93.禍福の日々Ⅳ
「申し訳ない」
裸で土下座する少年すら見ず、祓打は呆然としていた。
吹き飛ばされて抱えられて衝撃をいなされ、無事に着地――そんなジェットコースターを味わったかと思えば眼前に広がるのは完全な廃墟だ。
町並みにて遮られていた風がひゅうひゅうと自由を謳歌し、やけに冷たく吹き付け、祓打のネクタイをパタパタ揺らす。
明かりといえば真上の星々と、浮かぶ三つ半の月のみ。
茫漠とした広がりはわかるが、それ以外はただ暗いとしかわからない。
すぐ後ろが以前のままであるだけに、なおさら異様な様子だった。
何人か現れた未誕英雄たちも戸惑っていた、この惨状を察知して来た者たちだった。
自警団のようなことをしている彼らにとっても、これを一体どう扱えばいいのかわからない。
誰もが困惑し、混乱し、混沌としている、ならば――
「掃除をしなければ……」
「申し訳ない! 本当にすまない! だがデッキブラシでこの惨状を解決することはできぬと思う!」
「後ろ向きの心構えで整理整頓ができるはずもない! まずは区画整理から!」
「落ち着いて欲しい! 話が都市計画レベルになってはいないだろうか!?」
「だが、お掃除が、器物破損に屈するはずが……」
がっくりと膝をつき、悲嘆に暮れた。
その器物破損の犯人は、再び少年に背負われ運ばれ、むにゃむにゃと平和を味わっている。
破壊の中心へと立ち向かっていた白い獣は、しばらく立ち尽くしていたがすぐに姿を消していた。
もう興味を完全に失った動作であり、委員長の『不運』を直接喰らった影響など微塵も感じさせぬ様子だった。
結果的には追い払ったものの、それを行うために出した被害は相当のものだった。
「あー、ちょっといいか?」
狼の頭部を持つ二回生が、どこか申し訳なさそうに訊く。
「はい」
「ええ」
「この惨状は――」
祓打とヤマシタさんは、揃って横を向いて口を閉じた。
実にわかりやすい黙秘姿勢だ。
少年としては、この破壊を行ったのが仲間であるとは言いたくなかった。
綺麗好きの銀縁メガネとしても、曲がりなりにも命を助けてもらったのだ、その恩を仇で返したくはなかった。
「まあ、いいけどよぉ」
その様子に困った表情をしながら、続けて訊く。
「で、襲われる心当たりは?」
「拙者にはない」
「こちらも皆無だ」
「だよなぁ――その辻斬り野郎の背格好は?」
端的にその姿を――白い獣の大きさや形、攻撃が効かなかったことやその移動速度、戦闘の弱さなどを説明した。
二回生は、徐々に顔を顰めた。
狼の顔であるだけに、表情を完全に把握することはできないが、「ああ、やっぱり」という諦めに見えた。
「こうしたことは、よくあるのだろうか?」
「ん? んー、そうだなぁ……」
「拙者たちは被害者だ、できれば事情を知っておきたい」
「おまえはとりあえず服着た方がいいな」
「たしかに――股間がいささか冷える」
真っ裸で対応をしていた。着ていたものは、とっくに消失している。
そこいらにあったものらしい大布を渡され、体に巻いた。
祓打は納得したように頷いた。
「つまり、ここでは暴漢の類が多いのか」
「拙者の知る限り、そのようなことは無いはずだが……」
「以前、警告もなしに狼藉者を蹴り殺そうとする者がいた、今も道を清掃していると襲撃された、少なくとも平和な場所ではない」
「なるほど」
「いや、最初のは知らんが、今回のは違うな」
二回生は決心したように。
「実を言えばな――」
事情を説明した。
それは『未誕英雄世界における辻斬り発生』の説明だった。
彼らは、その『辻斬り』を止めるために警備をしている者たちだった。
+ + +
自警団の者たちは、簡単な聞き取り調査だけをしてすぐに去った。
どうやらあの白い獣は逃走術に卓越しているらしく、いままで一度も跡を追うことはできていなかったが、無駄を覚悟で行うらしい。
委員長が起こした破壊についてはお咎め無し――というよりも、被害者と加害者で話し合ってくれとのことだった。
一応は黙っていたが、きちんとバレていた。
後には布を巻いた少年と、デッキブラシを手にした男だけが残される。
「住居は消失か……」
「大変申し訳ない」
「参った、サルファを頼るより他にないか……」
表情は本意ではないことを示してた。
おそるおそる、少年は言ってみる。
「良ければだが、寝床が提供できるかもしれぬのだが、どうだろうか」
「む……」
「拙者としては委員長殿を安静な場所へと運びたい、だがその一方でそちらに対して申し訳ないとも思う、仲間便りの他人任せではあるが、一泊の宿は得られると思う」
祓打は、しばらく悩んでいたが……
「そこは、整理整頓が行き届いているか?」
「……おそらく、そちらが望むレベルには達していないと思われる」
「掃除をしてもいいというのであれば、是非泊まらせて欲しい」
「交渉をしてみよう」
お互い真面目だった。
真面目に頷き合い、握手を交わし、片方は病人看護を、もう片方は清掃を決意していた。
祓打は、委員長を運ぶことを申し出たがもちろん断った。むしろできるだけ離れてくれるよう頼んだほどだった。下手をすれば、『不運』に巻き込んでしまう。
それでも一人黙々と行くのと違い、話し相手がいることは少年の心を軽くした。
ここで倒れたとしても、知らせてくれる者いることは心理的に気楽となる。
だからこそタレ目の仲間がいる場所へ、時間をかけながらも到着することができた。
安アパート風の階段を登り、光の漏れる部屋へと向かう、騒がしさの名残のようなものが発散されていた。
風は冷たい、できれば一刻も早く部屋へと入りたかった。
一応、人姿のままノックする――返事は無かった。
しばらく待ってからもう一度、どうやら別の客がいるらしかった、複雑な匂いが鼻をつく。
祓打は混雑の気配を感じ取り、デッキブラシを強く握りしめる。
今度こそ同じ失敗はすまいと、リードロープを握ったまま委員長を下ろした。
わざわざ設置してくれた猫ドアをくぐり、内部を見た。
事後だった。
誤解のしようもなかった。
大変申し訳ないことをしたと頭を下げて引き返す。
さて、これからどうしようか?
「いや、違うから!?」
そんな叫びが聞こえた。
同時に。
「うわっ!? なんかコタツ布団がからみつく!? え、なんで!」
「うひっ……」
「ペス、起きろ! というか正気に戻って!?」
「なんだよー、お酒旨かっただろー、飲めよー」
「どうして今度はペスが僕を拘束してんの!?」
「束縛すんな! おれに束縛させろ!」
「危ない! 包丁とか操作しないで!? というよりそれ血を吸うための傷じゃなくて殺傷になるから!」
「問題ないッッ!」
「目を輝かせるなあ!?」
ヤマシタさんは後ろを振り返る。
デッキブラシを手にした祓打が「さて、掃除をしなければ」という意志を燃やしていた。ようやくネームプレートに書かれた文字を見たが、何かの冗談だろうと判断する。
寝ぼけた委員長が床にぺたんと座った体勢で、ぼーっとしていた。ぼさぼさの髪の毛と、どこを見つめているのかわからぬ視線は大型犬を連想させる。
「うむ、今日は二人きりにしておいた方がいいのだろう、では、寮へ行くべきか、それともなければ――」
「待って! 本当に待って! というか助けてヤマシタさん!」
見ているドアノブががちゃがちゃと動くが、その鍵が開いたのはそれからさらに五分ほど経過してからだった。




