぱらぱら入れる。
肉っぽさが無いのが寂しいけど、少しとろみもついていい感じ、特有の匂いが部屋に充満する。
あ、そういえば委員長が起きたとき用に、なにか作っておいたほうがいいと今更気づいた。
ご飯の余りは多少あったはず、簡単にお粥でも作っておこうかな。
「先食べといて」
丼二つと茶碗に一つに取り分け、コタツ机へと乗せる。
ハラウチさんと、裸の少年がすでにスタンバイしていた。
ヤマシタさんは、はまっている首輪がなんかヤバい感じ。
真剣なその視線は、ラーメンへと注がれている。
いただきますの声と、麺を啜る二重奏を背にしながら、お粥を作る。
麺が伸びるのは嫌だけど、ここで腰を下ろしたら作る気力は絶対消える。
あー、でもいい音させて食べるなぁ……
お米を一回洗ってから、多めに水を入れ、ごく弱火で煮る。
ダシの類は入れない。人によって違うんだろうけど、体調が悪いときは可能な限りあっさりしている方が食べやすい。
あとでショウガ擦ったり、梅干しの種を取ろうかなと思う。
まあ、梅干しはいい顔をしないかもしれない、病気になると、うん、ええと、嫌いになったりヘソ曲げたりすることもある?
「……」
額に手を当てる、ふつふつ湧こうとする鍋を見つめる、呼吸を止めて意識を探る。
……誰かの顔が、ほんの一瞬だけ、浮かんだ、気がした。
ベッドに横たわり、僕が今みたいにお粥を作ってた。
梅干しを見て、前歯下段を見せて嫌がる顔をした。
すぐに消えたそれが何なのかを追い求めようとする。もう顔も思い出せない。完全に消えた。
記憶も『掴め』ればいいのに。
背後では相変わらずの麺を啜る音。
今となっては三重奏――
「ちょ!?」
「うめー」
「それ僕の!」
「おれの前に置くのが悪い!」
「ああ、もう中身全部食べてる!?」
「ちょっと量が少ないぞ?」
「そりゃそうだよ!」
「……」
「――」
「そこの二人、別に取らないからそんな風に隠さなくていいよ……」
ハラウチさんはともかく、ヤマシタさんは咄嗟に猫型に戻ってまでそれを確保していた。
そこまで嫌がらなくてもいいじゃないかと思う。
記憶はもう、完全に彼方へと消えていた。
100~




